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土曜日にぴったりな番組 [ノンジャンル]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:好きな情報番組

いつの間にか見なくなって10年ぐらい経ち、今の番組内容がどうなっているかがわからないので、正確に言うと「好きだった情報番組」ということになりますが、私は「王様のブランチ」が好きでした。
この番組が1996年にスタートした時には、好きなタレントがレギュラー出演しているから見始めたのですが、いざ番組を見てみると本や旅、テレビ(TBS系列のみだけど)や映画、グルメ、そして「女王様のお買い物」などいろいろな最新情報を知ることができるのが楽しく、10年ぐらい前まではほぼ毎週のように見ていました。
そして、少なくとも私が見ていた間に限って言えば、番組内で基本的にワイドショー的な内容を扱うことがなかったのも「ブランチ」が好きになった理由の一つでした。私は以前からワイドショー的な番組が基本的に嫌いだったので、そのような要素のない「ブランチ」は安心して楽しめる番組でもありました。
女性レポーター陣「BRAN-KO」(今はどのように呼ばれているのかわかりませんが)やレギュラー出演者たちも人数が多く楽しそうな雰囲気が画面を通して伝わってきて、土曜日の日中に見るには最適な番組という印象がありました。
特にこれといった理由はないけれど、いつの間にか番組を見なくなって久しく、今の「ブランチ」がどんな番組になっているのかわかりません。
ここまで書いてきたからには、今の「ブランチ」がどんな番組になっているのか、一度チェックしてみたいと思っています。願わくば、長い歴史の中で出演者はすっかり入れ替わっても、番組の雰囲気だけは昔のままでいてくれたら、と思いますが、どうですかね。

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鉄道イベントの思い出06 武蔵野操車場での機関車撮影会編 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
「鉄道イベントの思い出」の第6回は、今はなき武蔵野操車場で開催された機関車撮影会の思い出です。

現在はIKEYAなどの商業施設が立ち並ぶなど、大規模な再開発が行われているJR武蔵野線新三郷駅から吉川美南駅にかけてですが、かつてその商業施設等がある場所には、1974年に開設された日本最大規模とも言われた操車場である武蔵野操車場がありました。
武蔵野操車場はコンピュータ制御による自動化をはじめとする当時最新のシステムがふんだんに取り入れられた操車場でしたが、国鉄の経営悪化に伴う合理化の流れの中で1984年に操車場ヤードでの貨車の仕訳・組み換えを伴う貨物輸送の方式が1984年2月1日のダイヤ改正で廃止されたことにより、開設後わずか10年の武蔵野操車場も機能を停止し、1986年11月1日に正式に廃止となりました。
その後は跡地が国鉄清算事業団に引き継がれた後、2000年代に入って再開発が行われ、現在のような状況になっています。

その、廃止直前の武蔵野操車場で1986年9月(正確な日付は覚えていませんが、当日が日曜日だったのは確かです)に構内での機関車撮影会が行われました。
当時中学3年生だった私は、前日学校で友人にこの撮影会の情報を聞き、廃止はされたとはいえめったに入ることのできない場所ということもあり、行ってみることにしました。
会場への最寄り駅になったのが、操車場が機能を停止した後の1985年に開設された新三郷駅でした。現在同駅は一般的な相対式ホームの構造ですが、開設当初は操車場やその跡地を挟んで上下線やホームが350m程離れていました。
駅からどうやって会場入り口まで向かったかは覚えていませんが、当時は駅周辺にはほとんど何もない広々とした空間が広がっていたのだけは覚えています。
この日展示されていた機関車のラインナップは以下の通りです。
・EF5889号機(確か片側のエンドに「はくつる」のヘッドマーク付き)
・EF65501号機(片側のエンドに「つばめ」、もう一方のエンドに確か「はやぶさ」のマーク付き)
・EF641001号機(翌年に茶色塗装になる前の国鉄色時代、片側に「出羽」のマーク付き)
・EF8181号機(ローズピンクの車体側面に銀帯の入っていた時代。片側のエンドには前年のお召列車牽引時の装備を再現、もう一方のエンドには「エキスポライナー」のマーク付き)
・ED75形(番号は忘れてしまいましたが、0番台だったのは確か。片側のエンドに「あけぼの」のマーク付き)
・DD13形(番号は忘れてしまいました。ヘッドマークはなかったと思います)
・DE10形(番号は忘れてしまいました。ヘッドマークはなかったと思います)
※各期とも、ヘッドマークの種類の記述のない側のエンドには、もともとマークが付いていなかったか、付いていたマークの種類の記憶がないかのいずれかです。

展示されていた電気機関車のラインナップを見ると結構豪華なメンバーが揃ってているし、埼玉県内では当時見ることのできなかったED75が展示されていたのもかなりレアな光景でした。
それぞれの機関車の周囲には特に規制用のロープなどもなく、機関車にもすぐ間近まで近づくことができ、またほとんど遮る物もない操車場内なので、撮影も楽でした。DD13やDE10のデッキには登っている子供もいました。
会場の一角には鉄道部品やポスターなどの物販ブースもありましたが、現在と比べて扱っている商品はかなり少なかった記憶があります。
当日は時折小雨も降るどんよりした曇り空で、しかもあまりこの撮影会のことが知られていなかったからか、来場者はあまり多くなかった印象があります。また近年の鉄道イベントと違い家族連れの姿もあまり見かけなかった記憶があります。
でもそのおかげでゆっくり撮影を楽しむことができたのも事実です。そして、すでに機能してはいなかったとはいえ、普段経つことのできない操車場の構内に足を踏み入れることができたのはとても貴重な体験になりました。

かつての武蔵野操車場の跡地も、今では昔ここに操車場があったことなど想像もつかないような景色になっているのだと思います。
これから再開発が盛んになる品川・高輪ゲートウェイ両駅界隈も、10~20年くらい経つと、かつてそこに国鉄を代表する存在ともいえた機関区・客車区・電車区があったことなど信じられないような景観に変わっているんでしょうね。
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やっぱりあの形式が最高だ! [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
8日に予定されていた新幹線700系のラストランが、例のあれのせいで運転自体が中止となってしまいましたね。
この春も700系だけでなく「スーパービュー踊り子」251系や東京メトロ03系など引退の時を迎える車両はいくつかあり、それらにもお別れイベントが中止になるなど影響は出ていますが、最終日まで定期運用につく車両は一応きちんとした形で最後の走りを見せることができますが、こと700系の場合は定期運用を終えてしまっていた後だっただけに、本当の最後の走りを披露することができずに東海道区間を去ることになり、より寂しい幕切れという印象があります。

それはそれとして、新幹線といえばこんな記事をネットで見つけました。

新幹線 もう一度乗りたい車両は100系 好きな車両は500系がトップ その理由を聞いた (乗りものニュース)
https://trafficnews.jp/post/94208

やっぱりこの記事を読むと、0系・100系・500系は強いですね。
ちなみに私なら、「引退した車両のうち、ひとつにもう一度乗れるとしたらどれを選びますか?」「一番好きな営業用の新幹線車両」の質問には、断然「100系」と答えます。
在来線車両と比べてどの車両も同じに見えてしまい、社内設備も食堂車やビュッフェ者を除けばこれと言って特徴のない0系と違い、ダブルデッカーの食堂車やグリーン車、そしてグリーン個室やカフェテリアと、新幹線にも積極的に乗ってみたいと思わせてくれた100系は、今も個人的に「ベストオブ新幹線」です。
2階建て食堂車でおいしい食事をいただきながら眺望を楽しめたことは今も大きな思い出ですし、一度利用してみたかったJR東海所属編成の2階建て車階下のグリーン個室に最初で最後の利用ができた時は、やっと夢がかなった嬉しさを感じたものです。
もっとも、乗り鉄好きとしては、ほとんど車窓の景色が楽しめないグリーン個室は少々退屈でしたが(笑)
今の東海道新幹線では、100系のような社内設備にゆとりや選択の幅を持たせた車両というのは使いずらいのでしょうが、個室や売店などは他の新幹線も含めて見直されてもいいサービスではないかと思います。
とかく新幹線といえば効率的な高速輸送ということばかりが存在意義のようにも言われますが、100系の目指した快適性や「乗ってみたい車両」という側面ももっと大切にされても良いような気がします。
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「鉄」仲間と過ごす青春 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:今、学生だったら入りたい部活やサークル

以前、似たようなお題で記事を書いた時は、「演劇部に入ってみたい」書きましたが、実は通っている学校にもしあれば、演劇部よりもっと入りたいのが「鉄研」つまり鉄同研究会です。
このブログでもくどいくらい書いている通り、私の鉄道好きは幼い頃からのもので、もちろん中学・高校・大学生時代もほとんど変わることはありませんでした。

小学5年生の時に授業科目の一環として「クラブ活動」が始まりました。
学年の初めにこれから所属するクラブを決める際に、スポーツ系のクラブや演劇クラブ、家庭科クラブなどに混じって、「鉄道クラブ」の文字を見つけた瞬間「ここに入ろう」と決めました。
以来1年間、毎週1時間のクラブ活動の時間になると、同じクラブの友達とあれこれ鉄道の話をしたり、いくつかの班に分かれてそれぞれテーマを決めて研究発表をしたりと、楽しく活動しました。
この鉄道倶楽部は、翌年度になるとクラブの担当だった先生の異動のためなくなってしまい、その後通った中学・高校・大学にも鉄研やそれに類する部活やサークルはありませんでした。
なので、東京神田神保町の書店「書泉グランデ」の鉄道所フロアで販売している大学鉄研の機関誌を読んだり、鉄道雑誌に大学や高校の鉄研の貸し切り列車の話題が出ていたりするのを見るたびに、今からでもどこかの大学の鉄研に入れないかなどと考えたりもしました。
もし今学生で鉄研に入れるとしたら、あまり所帯が大きすぎず、先輩やOBと下級生の上下関係も厳しすぎない方が、個人的にはうれしいです。

そういえば、先日ネットニュースにこんな記事が出ていました。

開成、筑駒、渋幕…名門進学校に「鉄道研究会」が必ず存在する理由(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200302-00070742-gendaibiz-bus_all

昔は鉄道研究会(というか鉄道趣味全般)といえば男ばかりの集まりというイメージがありましたが、今や女子高にも鉄研やそれに類する部やサークルがあるんですね。
それにしても、私には無縁だった名門進学校に鉄研が多いということや、鉄道好きであることが勉強に役立つ側面があるというのも驚きです。
確かに、漢字、都道府県庁所在地などを覚えるのはそれほど苦にならなかったし、国語や社会科、地理や歴史などの文系科目の授業も比較的好きだったので、このリンクの記事に書いてあることもうなづける部分が多いです。
タダ・・・、理数系科目が得意科目になったり、芸術的感覚が磨かれたりといったことは残念ながら起きませんでしたが(苦笑)
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そこそこ住みやすい街だと思う [ノンジャンル]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:何県生まれ?

何県というか、東京都生まれです。
もっとも、大田区南六郷という羽田空港にほど近い場所にあった、生まれてから幼稚園入園近くまで住んでいた家(その後も父方の祖父母が長いこと住んでいました)からは、5分も歩けば多摩川の土手に出ることができ、そこから眺める多摩川の向こうはもう神奈川県川崎市、という場所だったんですけどね。
家のテレビでも、アンテナの向きのためか神奈川のUHF局(この言い方も死語になりましたね)TVKテレビ神奈川が見られましたし。

このブログでも何度も書いていますが、生まれ故郷の最寄駅は京急雑色(ぞうしき)駅。
一昨年の京急の駅名変更案募集で駅名の存続が危ぶまれましたが、無事改称を免れました。
今も昔も、停車するのは普通電車のみ。快特は爆速で通過していきます。
2012年の高架化までは、いかにも私鉄のターミナル駅近くにある小駅といったムードが漂う駅でした。

思えば、私の生まれ故郷の雑色や蒲田界隈は、かなり便利な街なんですよね。
都心や横浜へも、京急(+都営浅草線)でもJRでも30分前後あれば行くことができ、川崎に至ってはその気になれば歩いて行くことも可能です。
さらに鎌田から東急池上・多摩川線を利用すればもっといろいろな場所へのアクセスルートが広がります。
雑色の駅前には線路を挟んで南北に商店街があって、大抵のものはここで手に入ります。(コンビニももちろん数軒あるので24時間安心ですが)

私と両親が同じ東京の清瀬市に引っ越した後も父方の祖父母が住んでいた生家も今はもうありませんが、今でも何かいい物件があって状況が許すならば、生まれ故郷に戻ってきてもいいかな、と思ったりします。

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これもまた、「あと10年早く生まれていれば・・・」 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:あの時、○○すればよかったと思う事

先日、昼食に喜多方ラーメンを食べた(自宅でですが)時にふと思ったこと。
ラーメンをすすりながら、小学5年生の夏休みに我が家と父の同僚の家族の2家族で福島県磐梯地方へ旅行に出かけた時のことを思い出していました。
そうしている時に「そういえばあの時、うまくすれば日中線に乗るチャンスがあったかもしれないんだよな」ということが頭をよぎりました。

ここで出てきた「日中線」(にっちゅうせん)というのは、JR(当時は国鉄)磐越西線喜多方駅から、11.6km先の熱塩(あつしお)駅を結んでいたローカル線のことです。
この日中線は、その線名に反して一日の列車本数が朝・夕・夜に1往復ずつの合計3往復しかなく日中の運転がないことで有名でした。ちなみに日中線という線名は、熱塩から先にあった延伸計画区間にある日中温泉という温泉からとったそうです。
この日中線は、1980年代に国鉄改革が叫ばれる中で赤字ローカル線として廃止対象とされ、1984年4月1日に廃止されバスに転換されました。

私達が磐梯地方へ旅行したのは1982年の夏休みなので、この時点ではまだ日中線は健在でした。
また、この旅行で宿泊したペンションには、喜多方駅から確かペンションの車かタクシーで向かった記憶があります。また初日に喜多方駅に着いたのは17時過ぎだったので、もしかするとその気になれば日中線に乗りに行ける状況だったかもしれません。
現実には、私のわがままで勝手に家族から離れて単独行動をするわけにもいかず、また当時は近くに廃止が取りざたされるようなローカル線のない地域の小学生ゆえというべきか、同じ鉄道でもローカル線に対する関心のまだまだ低かった私は、日中線の存在や廃止対象になっていることは何となく知ってはいたものの、乗っておこうという考えにはおそらく至っていなかったと思われます。

そう考えると、にわかに「もしあの時、わがまま勝手は承知で日中線に乗りに行っておけばよかったかもしれない」という思いが沸き起こってきました。そして、もしあと10年早く生まれていたら必ずや乗りに行ったのに・・・といういつもの無いものねだりの気持ちになってしまいます。

なんでも、現在日中線の廃線跡はサイクリングロードとして整備され、旧熱塩駅舎は日中線記念館として整備されているとか。
乗りに行くことができなかったことのせめてもの代わりとして、一度訪れてみたいものです。
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理想の「お兄さん」にはなれなくて・・・ [ノンジャンル]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:子供好き?苦手?

私は好き派

静かにしているべき時や場所でギャーギャー騒ぐガキにはイラっとくる時もないではないですし、やたらと世の中を斜めに見ているような言動をする子供も好きではありませんが、基本的に子供は大好きです。
テレビやラジオに子供が出ていたりするとついつい気になってしまうし、子供たちの歓声や笑い声のこだまする空間にいると癒されるし気持ちも優しくなれる気がします。
私が大学時代から約20年にわたって、千葉市で活動する、主に障害のある子供やその兄弟姉妹を対象にしたおもちゃ図書館「千葉市トイライブラリー」で、子供の遊び相手をするボランティアをしていたのも、子供が好きであるということが一番の理由でした。

おもちゃ図書館のボランティアには楽しい思い出も多かったし、社会人になってからは週末(開館日が土曜日の週1回だったので)のよき心のリフレッシュタイムにもなっていました。
ただ、その中でいつも痛感していたのが「俺ってやっぱり子供を引きつける魅力が乏しいんだろうなあ・・・」ということ。
同じボランティアでも、子供たちの多くがまず親しみを感じて遊び相手として選ぶのが、高校生など若い女性のボランティアやイケメン(当時はそんな言い方はなかったけれど)の男性ボランティア。
見た目に「カッコよさ」とは無縁で、ボランティアを始めた19歳にして早くも子供たちから「おじさん」と呼ばれてしまった私には、なかなか遊び相手としてのご氏名がかかりませんでした。

思えば、おもちゃ図書館に来る子供たちと同じ年頃の私の理想の「お兄さん」像は、幼稚園生の頃毎朝見ていた「ママと遊ぼう!ピンポンパン」の体操のお兄さんや、戦隊ヒーローものの番組に登場する俳優さんでした。
「大きくなったらこんなカッコいい人になりたいなあ」と・・・
でも現実は・・・(泣)

もう今となっては「理想のお兄さん」を目指すにはあまりにも遅すぎるけれど、せめて子供たちの気持ちを理解し、寄り添えるおじさんになりたいと思っています。
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