SSブログ

せっかくの豪華なラインナップだったのに [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
1月といって思い出すことの一つに初詣がありますが、初詣といえば毎年参拝者数ベスト3に入るのが成田山新勝寺。
そして、この時期の成田山新勝寺への初詣と聞いて私のような鉄道ファンが連想するのが、その新勝寺への初詣客を乗せた臨時列車(通称「成田臨」)です。
この「成田臨」は、関東やその周辺の各地から、主に団体客を乗せて新勝寺最寄りの成田線成田駅まで運転される臨時列車のことで、かつては1月中を中心に多数の列車が設定され、鉄道雑誌にはこの時期、それぞれの臨時列車の運転予定や運転された各列車の写真がよく掲載されていたものです。
「成田臨」の主な運転ルートとしては、常磐線の我孫子駅から成田線の通称「我孫子線」を経由して成田駅に至るルートと、総武本線を経由して千葉駅を経て佐倉駅から成田線に入り成田駅に至るルートとの2つがありました。
「成田臨」がおそらく最も注目を浴びていたと思われる1990年代、「成田臨」に使用される車両はもちろん電車が多かったですが、中には機関車牽引の客車列車もありました。
そしてその客車列車を牽引する機関車も、「お召機」EF5861をはじめ同じEF58の89号機、EF62やEF64、EF65P・PF、EF81の他、静岡方面からの列車を引いてJR東海所属のEF65一般形が遠征してくる場合もあるなどバラエティー豊かで、これらの機関車が12・14系客車や各地のお座敷客車を牽引して成田線を走る姿は注目の的でした。
一方電車で運転される列車の方も、1990年代当時は国鉄型の特急・急行形電車が主力で、特急型なら183・185・189・485系といった各形式、急行形なら165・167・169系といった各形式が活躍していました。
どの形式も塗装や形態のバラエティーが豊富で、これもまた「成田臨」が人気となっていた要因の一つでした。

そんな成田臨、私自身はというと鉄道雑誌でいろいろな写真を見てはぜひ一度生で列車を見たり撮影したりしたかったのですが、その頃(1990年前後)は以前使っていたカメラが故障して使えなくなり、そうしているうちに大学受験や浪人生の時代とも重なって鉄道写真の撮影をしていなかったこともあり、残念ながらあの頃の成田臨を一枚も写真に残すことはできませんでした。
その後1991年には千葉市内の大学に入学し、毎年1月になると通学で利用する総武快速線の乗車中に同線を経由する成田臨と出会うことがよくありました。
この時目にした車両の多くは、日によって所属の電車区や運転所も塗装も様々な国鉄型急行形電車で、首都圏ではあまり目にすることのない長野・松本地区の車両を見ることができるなど、今から振り返るとなかなか楽しい思い出でしたが、これらもまた写真に残すことができなかったのは残念です。

最近は成田への初詣シーズンの臨時列車自体が少なくなったようで、運転されても団体専用列車というより臨時の特急列車としての運転が多くなったようです。
また車両も波動輸送用のE257系5000・5500番台での運転がほとんどで、わずかに185系で運転される団体列車が注目される程度で鉄道ファンの注目度もかつてよりはかなり低いように感じます。
その点、1980年代末から1990年代にかけての成田臨は、今から考えるとかなり賑やかで華やかな車両のラインナップが魅力だったことを改めて感じ、そういった列車たちを写真に残せなかったことが悔やまれます。
nice!(9)  コメント(2) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。