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せっかく知らせてくれるんだったら… [視覚障碍者としてのあれこれ]

こんにちは、gonanaです。
1か月ちょっと前の記事で、窓を開けて走る電車の中でのアナウンスの聞き取りやすさや駅の列車接近メロディーについて、視覚障害者として感じることを書きましたが(その時の記事はhttps://gonana57.blog.ss-blog.jp/2020-08-11-1)、最近も列車内に流れるある音についての記事が出ていて、個人的に気になる話題だったので取り上げてみたいと思います。
その記事は、こちらのリンクからご覧ください。

首都圏の電車内 不意に鳴る「ピンポンパンポン」 でも放送は流れず 何の音? | 乗りものニュース
https://trafficnews.jp/post/100023

このチャイム、そういえば電車内で聞いたことがあるようなないような、かなりおぼろげな記憶はあります。いつ、どこの路線でのことだったのかは思い出せませんけど…
いずれにしても、そのような告知音が流れていたとしても、私自身は特に意識していなかったのは確かで、この音にはそういう意味があったことも今回初めて知りました。

それにしてもこのチャイムが、最新の列車運行情報の更新という、列車内の乗客にとっては最重要と言える情報の提供を告知する目的で設けられているのであれば、「このチャイムを聞いたらあとは車内のディスプレイを注目して」というだけで音声による案内がない(場合によっては車掌による肉声案内があることもあるかもしれませんが)のは、私のように車内の液晶ディスプレイ等を確認することができない人にとっては、かなり不親切な案内と言わざるを得ないと思います。
車内のディスプレイの確認が難しいのは、私のような視覚障害者ばかりでなく、乗車位置や車内の混雑状況などいろいろな条件により意外に多い気がします。
「もしそうなのであれば鉄道会社のアプリを確認すればよいではないか」という声もあるでしょうが、せっかく大切な情報を知らせるのであれば、可能な限り全員にとってアクセスしやすい方法で情報を伝えるべきであり、その中で音声での案内についても軽視しないで欲しいものです。
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トロッコ列車で出会った親子 [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。
先日の記事で、2009年の鉄道旅の中で、同年までJR飯田線中部天竜駅構内にあった鉄道博物館「佐久間レールパーク」に出かけた時のことを書きましたが、今回はその佐久間レールパークや飯田線からのつながりで、かつてその飯田線で運転されていたトロッコ列車「トロッコファミリー号」にまつわる思い出を一つ。

このトロッコファミリー号は、1987年から2006年にかけて飯田線豊橋ー中部天竜間で運転されていたトロッコ列車でした。もともとは飯田線沿線にある佐久間ダムなどの観光客をターゲットにした列車だったようですが、時代が平成に入った頃から人気の電気機関車EF58がこの列車の牽引を担当することになったり、1991年に佐久間レールパークがオープン、さらにはそこで保存されていた貴重な輸入機関車のED18 2号機も牽引に加わるようになって鉄道ファンにも人気の列車となり、私も一度、佐久間レールパークの訪問を兼ねて乗ってみたくなりました。
そんなトロッコファミリー号に初めて乗ったのは、1995年のGWのことでした。

その日の前日に、品川発の「臨時大垣夜行」こと品川ー大垣間の臨時普通列車9375M列車に名古屋駅まで乗り、その後東海道線快速で豊橋駅まで戻りました。
当時のトロッコファミリー号の豊橋駅の発車は9時45分すぎなので、9:30分頃に発車番線の1番線に向かうと、すでに多くの人が乗車や撮影のために集まっていました。
そんな中、駅に隣接した豊橋運輸区から推進運転でトロッコファミリー号の編成が入線。
この日の牽引機は、ぶどう色塗装のEF58 122号機でした。
9:47(だった記憶があります)にトロッコファミリー号は豊橋駅を発車。
肝心のトロッコ車両には途中の豊川駅からでないと乗車できないので、発車後しばらくはトロッコ車と一緒に連結されている12系客車で待機し、豊川駅を出たところでトロッコ車両に移動しました。
この時乗車したトロッコ車両はパレット積載用の荷物車マニ44形を改造したオハフ17形で、さすがは客車に分類される形式からの改造車とあって、乗り心地も予想していたよりよかったのが印象的でした。
トロッコファミリー号は通常の普通列車よりもゆっくり目なダイヤが設定され、さらに景色のよい区間では減速して運転され、ちょうど晴れて暑くもなく寒くもない快適な気候の日だったこともあって素晴らしいトロッコ列車の旅を満喫できました。
そして12時頃に終点の中部天竜駅に到着しました。

中部天竜駅に着いたトロッコファミリー号の乗客はそのほとんどが佐久間レールパークへと向かったようで、私ももちろんその中にいました。
初訪問のレールパークを楽しんで、再び中部天竜駅に戻ってきたのが15時前後だったと思います。
この日の目的はトロッコファミリー号と佐久間レールパークだけで、この夜の上り「大垣夜行」に乗車するために大垣駅へ向かうまで時間的な余裕もたっぷりあるので、中部天竜からは119系の普通列車で豊橋駅までゆっくり向かうつもりでいました。
しかし、駅ではこの後の豊橋行きのトロッコファミリー号の指定席にまだ若干の空席がある旨の案内放送が流れていて、その放送につられて窓口で指定券を購入し、帰りも豊橋までトロッコファミリー号を利用することにしました。
帰りに乗車したトロッコ車は、トロッコファミリー号の運転開始当初から使用されていた無蓋貨車トラ90000形の改造車でした。
このトラ90000形改造のトロッコ車は、乗車した年(1995年)の運転を最後にトロッコファミリー号の編成を外れて廃車になったので、2種類のトロッコ車両の乗り比べができたことを含め、いろいろな意味で貴重な乗車体験になりました。
上り列車では中部天竜駅発車時点からトロッコ車に乗車できるので、私もさっそくトロッコ車の指定された座席へ。
貨車改造のトロッコ車に乗車するのは初めてでしたが、走り出してみるとその乗り心地はいろいろな意味でインパクト大でした。
下り同様普通列車よりもゆっくりしたスピードで走るものの、もともとが乗客を乗せることを想定しない貨車だけに台車のバネも簡素で、走行時の振動がダイレクトに伝わってきます。
また飯田線に多いトンネル進入時などの風圧も直接感じられ、普段なかなか体験することのないワイルドな列車旅を楽しむことができました。

そんな独特な乗り心地を味わいながらトロッコ車の旅を楽しんでいると、不意にお父さんと男の子の親子から声を掛けられました。
トロッコ車の座席は、中央の通路を挟んだ進行方向左右両側に、2人掛けの席がテーブルを挟んでボックスシート上に配置されたもので、一人で乗車していた私と2人で乗車したこのお父さんと男の子が向かい合わせ席の相席になっていました。
家族連れやグループ客の多い車内で私がポツンと一人であれこれ写真を撮ったりしているのを見て声をかけてくださったようでした。
男の子は鉄道が好きなようで、この日も私と同じようにトロッコファミリー号に乗って佐久間レールパークに行くために乗車したとのこと。
私も鉄道好きであることを話すと意気投合し、お菓子を分けてくださったり電車の話で盛り上がったりして、とても楽しい時間を過ごすことができました。
豊川駅でトロッコ車の乗車可能区間が終わり12系客車に移動した後も一緒のボックス席に座って終点の豊橋駅まで乗車。
豊橋で下車する親子と名鉄で名古屋へ向かう私とは豊橋駅の改札でお別れとなり、お互いまた何かの機会に再開できることを願いながら2人と別れました。

もともとは完全な乗り鉄&撮り鉄旅のつもりだったのが、トロッコ車の独特な開放感のおかげか思わぬ人との出会いを楽しむことができ、素晴らしい経験ができました。
あの時の男の子、確か小学校3~4年生と言っていたので、今頃は速いもので35歳ぐらいになっているはず。
もちろん彼は私のことなどとっくに忘れてしまっているんだろうけど、あの時の出会いのことを思い出して、今どうしているのか、ちょっとだけ気になったりしています。
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【2009年夏の鉄道旅 Part3】ブロガー仲間と四日市プチオフ会 その4 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
2009年夏の鉄道旅の振り返り、Part3の最終回です。

近鉄塩浜・海山道駅周辺で貨物列車やその入換作業を撮影した後、再びMさんと徒歩でJR四日市駅へ戻ってきました。
改札前のベンチでしばらく休憩の後、朝にも向かった末広橋梁へ。
今度は、朝とは線路を挟んで反対側から14時台後半に通過するという貨物列車を狙います。
橋に到着した時点では、列車通過まで少し時間があるので、可動橋部分はまだ跳ね上げられていて、貴重な可動橋の降下シーンも見られると期待していました。
で、肝心の列車はというと…、運休だったのか来ません。
というか、いつまでたっても可動橋には何の動きも見られず…
ということで残念ながら収穫なしでJR四日市駅へ戻ることになりました。

再び四日市駅で時間をつぶし、プチオフ会最後の撮影地である、駅の亀山方にある踏切へ向かいます。
ここで撮影するのは、朝にも駅の側線にいるのを撮影したDE10 1701号機による貨車の入換作業。
同機は、単機やいろいろな貨車を引いて何度も構内を行ったり来たり。
踏切付近の沿道から眺めていても、鉄道好きにはなかなか楽しい光景でした。
ただ、DE10が動き回るたびに、踏切をふさいだり直前で停車したりして踏切が閉まり、踏切を横断するドライバーには迷惑だったかも…
撮影中には、塩浜駅からの貨物列車174列車なども通過し、174列車では国鉄色でDD51形のラストナンバーでもある1805号機が牽引する姿も撮影できました。

ひととおりDE10 1701の入換作業を見学したところで、朝からいろいろな所へ案内してくださったMさんとはお別れとなり、またの再会を誓い合い、私は名古屋へ戻るために改札を入りホームへ。
ホームに出ると、側線には先ほど174列車を引いて到着したDD51 1805が、2084列車で名古屋貨物ターミナルへ向かうべく待機中。
ただし、機関車はホームからはみ出た位置に停車していたため、ホームから同機をあれこれ撮影するには位置がよくなかったのが残念でした。

四日市駅からは、213系の快速2314Mで名古屋へ。
東海道線の313系新快速・特別快速ほどではないものの、この快速もなかなかの高速運転で、車内がすいていたことも手伝って、あちこち歩いた疲れを忘れるような帰り道となりました。

Mさんとはこのプチオフ会のあともブログでの交流がしばらく続いたものの、会う機会はないままになってしまいました。
このプチオフ会から10年以上の月日が経過し、四日市界隈の貨物列車牽引の主力だったDD51も、北海道からやって来たDF200への世代交代が進んで今や風前の灯火となり、塩浜や海山道付近の工場専用線の列車や機関車にも大きな変化が訪れているかもしれません。
しかし、あの日はMさんのおかげで普段はあまり見る機会のない列車や機関車、そしてその入換作業などをいろいろ見たり撮影したりすることができ、楽しい一日になりました。
またいつか、Mさんとどこかでお会いして、あの時はできなかった酒を酌み交わしながらの鉄道話でもしたいものです。

2009年夏の鉄道旅の振り返り、Part3はここまで。
Part4は、名古屋を後に北陸方面へ向かいます。

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【2009年夏の鉄道旅 Part3】ブロガー仲間と四日市プチオフ会 その3 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
2009年夏の鉄道旅の振り返り、Part3の続きです。

末広橋梁での貨物列車撮影の後、Mさんと一緒に近鉄四日市駅へ歩き、ここから近鉄5200系の急行で塩浜駅まで移動しました。
もともと私は近鉄自体にあまり乗ったことがないので、わずかな区間だけでも近鉄電車に乗れるのはなかなか新鮮な経験です。
塩浜駅に着くと、構内には緑色のタンク車がたくさん止まっていて、さらに昭和シェル石油所有の入換用機関車も構内を行ったり来たりしていました。
地元に住むMさんの情報では、当時13時台の入換作業がなくなって以来撮影機会がなかったようで、私達が訪れた時間(11時半近く)に入れ替え機関車が動いているのが見られるのはラッキーなことだったらしいです。

塩浜駅を出て、一つ四日市寄りに戻った海山道(みやまど)駅まで、近鉄名古屋線の線路沿いに徒歩で移動しました。
名古屋線の沿道から見える塩浜駅の構内では、先ほど5271列車で四日市駅に到着したところを撮影し、その後塩浜駅へ向かったDD51 822+DD51 825と思われる2両のDD51がタンク車の編成に連結されて待機中でした。
塩浜駅から15分ほど歩いた所が、次の撮影ポイントの海山道駅でした。
駅の伊勢中川方面行ホーム側の駅舎は、こじんまりとはしていますが、蔵造り風の駅舎が印象的。
そのそばには、塩浜駅の構内やJR四日市駅とつながっている貨物線も通っています。
ここでのターゲットであるエチレン輸送用コンテナ積載の貨物と三菱化学専用線の入換作業まで少々時間があるので、駅舎内の改札手前のベンチで、Mさんとともに近鉄四日市駅近くのコンビニで買った弁当で昼食をとりながら休憩。
休憩とはいっても、このベンチは座った状態でも自動改札の向こうにあるホームがバッチリ見える位置にあるので、名古屋線の電車が来ると2人ともついつい電車にカメラを向けてしまいました。

昼食休憩を終えて、駅近くにある貨物線から三菱化学の工場への専用線の分岐点付近での撮影を開始。
分岐点付近の線路が見える沿道にやってくると、ちょうどエチレン専用コンテナ積載のコンテナ車を数両連結した貨物列車251列車が、DD51 1802+DD51 1801のdd51重連に牽引されて到着。
そこへ、三菱化学所有の入れ替え機関車DB251(無動力)+DB252のこちらも重連がやってきて、近くに停車しました。
ここに揃った4両の機関車は、いずれも外観がとてもきれいで、当日がほとんど雲のない改正だったこともあり、地味な貨物輸送や入れ換え作業に当たる機関車とは思えないほどに輝いて見えました。
特に入換気DB252+DB251はまるで新製したてのように美しい深緑色のボディで、このまま車両基地での「トワイライトエクスプレス」用客車の入れ替え作業に使用してほしいくらいの美しさでした。
しばらくすると、先ほどの251列車で到着したコンテナ車の入換が始まるというので、場所を移動。
まず、塩浜まで行っていた251列車の編成が海山道駅そばまで戻ってきて、その編成に三菱化学の入換機がバックで接近し連結、やがてコンテナ車は入換機に引かれて発車しました。
一方251列車から切り離されたDD51重連も構内を移動し、入れ替え作業はひと段落となったようです。
普段の私はこういった工場専用線の機関車や貨物列車、それらの入換作業といったものにはあまり縁がありませんでしたが、地元在住のMさんに案内していただいたことで、こういった作業を見学する面白さを知ることができ、とても収穫のあったひとときでした。

入換作業を見学した後は、再びMさんと徒歩でJR四日市駅付近へ戻り、もう少し撮影を楽しみます。
ということで、次回は再び四日市駅周辺からです。
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【2009年夏の鉄道旅 Part3】ブロガー仲間と四日市プチオフ会 その2 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
2009年夏の鉄道旅の振り返り、Part3の続きです。

JR四日市駅のホームであれこれ撮影しているうちにM三との約束の10時が近づき駅前へ。
Mさんとも無事合流できたところで、まず向かった最初の撮影ポイントは、四日市駅から四日市港方面へ伸びる貨物線の途中にある可動橋「末広橋梁」。
駅から10分弱歩いたところがその末広橋梁です。
末広橋梁は市内を流れる千歳運河に架かる跳開式可動橋で、平日はここを列車が通過する時以外は運河を航行する船舶の航行に支障をきたさないよう川の上にかかる部分の線路等が跳ね上がる構造となっていて、(休日は船舶が通行するとき以外は跳ね上げなし)、歴史的価値も高いこの橋をDD51が走る姿は人気となっていて、私もぜひ撮影したかった場所でした。
私達が橋に到着した時には、次に通過する列車まで間近なので、すでに橋の可動部分は降ろされていました。
10:13、先ほど5363列車で四日市駅に到着し、その後四日市港へ向かったと思われるDD51 890が、タンク車を引いて末広橋を渡り、四日市駅方面へ走っていきました。

列車が通過するのを見送って末広橋梁を後にし、次の撮影地である近鉄の塩浜駅・海山道(みやまど)駅周辺へ向かうため、近鉄の四日市駅へ移動しました。
その途中、当時の近鉄内部・八王子線(現 四日市あすなろう鉄道)の線路沿いの道を歩いていたところ、ちょうどこの路線の電車がやって来たのでMさんともども撮影。
やって来た電車は四日市駅を発車したばかりの列車で、終点の内部・八王子側からライトグリーン・ウグイス色・ライトブルーの3色の塗装の混結編成で、まるであたかも往年の横浜線103系をプラレール化したようにも見える3両編成でした。
塗色はこのほかにおれんじやピンクもあったようで、車体の小ささやパステルカラーの優しい塗装から、この車両をそのままプラレールで再現して発売したら、鉄道にあまり関心の内層にも受けるかも…なんて、走り去っていく列車を見送りながら思ってみたりしましたが、残念ながらこのようなパステルカラーのカラーリングの車輛も、今では見られなくなってしまったとか。

次回、塩浜・海山道駅周辺での撮影編です。

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【2009年夏の鉄道旅 Part3】ブロガー仲間と四日市プチオフ会 その1 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
2009年夏の鉄道旅の振り返り、Part3は、以前私のやっていたブログの読者でいてくださったブロガー仲間の方との四日市駅周辺でのプチオフ会の思い出です。

3日目となる8月25日は、冒頭にも書いたようにかつての私のブログの読者だった方(Mさんとします)とともにJR・近鉄の四日市駅界隈で貨物列車などの撮影を楽しみながらのプチオフ会を楽しみました。
この鉄道旅の直前に、Mさんとのブログ内のダイレクトメッセージのやり取りで、旅の途中で四日市周辺に貨物列車を撮りに行こうと思っている旨を書き込んだところ、四日市市在住のMさんがあれこれ案内をしてくださることになり、2人だけのプチオフ会が実現しました。
Mさんとの待ち合わせはJR四日市駅に10時ということになっていましたが、「貨物時刻表」を見るとその少し前に四日市駅にDD51重連牽引の貨物列車が到着することを知り、どうせならこれも撮影したいので約束より早めに四日市駅に着くようにホテルを出ることにしました。

この日は名古屋7:43発の関西線四日市行普通301Mで出発。
8:29に到着した四日市駅では、さっそくホームからあれこれ撮影しながら待ち合わせまでの時間を過ごしました。
非常にきれいな国鉄色のDE10 1517号機や、やはり国鉄色で、かつてJR東日本新潟支社の485系ジョイフルトレイン「シルフィード」(後の「NO・DO・KA」)の非電化区間用の専用機として同じ塗装で活躍し、その後JR貨物に譲渡されて国鉄色に戻され、愛知機関区に転属して来て間もなかったDE10 1701号機、赤系の更新機塗装のDD51 892号機、側線に1両だけポツンと止まっていた太平洋セメント所有の黒いタンク車などを撮影し、さらにホーム亀山方先端にある伊勢鉄道ホームに止まるイセ101号なども撮影し、本命のDD51重連を待ちます。
8:51、いよいよお目当てのDD51重連貨物である5271列車が、DD51 822+DD51 825に牽引されて四日市駅の側線に到着。
期待していた国鉄色同士の重連とは行きませんでしたが、当時DD51800番台の現役最若番で国鉄色だった822号機が先頭だったのはラッキーでした。
さらに9:49頃には、DD51 890号機に引かれた5363列車も到着。
DD51 890号機は、車両更新工事を行ったDD51の中でももともと数が少なく、さらに当時赤色系の塗装への塗り替えで消滅間近だった青色系塗装の更新塗装機でした。
個人的にはこの青色系の塗装は気に入っていたのと、890号機は前日の清州駅での貨物列車撮影の間にやってきたところを撮り逃してしまったので、これも嬉しい収穫となりました。

次回よりMさんとの四日市プチオフでの撮影編です。
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【2009年夏の鉄道旅 Part2】名古屋周辺で乗り鉄&撮り鉄 その3 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
2009年夏の鉄道旅の振り返り、Part2の続きです。

春日井駅での貨物撮影を終えて、211系の普通電車で名古屋駅に戻ってきました。
次の撮影地に移動すべく東海道線下りホームの5・6番宣ホームに移動したところで、このホームのきしめんスタンドの「いか天きしめん玉子乗せ」で昼食。
やはり、名古屋駅でこうしてきしめんを食べると、名古屋にいるのだなという実感が湧いてきます。

さて、きしめんを食べて一息入れたところで、東海道線の岐阜行普通電車で次の撮影地清州駅へ向かいました。
清州へ向かったのは、この駅のホームで東海道線上下線に並行する貨物線を走る貨物列車を撮影すること。
撮影できた列車(一部貨物列車以外も含みます)の牽引機や車両だけ挙げてもこれだけのバラエティーの豊かさになりました。(いつものように、写真がなくてすみません)

・13:25頃 5075列車 EF210-13

・13:35頃 5875列車 EF64 74+EF64 68
今はもう見られない、愛知機関区のEF64 0番台同士の重連の牽引する貨物列車。
この遠征で撮影したかった車両の一つに、当時すでに廃車が進み貴重な存在になりつつあったこのEF64 0番台がありましたが、結局撮影できたのはこの2両だけでした…

・13:42頃 1552列車 EF65 1082
今でこそ、更新機塗装からの塗戻しによって再び増加している新鶴見機関区のEF65の国鉄色とそうですが、この当時は出会えるとラッキーな存在で、この時の撮影時もかなりテンションUPでした。

・14:26頃 上り回送(列車番号不明) キハ40単行
所属する名古屋車両区へ向かうと思われる、高山線用(?)のキハの回送列車。
最高時速120km/hの新快速・快速・普通が頻繁に走る上り旅客線を走るためか、かなりの高速で爆走していきました。
JR東海から姿を消してしまったキハ40系ですが、この当時はまだまだ高山線や紀勢線での活躍が続いており、急ピッチで置き換えが進むことなど想像もできない頃でした。

・14:28頃 3460列車 EF6639
コンテナ車のつかない全車ワム80000形による編成でした。
しかも、EF66まで含めて青塗装で揃った統一感のある編成でした。

・14:41頃列車 EF65 1082
つい1時間ほど前に貨物線を通過したEF65 1082が、稲沢貨物駅から折り返して今度は旅客下り線を通過していきました。

・14:42頃 5088列車 EF66 12

・14:57頃 8784列車 EF65 1067

・15:01頃 5056列車 EF200-3
本来の性能を発揮しきれないまま、先輩格のEF65やEF66よりも早く姿を消してしまった悲運のJR型機関車EF200でしたが、この頃は一時より運用が減りながらも、まだまだ健在でした。

・15:28頃 5284列車 DD51 1028+DD51(番号不明)
今では北海道からやってきたDF200に追われて廃車が進み、風前の灯火といった状態の愛知機関区のDD51ですが、この頃はまだまだ両数も多く、活躍の場も多かった記憶があります。
そしてこの列車はDD51同士の重連牽引という点でも、撮影したい列車でした。

・15:40頃 1078列車 EF210-155

・16:10頃 1054列車 EF66 30

・16:26頃 1076列車 EF200-14

・16:42頃 単571列車 DD51(番号不明)

・16:43頃 岐阜行普通191F列車 117系


191Fを撮影したところで、清州駅での撮影は一段落。
さすがに東海道本線だけあって、撮り逃したり失敗した列車も含めて多数の貨物列車が清州駅を通過していき、それに伴って牽引する機関車も多く、暑い中ではありましたが、飽きることなく撮影することができました。
この日撮影できた機関車の中には、今ではすでに廃車されたものも多く、こんなところからも11年の時の流れを感じずにはいられません。
ただ、現在の状況はわかりませんが当時の清州駅ホームには自販機がなく、この日のような暑い日に撮影しようとすると、水分補給のために飲み物を買おうにも列車の通過時刻を気にしながら回殺害の自販機へ買いに行かなければならないのはちょっと辛かったです。
まあ、18きっぷの旅でなら改札の出入りの際にも問題はありませんが。

清州駅での撮影を終え、普通電車で名古屋へ戻ってこの日は終了となりました。

2009年夏の鉄道旅の振り返り、Part2はここまで。
次回からのPart3は、四日市でのブロガー仲間の方とのプチオフ会編です。
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【2009年夏の鉄道旅 Part2】名古屋周辺で乗り鉄&撮り鉄 その2 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
2009年夏の鉄道旅の振り返り、Part2の続きです。

この鉄道旅の2日目は、朝のラッシュ時の名古屋駅ホームでの117系の撮影からスタート。
当時、すでに313系の大量増備により、大垣ー米原間の折り返し運用を除けば日中の運用が激減していた名古屋地区の117系でしたが、朝のラッシュ時と夕方以降には新快速・快速も含めてまだまだ乗車や撮影をするチャンスが結構ありました。
そこで、朝のラッシュ時に名古屋駅に発着する117系使用の列車を撮影するために、7:30頃に名古屋駅の東海道線上りホームへ。
ここでは40分ほどの間に4本の117系列車を撮影。
この時間には下りにも117系使用の列車があり、これらも撮影したかったのですが、さすがにラッシュ時にホームを行ったり来たりするのもはばかられたので、そちらは我慢です。
上りホームで撮影した4本は、岡崎行新快速と名古屋止まりの快速が1本ずつ、金山行の快速が2本という内訳で、どれも日中には見られないレアな運転系統の列車でした。これも、朝夕中心の運用体制になった当時の117系を象徴する状況だったのでしょうか。
4本の117系列車を撮影した後、311系の笠寺行の普通電車128Fで2駅東京寄りの金山駅へ移動。
この笠寺行の列車も、当時のダイヤでは平日のこの128F列車と、土休日の3120F列車のそれぞれ一日1本ずつだけのレアな行先でした。
金山駅へ移動した目的は、ここでまた117系運用の下り新快速2303Fを撮影するためでしたが、当日のこの列車は313系での運転で撮影できず。
この後もう少し待っていれば、もう1本117系運用の下り新快速が来るのでそれも狙いたいところでしたが、この後の行程の都合もあり残念ながらここは撤収します。

金山駅から向かう次の撮影地は、中央西線の春日井駅。211系の高蔵寺行普通115Mで向かいました。
9:20前後に到着したこの駅で狙うターゲットは、9~10時台に春日井駅を通過したり到着したりする、多治見へのEF65牽引の貨物列車1653列車と、春日井止まりのEF66牽引の貨物列車673列車を撮影すること。
中央西線の貨物列車といえば今も当時もEF64牽引のイメージが強い中、当時それ以外の形式が中央西線に乗り入れる貴重な列車ということで撮影することにしました。(現在、EF65・66の両形式に中央西線乗り入れの運用が存在するかは不明ですが)
115Mで春日井に到着した時には、先に春日井を通過する1653列車の通過まで少し間があったので、上りホームから211系と213系の併結10両編成の回送列車や、313系の愛知環状鉄道経由の岡崎行き快速、特急「しなの」用383系の回送列車を撮影して時間をつぶしました。

そんな中、9:39頃になって、上りホーム脇の側線に、駅近くの(現在もあるかどうかは不明)の王子製紙の工場から、専用引き込み線を通って王子製紙の入換機関車に牽引されたコンテナ車と「ワムハチ」こと有蓋貨車ワム80000による長編成の列車が到着。
入換機は、側線に貨車を据え付けるとすぐに編成から切り離され、構内を移動します。
ちなみにこの入換機、見た限りナンバープレートや車番を示す標記は見当たりませんでした。
9:43に、春日井駅でのターゲット1本目となる1653列車が、EF65 1066号機(現在の2066号機)の牽引で通過。
前日だったら、国鉄色のEF65 1082号機の牽引でしたが、当時の1066号機はいわゆる「更新機塗装」だったのがちょっと残念。

10:04頃、EF66 124号機の牽引で春日井止まりの673列車が到着。
到着時刻を数分遅く勘違いしていて撮影準備が間に合わず、EF66を先頭に入線してくるシーンの撮影は失敗してしまいました。
この列車も先ほど側線に入ってきた王子製紙の工場からの列車同様、コンテナ車とワム80000による編成で、このような編成携帯の貨物列車は武蔵野線でよく撮影していましたが、この日のような夏の青空の元で青い塗装のワム80000がずらりと並んだ編成を見ると改めて壮観でした。
下り線と上り線の間の中線にしばらく停車していた673列車の編成は、10:40頃になって側線に推進運転で入線しました。
しばらくすると、ここまで673列車を牽引してきたEF66は編成から切り離されて駅構内を移動。
その途中には「春日井」の駅名標とEF66を組み合わせた写真を撮影することもでき、EF66が中央西線に乗り入れていたことの記録を残すことができました。

この後、側線に止まった2編成の貨車がどんな動きを見せるのか見てみたい気持ちもありましたが、11時を過ぎたあたりで春日井駅での撮影は切り上げ、211系で名古屋駅へ戻りました。

次回は東海道線清州駅での撮り鉄編です。
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【2009年夏の鉄道旅 Part2】名古屋周辺で乗り鉄&撮り鉄 その1 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
2009年夏の鉄道旅の振り返り、今回からはPart2、名古屋周辺での乗り鉄&撮り鉄編です。

2009年8月24日、その年11月1日の閉園を控えた佐久間レールパークの見学を終え、117系の臨時快速「佐久間レールパーク2号」、313系の快速、そして再び岡崎駅からの117系の普通電車を乗り継ぎ16時半頃に名古屋駅に戻ってきました。
少し早めですがここで一旦改札を出て、この日から3泊する駅近くのビジネスホテルにチェックインし一休み。
名古屋駅の駅弁で夕食の後、再び駅へ戻り、名古屋19:58発の313系特別快速5130Fで豊橋へ向かいました。
この時間になって豊橋へ向かったのは117系で運転される貴重な新快速列車である豊橋発大垣間行5363F(土休日ダイヤでの列車番号。平日は2355F)に乗車するため。
関東のファンにとっては憧れの存在だった関西圏の117系新快速に乗る機会に恵まれなかった者として、運転される地域は異なるものの「117系新快速」に乗れる貴重なチャンスとばかり、この鉄道旅の行程に組み込むことにしました。

豊橋駅に到着した時には、5363Fが発車する8番線には、浜松からの普通列車987Mで到着し乗客を降ろした373系が停車中でした。
この373系、沼津からの「ホームライナー浜松」で浜松に到着した後、そのまま普通列車となって豊橋まで来たものでした。この運用は今でも健在なようで、東海道本線の18きっぷ旅では知る人ぞ知る乗り得列車だとか。
一方隣の7番線にも、ホームライナー大垣31号用と思われる373系が停車中でした。
もっとも同列車の豊橋発車までまだ1時間近くもあるため、車内はまだ無人でした。

沼津からの373系が引き上げた後の8番線に、21:00ちょうどに5363Fとなる117系8両編成(S14編成+S12編成)が入線してきました。
5363Fの発車時刻まで20分近くもある上に、日曜日の夜ということでホームも閑散としていて座席確保の心配もないので、安心して117系をあれこれ撮影します。
新快速5363Fは豊橋駅を21:18に定刻発車。
発車後いきなり117系は「新快速」の名にふさわしい爆走を開始しました。
豊橋―名古屋間の所要時間だけを見れば313系の特別快速や新快速にはかなわないものの、その飛ばしっぷりには「新快速」の象徴たる117系としての意地が感じられ、感激ものでした。
それだけで、わざわざこの列車に乗るために「再出庫」してきた甲斐がありました!
日曜日の夜ということもあるのか乗客は少なく、走りっぷりとは裏腹に車内は静かでまったり。
大量乗車が予想された金山・名古屋の両駅でもそれほど乗客は増えず、いい雰囲気で117系新快速の乗り心地を堪能しつつ、5363Fは22:51に終点の大垣駅に定刻到着。

ここまでの117系新快速の走りの余韻を感じながら降り立った夜の大垣駅は、「ムーンライトながら」やかつての大垣夜行の発車前とは違い、5363Fの乗客があらかた改札を出てしまうと本当に静かで、樽見鉄道のホームに停車する元三木鉄道のレールバスのエンジンのアイドル音だけが構内に響いていました。
さて、この日もあとは大垣23:07発の311系快速5602F列車で名古屋へ戻るだけになりました。
この5602F(平日は2602F)はちょっとした変わり種列車で、快速区間は岐阜―名古屋間だけで、名古屋からは種別を「普通」に変更し、列車番号も変えて岡崎へ向かいます。
しかも、普通電車になった後の刈谷駅では大垣を15分後に発車する区間快速に抜かれてしまう面白いダイヤになっていました。
そのような運行形態のためか、大垣駅を発車する時点の311系の側面方向幕は「快速 名古屋」の表示でしたが、名古屋に到着した時にはいつの間にか「普通 岡崎」に変わっていました。
5602Fは23:38、名古屋駅に到着。前日夜の「ムーンライトながら」からの長いこの日の行程は無事終了となりました。

次回から、2日目の行程の振り返りに入ります。
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ドキュメンタリーにしたくなるチャレンジ [鉄道ニュース]

こんばんは、gonanaです。
今朝、いつものようにネットニュースをあれこれチェックしていたら、乗り鉄好き的にちょっと見逃せない記事が出ていました。
詳細はこちら。

「#山万20時間耐久」小さな環状線にひたすら乗り続け... ラジオ・SNS・会社まで動かした、ツイッターユーザーの「挑戦」(J-CASTニュース) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/8d4ef4a626a6922c39e8d791d7007dc286e29cc5

いやあ、こりゃあ何ともすごいチャレンジでしたね。
最初のうちはユーチューバーの「やってみた」動画のようなものだろうと思っていたら、何だか24時間テレビのチャリティーマラソンのような展開になるとは。
このチャレンジの模様、ドキュメンタリー番組で見てみたくなります。
このツイッターユーザーの方が鉄分濃い目な人なのかは定かではないけれど、列車に乗ることもこれだけ極めればかなりの偉業といっていいですよね。

実は私、話題の山万ユーカリが丘線ではないけれど、山手線の同じ車両に早朝から深夜までほぼ一日乗り続けるチャレンジをした人たちの体験談を読んだことがあります。
今から30年近く前の大学時代のこと。
私は当時大学のボランティア系のサークルに所属しており、そのサークルのメンバー募集のポスターを学食で見た、都内の他大学の探検部に所属する学生さんから、私の所属するサークルにある依頼が来ました。
(私の大学の学食には、この大学の学生だけでなく、地域に住む方々も良く食事に来ていて、その学生さんも近所に住んでいたそうです)
依頼の内容は、その学生さんが所属する探検部と別のイベントサークルが共催してキャンパス内で子供向けのミニSLの運転会を行うことになり、その際の子供たちへの対応の補助を私達のサークルのメンバーにしてもらえないかということでした。
そしてある日、学生さんの通う大学の探検部の部室に打ち合わせに行くことになりました。
その打ち合わせでサークルや今回のイベントの概要や私達がかかわるボランティアの内容などの打ち合わせを行いましたが、その際に探検部の活動内容を知ってほしいということで渡されたのが、探検部の会報の最新号でした。
国内・海外のいろいろな地域への探検旅行のレポートなどが掲載されていた中に、一日中山手線に乗り続けるチャレンジをしたメンバーの体験記が掲載されていました。
これは文字通り、当時の山手線の最多周回の運用に入った編成のある車両にメンバーが一日中乗り続けるというもので、所要時間は今回のユーカリが丘線でのチャレンジとほぼ同じ20時間ちょっと、周回数にして池袋起点で約19周半というものでした。
このチャレンジはユーカリが丘線でのそれとは違い二人一組(もちろん交代はなし)でのチャレンジでしたが、そうした中でも食事やトイレをどうするかなどの問題をクリアしながらどうにかチャレンジを完遂できた事が会報の記事に綴られていました。

今回のユーカリが丘線での「耐久20時間」チャレンジは、大学のサークルの活動のような規模にとどまらず、多くの人々の間で注目や応援の輪が広がり、bayfmの生放送で取り上げられたり、ユーカリが丘線を運営する「山万」からも様々な形での応援があったりと、まさにドキュメント番組にしたくなるような展開になりました。
特に山万三がこのチャレンジを温かく見守ってくださっていたことが、感動的なラストにつながったのでしょう。

最初は「何でそんなことするんだ?」と言われてしまいそうなチャレンジを、多くの人々が温かく見守り応援する。
いろいろ心に余裕が持てなくなりそうな世の中ではあるけれど、私も含めこういう気持ちはずっと失いたくないものですね。
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