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クリエイティブな才能が欲しい [日々のあれこれ&つぶやき]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:何か一つ、能力をもらえるとしたら?

私に欲しい能力というか才能はそりゃあいくつもあります。
子供の頃から工作やプラモデルなどを作ったり機械いじりをしたりするのは苦手だったし、まともに料理や裁縫の類をしたこともかなり少なく、いつ一人暮らしを始めても良いなどとはとてもじゃないが言えません。
ITや新しい技術に関する話題にはそれなりに関心はあっても、それらの技術的な面をきちんと理解できているかといえば全く自信がありません。
学生時代は理系の教科も苦手だったからそういった分野に関する能力も乏しい…

そういう、「いろいろ足りない」私ですが、その中でも一番欲しい能力や才能を一つ挙げるなら、「自分の手で何か企画やアイデアを考え、それを形にする」能力です。
昔から会議などでアイデアを出したり新しい発想を提案したりするのはかなり苦手で、今務めている会社で数か月間新事業の企画を立案する部署にいた時も、自分から企画を出すという事がなかなかできないでいるまま異動することになってしまいました。
そういう状況なので、私の手で何かを作り出し「これは私の作品だ」と胸を張って言えるようなものを生み出すのは、私にとっては永遠の課題になりそうです。

それと、ブログにも関係することで言えば、作家のようなレベルまでとは言わないまでも、まあ普通に読んでもらえるような文章を創作する能力が欲しいですね。
いつか記事にしたことがあったかもしれませんが、私は小学校4~5年生の頃に、国語の事業で小説(らしきもの)を創作したことがあります。
今でもそのだいたいのストーリーは覚えていますが、今思い出してみても正直かなり恥ずかしくなるような完成度でした。
もともと日記や作文、読書感想文を書くのも苦手だったので、それが影響しているのかもしれませんが…
そんな私ながら、ブログ歴だけは奇跡的にそれなりの長さになっていますが、これも基本的に書きたいこと(つまりはほとんど鉄道がらみのネタですが)しか書かないからで、そうでなければすぐやめていたかもしれません。
そういう中で、例の騒動の影響でブログの記事にしたいネタもなかなかない状態が続き、結局過去の鉄道旅の振り返りなどでお茶を濁してしまっている状況です。

せめて、下手でもよいのでちょっとした小説らしきものでも書けるようになったなら、これはこれでブログの記事にもでき、私にとっても新境地になるかもしれないけれど、果たしてそういう日が来るかどうか…
タグ:文章 ブログ
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【2009年夏の鉄道旅 Part4】高岡・富山へ その9 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
2009年夏の鉄道旅の振り返り、Part4の続きです。

富山駅から高山線越中八尾駅までの、唯一定期運用に残るキハ58系の乗車&撮影の後は、再び当時の北陸本線を東へ向かいます。
しかし、次に乗車予定の列車までは1時間半ほど間があるので、その間を利用して、当時まだ富山駅の南北に分かれて運転されていた2社の路面電車の撮影をしました。

まずは富山駅北口に存在した富山駅北停留所をターミナルにしていた、第三セクターの富山ライトレール(現在は富山地方鉄道に吸収合併)の撮影に向かいました。
南口と比べると人通りも少なめな通路を歩き北口に出ると、ライトレールの富山駅北停留所があり、開業してまだ3年しか経過していないきれいなホームには、ライトレールを利用する人々がたくさん集まっていました。
停留所に到着してすぐに電車が到着。
車両は、当時7編成が活躍していた(現在は8編成)低床の連接車TLR0600形のTLR0602編成。
TLR0600形の各編成には、白いボディーに編成によって異なるレインボーカラーのアクセントカラーが塗装されていて(最新のTLR0608編成の塗装は不明)、TLR0602のアクセントカラーはおれんじでした。

このTLR0602編成には、富山ライトレール開業3周年記念の「HANA PORTRAM」の装飾が施され、車体や窓には楽しいイラストがたくさんラッピングされていました。
他のラッピング車両のデザインとは一味違うこうした装飾が似合うのも、TLR0600形のボディーの形状や白ベースの塗装の効果かもしれません。
終点の岩瀬浜駅を目指して折り返していったTLR0602と入れ替わりにやってきたのは、出会えた日には何かいい事がある、という都市伝説が生まれて人気という赤のTLR0601編成。
それに続いて黄色のTLR0603、パープルのTLR0607編成と続き、当時のライトレールの日中の稼働本数である4編成がこれで全部撮影できたことになります。

もちろん撮影だけでなく乗車もしたいところでしたが、今回はこの後の行程の関係もあり、これから撮影に向かう富山地方鉄道富山市内線も含め乗車は残念ながらせず、ライトレールの撮影を切り上げた後は南口の富山地鉄富山市内線の富山駅前停留所へ移動。
当時の富山市内線の富山駅前の停留所は、JR富山駅と富山地鉄の電鉄富山駅から駅前広場を挟んで向こう側の道路上にあり、この時は駅前広場側の歩道から停留所に出入りする電車を狙いました。
2009年当時は環状線の富山都心線は未開業で、車両も低床車のデ9000形やT1000形「さんトラム」の姿もまだなく、やってくるのは古参車のデ7000形と1993年登場のデ8000形の2形式だけでした。それでもベージュとグリーンの旧塗装車あり、ラッピング車ありと、短い時間ながら楽しい撮影となりました。

結局この時は、2つの路面電車の撮影はそれなりにできたものの、乗車を楽しむ時間的余裕がなかったのは残念でした。
富山ライトレールと富山地鉄富山市内線はその後、北陸新幹線開業に伴う富山駅高架化を契機として両線の直通運転に向けたプロジェクトをスタート。
その結果、今年3月20日に念願の南北直通運転が実現、それに先立って富山ライトレールが富山地鉄に吸収合併されて名実ともに一体化した路線になるなど、富山の路面電車も2009年に比べて大きく変貌しました。
私も速く変貌した富山の路面電車に乗りたいと思っていますが…
例の騒動のせいでいまだに実行できていません。
果たして富山を訪れることができるのはいつの琴やら…

2009年夏の鉄道旅の振り返り、Part4はここまで。
Part5では、新潟を経由して帰路につきます。
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【2009年夏の鉄道旅 Part4】高岡・富山へ その8 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
2009年夏の鉄道旅の振り返り、Part4の続きです。

前日の宿泊地高岡から富山駅に移動し、高山線富山ー越中八尾間で最後の定期運用につく国鉄急行型気動車キハ58系にこれから乗車します。
8:35に富山駅に到着したキハ58系の折り返し列車は、20分後に富山駅を発車する越中八尾行852Dなので、駅での撮影タイムはたっぷり。
そこでこの折り返し時間の間にホームから2両のキハ58・28をあれこれ撮影し、発車を待ちました。
8:55、852Dは富山駅を定刻発車。
この日運用に入っていた2両のキハ58系(キハ58 1114+キハ28 2346)は、2両とも車内の扉付近がロングシート化された近郊型改造車で、キハ120同様のワンマン運転を行うため洗面所の撤去跡に整理券発行機が設置されるなど、全盛期の姿とは異なる点はあるものの、越中八尾・猪谷寄りのキハ58 1114のがらがらな車内のボックスシートに座れば、気分は気動車急行の旅そのものの旅情が味わえました。

852Dは途中2度の非常停止信号発報のため、7分ほど遅れて終点の越中八尾に到着。
もっとも、その先猪谷方面への接続や越中八尾での折返し時間には余裕があるので大勢には影響なしですが。
ここ越中八尾は、「おわら風の盆」の街。
私がやって来た日はちょうど「おわら」本番が近づいていたからか、ホームの屋根からは雰囲気を盛り上げる提灯も下がっていました。
私はこの後、ここまで乗車してきたキハ58系の折り返しとなる857Dで富山へ戻るため、折り返し時間を利用して撮影や駅構内の散策を楽しみました。
そしてホームには、平日にもかかわらず(というか、平日だからこそ)私と同じようにキハ58系の撮影・乗車を楽しむ人も数人目撃しました。

ホームでのキハ58・28の撮影がひととおり終わっても、857Dの発車までにはまだ余裕があるので、駅前をちょっと散策。
越中八尾の駅舎やその待合室は、レトロな雰囲気が漂う洋風のもので、「おわら」での多くの観光客の来訪に備え、一路線の中間駅にしては立派な駅舎になっています。
一方で、駅舎そばの公衆トイレや自転車置き場は蔵造りの建物になっているのが面白いところです。
この日は「おわら」まであと数日と迫っていたものの、駅周辺に限って言えばいたって静かな日でした。

少し駅前を散策して駅に戻り、再びキハ58系の857Dに乗車し、富山・直江津寄りのキハ28 2346のボックスシートで気動車急行気分を味わいながら富山駅1番線に戻ってきました。
キハ58系の朝の時間帯の運用はこの857Dで終わりとなり、乗客を降ろすと夕方の運用に備えて駅に近い富山運転所へ引き上げていきますが、それまでの間に中仙を挟んだ隣のホームに移動し、最後の撮影をしました。
2両の姿を撮影していると、10:33頃に2番線をEF81牽引の貨物1076列車が通過。
牽引してきたのは、JR東日本からJR貨物に移籍していた142号機。
同機は、移籍前は赤色の塗装だったものがJR貨物への移籍に当たってローズピンク塗装に戻された機関車で、正面窓上にひさしの付いたEF81 0番台のローズピンク塗装機は初の撮影になりました。
朝に高岡駅で遭遇した129号機に続き、全く機関車運用に関する情報を持たない中での立て続けの国鉄色機との出会いという、大変うれしい展開となり、またまたテンションUPとなりました。
もちろんこのEF81 142とキハ58との一瞬の並びも撮影でき、非常に貴重な記録になりました。

こうして短時間ながらキハ58の旅を楽しんだ時には、もうこれがキハ58系の最後の乗車(乗車経験自体は決して多いとは言えませんが)になると思うとやはり寂しさがこみ上げてきましたが、まさか数年後、その時に乗車したキハ28 2346に、房総半島のど真ん中で、しかも国鉄色に戻された姿で再開できるとは、そして保存運転的な位置づけとはいえ本線を走る同車に再び乗れるようになろうとは、この旅の時点では全く想像だにしていませんでした。

次回、富山を走る2つの路面電車を富山駅の北と南で撮影します。

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【2009年夏の鉄道旅 Part4】高岡・富山へ その7 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
2009年夏の鉄道旅の振り返り、Part4の続きです。

鉄道旅5日目の8月27日の朝は、7時半近くにホテルを出て高岡駅へ。
ちょうど富山市内へ向かうラッシュの時間帯なので、駅や発着する列車も多くの人で賑わっていましたが、そんな中で前日は落成して間もないEF510が牽引する貨物列車を見かけたのと同じ中線に、またも貨物列車の姿が。
上り(金沢方面)ホームの富山方の先の方へ向かっていくと、その貨物列車(1081列車)から切り離され、単機回送で富山機関区へ向かうために待機中のEF81 129号機が停車中でした。
同機は、この当時でも珍しくなってきていた延命更新工事未施工でローズピンク一色塗装という、ほぼ原形に近い機関車でした。
気候条件の厳しい日本海縦貫線を走るハードな毎日のためか、薄汚れた外観が少々残念といえば残念でしたが、朝から国鉄色の機関車を見ることができて大満足でした。

さて、この日ののりてつは、413系の高岡発7:51の糸魚川行429M(富山までは1429M)でスタート。
富山方面への通勤・通学のラッシュど真ん中の時間ではありますが、1429Mは高岡始発のためか、混雑も予想していたほど激しくなく、私も何とか座席にありつけました。
1429Mは8:13、富山駅に到着。
この日は夜までに新潟駅に到達し、この夜の新潟発「ムーンライトえちご」を利用して自宅へ帰ることにしていたので、1429M改め429Mにそのまま乗車していても糸魚川まで行くことができますが、富山でもお楽しみがあるのでここで下車。
2009年当時の富山駅は、北陸新幹線開業に向けて高架化を含む大工事が始まってはいましたが、それでもまだ、国鉄時代の県庁所在地の中心駅らしい雰囲気が随所に感じられました。
1429Mを降りた私は、当時の南口改札に面した1番線へ。
私が1番線に移動した時には、高山線越中八尾行き850Dのキハ120形が停車していましたが、これには乗車せず、ホームからDE10牽引の高山線速星行の貨物列車や、寝台電車改造の419系による高岡行き普通列車などを撮影して待機しました。

8:35、越中八尾からの高山線849Dが1番線に定刻到着。
やってきたのは、当時すでに高山線のJR西日本区間(富山ー猪谷間)の主力となっていたキハ120ではなく、国鉄急行型気動車キハ58・28の2両編成。
そう、私の本来最初のお目当てだったのは、この高山線のキハ58系でした(その前に国鉄色のEF81に出会ってしまいましたが)
国鉄時代は派生系列も含め全国の非電化区間で活躍したキハ58系も、2009年当時、ジョイフルトレインなどを除き一般の定期列車に使用されるキハ58系は、ここ高山線で使用されている車両だけになっていました。
そしてこの高山線のキハ58系も、高山線富山ー越中八尾間の列車増発の社会実験に伴う助っ人という形で残っていたもので、いつまで運用されるのかもわからない状況でした。
そこで、この夏の鉄道旅の中でせっかく北陸を経由するなら乗れるうちに乗っておこうと、行程に組み込んだのでした。

当時の高山線のキハ58・28は、2両編成2組が配置され、平日のみ朝夕時間帯の富山ー越中八尾間の折り返し列車で運用されていました。
2編成のキハ58系は、一方のペアが国鉄急行色、もう一方はエンジ色のベースに白帯の入った通称「高岡色」と呼ばれた塗装と、ペアごとに塗装が異なっており、私としてはもちろん国鉄色のペアがやってくるのを期待しましたが、やって来たのは「高岡色」コンビのキハ58 1114+キハ28 2346のコンビでした。

期待していた国鉄色編成ではありませんでしたが、当時すでにイベント列車でない日常の足として活躍するキハ58系に乗れるというだけでもありがたいことで、テンションが上がります。

次回、このキハ58系で越中八尾へ向かいます。
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【2009年夏の鉄道旅 Part4】高岡・富山へ その6 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
2009年夏の鉄道旅の振り返り、Part4の続きです。

福井駅から乗車した359Mは富山行でしたが、私は金沢から高岡へ向かう途中の倶利伽羅駅で下車。
倶利伽羅駅は石川県と富山県の県境にある参観の小駅ですが、現在は金沢以東の北陸本線を引き継いだIRいしかわ鉄道とあいの風とやま鉄道との境界駅にもなっています。
ここでは、以前ブロガー仲間の方がブログで紹介されていた山間の小駅の雰囲気を味わいたかったのと、359Mのすぐ後にやってくる下り「トワイライトエクスプレス」をこの駅で撮影するのが目的でした。
15:58、EF81 114号機の牽引で「トワイライトエクスプレス」が通過。
倶利伽羅駅の付近は、新疋田あたりなどと並ぶ北陸本線の撮影名所なので、できればそういった有名撮影ポイントで撮影してみたかったのですが、それもなかなかできず駅撮りとなりました。
「トワイライト」は撮影し終わりましたが、次の列車までは少々時間があるので、一旦改札の外へ出て駅前をぶらぶら。
現状はわかりませんが、当時の倶利伽羅駅舎は木造で、駅舎のそばには円柱形の郵便ポストも健在で、ホーム上の木造の待合室と合わせて山間の駅にふさわしい雰囲気の駅になっていました。
さらにホーム上に立つポールには積雪計?と思われるプレートが取り付けられていて、積雪時の雪の深さも想像できました。

倶利伽羅からは、413系の泊行き447Mで高岡駅へ移動。
到着したホームの隣の中線にはコンテナ貨物が停車中。
機関車好きとしては貨物の存在は見逃せないので、隣のホームへ移動してホーム富山方へ行くと、列車先頭にはつい1か月ほど前に落成したばかりのEF510-19号機が。
長年活躍した国鉄型の機関車もいいですが、まだ新生した手でピカピカの新型機関車もそれはそれでいいものです。

駅を出て一旦この日宿泊するビジネスホテルで休憩の後、高岡駅前停留所から万葉線に乗車。
行先は、以前の記事でもご紹介した(その時の記事はhttps://gonana57.blog.ss-blog.jp/2019-05-11)、以前のブロガー仲間の方(Kさんとします)がご主人をされているうどん屋さん「吉宗」。
高岡駅前から10分ほど乗った、お店最寄りの市民病院前停留所まで乗車した7071号には、車体にイルミネーションが施されていて、陽が沈み夜になりつつあった街をきれいに彩っていました。
そして、Kさんのお店で名物のカレーうどんをいただき、20時頃にお店の営業が終わった後は、Kさんの行きつけのお寿司屋さんでKさんやお寿司屋さんのご主人と2時間ほど歓談。
その後ホテルにKさんの車の運転代行で送っていただき、濃密な一日が終わりました。

次回からは8月27日編です。
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【2009年夏の鉄道旅 Part4】高岡・富山へ その5 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
2009年夏の鉄道旅の振り返り、Part4の続きです。

敦賀駅から乗車した475系の245Mは、終点の福井駅に定刻到着。
ここからは413系の富山行359Mでさらに東へ向かいます。
金沢へ向かう途中の14:37発の粟津駅では、大阪行「雷鳥30号」とすれ違い。
この列車の金沢方先頭車は、かつて紀勢線「くろしお」で活躍した簡易貫通化改造車のクハ481-801というレアな車両。
先ほど湖西線で117系を追い抜いて行った「雷鳥13号」のクハ481-228といいこのクハ481-801といい、一瞬だけとはいえ貴重な車両との出会いはやはりうれしいものです。
さらに金沢到着直前にも「雷鳥34号」とのすれ違いがあり、乗車こそできなかったものの終焉に向かっていた485系「雷鳥」の雄姿をたっぷり堪能することができました。

北陸本線も金沢駅以東は現在第三セクター鉄道3社に分割されてしまっていますが(将来は敦賀ー金沢間も第三セクター化されてしまいますが)、この旅の時点ではまだ米原ー直江津間が北陸本線として一体の存在となっており、金沢や富山などを跨ぐ直通列車もごく普通に運転されていました。
福井から乗車した359Mも金沢駅でかなりの乗客が入れ代わったものの、私を含め金沢以東へそのまま乗車する人も少なくありませんでした。もちろんまだこの当時は金沢以東の区間を乗車する時も18きっぷは利用できるので、乗り換えや別に乗車券を購入するといった手間もかかりません。
359Mは富山行のため、このまま乗車していてもこの日の宿泊地高岡には到達できますが、私は高岡目前の倶利伽羅駅で途中下車します。

次回、山間の小駅倶利伽羅駅、そして高岡へ向かいます。
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【2009年夏の鉄道旅 Part4】高岡・富山へ その4 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
2009年夏の鉄道旅の振り返り、Part4の続きです。

京都駅から乗車した国鉄色の117系による湖西線の普通電車で同線の近江今津駅に到着し、乗車してきた117系が京都駅へ折り返していくのを見送った後の11:34、姫路からの新快速3438Mが近江今津に到着。
8両編成で到着したこの列車は、ここで後部4両を切り離し、前4両が列車番号を3138Mに変更し、各停運転で敦賀へ向かいます。
そして、私もこの3138Mで敦賀へ向かいます。

この日の3138Mの乗客は案外多く、近江今津止まりの後部4両から乗り換えてきた人もそこそこいたようです。
近江塩津で北陸本線に入った後の新疋田駅では、ちょうど目の前に駅名標が見える位置で停車しました。
新疋田は、北陸本線の有名撮影地最寄り駅として、子供の頃から知っている駅ということもあり、記念に駅名標を撮影。
駅名標や駅周辺の車窓を眺めながら、485系「雷鳥」や「日本海」「トワイライトエクスプレス」が健在なうちにぜひ一度あの撮影名所で撮影してみたいものだと思っていましたが、残念ながらそれは叶いませんでした…

3138Mは12:14、敦賀駅に定刻到着。すぐに姫路行新快速3165Mとして折返していきます。
この旅の時点で京阪神地区の新快速が敦賀まで直通運転を開始してから数年経過していましたが、やはり北陸本線の駅に「姫路行」の列車が普通に停車している様は何とも不思議な気分になったものでした。
乗り換え時間には、ここ敦賀でも485系の「雷鳥17号」を撮影でき、国鉄型車両好きには嬉しい収穫が続きます。

敦賀からは、475系の福井行245Mで終点の福井へ向かいます。
もうお昼を過ぎているので、475系のクロスシートに落ちついたところで、敦賀駅の駅弁「荘兵衛さんの焼きさばずし」で昼食。
紙箱を開けると竹皮包みのように見える包装紙が現れ、その中に焼きさばずしが入っていました。
鯖は脂ものっていてなかなかのお味。
さすがは「鯖街道」の途中に位置する敦賀だけのことはあると感じさせてくれる駅弁でした。

次回も北陸線を東へ向かいます。
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【2009年夏の鉄道旅 Part4】高岡・富山へ その3 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
2009年夏の鉄道旅の振り返り、Part4の続きです。

国鉄色の117系による湖西線近江今津行普通1814Mは、京都駅を定刻の10:11に発車。
車内は、名古屋から京都まで乗車した2本の列車とはうって変わって乗車率もほどほど。
新快速時代のような走りではないだろうけれど、高規格路線の湖西線の線形のおかげでスピード感もそこそこ感じられて非常に快適でした。

1814Mは、終着間近の安曇川駅で後を追ってくる特急「雷鳥13号」待避のため4分停車。
追い抜かれる相手が、当時681・683系「サンダーバード」への置き換えが近づいてきていた485系の「雷鳥」とあらば、やはり撮らずにはいられません。
ということで、半自動扱いとなっているドアを開けてホームへ。
そして、やってきたのは…
クハ481-228先頭の京都総合車両所所属の485系A09編成!
このクハ481-228は当時、前面貫通構造のクハ481形200番台の原形車最後の生き残りだった車両で、国鉄特急色のママの姿と相まって非常に貴重な存在になっていました。
実は、この旅の直後の2009年10月以降、「雷鳥」の485系運用の減少により、A09編成を含むパノラマグリーン車非連結の編成は定期運用を失うことになっていて、このタイミングで撮影できたのはとてもラッキーでした

「雷鳥」を先に通した1814Mは11:17、近江今津駅に到着。
快適な117系の乗り心地の余韻を味わいたいところですが、この後すぐに、上り線を「札幌からの「トワイライトエクスプレス」が通過するのと、乗車してきた117系S6編成の各車両をホームから撮影するため、急いで上りホームへ移動しました。
近江今津駅は、上下線それぞれに島式ホームのある2面4線構造の駅で、ここまで乗車してきた117系は内側の2番線に到着して折り返し待ちとなっています。
11:20、EF81 44号機牽引で4番線を上り「トワイライトエクスプレス」がさっそうと通過。
もし3番線を通過してくれたら、国鉄色117系との一瞬の並びが撮れたのですが、それは叶いませんでした。

「トワイライト」を見送ったところで、ここまで乗車してきた117系S6編成の各車両を3番線側から撮影しました。
この編成は、福知山線で運用されていた時代に車内がセミクロスシート化改造され300番台化された車両で、300番台への改造時に塗装変更されたアイボリーに緑色帯の福知山色塗装から、福知山線からの撤退後に国鉄色に戻された車両でした。
撮影中、ホームにいる乗客は私だけで、完全に117系の一人撮影会のような状態になり、国鉄時代とほとんど変わらない外観を保つ117系の魅力を改めて実感するひとときになりました。

11:27、117系S6編成は、京都行1825Mとなって折返し発車していきました。
構内を後にする姿は、子供の頃の憧れだった京阪神間の117系新快速を思い出すのに十分すぎる雄姿で、これで先頭車に新快速のマークが輝いていたら…などとついつい無いものねだりしてしまいました。

そんな、関西地区に残る117系も、今では国鉄色車が消滅してしまったのが残念でなりません。
現在の塗装である抹茶色一色の姿は、私が国鉄色びいきであることを差し引いてもいまだに違和感のぬぐえないもので、せめて1編成だけでも国鉄色に戻してくれないか…と考えてしまいます。

次回、北陸路へ足を踏み入れます。

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【2009年夏の鉄道旅 Part4】高岡・富山へ その2 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
2009年夏の鉄道旅の振り返り、Part4の続きです。

名古屋から117系の普通列車と223系新快速を乗り継ぎ、9:43に京都駅に到着。
これから北陸方面へ向かおうとしているにもかかわらず、米原駅で直接北陸本線に乗り換えるセオリー通りのルートをとらず京都にやって来たのは、この後京都駅からの湖西線でのお楽しみがあるためでした。
そして、京都駅でも乗り換え時間を使って少し撮影を楽しみました。

米原から乗車してきた新快速3431Mを降りてまず向かったのは、間もなく京都駅に到着する青森からのブルートレイン「日本海」が到着する7番線。
9:53、定刻より2分ほど遅れてその7番線に「日本海」到着。
この日敦賀から「日本海」を牽引してきたEF81はローズピンクの108号機でした。
「日本海」は9:55にやはり2分遅れて京都駅を発車。
ローズピンクのEF81の引く24系客車という、国鉄時代のママのスタイルの編成が発車していく様を眺めるのはやっぱりいいものだ、などと思いながら隣の6番線を見ると、こちらには113系のオール湘南色車編成の回送が停車中!
これだけでもわざわざ京都経由のルートを選択した甲斐があったと思わせてくれるひとときでした。
ただ、「日本海」やこの113系に気を取られて奈良線ホームに停車している奈良線の103系を撮りに行かなかったのは、103系好き敵には悔やまれましたが。

さて、国鉄色の国鉄型車両との出会いにテンションが上がったところですが、京都経由のルートを撮った本来の目的はこれから。
その目的のため、「日本海」を見送ったところで湖西線列車の発車するホームへ。
10:04、湖西線近江舞子からの普通2815Mが到着。
この列車の折返しが、これから近江今津まで乗車する1814Mになります。
車両は期待通りの117系国鉄色車編成(当時の京都総合運転所S6編成)!
そう、このクリーム色に茶色帯の117系に乗れることありきでの回り道だったのです。
京都駅に侵入してくる国鉄色の117系の姿を見ると、改めて117系に一番似合う塗装はこの色をおいて他にないと思わせてくれます。
そんな117系に乗り、これから湖西線を北へ向かいます。
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【2009年夏の鉄道旅 Part4】高岡・富山へ その1 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
2009年夏の鉄道旅の振り返り、今回からPart4に入ります。

乗り鉄旅4日目の2009年8月26日、名古屋を後に帰路につきます。
もっとも、「のぞみ」利用なら最短3時間強あれば到達できる自宅まで、逆の北陸・新潟回りで約50時間ほどかけて帰るわけですが(笑)
名古屋から北陸へ向かうといえば、セオリー通りにいけば特急「しらさぎ」あるいは「ひだ」利用となるところですが、青春18きっぷの旅とあっては迷わず普通列車利用となります。

朝のラッシュアワーが始まりかけた名古屋駅を、117系の米原行普通115F列車で出発。
乗車した車両の名古屋発車時点の乗車率は座席がすべて埋まり、立客がパラパラといる感じ。
岐阜まではだいたいこんな状態の車内風景が続き、岐阜駅での大量下車の後は比較的ゆったりした車内に…なると思いきや、逆に大垣駅からは超満員に。
朝8時前後というタイミングにもかかわらず、大垣ー米原間では先行の米原行から40分後の列車であることが影響しているのでしょうか?
まあ、私は名古屋での乗車時に座席にありつけていたのでよかったんですが。

8:40前後に115Fは米原駅に到着。
北陸方面へ向かうならここで北陸本線に乗り換えるところですが、この後あるお楽しみがあるため、ここでもセオリーに反してそのまま東海道線を京都駅まで下ります。
米原で乗り継ぐのは、これも満員の223系新快速3431M。
もともと米原駅での115Fから3431Mへの乗換時間はわずか3分しかない上に、大きめな荷物を持って大混雑の117系の車内から脱出し、すぐにやはり混雑した223系に乗り込まなければならないのはさすがに苦痛ですが、これも「お楽しみ」のためにはやむを得ません。
幸い、115Fから3431Mへの乗り継ぎは同一ホームででき、奇跡的に1つだけ残っていた空席に座ることもできてほっと一息ついたところで、3431Mは米原駅を発車。
京都に向けてさらに混雑は増していきましたが、なんとか座席に座れたのはやはり大きく、快適な新快速の走りを味わいながら、9:43、3431Mは京都駅に到着し、ようやく混雑から解放されました。

次回、京都駅と個性線内でのお楽しみ編です。
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