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飛行機好きの親の子だけど [ノンジャンル]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:飛行機、平気?

おそらく大丈夫でしょう。基本的に乗り物全般にわたって、乗り物酔いを起こしたり何らかの恐怖体験を味わったこともありませんから。

…と書いたのは、今のところ最後に飛行機に乗ったのが今から32年前の1989年3月、高校の修学旅行の帰りに福岡から羽田まで乗った時なので。
それ以前にも、函館に住んでいた母方の祖父母や親戚の家に行くために数回羽田―函館間で乗ったことはあったそうですが、それはほとんどがまだ物心もつかない幼いころの話で、唯一記憶に残っているのが小学校3~4年生の時に親せき宅を訪ねた時のことでした。
というわけで、私のここまでの飛行機体験はこれだけで、回数にしてもせいぜい6~7回といったところだと思います。
成長して私一人であちこちへ出かけるようになっても、陸路で移動できる限り旅の行程に飛行機を組み込むという発想自体がない(ちなみに、私は今もまだ沖縄や海外には行ったことがありません)ので、修学旅行の時の例外を除けば飛行機に乗る機会自体がなかったというわけです。

ちなみに、高校の修学旅行の帰りに乗った飛行機のことですが、どこの上空だったか忘れてしまいましたが、飛行中に気流の乱れの影響だったのか「エアポケット」に入ったからなのかは覚えていませんが、飛行中に突然垂直方向にストンと急に高度が下がるような感覚を覚えたことがありびっくりした経験があります。
もっとも、その時も機内が少しざわめいただけで特にパニック状態に陥ったりすることはなく、けが人が出た記憶もないので、軽く事情説明があっただけであとは何事もなかったように飛行を続け、羽田に無事着陸しました。
飛行機に乗った経験そのものが少ないからなのか、このことは30年以上たった今でも記憶に残っています。
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やっぱりここだね [ノンジャンル]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:自分のルーツだと思う街

ルーツですか…
やっぱりベタだけど、生まれ故郷の街ってことになりますかね
そういう意味で言うなら、私にとってのそれは東京都大田区蒲田ということになります。
細かく地名で言うと大田区仲六郷、近い駅で言うと京急の雑色駅や六郷土手駅、京急蒲田駅のあたりです。
何をもってルーツと思うかと聞かれると難しいけれど、生まれも育ちも「首都圏」と呼ばれる地域で「田舎」や「ふるさと」と呼べる場所のない私にとっては、やはり生まれ故郷ということからの愛着はかなりのものがあると思っています。
実際、私が生まれた当時住んでいた家にずっと住んでいた父方の祖父母が埼玉に引っ越してからも、目が見えていた頃はたまに何の目的もないのにフラット行ってみたりすることもありました。
私自身が鎌田に住んでいたのは本当に幼いころの3~4年ほどで、その後は時折祖父母に会いに行くだけで何か特別に強い思い出があるというわけでもないけれど、それでも京急の雑色駅(高架化前の地上駅時代)やその駅前の商店街の賑わいや多摩川の土手の風景などは今でも強く印象に残っていて、何となく時々帰ってみたくなる魅力のある街だと思っています。
残念ながら、7年前に例によってふらっと歩きに行って以来、鎌田・雑色界隈にはずっとご無沙汰になってしまっていますし、私自身も視覚障碍者になったことで、今の「ふるさと」の姿を目にすることはできなくなってしまったけれど、機会があればぜひまた「里帰り」したいものです。
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駅弁…食べたい! [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:駅弁、電車が動いてから食べる?即食べる?

鉄道旅も好きならば、その道中に食べる駅弁も大好きな私ですが、実は駅弁を食べるタイミングに特にこだわりはないし、そもそもそういったことを気にしたこともなかったんです。
駅弁は列車が走り出してから食べるべし、という考え方も理解できるし、かといっておいしい(と思って買った(駅弁は少しでも早く食べたい気持ちもあるし…
実際に駅弁をどんなタイミングで食べるかはその時の状況や気分しだいですかね。

それにしても、駅弁、少なくとも一年半は食べてないですね~
駅弁好きを自称する以上、こんなに長期間駅弁を食べていないというのは何とも不本意なことで、旅に出るどころか、列車に乗ること自体がすっかりご無沙汰になってしまっていることとあわせ、正直かなりフラストレーションがたまってしまっています。
全国の駅弁業者さんは、もともと列車の高速化や「駅ナカ」に象徴されるような競合店の増加、それにローカル列車では駅弁を食べにくいロングシート車の増加などの理由から、慢性的に売り上げが伸び悩んでいました。
そこへさらにコロナ禍の影響が重なり、駅弁は以前にも増して厳しい状況に追い込まれています。
そういう時期に、「だからこそ食べて応援」ということがなかなか難しいのも駅弁の弱点といえるかもしれません。
業者さんや弁当の種類によっては、配達やお取り寄せ注文に対応しているケースもあるようで、現地に食べに行くことが難しいならそれを利用するのも手かもしれません。
ただ、配達には対応地域の限界もあり、もともと駅弁は作ってから4時間程度で食べることを想定して調理しているものが多いそうですから、これもなかなか一筋縄ではいかないでしょう。
とにかく、早く大手を振ってどこへでも出かけることのできる環境になってくれることが一番ですし、その暁にはできるだけ機会をとらえていろいろな駅弁を楽しみたいと思っています。
タグ:駅弁
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2013年GW 富士急乗り鉄記 その7 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
2013年GWの富士急行線乗り鉄の振り返り、最終回です。

河口湖駅ホームでの撮影を終え、いよいよ京王色リバイバル編成の1001Fと1000・1200形標準塗装の1206Fによる河口湖14:21発の大月行に乗車します。
クロスシート車派の私としてはセミクロスシート仕様の1206Fとロングシート仕様の1001Fのどちらに乗るか迷いましたが、この日の乗り鉄の目的が1001Fだったというのもあるので「クハ5863」ことモハ1001に乗車します。
1001Fの車内はシートモケットの色が変わったりしているものの、元がロングシート車なだけに大きく車内の雰囲気が変わるというほどでもなかったような気がしました。
河口湖駅を発車した時点ではそれほど混雑してはいませんでしたが、大月に近づくと立ち客もちらほらみられる程度の乗車率になっていきました。
1001F+1206Fは15:15、定刻に大月に到着。
乗客の多くがJRに乗り継いだようで、改めて富士急と中央線のつながりの強さが感じられました。

富士急とJRの連絡改札を通り、JR側の一番駅舎に近い1番ホーム甲府寄りから、富士急のホームに止まる1001Fを最後に撮影します。
1番ホームからは低いフェンス越しに富士急のホームがよく見えるので、撮影には好都合でした。
折り返し河口湖行となって発車していく1001Fを見送って、大槻からはE233系の東京行で帰路につきました。

この乗り鉄から8年近く経過し、一時は9編成が活躍していた元京王5000系の1000・1200形も、6000形の増備により廃車が進んでいますが、京王色リバイバルの1001Fはパンタグラフの交換といった変化はあるものの今も京王カラーのまま活躍を続けているようです。
この1001Fもいつまで活躍できるのかわかりませんが、いろいろ状況が落ち着いたら、現役のうちにもう一度ぜひ乗りに行きたいところです。
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2013年GW 富士急乗り鉄記 その6 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
今回も2013年GWの富士急行線乗り鉄の振り返りの続きです。

富士山駅前のうどん屋さんで「吉田うどん」を味わい、再び6000形で河口湖駅に戻ってきました。
ホームわきにある留置線を見ると、朝も留置線に止まっていた京王色リバイバル編成の1000形1001Fは先ほどとは留置位置が変わり、午前中のホリデー快速代走列車に使用された1206Fと編成を組んでいました。
一方、代走列車で1206Fと編成を組んでいた1202F(旧富士急カラーリバイバル編成)は1206Fとの連結を解き、留置線で休憩中でした。
1001Fが止っている線のすぐそばには、「ホリデー快速河口湖3号」でやってきた国鉄色の183・189系の姿もありました。
こうして、京王色と国鉄色の車両が並ぶというのも、お互いの全盛時にはまず考えられないことだったと思われ、こんなところもローカル私鉄の面白さかもしれません。

1001Fと1206Fの併結4両編成は、やがてパンタグラフも上がり、間もなく出庫という状況になりました。
午前中は1001Fは運用予定に反して休みでしたが、HPにも掲載されていたこの後の大月への2往復の運用予定列車にはどうやら無事入りそうなことが分かり、一安心。
あさかぜ1号 博多行
1001F+1206Fはやがてホームへの入線に備えて留置線を離れ、一旦引き上げ線に入っていきました。

ここまで河口湖駅ホーム上から撮影して、一旦改札外へでて、駅舎内や駅前をぶらついて時間をつぶしました。
しばらくぶらついて再び改札内に入ると、先ほど引上げ線へ移動した1001F+1206Fが1番線に入線しており、14:21発の大月行として発車を待っていました。
幸い発車までは少し時間があるので、間近でじっくりと1001Fの京王色のボディーを観察します。
この1001Fは、塗装が京王時代のアイボリーと赤い細帯に復元されただけでなく、側面窓上には京王時代と同じ位置・同じ書体で京王時代の旧車号の標記が再現されているのが特徴でした。
河口湖・大月寄りのモハ1001は旧車号「5863」に(京王時代はクハ)、もう一方のモハ1101も旧車号「5113」に(京王時代はデハ)の標記が復活していました。
現在の京王線の現役車両は、CIカラーの帯の入ったステンレス車ばかりになり、車号の書体も以前のものとは変わってしまったため、このリバイバル車で塗装と車号標記のいずれもが再現された意義はかなり大きかったといえるでしょう。

次回、1001Fに乗車して大月へ向かいます。
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2013年GW 富士急乗り鉄記 その5 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
今回も2013年GWの富士急行線乗り鉄の振り返りの続きです。

「ブルートレインテラス」でブルートレインの旅の気分にしばし浸った後、再び下吉田駅のホームへ。
この後は再び下り電車で隣の富士山駅へ移動します。
やがて、上りホームに6000形の11:40発大月行が到着。
この列車はここで同時刻発で私がこれから乗ろうとする河口湖行と交換しますが…
やはり単線の宿命というべきか、朝の人身事故による中央線のダイヤ乱れの影響がまだ尾を引いていて、河口湖行は10分近く遅延しているとのこと。
そのため、ダイヤ上では交換なしですぐ発車するはずの大月行はその間抑止されることに。
ともかく、ほぼ予告通りの遅れ幅で、立ち客多数でやってきた6000形の河口湖行に乗車しました。
観光路線らしからぬ混雑したロングシート車ながら、車内では富士山が見える方向を案内するアナウンスもあり、それなりに観光気分も味わえます。

下吉田から4分ほどで富士山駅に到着。
ちょうど時刻も12時に近づいていたので、駅前で昼食とします。
富士山駅のある富士吉田市の名物といえば「吉田うどん」だというのは知っていましたが、お店の情報などは全くなかったので、手近なところで駅前のうどん屋さんに入り、「鹿カレーうどん」を注文。
吉田うどんを食べたのはこの時が初めてでしたが、麺は太くてコシがかなりあり、結構食べごたえがありました。
うどんの盛られた丼とともにお盆に載せられてきた茶碗に盛られたご飯は、カレーうどんの麺をすべて食べた後に丼に入れてカレーライスのように食べるのがこのお店の流儀のようで、お店の方もその旨教えてくれました。

うどんを完食して少し駅前をぶらつき、再び富士山駅へ戻りました。
ホームへ上がると、ちょうど大月行の「富士登山電車」1205Fと「マッターホルン電車」1201Fの併結4両編成が入線してきました。
その後、この大月行と交換する6000形で再び河口湖駅へ移動しました。

次回、京王色リバイバル編成の1001Fをじっくり味わいます。
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2013年GW 富士急乗り鉄記 その4 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
今回も2013年GWの富士急行線乗り鉄の振り返りの続きです。

富士山駅で、6000形による大月行と「ホリデー快速」の代替で運転の河口湖行快速を見送り、ホームのベンチで一休みして次の大月方面行電車で1駅先の下吉田駅へ移動します。
ここから乗車するのは、先ほど高尾から乗車したJR115系の、河口湖からの折り返しとなる中央線直通高尾行。
この列車は本来この富士山駅で、当時宇都宮線小山始発で運転されていた183・189系の「ホリデー快速河口湖3号」と列車交換するダイヤになっていて、私鉄線内で国鉄型(それも国鉄色同士)の並びが見られるはずでしたが、やはり中央線ダイヤ乱れの影響でホリデー快速が遅れたため、富士山駅での交換はなしで高尾行は発車。
そして、富士山駅から約3分で次の目的地下吉田駅に到着。
ここ下吉田駅では、列車を降りて駅舎へ向かうには下り線や構内の側線をまたぐ構内踏切を渡ることになりますが、その付近からはスカ色の115系とこれから訪問する「ブルートレインテラス」に保存されているスハネフ14 20との並びが撮影できました。
それにしても、富士山の麓のこの場所でスカ色とブルトレ色の並びが日常的に見られるようになるとは、かつては想像もできませんでした。
高尾行は本来下吉田での交換はなくすぐ発車となりますが、この日は遅れているホリデー快速との交換待ちのため少々停車していました。

さて下吉田までやってきたのは、駅構内に設けられた「ブルートレインテラス」を訪れるため。
現在の状況はわかりませんが、当時は富士急線利用で下吉田にやってきてブルートレインテラスに入場する場合は、下車時に改札で入場したい旨を告げると、ここまでの乗車券と引き換えに「入場証」をもらうことで実質無料で入場できました。
入場証は硬券で、退出時もそのまま手元に残せました。
駅舎と構内踏切・側線に挟まれた狭い通路を通ると、その先には、「富士」の絵入りテールマークを掲げたお目当てのスハネフ14 20の姿が間近に見えてきました。
「ブルートレインテラス」の中は、撮影や観察に邪魔な物はほとんどなく、スハネフ14も屋根なしにもかかわらず非常に美しい状態を保っていて好印象でした。
スハネフ14の車掌室側から向かって右側面には、専用のホームが設けられていて、ホームに停車している時の目線でブルトレ客車に接することができます。
ホーム上には「富士」とスハネフ14についてのなかなか詳細な解説板も設置され、特に鉄道ファンでない人にも親しみを感じてもらえそうな配慮がされていました。
またこのスハネフ14 20は、ここでの保存にあたっての整備で、車掌室側と反対の妻面の所属標記が新製配置当時の品川客車区のものに復元されるなどの手が加えられたほか、側面の行先字幕も「富士 西鹿児島」という、ブルトレ「富士」の最盛期の行先を表示しているなど、ブルートレインファンには嬉しいこだわりが感じられる展示状態でした。

このスハネフ14 20は時間を限定して車内を公開していて、訪問した時間はまさに午前の公開時間中だったので(河口湖駅からの移動の際に富士山駅で少々時間調整をしたのもこのため)、もちろん車内へ入ります。
同車の車内は廃車時と大きく変わっていないようで、寝台のモケットも原形の紺色ではなく、後年に張り替えられたオレンジ系のままになっていました。
車内公開中は下段寝台と通路側の折りたたみ椅子には座ることもでき、ブルトレの旅の気分に浸ることができました。
何はともあれ、富士山のふもとでブルトレ「富士」の思い出にたっぷりと浸ることができ、大満足の「ブルートレインテラス」でした。
(なお、上記の展示状態などは2013年GW時点のもので、現在の状況は私としては把握できていないことをご了承願います)

次回、ご当地うどんでお昼とします。
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2013年GW 富士急乗り鉄記 その3 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
今回も2013年GWの富士急行線乗り鉄の振り返りの続きです。

河口湖駅駅構内と駅前での撮影をひとまず一段落し、この日の乗り鉄の2つ目の目的である下吉田駅構内の「ブルートレインテラス」へ向かうべく、10:08発の大月行に乗車します。
乗車するのは、元JR205系の6000形6002F。
6000形はいわゆる「水戸岡デザイン」の車両の一つで、この形式も外装はロゴやマークが多用されたインパクトの大きなものになっており、内装もシートモケットの柄などにシンボルマークが多用され、車両間の貫通路にはこれもシンボルマーク入りの暖簾がかけられているなど、JR時代と同じオールロングシートながら社内の雰囲気は大きく変化していました。

この6000形で河口湖駅を離れ、10:13、富士山駅に到着。
下吉田へ行くならこのまま乗車してもよいのですが、時間調整を兼ねて一旦下車します。
富士山駅の以前の駅名は富士吉田でしたが、富士山エリアへの観光客誘致を目的としてそのものずばり「富士山」駅に改称されました。
ちなみに富士急の各駅には、駅名標にその駅の標高が併記されていますが、富士山駅の標高は809mで、これは実際の富士山より3000m弱低いことになります。

河口湖から乗車してきた6000形の大月行は、富士山駅で1000系と同じく元京王5000系の1200形1206F+1202Fの4両編成による快速河口湖行きと交換。
何気なく撮影したこの列車ですが、実はこの列車のダイヤは本来、JR183・189系による新宿始発の「ホリデー快速河口湖1号」のもの。
この日朝8時前に中央線新宿駅で発生した人身事故の影響でホリデー快速が大幅遅延(結局は大月で運転打ち切りとなった模様)したため、その代替としてこの4両による代走列車が運転されたようです。
当時富士急線内折り返しの列車には「快速」の設定はありませんでしたが、両端の車両の前面貫通扉の方向幕には「快速」表示入りの行先字幕が用意されていました。
詳しい事情は不明ながら、中央線はとかくダイヤ乱れが発生することが多いので、こうした代走は時たまある事なのでしょうか。
代走快速のうち、富士山駅では車止め側に連結された1202Fは、富士急80周年を記念して、昭和30年代から平成初期までの富士急カラー(薄い水色と紺のツートンカラーに白帯)に塗装変更がされていました。

次回、富士の麓の「富士」に再会です。

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2013年GW 富士急乗り鉄記 その2 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
2013年GWの富士急行線乗り鉄の振り返り、続きです。

中央本線高尾駅からのスカ色115系による富士急行線直通の普通電車で、富士急行線の終点河口湖駅に到着しました。
休日ということもあり、終点まで乗りとおした乗客も多かったようで、ホームは観光地の玄関駅らしい賑わいになっていました。
115系の到着したホームの反対側には、元JR205系である6000形が停車中。
6000形は、JR九州はじめ各地の車両のデザインを手がけている水戸岡鋭治氏のデザインによるラッピグやロゴのインパクトが強いですが、車体そのものには大きな改造店がないので、両者の並びはまるでどこかのJR駅での115系と205系の並びにも見えてきます。

河口湖駅の構内はかなり広く、2面4線のホームのほかに数本の留置線やそこに入線するための引き上線などもあり、ホームやそれらの留置線に出入りする電車を眺めているだけでもなかなか楽しい駅になっています。
私が河口湖駅に到着した時にも、留置線には元京王5000系の1000形1001Fが停車中でした。
この1001Fは、この乗り鉄の少し前に塗装が京王時代のアイボリーに赤帯の姿に復元された車両で、私のこの日の富士急乗り鉄の目的の一つもこの車両の撮影・乗車でした。
当時この編成の運用予定は富士急行のHPでも公開されていて、その運用予定を前日に確認したところ、私が河口湖駅に到着した9:30前後には、1001Fは大月駅に停車しているはずだったので、何らかの理由で運用に一部変更が生じたようでした。
しかしそのおかげで、予定より早く、ホームからゆっくり撮影することができました。
さらに、留置線の別の線路には、かつてJR東日本のジョイフルトレイン「パノラマエクスプレスアルプス」として活躍した2000系による観光特急「フジサン特急」も待機中。
そしてその近くには、6000形の種車予定か部品供給用と思われる京葉線色帯のJR205系も留置されていました。

構内の車両を一通り撮影した後、一旦改札を出て駅前へ。
駅舎や駅前もかなり広く、周辺各地へのバスやホテルなどの送迎車なども出入りして、いかにも観光地の駅といった雰囲気が感じられます。
駅前広場には、富士急の前身である富士山麓電鉄のモ1形電車が保存展示され、間近で観察や撮影が可能になっています。
この日は車内の公開はされていませんでしたが、併設されているホームから窓越しに車内を見ることができました。
そのホーム上には、筆書き文字の「河口湖」の駅名標も再現されています。
設置されている場所の関係で撮影時にはアングルに少々苦労しますが…
さらにホームにはモ1形に関する解説板も設置され、これを読むだけでもなかなか興味深いです。

次回に続きます。
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2013年GW 富士急乗り鉄記 その1 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
相変わらず新たなブログのネタを収集しに行くこともできないので、今回からも過去の乗り鉄の振り返り記事が続きます。
今回からは、2013年のGWに、中央本線の大月駅と河口湖駅を結ぶローカル私鉄富士急行(以下、富士急と略)に乗り鉄しに行った時の思い出です。

この乗り鉄に出かけたのは、2013年のGW後半の5月4日。
その数年前から、様々な観光列車をデビューさせるなどいろいろと話題の多かった富士急でしたが、私自身が前回富士急行線に乗ったのは1991年4月のこと。
大学入学直後に、山中湖にある大学のセミナーハウスで行われる新入生向けのオリエンテーション研修に参加するために、大月→河口湖の片道だけ乗った時でした。
当時は、2013年当時に主力として活躍していた元京王5100系の1000・1200系や元JR東日本の6000系・「フジサン特急」といった車両の姿はまだなく、その時乗ったのは元小田急2200系の譲受車だった記憶があります。

この日の乗り鉄はまず、西武線と中央線を乗り継いで高尾駅へ。
ここから乗車するのは、7:46発の高尾始発河口湖行1453M。
中央本線から富士急行線へ直通する定期運転の列車としては、夜の下りと朝の登りに2本ずつ設定されているE233系の東京駅までの直通列車のほかに、午前中に高尾ー河口湖間で運転される1往復があり、2013年当時は豊田車両センターのスカ色115系により運転されていました。
この列車、当時富士急のHPでも新宿等から土休日に運転されていたホリデー快速やその他の臨時列車とともに紹介があり、富士急沿線や周辺の観光地へ向かう場合も大月での乗り換えが不要となるメリットがあるためか、2021年2月現在でも運転時刻が20分前後繰り上がってはいるものの、115系の後を引き継いだ211系を使用して運転されています。

発車数分前に、これから乗車する1453Mになるスカ色の115系が入線。
高尾どまりの中央線快速からの乗り継ぎ客も含め、ほぼ座席が埋まるくらいの乗車率で定刻7:46に1453Mは高尾駅を発車。
大月からは富士急行線に入り、さらに進んでいくと進行左手の車窓には富士山が!
この日は天気も比較的よく、富士山もよく見えていました。
途中の下吉田駅では、駅構内の「ブルートレインテラス」に保存されているブルートレイン用客車スハネフ14 20の姿を車窓から眺めることができました。
ブルートレインテラスは後ほど訪問することにして、そのまま115系に乗車します。
スイッチバック駅の富士山駅で進行方向が逆になった115系は、9:34終点の河口湖駅に到着。
休日ということもあってか、終点まで利用客は多かったです。

この後は河口湖駅構内で少し撮影を楽しみます。
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