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【2009年夏の鉄道旅 Part1】佐久間レールパークへ その6 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
2009年の鉄道旅の振り返り、Part1の最終回です。

佐久間レールパークでの展示車両の撮影・観察などを堪能し、13:30頃に再び中部天竜駅へ。
この後は、その日の宿泊地である名古屋へ向かいます。
中部天竜から乗車するのは、朝に乗車した「佐久間レールパーク1号」の折り返しとなる「~2号」。
車両も朝に乗車したのと同じ117系(S1編成)です。
「佐久間レールパーク2号は定刻の13:43に中部天竜を発車。
2号では1号のような列車交換による長時間停車も少なく、比較的「快速」にふさわしいスピードで飯田線を南下します。
「佐久間レールパーク2号」は名古屋市初の1号に対して、15:05到着の豊橋が終点でした。
豊橋ではすぐ接続の米原行快速5515Fに乗り継ぎます。
名古屋まで行くならこの列車で直行するのが速いですが、私は途中の岡崎駅で下車しました。
名古屋へ直行しなかったのは、ここ岡崎始発の岐阜行普通電車3189Fに乗り換えるため。
この列車に乗り換えたのは途中の快速通過駅へ向かうからではなく、3189Fが117系の運用される列車だから。
実はこの鉄道旅の目的の一つが、この頃にはすでに名古屋都市圏への313系増備に伴い、今後の動向が注目される存在になってきていた117系になるべく多く乗車や撮影をしようとすることでした。
この時乗り継いだ3189Fももちろん117系(S4編成)でした。

丘崎からは、名古屋まで再び117系の乗り心地を味わいながら向かいます。
東海道本線豊橋ー大垣間は、18きっぷ旅の際には新快速や快速でスピーディーに駆け抜けてしまうことがほとんどですが、たまにはこうして各駅停車でたどるのもいいかも、などと思いながら名古屋駅に到着。
まだまだ時間は早いですが、一旦改札を出て宿泊する駅近くのビジネスホテルへ向かいます。

2009年夏の鉄道旅の振り返り、Part1はここで終了です。
Partにへ続きます。
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【2009年夏の鉄道旅 Part1】佐久間レールパークへ その5 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
2009年の鉄道旅の振り返り、Part1の続きです。

佐久間レールパークの展示車両たち、今回で最終回です。
●スニ30 95
スニ30は、日本初の鋼製客車であるオハ31系列の荷物車。
屋根はダブルルーフ構造ですが、線路レベルからではなかなかそれがわかりにくいのが少々残念です。
スニ30 95は、荷物者としての活躍の後に救援車スエ30 8に改造されていたものを、レールパークへの保存に当たって復元したものだそうです。
この車両もリニア・鉄道館入りしています。
●オヤ31 12
この車両は、新線開通や電化開業時など、線路周辺の駅舎などの建造物に大きな変化が生じた場合に、建造物が建築限界(車両に障害物が触れないようにするための限界線)内に収まっているか測定する「建築限界測定試験」に使用される車両で、建造物が建築限界に支障しているかどうかを測定するための矢羽根を車体から出していることから、通称「オイラン車」とも呼ばれます。
間近でオイラン車を見るのはレールパークで見た時が最初でしたが、すぐ近くで観察するとなかなか興味深い車両です。
最近はオイラン車も運転されることがほとんどないようですが、幸いオヤ31 12はレールパークからリニア・鉄道館に移って現在も保存されているので、その特徴ある外観をいつでも見ることができます。
●ED11 2
ED11形は1923年に、東海道本線東京ー国府津間や横須賀線の電化にあたってアメリカから2両が輸入された電気機関車で、浜松工場の入替機を経てレールパークに保存されました。
同機は、私がこの鉄道旅でレールパークを訪れた8月には特別公開車両になっていて、デッキや運転室に入ることもできました。(私は外から見るだけでしたが)
同機もレールパーク閉園後リニア・鉄道館に移って保存されています。
ちなみに、2両が輸入されたED11のうち、もう1両のED11 1号機は1962年に西武鉄道へ譲渡され、同社のE61形E61号機となって貨物牽引に活躍、廃車となった後も横瀬車両基地で保存されています。
●ED62 14
ED62は、国鉄新性能直流電気機関車の初期の形式であるED61形を、飯田線での使用に対応した仕様に改造して誕生した形式。
レールパークでは後部にオロネ10 27とマイネ40 7を従えたような姿で展示されていたので、機関車自体のサイズはEF65などよりも小さいものの、なかなかカッコよさが感じられました。
同機は残念ながらリニア・鉄道館入りは実現しませんでした。
●ソ180・チキ6132
ソ180は、65tまで扱えるクレーンを搭載した事故救援用操重車。
チキ6132は、そのソ180の移動の際などにクレーンのアームを支えるための「控車」の役目を果たしていたようです。
事故救援用の操重車はもともと目にする機会がほとんどない(あっては困る)ため、間近で落ち着いて観察ができるレールパークは、レアな車両を観察するにはありがたい場所でした。
この貴重な操重車の保存車も、残念ながらレールパークの閉園とともに解体されてしまいました。
●新幹線0系 21-2023先頭部
やはりJR東海の施設だけあって(?)、ここにも新幹線の姿がありました。
もっとも1両まるごとではなく、運転室が公開されている前頭部だけのカットボディーでしたが。
そして同車のそばには、高い位置から同社を見下ろすことのできるお立ち台(?)も設置されていて、運転席に座った我が子を親がお立ち台から撮影したり、車両が展示されている屋外展示場全体を俯瞰で眺めたりすることができました。
このカットボディー、リニア・鉄道館には引き継がれなかったものの、現在は車両メーカーの総合車両製作所横浜事業所内で非公開ながら保存されているそうです。

展示車両を見て回る合間には、豊橋駅で購入したレールパーク閉園記念弁当で昼食。
この記念弁当は幕の内と寿司弁当の2種類があり、どちらにしようか迷いましたが、結局は2つとも買ってしまいました(笑)
ちなみに、レールパークの保存車両たちの写真入りの掛け紙はどちらも同じものでした。
弁当の中身では、寿司弁当に稲荷寿司が入っていたり、どちらの弁当にもちくわが入っているのが、豊橋駅の駅弁らしいポイントでした。

その他、各種鉄道部品などが展示されていた屋内の展示スペースなども見て回り、最後の佐久間レールパーク訪問を楽しみ、パークを後にしました。
次回、中部天竜から名古屋へ向かいます。
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【2009年夏の鉄道旅 Part1】佐久間レールパークへ その4 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
2009年の鉄道旅の振り返り、Part1の続きです。

佐久間レールパークの展示車両たち、今回は客車4両です。

●オロネ10 27
10系軽量客車の1等寝台車(後のA寝台車)として登場した車両。
その後、鉄道工事の現場での作業員の移動宿泊車(工事車)オヤ10 1に改造され、国鉄時代末期に廃車されました。
そして、レールパーク開園に当たって車内は工事者時代のまま、外観の塗装や各種標記類だけをオロネ10としての製造直後の仕様に復元した車両です。
10系客車といえば、私には青色一色塗装のイメージが強いですが、外観復元後はやはり製造当時の塗装であるぶどう色に青帯の塗装になっていました。
この車両も現在リニア・鉄道館に収蔵されています。
●マイネ40 7
戦後間もない時期に製造された1等寝台車。
その後寝台車の等級変更によりマロネ40形に形式を変更、さらにオロネ10改造のオヤ10形同様の工事車オヤ41形となって国鉄時代末期に廃車された後、やはり前項のオロネ10同様、外観の塗装と標記のみ、マイネ40としての製造当初の仕様に復元したものです。
復元された標記類の中には、国鉄発足前の「鉄道省」を表すアルファベット略称の「JGR」の文字もあり、これも貴重な存在です。
この車両もリニア・鉄道館入りを果たしています。
ちなみに、2両あったオヤ41形のうちもう1両も、外観が製造当時の仕様に復元され、そちらは信越本線横川駅近くの「碓氷峠鉄道文化むら」で保存されています。
●オハ35 206
戦前から戦後にかけて製造された一般型客車であるオハ35系の車両で、同系列の車輛は今でも大井川鉄道で保存運転されているほか、各地で保存展示されている車両も多い形式です。
同車は標記類が戦前の仕様のものに復元されていました。
この車両もリニア・鉄道館に収蔵されています。
●スハフ34834(スハフ33 115)
前項のオハ35と同じオハ35系の、車掌室付き車。
私がこの鉄道旅で訪れる直前までは、()内の戦後の変更後の車号が車体に標記されていましたが、なぜか訪問時には回版前の車号の標記に変更されていました。
同車は、昭和15年に3等客車(現在の普通車に相当)の外板塗装から赤い投球帯が消える前に製造されたため、保存の際にもこのぶどう色に赤帯の塗装の姿で展示されていました。
前項のオハ35と同じオハ35系列でも、この車両はレールパーク閉園とともに姿を消してしまいました。

レールパークの展示車両たちの紹介、もう少し続きます。
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【2009年夏の鉄道旅 Part1】佐久間レールパークへ その3 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
2009年の鉄道旅の振り返り、Part1の続きです。

佐久間レールパークの展示車両たち、今回は電車がもう1両と気動車2両です。
ちなみに今回ご紹介する3両は、いずれもリニア・鉄道館で今でも保存展示されています。

●モハ52004
戦前の京阪神間で、急行電車(現在の新快速に相当)として活躍し、戦後に阪和線を経て飯田線で現役を終えた、製造当時の鉄道車両デザインのトレンドだった流線形のボディーが美しい車両。
昭和50年代の活躍末期に人気となった飯田線の旧型国電の(おそらく)唯一の保存者です。
レールパークでの展示開始からしばらくは飯田線での活躍当時のままの姿で展示されていましたが、その後製造当初の、クリーム色と茶色の塗装や床下機器を覆うスカートなどが再現された姿に復元され、この鉄道旅の時点でもそれは変わっていませんでした。
塗装やスカートだけでなく、車体の車番や所属区などの表記、果ては正面窓に赤文字で書かれた「急行」の表示までもが再現されていました。
●キハ181-1
キハ82系をパワーアップした、特急型気動車キハ181系の運転台付き車、キハ181形のトップナンバー。
この形式が初めて投入されたのが中央西線の特急「しなの」で、同車も中部地方に縁のある車両ということで、JR四国での廃車後に中部地方への里帰りを果たし、国鉄特急色の姿に復元されてレールパークに保存されていました。
●キハ48036
国鉄の液体式気動車の先駆けと言える形式で、のちに形式がキハ10に改められています。
同車は長らく国鉄真岡線(現 真岡鐵道)で活躍後、茨城交通湊線(現 ひたちなか海浜鉄道)での活躍を経て、レールパーク開園に当たってJR東海に引き取られました。
同車の外観は、側面窓の上部約1/3がHゴム支持による固定窓、残り2/3が上昇四季の開閉可能な窓という、当時製造の気動車やバスによく見られた通称「バス窓」と呼ばれたデザインが残る貴重なもので、車体の塗装も紺色とベージュの昭和30年代前半頃のものが再現されています。

次回も続きます。
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【2009年夏の鉄道旅 Part1】佐久間レールパークへ その2 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
2009年の鉄道旅の振り返り、Part1の続きです。

名古屋駅から117系臨時快速「佐久間レールパーク1号」に乗車し、飯田線中部天竜駅にやってきました。
そして、この駅の留置線に停車中の119系国鉄色(飯田線色)を同駅のホームや開いている構内踏切から撮影した後、いよいよこの鉄道旅の最初の目的地である、中部天竜駅すぐそばの「佐久間レールパーク」に入園します。
この佐久間レールパーク(以降、「レールパーク」と略すことがあります)、JR東海が過去の貴重な鉄道車両の保存と飯田線の活性化を目指し、1991年に開設したものでしたが、現在名古屋市内にある「リニア・鉄道館」がオープンすることに伴い、2009年11月1日に閉園となりました。
レールパークには私もそれまでに2回ほど行ったことはありましたが、閉園になるとあってはやはり最後にもう一回行ってみたくなり、この鉄道旅の行程に組み込むことにしました。もっとも、実際にはその2週間後に短時間ながら再度訪れることになりますが。
佐久間レールパークの特徴は、かつて小規模ながら電車区が設けられていた場所に建設されたことを生かし、展示されていた実物車両は基本的にどれも屋外での展示となっていたことと、蒸気機関車やディーゼル機関車の展示はなかったものの、電車・気動車・客車の幅広い形式が展示されていたことでした。
入園後早速、展示されている各車両をあれこれ見て回りました。
ここから、その時に見て回った(一部、2週間後の再訪の時も含みます)レールパークの保存車両たちをご紹介していきます。(相変わらず、写真を掲載できないのが残念ですが)
●クハ111-1
111・113系の制御車クハ111形のトップナンバー。
同車は、少し前の、新幹線浜松工場の「新幹線なるほど発見デー」の2009年開催の時の振り返り記事の中でも取り上げたモハ111-1+モハ110-1とともに、東海道線に縁の深い111系の貴重なトップナンバーということで国鉄時代末期の廃車後も浜松工場で保管されていましたが、この時代には1両だけレールパークに移って保存されていました。
8月の鉄道旅の際に訪れた時には、展示車両の中でこの車両のみ整備中らしく姿がありませんでしたが、2週間後の再訪時には再び展示が再開されていました。
再訪時には、9月の特別公開車両として社内の公開も行われていて、薄緑色の化粧板に青いモケットの座席という、これぞ国鉄近郊型電車という感じの車内風景を堪能することができました。
この車両はレールパーク閉園後はリニア・鉄道館に移り、現在も保存されています。全国的にも国鉄近郊型電車の保存例は少ないので、その意味でもかなり貴重な存在です。
●クモハ12054
かつての鶴見線で、武蔵白石ー大川間の折り返し運用を中心に用いられていたクモハ12052・12053とほぼ同型の車輛で、こちらは国鉄時代の静岡運転所(現 静岡車両区)で牽引車や入換車として使用されていた車両でした。
8月の訪問時には、同車が特別公開車両に選ばれていて、この車両も車内に入ることができました。
車内に入ると、私自身は鶴見線でクモハ12に乗った時の思い出が甦ってきて懐かしい気分になりましたが、一方でこのような車両など一度も見たことがないに違いない子供がえらくカルチャーショックを受けたような表情をしていたのが印象的でした。
同車は残念ながらリニア・鉄道館の保存車リストからは漏れてしまいました。
同じクモハ12でも、JR発足時に飯田線のイベント用として牽引車クモヤ22からの改番で登場したクモハ12041はリニア・鉄道館入りを果たしているんですがね…
●クヤ165-1
153系急行型電車の半室ビュッフェ車サハシ153形から改造された、乗務員訓練用の「教習者」。
紺色のボディーに、黄色の警戒色や細帯を配したとそうでしたが、車体側面には種車の窓配置が残っていました。
この車両もレールパーク閉園とともに姿を消してしまいましたが、できることならこの車両もサハシ時代の外観と内装に復元してリニア・鉄道館で保存し、車内を同館の軽食スペースとして開放してくれたらよかったと思いますが…

レールパークの展示車両たち、次回以降もまだまだ続きます。
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【2009年夏の鉄道旅 Part1】佐久間レールパークへ その1 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
今日からまた、過去の鉄道旅の振り返り記事シリーズになります。
今回は、2009年8・9月に2回に分けて中部・北陸・新潟地方を青春18きっぷで旅した時の思い出を振り返ってみたいと思います。
この18きっぷ旅はかなり内容が盛りだくさんで、記事にまとめるとすると結構なボリュームになりそうなので、その行程をいくつかのパートに区切って書いていきたいと思います。
まずPart1では、かつてJR飯田線中部天竜駅の構内にあり、この18きっぷ旅の直後の2009年11月1日に閉園したJR東海の鉄道博物館「佐久間レールパーク」を訪れた時の思い出をつづっていきます。

2009年8月22日、名古屋周辺から富山・高岡・新潟を経由して中部・北陸地方をぐるっと周遊する鉄道旅に出ました。
この日はまず、18きっぷ旅といえばこの列車、東海道線の夜行快速「ムーンライトながら」で夜の東京駅を出発。
翌朝5:22、「ながら」は名古屋駅に定刻到着し、私はここで下車しました。
日曜日の朝だったということもあってか、ホームには「ながら」を降りた乗客以外はほとんど人影が見当たらず、発着する列車もまだまだ少ない、大ターミナル駅とは思えない静かな空間が広がっていました。
この後、名古屋から飯田線中部天竜駅まで乗車する臨時快速「佐久間レールパーク1号」の発車まで少し時間があるので、一旦駅の外に出て駅前のコンビニで朝食などを確保し、再び駅へ戻って時間まで117系電車の東海道線の区間快速・普通電車などを撮影して過ごしました。

やがて時計は7時を回り、「佐久間レールパーク1号」の名古屋駅入線が近づいてきました。
この旅の頃には佐久間レールパークの閉園もすでにアナウンスサれていて、鉄道ファン以外の人の間でも行楽スポットとしてレールパークの存在が知られるようになってきたせいなのか、それとも「佐久間レールパーク号」に使用される117系の人気のためなのか、この日のレールパーク号は上下とも2両の指定席が満席となる盛況でした。
私自身は指定席券を確保できなかったので自由席利用でしたが、名古屋駅入線前の自由席車乗車位置には各乗車口とも10数人ずつの人が並んでいました。
しかし座席数の多い117系のおかげか、意外と座席に余裕のある乗車率で7:20に名古屋駅を発車。私も無事座席を確保できました。

8:23、飯田線の始発駅豊橋に到着。「佐久間レールパーク1号」は5分停車。
ここでは、停車時間を利用して「佐久間レールパーク弁当」を購入し、名古屋駅ではできなかったレールパーク号の撮影をしました。
117系の両側の先頭車には、月替わりでデザインが変更された大型ヘッドマークが掲出されていましたが、側面方向幕には何の表示も見られなかったのが少々寂しかったです。
豊橋を出ると、車内放送では飯田線の歴史や特色についてや、長篠城跡や鳳来寺山、湯谷温泉などの簡単な紹介も流れ、一気に観光列車ムードが高まってきます。
途中の新城(しんしろ)駅(12分停車)や本長篠駅(9分停車)では上り列車との交換待ちのため眺めに停車。
この間ホームは117系のプチ撮影会状態になっていました。

最後の停車駅である湯谷温泉駅を出たあたりから、昨夜の「ながら」車内での寝不足と窓から入ってくる強い夏の日差し、それに117系の快適な乗り心地に負けていつの間にか爆睡していました。
誰かに肩を叩かれて目覚めた時には、既に終点の中部天竜駅に到着したところでした。
そして、寝起きの目を進行方向左側の留置線に向けると、目に飛び込んできたある車両を見た瞬間、ついさっきまでの眠気はどこかへ飛んでいきました。
その車両とは、国鉄時代の水色のボディーに白帯の飯田線オリジナル塗装のリバイバル編成となった、大垣車両区所属の119系E4編成!
レールパーク号乗車中も、列車交換のたびにこの編成が現れないかずっと心待ちにしていたのですが、まさかこんな所で遭遇できるとは…
これぞまさにサプライズでした!
このE4編成の外観は、屋根に分散式クーラーが載っているのと、床下機器がグレーに塗装されていたのを除けばほぼ国鉄時代のイメージのママといった感じでした。
ただ、製造当初は粘着テープを貼って表現されていた白帯は、リバイバル編成では塗装表現になっていたようですが。
旅から帰宅後調べてみると、この日E4編成は、豊橋7:01発→中部天竜8:48着の505Mで到着後この留置線に入り、中部天竜15:12発→豊橋16:54着の548Mで豊橋へ戻ったようです。

次回、いよいよ佐久間レールパークに入園します。
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すごく魅力的なんだけどな… [鉄道ニュース]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:シリーズものの本や雑誌、全巻買ったことある?

一時ほどの勢いではないのかもしれないけれど、今でも数十冊シリーズになっている雑誌って人気があるんですかね。
私も鉄道関係のこの手の雑誌を2タイトルほど買ったことはありましたが、結局全巻制覇どころか、どちらもシリーズの半分も行かずに挫折してしまいました。
好きな雑誌はできれば毎号買いたい方だけど、初めから何十冊シリーズなどと言われてしまうとなぜか根気が続かなくて…
まあ、もともと鉄道の本や雑誌が本棚や部屋の収納スペース一杯にあふれているので、その上に(専用バインダーに綴じる薄いものとはいえ)数十冊のマガジンと毎号付いてくる付録やパーツ類が大量に加わることを考えるといろいろ大変ではありますけどね。

そういうわけでこの手の本や雑誌を買うことも今はないですけど(視覚障害者になって音訳がないと本や雑誌を読むことが困難になってしまったという事情はあるけれど、それはひとまず置いておいて)、そんな私でも揃えたくなるような新しいシリーズ物の雑誌の話題を、例によってネットニュースで見つけました。

EF66形にB寝台に食堂車まで!1/32スケールのブルトレ「あさかぜ」が精巧すぎてたまらん!|ニフティニュース
https://news.nifty.com//article/item/neta/12261-774129/

いやあ、ブルートレインファンにとってはかなりそそられるシリーズですね。
3両だけとはいえ、かなり本格的なモデルが作れそうですし、いろいろとギミックもあり、完成後もなかなか楽しめそうです。
「え?3両だけ?もう少し両数が多くてもいいのでは?」などと一瞬頭をよぎったけれど、考えてみれば1/32スケールでは3両だけでもそれなりに置き場所に苦労しそうな気が…

それにしても全120巻で完成ですか…
年末年始やお盆の合併号を除いて週1回発行として年間で50巻、そうすると全巻揃えるには約2年5か月、すなわち3両の完成までもこのくらいの年月が必要なんですよね。
たとえ私が模型製作が得意だったとしても、果たして根気が持つかどうか…
もしかすると、それだけ時間がかかるのなら、いろいろなギミックは我慢してでも完全に自作してしまった方が速いかも、なんて思う人もいるでしょうね。
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「平成」も、今ではタイムトラベルの行先になるんだね… [日々のあれこれ&つぶやき]

こんばんは、gonanaです。
今日は、40歳代最後の誕生日です。
まあ、誕生日だからと言ってこの歳にもなれば特に何かがあるわけでもなく、今日もごく普通に在宅仕事をするだけの一日でしたが、それでも良くも悪くもいろいろあった40歳代最後の1年が始まるのかと思うと、何だかいろいろな感情がわいてきます。

本日のお題:行ってみたい○○時代

このブログでこの手の話題をネタにするたびに書いていますが、私が一番行きたいのは昭和時代、それも高度成長期からバブル期にかけての年代(一部平成時代を含みますけど)ですね。
とにかくこの時代の出来事や文化、流行などいろいろなものに興味があるし、特に高度成長期は今の日本に足りない勢いというか、人々の活気や希望に満ち溢れた時代の空気に触れて、いろいろ刺激を受けたり考えさせられたりできそうですし。
その中でも私は、この時代のテレビやラジオに特に興味があります。
テレビの伝説的なクイズ番組やバラエティー番組はぜひ見てみたいですし、ラジオ好きとしては昭和40年代の深夜放送ブームの頃の深夜放送を、その時代の空気を感じながら生で聴いてみたい気持ちもあります。

まあ、この時代にタイムスリップして一番したいことはやっぱりあの時代の鉄道を乗りまくり、撮りまくることなのは間違いないですが(笑)

それ以外の時代に行くとすれば、江戸時代ですかね。
こちらもその時代の文化や人々の生活を実際に見てみたいです。
落語に出てくるような世界が本当に味わえるのか、ぜひ見てみたいものです。

でも、やはりぜひ行ってみたいのは、これも何度か書いてますが今から49年前の今日、つまり私の誕生の日です。
まずは私の誕生の瞬間に何とかして立ち会い、その後は一日中その日の街の様子やテレビ・ラジオの番組、そしてその日走っていた列車などいろいろな物を見たり体験したりしたいものです。

そういえば、先日はこんな記事がネットに出ていました。

タイムトラベルできるならどこに行く!?圧倒的人気を集めたのは、意外な時代でした(CanCam.jp) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/eae3417bb231d2362c4a7134969c307bb7c164d7

やっぱり、タイムトラベルをしてみたい人たちって多いんですね。
それにしても、(特に男性は)戦国時代や幕末が人気だと思ったら、昭和や平成が人気とはなかなか興味深いです。
昭和や平成に人気があるのは、やはり歴史の教科書や大河ドラマの中の世界ではなく、より身近な存在として感じられる時代だからなんでしょうね。
「昭和」を感じさせるいろいろなグッズや本、映画などのいろいろなカルチャーが人気なのも、昭和の時代の空気が多くの人にとって身近で親しみやすいからでしょうね。

それにしても、平成時代がもうすでにタイムトラベルの対象になっているとは…
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としまえんの思い出は永遠に [日々のあれこれ&つぶやき]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:絶叫マシンに乗って絶叫したいこと

「コロナ(ウイルス)のバカヤロー!!!」

遊園地やテーマパークの絶叫マシンでも声を出さずに乗らなければならないという何とも辛い状況ではあるけれど、それをひとまず度外視して思いっきり叫ぶなら、今はこれしかないでしょう!
他にも叫びたい言葉はあるけれど、それらも含めて絶叫するならこの言葉に尽きるのではないかと思います。
というか、この言葉を声の限りに叫びたい人は、かなりの数になるのではないでしょうか。
世界中で多数の人が亡くなり、あらゆる事物を大混乱に陥れていますからね。

そういえば、絶叫マシンといえば、としまえん、ついに閉園してしまいましたね。
私はついに、としまえんでの27、8年ぶり、かつ最後の楽しい時間を過ごすことは叶いませんでした。
久しぶりにアトラクションやプールを楽しみながら、子供の頃の日々に思いをはせることができなかったのは残念でなりません。
まあ、絶叫マシンで絶叫してはいけないとか、事前予約制で限られた人数しか入園できず、ソーシャルディスタンスもとらなければならないという、多くの人のイメージにある遊園地の風景とは違う状況での閉園となってしまったことを考えると、子供から大人までたくさんの人の歓声と賑わいに包まれた、子供の頃のとしまえんの記憶のままで閉園の日を迎えられたのは、私自身にとってはよかったのかもしれません。

この前の週末から今朝にかけてのとしまえん閉園に関するニュースをテレビやネットでいろいろ見ていると、子供の頃としまえんで遊んだ日のことをたくさん思い出しました。
これから始まる楽しい一日にワクワクしながら豊島園駅に降り立ったこと、入場門を抜けて1秒でも早く遊びたいと乗り物やプールに急いだこと、乗り物やその他のアトラクション、プールでは日常を忘れて思いっきり遊びまくったこと、園内の芝生や休憩スペース、プールサイドでレジャーシートに座って食べたおにぎりやサンドイッチ、売店のソフトクリームやフランクフルトやアメリカンドックがなぜか他の場所で食べるよりおいしく感じられたこと、そして夕方が近づきもっと遊びたいのにという思いを抱きながら帰路に就いたこと…などなど、いろいろな思い出が走馬灯のようによみがえってきました。
これらの思い出を追体験しに行くことはもうできないけれど、私の心の中にはずっと大切に保存していきたいと思います。

跡地は大規模な公園と、ハリポタのテーマパークになるんですか…
東京都が整備する公園はともかく、ハリポタのテーマパークには…多分行かないだろうなあ~
せめて公園が完成したら園内に、としまえんという長い歴史を誇った遊園地がかつてここにあったことを後世に伝える何らかのシンボルを残してほしい気がします。

それと西武鉄道さんと東京都交通局さん、西武豊島線と都営大江戸線それぞれの「豊島園」の駅名、安易に過去のものにしないでくれませんかねえ。
確かにそれらの駅がハリポタのテーマパークや新しい公園の最寄り駅であることを、はじめてそこを訪れる人や地理に不案内な人、海外からの観光客など、誰にとってもわかりやすく示すことは非常に重要なことではありますが、だからと言って長年の歴史があり多くの人に親しまれた遊園地や駅の名前でもある「豊島園」の名をあっさりと変えてしまうとするならば、何とも寂しすぎます。
もしそれらの施設の最寄り駅であることを示す駅名に改称するのであれば、せめていわゆる副駅名として残すか、そこまでいかなくともホーム等の駅名標に「(豊島園)」などと併記するといった形で旧駅名を残してほしいと思うのは、きっと私だけではないと信じています。

…あまりにもとしまえんへの思入れが強すぎて、何だかお題からだいぶ話が脱線してしまいましたね(苦笑)
それでは、また。
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