SSブログ

名鉄犬山モノレール 一度きりの乗車の思い出 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
この年末年始は特にこれといった予定もなく、見たいテレビもほとんどないので、ネットニュースやいろいろな方のブログなどをあちこち見て回る時間が結構長くありました。
そんな中で、昨日取り上げた記事に続き、こんな記事も目に留まりました。

【今日は何の日?】モンキーパークへのモノレール、廃止 (乗りものニュース)
https://trafficnews.jp/post/47249

今は中部国際空港へのアクセス特急「ミュースカイ」や、特急用車の「パノラマSuper」のイメージが強い名鉄ですが、かつては岐阜県内に路面電車の岐阜市内線や、それにつながる架線電圧600Vのローカル線が複数あったり、三河地方のローカル線にレールバスが走っていた時期があったりと、なかなか興味深い側面のあった私鉄でした。
そして、これもそういったユニークな路線の一つだったのが、今回取り上げる愛知県犬山市内で運転されていたモノレール「モンキーパークモノレール線」でした。
(同線は、通称としては「犬山モノレール」と呼ばれることが多かったようで、私もそれが正式な路線名だと思っていました。以下の記事ではこの通商の方で表記します)
犬山モノレールの概要については、この記事やWikipediaを見ていただくとして、ここでは私がこの犬山モノレールに乗った時の思い出を記したいと思います。

私が犬山モノレールに乗ったのは、2004年のGWの一回キリでした。
この時は、名古屋方面へ乗り鉄・撮り鉄旅に出かけていて、その日は名鉄のフリーきっぷ(名称は忘れてしまいましたが)を利用して、翌年4月に廃止された岐阜市内線やその先の美濃町線・田神線・揖斐線といった、名鉄の岐阜県内ローカル線に乗りに出かけていました。
その折に、まだ未乗車だった犬山モノレールもこの機会に踏破してしまおうと、岐阜市内線に乗り換える新岐阜(現 名鉄岐阜)駅へ向かう途中に立ち寄ることにしました。

宿泊先の名古屋駅近くのビジネスホテルを出て、当時の新名古屋(現 名鉄名古屋)駅から犬山線の急行に乗車し、犬山モノレールの始発駅である犬山遊園駅に着いたのが9時半頃だったかと思います。
到着後、さっそくモノレール乗り場に向かい、有人の改札口に立っていた駅員さんにフリーきっぷを見せてモノレールのホームへ。
すでにホームに停車している車両に乗車しましたが、何と乗車した便の乗客は私だけ。
実は、乗車した日はGWの期間中ではあったものの休日の谷間の平日(月曜日)で、モノレールの目的地の日本モンキーパークもおそらく休演日だったらしく、それで他の乗客がいなかったのかもしれません。
ともかくモノレールは犬山遊園駅を発車、私と運転資産の2人だけ(犬山モノレールはワンマン運転だったそうです)を乗せて終点を目指します。
途中には、唯一の中間駅として、成田山名古屋別院大聖寺の下車駅である成田山駅がありましたが、ここも下車客はもちろん乗車客もなく、そのまま4~5分で終点の動物園駅に到着しました。
駅に到着してもモンキーパークは休園日であるうえ、そもそも私がここにやって来たのは犬山モノレールに乗ることだけが目的でモンキーパークに行くつもりはなかったけれど、一応改札は出入りしておこうとホームを歩いていると、先ほど犬山遊園駅で私のフリーきっぷを確認してくれたのと同じ人が、前方の運転台の方から反対側の運転台の方向に歩いてきて、私に「お客さん、犬山遊園まで戻られますよね?私、お客さんのフリーきっぷ確認してますので、車内でお待ちになっていてくださって構いませんよ」と声をかけてくださいました。
どうやら、モノレールでは、運転資産が各駅での乗車券の確認などの改札業務も担当していたようです。
犬山遊園への戻りももちろん乗客は私だけ。当日が冷たい小雨の降る寒い日だったことも、たった一人での犬山モノレール初乗車の寂しさにつながってしまった感があります。

こうして、犬山モノレールの初乗車は、動物園駅での折り返し時間も含めて12~3分ほどであっけなく終わりました。結果的にこの時の乗車が犬山モノレール唯一の乗車体験になってしまいましたが、今にして思えば、家族連れで盛況となる休日にもう一度乗りに行きたかったですし、せっかくならその時にはモンキーパークものぞいてみたかったです(日本モンキーパークは現在も営業中です)
私が犬山モノレールに乗りに行った頃は、少なくとも関東にいてはモノレールが将来廃止になるかもしれないといった話は聞こえてこず、単にまだ乗ったことがないというだけの軽い気持ちで乗りに行ったのですが、廃止されて12年経った今思うと、このタイミングで乗りに行ってよかったと思います。
同じく大手私鉄が運営し、レジャー施設へのアクセス路線という性格も共通している小田急の向ヶ丘遊園モノレールを乗り逃してしまった私としては、若干イレギュラーな状況とはいえ、犬山モノレール乗車体験も貴重な乗車記録となっています。
nice!(9)  コメント(2) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

こんなホテル、日本にもほしい! [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
新年早々、明るい話題の少ない今日この頃ですが、そんな中、年末にネットニュースで見つけた、なかなか夢のあるホテルの話題です。

18歳の少年が駅を購入したのが始まり! 自然に囲まれたビンテージの鉄道車両ホテルをのぞいてみた | Business Insider Japan
https://www.businessinsider.jp/post-221843

記事に添えられた写真を私は見ることができないのが何とも残念ですが、それでも記事を読んでいるだけで泊まりたくなってしまいました。
美しい大自然の中、歴史ある過去の鉄道車両で楽しい時を過ごせるというのは、鉄道好きにとっては例えば都心の豪華ホテルに泊まるよりも贅沢なひとときではないでしょうか。
しかも、宿泊する部屋の設備も充実し、食堂車で食事もでき、カフェがあったりホームでライブイベントがあったり、料金もロケーションなどを考えるとそれほど高額でもなく、ただ鉄道車両の中で宿泊できるというだけでない魅力もあります。
いやあ、こんなホテル、日本にもぜひ欲しいものです!

そういえば日本にも、1970年代前半のSLブームの頃に、SLとともに10系・20系の寝台客車を保存し、客車の寝台で宿泊できる「SLホテル」があちこちにでき、ちょっとしたブームになったようです。
しかし、そういったSLホテルもブームが去った後は利用客減などで次々に閉鎖され、車両も撤去されたり放置されて荒れ果てたりするものがほとんどだったようで、この「トレイン・ステーション・イン」のように、30年以上にわたって盛業しているというのは日本ではなかなか例がないことでしょう。
しかもこのホテルの始まりが、駅を取り壊しから救うために18歳の少年が駅を買うことから始まったというのも、日本ではなかなか考えられないストーリーです。

こうした規模の大きな鉄道車両利用のホテルのアイデアを、日本でもそのまま真似できるかといえばかなり厳しい部分もあるかもしれませんが、それでもどこかのリゾート地に(できれば鉄道でも泊まりに行けるような場所に…)「トレイン・ステーション・イン」のような鉄道車両利用のホテルがあれば、泊まりに行くんですけどね。
もしあと10~15年ぐらい前だったら、次々と列車が廃止されて余剰になったブルートレインの個室客車や食堂車・ロビーカー、さらには国鉄型の電車や気動車など、ホテルの客室や付帯設備として使えそうな車両の出物がかなりあったと思うので、これらを利用するチャンスはあったと思うんですけどね。

日本でも、美しい景色の中、鉄道車両に止まれるという非日常官と充実した設備やアメニティーを両立したホテルに泊まれる贅沢な休日が過ごせる日を夢見つつ、カナダの「トレイン・ステーション・イン」にも機会があればぜひ泊まってみたいものです。
nice!(8)  コメント(2) 
共通テーマ:旅行

【2013-2014冬の18きっぷ旅】水郡線・磐越東線に乗る その4 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
2013年末から2014年正月にかけての冬の18きっぷ旅の振り返りシリーズPart2、今回で最終回です。

郡山駅から乗車した磐越東線736Dでいわき駅に到着しました。
これで磐越東線の踏破も達成し、本日の乗り鉄旅のミッションも完遂となったので、あとは常磐線を南下して一路上野駅を目指すだけになりました。
磐越東線から常磐線上りへ乗り換えるため跨線橋を歩いていると、途中で見かけた常磐線下りホーム(3・4番線)への階段上にある案内標示に目が留まりました。
そのホームから発車する列車の線名と運転方向を示す標示板の「○○方面」の部分の、本来なら「原ノ町・仙台方面」などと書かれている部分に、当時は「廣野方面」と書かれたステッカーが貼られていました。
東日本大震災と原発事故による常磐線の不通区間は、2013年12月時点では広野ー浜吉田間となっており、いわきからは当時広野駅までしか行くことができなかったことを物語っていました。

いわき駅から乗車したのは、415系1500番台による16:53発の水戸行578M。
車窓はすっかり夜の雰囲気となり、暖房のよく効いた車内でロングシートに腰かけていると、早朝出発と2路線の踏破達成による安ど感からか、さすがに眠気が襲ってきました。
この578Mに勝田や水戸まで乗車しても、上野方面への接続列車にはすぐ乗り継げますが、接続時間が短くてあわただしいので、勝田での乗り換え時間に余裕を持たせるべく、日立ー勝田間は特急で「ワープ」することにしました。
日立駅に到着したところで下車し、一旦改札を出て日立ー勝田間の乗車券と自由席特急券を別買いし、「スーパーひたち58号」に乗車します。
この列車は、どの駅だったかは忘れてしまいましたが途中で578Mを追い抜き、勝田に先着します。
勝田まではわずか20分弱の乗車ですが、E657系にはこの時が初乗車でした。
勝田駅に到着し、上野行に乗り換えるまでの間に、上りホームからフェンス越しにすぐ隣のひたちなか海浜鉄道のホームをチェックすると、青とベージュのツートンカラーのキハ222と、クリーム色に細い赤帯の「準急色」塗装のキハ2004の重連による阿字ヶ浦行きが停車中でした。
ここからは、18:34発の上野行1452Mに乗り継ぎます。
先頭1号車のクロスシートを確保できたところで、郡山駅で購入した駅弁「福の島 おとなの幕の内」で夕食。
とりたてて個性的な食材や高級食材が含まれているわけでもないようでしたが、そういったものに頼らずに普通においしい幕の内弁当、というのが「おとなの~」というネーミングの所以なんでしょうか。

20:44、1452Mは上野に到着。
後は朝とは逆に山手線と西武戦を乗り継いでキロに着くだけですが、その前に地平ホームの13番線に移動し、青森へ向かう寝台特急「あけぼの」の発車を見送ります。
実は前々日の会社帰りに同じように見送りをしたばかりですが、確かこの日の直前に翌年3月のJRグループダイヤ改正の概要が発表され、正式に「あけぼの」の廃止がアナウンスされた直後、しかも土曜の夜とあって、2日前よりも撮影に訪れる人の数は明らかに増えていて、4年半前の「富士はやぶさ」末期の頃の東京駅9・10番ホームの風景を思い出させる賑わいでした。

2013年から2014年にかけての冬の18きっぷ旅の振り返りシリーズ、Part3に続きます。
nice!(10)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

【2013-2014冬の18きっぷ旅】水郡線・磐越東線に乗る その3 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
2013年末から2014年正月にかけての冬の18きっぷ旅の振り返りシリーズ、Part2の続きです。

水戸駅から乗車した水郡線の825D~8325Dで郡山駅に到着した後は、この日のもう一つの目的である磐越東線の踏破に向かいます。
郡山から乗車するのは、15:10発のいわき行736D。
キハ110系のキハ111形+キハ112形の2両編成でした。
736Dは座席が8割方埋まる程度の乗車率で定刻発車。
郡山駅の周辺にはあまり雪はありませんでしたが、市街地を外れると少し走っただけで再び雪景色の中へ突入していきました。
しかも、水郡線沿線以上の積雪でした。
乗車していた、いわき方先頭車のキハ112の運転室後方からの前面展望も、真っ白な銀世界になっていました。
関東からでも一日当たり2,300円(当時)だけでこんな風景の中へやってこられるのだから、18きっぷはやっぱり魅力的なきっぷです。
そんな中でも736Dは何事もなく16:41、いわき駅に定刻到着。
いわきに近づくにつれ車窓の雪もなくなり、同時にすっかり外は暗くなっていきました。
これで水郡線に続き磐越東線の全線乗車も達成し、この日の乗り鉄旅の目的は無事完遂となりました。

この後は常磐線を南下して帰路につきます。
nice!(9)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

【2013-2014冬の18きっぷ旅】水郡線・磐越東線に乗る その2 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
2013年末から2014年正月にかけての冬の18きっぷ旅の振り返りシリーズPart2、今回も続きます。

水戸駅から乗車した水郡線927Dで、水郡線の枝線の終点常陸太田駅に到着しました。
ここからは、927Dの折り返しの上菅谷行928Dでもと来た道を戻ることになりますが、折り返し発車まで少し時間があるので駅近くを軽く散策。
常陸太田に来たのは、前回の記事でも触れた、バイトでの常陸太田市役所への訪問時以来20年ぶりでしたが、その時以来心に引っかかっていたのが、常陸太田駅のすぐ近くにあった常北太田駅から、常磐線と接続する大甕(おおみか)駅を経由して鮎川駅までを結んでいたローカル私鉄日立電鉄が、乗る機会を逃したまま廃線になってしまったこと。
1993年に常陸太田を訪れた時には、市役所での仕事(書類の提出)を終えて常陸太田駅に戻る途中、常北太田駅の前も通り、ホームに停車中の電車も見かけていたのですが、この時はなぜか帰りは日立電鉄に乗って常磐線に乗り継ごうという乗り鉄根性が起きず、行きと同じ水郡線で常陸太田駅を後にしたのでした。
その当時はまさか後年日立電鉄が廃止されようとは夢にも思っておらず、また一応バイトの勤務中ということもあり、いつかぜひ乗りに行こうと考えていたのだと思いますが、結局それ以来水郡線ともども乗る機会を逃したまま月日がたち、日立電鉄への乗車は叶わずじまいに終わってしまいました。
20年ぶりに常陸太田を訪れたのを機会に、常北太田駅の跡や保存車両などがないかと思っていましたが、残念ながら短い時間で見つけることはできませんでした。

常陸太田駅に戻り、先ほどここまで乗車してきたキハE130系2両編成の928Dで上菅谷駅へ。
10:35に到着した上菅谷からは、いよいよ水郡線の未乗区間に足を踏み入れることになりますが、次に乗車予定の郡山行の発車までは約1時間ほどあり、すぐに上菅谷を発車する水戸行で水戸に戻れば、始発駅からその郡山行に乗れるので、時間を有効に使うことにしました。
上菅谷から乗車した常陸大子始発の水戸行832Dは、水戸への買い物客などが多いのか立ち客多数の混雑ぶり。もちろん私も水戸到着までたちっぱなしでした。

水戸駅で折り返し、11:15発の825Dで郡山へ向かいます。
825Dも上菅谷あたりまでは結構な混雑ぶりで、私の乗った車両には自分と同じように乗り鉄を楽しんでいると思われる数人のグループも乗っていました。
12:33着の常陸大子駅では10分停車。
当時、825Dは本来ここ常陸大子止まりでしたが、指定日にはここから先も8325Dと列車番号を変更して郡山まで延長運転されていて、この日も郡山行として運転されていました。
常陸大子を出たところで、水戸駅で購入した駅弁「豚べん」で昼食。
味噌仕立ての茨城県産の「ローズポーク」が白いご飯の上に載ったシンプルながらおいしい駅弁でした。
列車が福島県内に入ると、車窓にはにわかに白いものが目立ち始めました。
この日の数日前には東京でも初雪が降っていましたが、私自身にとってはその冬初の雪見となりました。
やがて郡山駅が近づくと車窓の雪も少なくなっていき、東北本線に入って車窓右手に郡山貨物ターミナルや郡山総合車両センターが見えてくるあたりになると、市街地に近づいたからか雪は見えなくなりました。

14:41、8325Dは郡山に到着し、これで水郡線は全線完乗となり(正確には1つ前の安積永盛に到着した時点で完乗達成ですが)、同時に関東1都6県のJR線も全線踏破ということになりました。
なお、水郡線といえば、2019年10月の台風19号により橋梁の流出などの被害が発生し、2021年1月初めの段階でも袋田ー常陸大子間の長期普通が続いていますが、この区間も今年3月27日に復旧し列車運転が再開される見込みとなりました。
復旧後いろいろな状況が落ち着いたら、またぜひ水郡線にも乗りに行きたいところです。

この後は引き続き今回の目的の2つ目である磐越東線の踏破に向かいます。
nice!(6)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

【2013-2014冬の18きっぷ旅】水郡線・磐越東線に乗る その1 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
2013年末から2014年始にかけての青春18きっぷを使った鉄道旅の振り返り。
年末のPart1に続き、今回からはPart2として、2013年12月21日に水戸ー郡山・上菅谷ー常陸太田間を結ぶJR水郡線と、郡山ーいわき間を結ぶJR磐越東線に乗りに出かけた時のことを振り返ります。

当日は、一週間前の栃木への乗り鉄の時と同様に始発で地元駅を出発し、西武線・山の手線を乗り継いで上野駅へ。
上野からは6:31発の常磐線勝田行1327Mに乗車し、まずは水郡線の始発駅水戸へ向かいます。
1327Mは水戸駅に8:30に到着。
次に乗り継ぐ水郡線の列車は9:05発なので、それまでの間、ホームから上野方の側線に停車中のDE10と「ゆうマニ」ことマニ50 2136(注)、EF81 133号機を撮影したり、E501系や415系1500番台、さらには中仙に留置中の工事臨時列車用のホキ車などを撮影しながら時間をつぶしました。
(注)マニ50 2136:JR水戸支社の485系ジョイフルトレイン「ゆう」の水郡線入線時の電源車として、「ゆう」と同色に塗装されたマニ50形

そして、いよいよ今回の乗り鉄の目的の一つである水郡線の全線踏破に出発となります。
水郡線は、水戸駅を起点として東北本線の安積永盛駅を終点とする(列車はすべて郡山駅まで直通)本線格の区間と、途中の上菅谷駅から分岐して常陸太田駅までとを結ぶ支線ともいえる区間があります。
私自身は、1993年の春に、大学の春休みのバイトの仕事で常陸太田市役所を訪れる際に、水戸ー上菅谷ー常陸太田間については乗車済みでしたが、上菅谷ー安積永盛間はこの時点で未乗車で、今回はその区間の踏破とともに、こちらも20年ぶりの乗車となる踏破済み区間も含めて全線乗車します。
まずは水戸9:05発の927Dで常陸太田へ向かいます。
前回(1993年)に乗車した車両は、当時まだ登場間もなかったキハ110系でしたが、それから20年経ったこの日乗車した927Dの車両は、早くもキハ110系に代わって水郡線の主力となっていたキハE130系(キハE131+キハE132)の2両編成。

927Dは水戸駅を定刻発車。
車内は3~4割くらいの乗車率で、住宅地と田園地帯が広がる車窓と合わせて、比較的まったりした雰囲気が漂っていました。
9:23、郡山方面と常陸太田方面との分岐駅上菅谷に到着。
ここで927Dは21分停車となるので、その間にホームで撮影したり、新駅舎を建設中だった駅前に出て停車時間を過ごしました。
上菅谷から常陸太田方面への「支線」に入り、9:59、927Dは終点の常陸太田駅に到着。
常陸太田駅舎は、観光案内所らしき施設も併設され、いわゆる「盲腸線」の終着駅としては比較的大きく新しいもので、駅前広場も広いですが、私が立ち寄った時点ではあまり人通りは多くありませんでした。

この後も水郡線の旅は続きます。
nice!(6)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

気持ちは若く、ポジティブに [日々のあれこれ&つぶやき]

おはようございます。gonanaです。

本日のお題:80歳になったとき、どうなっていたい?

私が80歳になるときというと…
2051年、あとちょうど30年ですか…
何だか遠いような近いような、微妙な距離感の未来の話ですね。
30年後どころか1か月後の自分さえどうしているか、確たる予測がしにくいこのご時世の中、なかなか想像がつきませんが…

とりあえずこの年齢になっても自分の事は可能な限り他人の手を煩わすことなく自力でこなし、家に引き籠もらず極力世間との積極的な接点を持ち続け、アクティブな爺ちゃんでいたいですね。
そして若い人たちと感覚や価値観がある程度共有でき、若い人の生き方や仕事、流行などについて正当に評価することができる、感覚の若い年寄りになりたいものです。
さらに、先日も書いた通り、せっかく長生きするなら身体と脳が健全である限り、無理のない範囲で社会に何らかの貢献ができていると実感できる仕事ができたらと思っています。

やっぱり、せっかく長生きするなら、できる限り死ぬまで気持ちは若く、アクティブでポジティブに生きる方が楽しいに決まってますからね。
nice!(8)  コメント(2) 
共通テーマ:日記・雑感

2021年になりました! [日々のあれこれ&つぶやき]

皆様、あけましておめでとうございます。gonanaです。
2021年になりました!
昨年中は当ブログをお読みいただき、誠にありがとうございました。
今年も、このようなブログではございますが、なにとぞよろしくお願いいたします。

そういえば、昨年は諸事情あって新年のご挨拶ができなかったので、このような文言を書くのも当ブログでは初めてになります。
2年ぶりに「あけましておめでとうございます」というフレーズを口にしたり文字にしたりすると、何だかずいぶん久しぶりに接する言葉だなという印象があります。
そして昨年はあまりにもいろいろと世の中が動きすぎて、年始の頃のことがもう何年も昔のことのような錯覚を覚えるせいもあるかもしれません。
新年になったからと言って、昨年からのあれやこれやが一気に片付いたり解決するわけでも全くなく、むしろ明日はいったいどうなるのかさえ分からないこのご時世ですが、気持ちだけは何とかポジティブに、前を向いていきたいと思います。
皆様、重ねまして、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
nice!(9)  コメント(2) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。