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本当は強いのか?弱いのか? [ノンジャンル]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:お酒飲める?

お酒そのものは決して嫌いではないし、明るく楽しい酒の席も好きではあるけれど、だからといってしばらく酒を飲まずにいても「飲みたい」という欲求が強まるわけでもなく、酒に関してはわりと淡白なタイプです。
そういう人間なので、酒が飲める年齢になった後も飲むのは大学のサークルやゼミ、会社の飲み会、玉の友人との食事の時くらいで、晩酌の習慣があったり会社帰りには飲み屋へ直行、などということは今に至るまでほとんどありません。
飲み会以外で自分の意志でお酒を飲んだ経験といえば、ブルトレ「北斗星」の食堂車「グランシャリオ」のパブタイムに飲んだ、グランシャリオオリジナルラベルのワインくらいのものかもしれません。
飲む頻度がかなり低いので前回酒を飲んだのがいつの事だったのか一瞬思い出せない事すらあります(苦笑)
それに珍しく飲み会に参加する時でも、たいていは前半がビール2~3杯、後半はサワー系やウーロン茶などを少々というパターンが多く、ビールなどもグイっと飲み干すというよりは時間をかけてちびちび、というような、おそらくお酒好きの人からすればなんともしみったれた飲み方と感じるような飲み方をしてしまうことが多いです。
だから、本当は自分は酒が強いのか弱いのか、正直よくわかりません。
まあそのおかげで、これまでほとんど酒絡みのトラブルや失敗の経験がないのは幸いというべきでしょうが・・・

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またいつか、こんな列車に乗りたい [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
昨日、乗り物関連のニュースサイトを見ていたら、こんな記事が出ているのを発見しました。

「大垣夜行」を知っているか?「ムーンライトながら」前身 直角シート 駅で長時間待ち (乗りものニュース)
https://trafficnews.jp/post/92111

そういえば、165系の定期「大垣夜行」が373系「ムーンライトながら」に変わってからでももう23年が経過しているので、私ぐらいから上の世代にとっては「大垣夜行」は懐かしの存在でしょうし、現在「ながら」を利用している人の中には「大垣夜行」を知らない世代もいるんでしょうね。
私が初めて大垣夜行に乗ったのは確か1991年の夏だったと思います。もちろんその何年も前からこの列車の存在は知っていて、とにかく青春18きっぷシーズンは大混雑する、という話は聞いていましたし、乗車したのもまさに18きっぷの利用期間真っ最中(私自身も18きっぷ利用でした)だったこともあり、リンクの記事ほどではないにせよ23:40の発車の3時間半前には東京駅の乗車位置に並び始めた記憶があります。
その後、大垣夜行には定期・臨時とも何度も乗車しました。青春18きっぷシーズンに利用するときにはもちろん普通車利用でしたが、18きっぷの利用期間以外に定期列車を利用するときにはグリーン車を利用することもありました。普通列車とはいえ急行型車両のグリーン車は、普通車とは雰囲気が大きく異なり、ちょっとぜいたくな気分になった思い出もあります。
記事にもある、一時期の東京駅の東海道線ホーム本数減の影響と発車待ち混雑の緩和のための品川駅始発での運転や、大垣駅到着後の「大垣ダッシュ」も懐かしいですね。それともう一つ、大垣夜行の時代には静岡駅で深夜2時台にもかかわらず駅弁の販売があったのも懐かしいです。と言っても私は一度も「夜食」をいただいた経験がないまま終わってしまいました。駅弁好きとしては、ぜひ一度は食べてみたかったですが・・・

大垣夜行が「ムーンライトながら」になっても何度も乗車しましたが、2009年に「ながら」が臨時格下げになった時には大きな衝撃を受けました。18きっぷシーズンだけでなく、それ以外の時期でもそれなりに安定した需要はあるのではないかと思っていたのですが、やはり夜行列車消滅への流れには抗えなかったんでしょうか・・・
そして、今となっては18きっぷシーズンだけに細々と生き延びているといった印象のある「ながら」、現在使用されている185系の引退とともに運命を共にしてしまうのではないかという懸念が強まっていますが、せめて消える前にもう一度乗っておきたいと思っています。

そして、165系などの直流急行型電車も、本線上を営業運転できる状態の車両が全くない現状では、大垣夜行の旅を何らかの形で再現するのも相当に難しいですが、もしそういったイベントが行われるなどといったことがあれば、ぜひ参加してみたいものです。
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もう少し早く旅したかった・・・ [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:北海道行ったことある?

母親が函館出身なので、母方の祖父母が健在で母親も若かった頃は、何度か母の実家に行った・・・らしいです。
もっとも、それは私がまだ物心つく前がほとんどだったようで、私の記憶に残っているのは小学3~4年生ぐらいの時の1回だけですが・・・
時代的には函館には青函連絡船を利用して上陸できた時代ですが、母親が言うにはほぼいつも往復飛行機利用だったようです。
その後はしばらく北海道へ行く機会そのものがなかったので、連絡船の旅を経験できなかったのは、今考えても非常に悔やまれます。

長距離の「鉄」遠征をするようになってからは北海道にももちろん数回遠征しています。
ただ鉄道旅の楽しさという点では、道内各地のローカル線も健在だった国鉄時代に北海道を旅したかった・・・という思いはあります。
周遊券や道内の夜行列車を駆使して、北海道の隅から隅までローカルセンを乗りまくったなんていうエピソードを雑誌などで読むたびに、もっと早く生まれてSLブームあたりの北海道を旅してみたかったです。

最近、2012年に北海道へ鉄道旅をした時のことを書いた、以前の個人ブログの記事を読み返し、「北斗星」や711系、183系「北斗」と、今では懐かしい車両に乗ることができた一方、北海道と猛暑の関東との気温差のせいで体調不良になったため、当初予定していた行程を一部変更せざるを得なくなったことへの悔しさも甦ってきました。
特に、あの時、それまで未乗車だった札沼線を終点の新十津川まで乗り通す予定にしていたのが、宿泊先のホテルを出るのが遅れたため、数少ない新十津川行列車への接続列車に乗り遅れ、その後のスケジュールとの兼ね合いもあり、電化区間の北海道医療大学駅までの乗車になってしまったのは、札沼線非電化区間の廃止まであと3か月となった今、悔やまれてなりません。
できることなら、雪の時期の駆け込みにはなってしまうものの、7~8年前のリベンジとして廃止区間の最初で最後の乗車に出かけたいところではありますが・・・

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まだまだ残してほしいコミュニケーション [日々のあれこれ&つぶやき]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:お店の人に話しかけられたい?

視覚障害者となった今では、欲しい商品の在庫の有無を確認してもらったり支払いの場面など、お店の人との言葉でのコミュニケーションが欠かせないので、店に入ったら店員さんになるべく早く自分のことを認識してもらい、声をかけてもらうことが重要なので、お題の答えとしては「声はかけてほしい」です。

目が見えていたころも、いつも訪れている店の店員さんに声をかけてもらうのは好きでした。
以前の記事でも書いた大学の購買部の店員さんや、高校の最寄り駅の売店や近くにあった食料品店の店員さんなどと会話を交わすのはいつも楽しみでした。
まあ、そのほとんどがおばちゃんでしたが(笑)
もともと私はなぜかおばちゃんに好かれる傾向があるらしく、どの店でも毎日のように何かしら買っていくものだから、すっかり顔を覚えられてしまったようで、店に寄ると、「お帰り」「いつもありがとう」なんて声をかけてくれました。

店の人に声をかけられるのが煩わしいという人の気持ちもそれはそれで理解できますし、そういう理由から無人レジや無人店舗の出現を歓迎する人もいるでしょうが、こういう店員さんと客の温かいコミュニケーションの形はずっと残してほしいものです。
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便利さはわかっちゃいるけど [日々のあれこれ&つぶやき]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:多くの人が経験しているのに、自分はまだ未経験ということ、ある?

今や、特に夜に長距離を移動したいときには欠かせない存在となった高速バスですが、私はこれまで、ほぼ利用したことがありません。
バスツアーに参加してそれなりの距離をバスで移動したことはありますし、大学時代のサークルのスキー合宿では野沢温泉スキー場までの夜行のスキーバス(おそらくその後のツアーバスと同じような運行形態だったのではと思います)に乗った経験はありますが、今世間一般で言われるところの「高速バス」には夜行・昼行問わず乗ったことはありません。
もちろん、現在ではかつての国鉄・JRの夜行列車を含む長距離列車網を大きく上回る細かさで高速バス網が形成されていることは承知しているし、運賃も曜日や区間などにより鉄道利用よりかなり安く利用できることも知っています。
また、最近ではほぼ個室に近いようなプライベート空間を確保できるようになったりと、車両も大きく進化していると聞いています。

しかし、そうした現実や便利さは受け止めつつも、やはりどうも高速バスを積極的に使ってみたいという気分にはなれません。
もともと、夜行列車でも座席者の場合はあまりきちんと眠れないことが多く、先ほど書いたスキーバスの時も一晩中ほぼ眠れなかった経験があることも影響しているかと思いますが、やはり列車が好きな者としては、鉄道ではなく高速バスで目的地へ行くということが、何か自分の愛するものへの裏切りのような気分がしてしまうのです。
そのようなこだわりは捨てて、その時々で鉄道でもバスでも飛行機でも、便利で安いルートを柔軟に選べばいいではないかというご意見もあるかと思いますが・・・
やっぱり積極的に高速バスを使いこなしてみようという気分になるまでには時間がかかりそうです。

とりあえず、いつになるかわかりませんが「食わず嫌い」を解消できるところまではいきたいと思っています。
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251系「スーパービュー踊り子」の思い出 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
去る12月13日、来年2020年3月14日に行われるJR各社のダイヤ改正の概要が発表されました。
大小とり混ぜていろいろな注目ポイントがある中で、個人的に時代の流れを感じたのが、東京・大宮・新宿と伊豆急下田を結ぶ251系のリゾート特急「スーパービュー踊り子」の運転終了。
251系に代わる新特急車E261系「サフィール踊り子」の登場がアナウンスされたことで、この日が近々やってくることはわかってはいたものの、やはり251系が消えるとなると、登場から30年近くの歳月の流れを感じてしまいます。
結果的に、「踊り子」系統の先輩である185系よりもわずかながら早い引退となるわけですが、後継車E261系が251系をさらにグレードアップした車両になるというのは、251系にとっては幸せなバトンタッチと言えるかもしれません。

私は今のところ、「スーパービュー踊り子」の乗車経験は残念ながら一度しかありません。
それは確か、2003年の春頃だったと思います。
何度もこのブログでも書いていますが、私はこの頃、新卒で入社した会社を辞めた後の転職に向けての就活中でした。
何社もの選考に落ち続け、正直かなり手詰まり感を感じていたころでした。
そんな中、履歴書書きや面接、ハローワークに出かけたりといった日々の合間に、気分転換と称して時折乗り鉄を楽しみに出かけていました。多くはそれほど遠出というほどの距離ではありませんでしたが、ある時、何がきっかけだったか記憶にありませんが、急に伊豆急に乗りたくなり平日ながら出かけることにしました。
伊豆への行きは、熱海までが当時まだ健在だった東海道線の113系、熱海からは伊豆急の展望電車「リゾート21」の展望室最前列の席で前面展望を楽しみながら伊豆急下田へ向かいました。
この日は完全に乗り鉄だけのために下田までやって来たので、伊豆急下田に着いたらすぐ東京へ戻ります。
この帰りの列車に選んだのが「スーパービュー踊り子」でした。正確な時刻や列車の号数などは覚えていませんが、伊豆急下田を14時台に発車する列車だった記憶があります。
「スーパービュー踊り子」への乗車は初ということもあり、特急券購入の際にダメもとで上り線等(10号車)の普通車展望席を希望したところ、平日の午後ということもあってか、惜しくも2列目ではあったものの展望室の座席を確保することができました。
いざ指定の席に座ってみると、階段状の座席配置が逆に災いして、前面窓の上部を横切る太い桟が視界を邪魔してはいるものの、それでも伊豆急線内だけでなくJR線内の全面展望をゆっくり楽しめ、楽しい2時間半ちょっとの旅になり、良い気分転換になりました。
あの時は、転職先が見つかった暁にはぜひ今度は1号車からの前面展望を楽しみに乗車したいと思っていましたが、結局その後今日まで251系には乗らずじまいでした。
あと3か月での引退が決まった251系、ぜひ来年に入ったらお別れ乗車(といってもまだ2度目の乗車ですが)をしたいと思っていますし、185系「踊り子」にも251系とセットで乗りに行きたいと思っています。
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勉強漬けの年末年始に青い癒し [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。
昨日はかつて会社帰りに時折東京駅や上野駅で夜行列車やブルトレの撮影や見送りをしていたという話をしましたが、今回はその記事を書きながら思い出した浪人時代のエピソードについてです。

私は現役での大学受験に全敗し、浪人生活を送ることになり、西荻窪にある某予備校に通っていました。
その年の年末年始、まあ当然というか浪人生には年末も正月もないというわけで、私の通っていた予備校では年を跨いだ6日間ほどの間、集中的に個人学習を行う学習会が行われました。
これは、期間中毎日朝8時から夜20時半まで、休憩や昼食・夕食を挟みつつ、2時間×5コマの10時間、参加者がそれぞれに持参した参考書や問題集を使って集中的に自習を行うというものでした。(合宿ではなく、自宅や下宿から毎日会場まで通うという形態でした)
学習会が行われたのは、東京大手町にある某ビルの貸会議室でした。年末年始で利用客がほとんどなく空いていたのと、オフィス街なので勉強への集中を妨げるような誘惑もほとんどないということで会場として選ばれたのだと思われます。
学習会の間は、先ほども書いた通り8時から20時半まで、ほぼ勉強漬けの時間を過ごすことになります。午前と午後に15分ずつ、昼食と夕食時にそれぞれ1時間の休憩はあるものの、休憩時間に外へ出て気分転換を図るということもできず(そもそも大手町周辺は年末年始に外へ出たところで食事のできる店もコンビニもほとんどなかったようですが)、受験生には酷な年末年始の世間の雰囲気から逃れて勉強するにはよかったけれど、気分的には正直辛い6日間でした。
しかし、そんな中で唯一の癒しの時間が、それぞれの日の日程が終わり自宅へ帰る途中の時間にありました。
20時半にその日の5コマ目の自習時間が終わり解散になると、会場のビルから近い地下鉄の大手町駅ではなく東京駅へ急いで向かいます。
東京駅へ急いだのは、もちろん帰宅のためでもありますが、もう一つのお楽しみがこの時間にあったのも理由でした。
当時、21:00に高松行「瀬戸」、21:20に出雲市行「出雲3号」の2本のブルトレが相次いで東京駅を発車していました。そのため、勉強漬けだった一日の終わりに、このブルトレの発車を見送ることで少しでも勉強へのモチベーションを維持しようとしたのかもしれません。
そして、学習会の期間中毎日、この2本の発車を見送っていると、浪人中なかなか思うように乗り鉄や鉄道旅などもできない中で、ホームの賑わいも含めて、わずかではあっても旅の気分を感じることができ、正直面白みのない浪人生生活の中の貴重な癒しの時間になったのは間違いありません。
その年の春、私は無事に浪人生生活にピリオドを打つことができました。あの時、東京駅でブルトレに元気とやる気をもらったから・・・かどうかは定かではありませんが、やはり鉄道好きにとっては、好きな車両や列車の近くにいるとそれだけでパワーをもらえるということもあるんでしょうね。
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スーツ姿で旅気分 [いろんな思い出]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:仕事終わりまずなにしたい?

ほとんどの社員がオフィスに通勤することのない会社に在宅勤務している者にとって「会社へ行く」とか「会社帰り」という言葉がもはや懐かしさすら感じるようになってきました。
私が都内の会社に通勤していた頃は、会社が終わるとまっすぐ飲み屋へ・・・などといったことはまずなく、ほとんどの場合は退社するとまっすぐ帰宅していました。
たまに鉄道関連の雑誌・書籍が充実している神田神保町の書店「書泉グランデ」に立ち寄ることはあるものの、その他に会社帰りにいつも何かをする、というタイプではありませんでした。
そんな私でも、時々楽しんでいたのが上野駅や東京駅での夜行列車の見送り。
2005年2月末の「さくら」「あさかぜ」廃止が発表された頃からだったと思いますが、時折ビジネスバッグにデジカメを忍ばせて会社帰りに東京駅や上野駅で夜行列車の撮影と発車の見送りをするようになりました。
2008年に急行「銀河」が廃止された後は、定時に会社を出た後でも発車に間に合う東京発の夜行列車が「サンライズ瀬戸・出雲」だけになったため、会社帰りの鉄分補給スポットは主に上野駅になりました。
18時過ぎに会社を定時退社して上野駅へ移動し、19:03発の「北斗星」からスタート、「北斗星」の撮影と見送りをした後上野駅構内の店で夕食をとり、その後「あけぼの」、さらにその後の「北陸」「能登」まで同じようにして見送ることが結構ありました。
会社帰りなのでスーツにビジネスバッグという姿ではあるものの、やっぱり「能登」を除きこれらの列車は上野駅では最も旅情にあふれる13番線の発車ということもあり、列車名や「札幌」「青森」「金沢」の行先表示には旅気分をいやがうえにもそそられるものがあり、会社に行くだけの一日になりがちな平日のよい気分転換になっていた気がします。
そして時には上野駅で「あけぼの」を撮影した後、「あけぼの」より早く上野を発車する489系の「ホームライナー古河」で大宮へ先回りし、ここでも「あけぼの」の撮影をしたことも、今となってはよい思い出になっています。
今となっては、定期夜行列車自体が「サンライズ」だけになり、アフター5(私にとってはアフター6でしたが)に夜行・ブルトレ三昧という時間を過ごせた日々も遠い思い出になりつつあります。
そう考えると、あの頃の私は鉄道好き敵に結構贅沢な仕事帰りの時間を過ごせていたのだなという気持ちになります。
またいつか、仕事帰りに遠くの街へ向かう列車に旅気分を感じる時間の持てる日々が来たらいいなと思う今日この頃です。




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人生をやり直せるなら [日々のあれこれ&つぶやき]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:世の中を早送り、巻き戻し、一時停止、どれかできるとしたらどれがいい?

やっぱり「巻き戻し」でしょう!
タイムマシンで過去に行くのとはまた違ったやり方で、昔の世の中を見てみたり、あいまいな記憶の穴を埋めたりといったこともできそうですが、今まで生きてきた経験や気持ちはそのまま生かしつつ、ただ過去に戻るだけでなくその後の人生をいい形でやり直せるとしたらもっとありがたいです。
戻るとすれば、中学に入ったあたりからやり直したい感じですね。
中学時代は正直あまり良い思い出がなく、充実した3年間とは言いがたい面があったので、もう一度中学時代に戻って中学校生活をやり直したいです。
あと、高校受験や大学受験のあたりにも戻りたいです。
入学した高校や大学に不満があったなんてことは断じてありませんが、高校受験では第1志望の公立に落ち、大学受験は1浪しているので、もしこの2回の受験が順調にいっていたらどんな学校生活を送っていたか興味があります。

あ、それともう一つ、新卒の時の就活をもう一度初めからやり直したいですね。
あの時は数えきれないくらい多くの企業に落とされまくった挙句、就職浪人一歩手前でやっと某金融関係の会社に拾ってもらったものの、結局は自分には合わない業種だったことなどで辞めることになったので…
もし新卒時点での就活がやり直せるなら、あの時より少しはマシな就活ができる…かも?

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鉄道イベントの思い出02 品川駅・ブルートレインフェスティバル編 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
私が過去、いろいろな鉄道イベントに出かけた時の思い出を書いているこのシリーズの2回目は、1998年5月30・31日の2日間、品川駅で行われた「ブルートレインフェスティバル」について書きたいと思います。

このイベントは、この年7月10日に営業運転を開始した285系寝台電車「サンライズエクスプレス」の展示会をメインに、豪華寝台客車「夢空間」の展示、EF5861号機と連結した14系座席者の車内でのブルートレインの写真パネルやヘッドマークの展示などが行われたイベントです。
「サンライズ」の展示会自体は285系が充当される「サンライズ瀬戸」「サンライズ出雲」の運行ルートの沿線の主要駅で数度にわたり開催されていましたが、品川駅はJR東日本エリアでは唯一の開催だったからか、他の各駅よりも規模の大きなものになっていたようです。

私は、イベント初日の5月30日に行ってきました。
イベント開始の10時を少し回った頃に会場の品川駅9・10番ホームに到着しました。
まずはやはり「サンライズ」ということで、9番線横浜寄りに停車している同車の車内公開の待機列に並びます。時間帯によっては車内に入るまで1時間並ぶこともあったようですが、私はそこまで待たされることはなく(それでも20分ほどは並んだ記憶があります)、車内に入ることができました。
車内が公開されていたのは確か3~5号車の3両ほどだった記憶がありますが、それでもA個室「シングルDX」やB個室「シングル」、カーペット敷きの「ノビノビ座席」など、いろいろな設備を見ることができました。さすがに一つ一つをじっくり見学している時間はなかったけれど、それでも従来の寝台客車にはない木の温もりを感じる車内に、ますます早く乗りたいという気持ちにさせてくれる展示でした。

「サンライズ」の車内見学を終え、今度は隣の10番線で展示されていた24系豪華客車「夢空間」に向かいます。
「夢空間」は、デラックススリーパー・ラウンジカー・ダイニングカーというこのグループを構成する3両の他、電源車カニ24と「デュエット」のスハね25とで編成を組み、これに「夢空間」のクリーム色のヘッドマークを付けた北斗星塗装のEF81(確か81号機だったと思います)を連結して展示されていました。
スハね25は元「あさかぜ1・4号」用の車両で、「あさかぜ1・4号」が臨時格下げとなった後もしばらく「夢空間」を使用した臨時列車に連結されていました。
「夢空間」も「デュエット」も、現役時代にはついに乗るチャンスに恵まれなかった車両たちだけに、わずかな時間だけでも乗車している気分に浸れたのは今となっては貴重な経験になりました。ただ、ダイニングカーのオシ25 901号車はこの日、予約制のランチコースの客が利用していたので、車内に入ることができなかったのが残念でした。

「夢空間」編成を出て、今度は再び9番線に戻り、東京方に停車している14系座席者のもとに向かいました。ここでは3両の車内にブルートレインの写真パネルやヘッドマークが展示されていました。国鉄時代のものから(当時の)最近の写真まで、いろいろな写真を見て楽しめました。私が訪れた時には「サンライズ」や「夢空間」ほどは見学客も多くなく、わりとゆっくり展示を鑑賞することができました。
14系座席者のさらに東京方には、「つばめ」のヘッドマークを付けたEF58 61号機も展示されていました。同期をここまで近くでじっくり眺めたり撮影したりできるチャンスもなかなかないので、これも貴重な経験とばかりゆっくり鑑賞してしまいました。

この他、10番線東京方には休憩用車両として185系電車が停車していましたが、こちらを利用した記憶はありません。
あくまでこのイベントは「サンライズ」や「夢空間」がメインという意識があったからか、それとも当時は今ほど185系も注目を浴びる存在ではなかったからか、おそらく両方だったかもしれません。

会場にいたのはおそらく2時間弱ほどだったような気がしますが、営業開始前の「サンライズ」の車内に入ることができたり、普段はなかなか乗るチャンスのない「夢空間」の車内を見ることができたりと、寝台特急・ブルートレインファンにとっては大満足のイベントでした。
今や品川駅も上野東京ライン開業関連やこれから始まる再開発などで変貌の真っただ中にあり、かつて各種臨時列車やイベント列車、回送列車等の発着、今回取り上げたような車両展示会などいろいろな目的に使われた品川駅の臨時ホームも通常の列車発着に使われるケースが多くなり、もうこのような車両展示などのイベントが行われることもないかもしれません。
21年前の「ブルートレインフェスティバル」は、縮小傾向が明らかになってきたとはいえまだまだ寝台特急が最後の輝きを残していたことの象徴のようなイベントだったのかもしれません。
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