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【乗り鉄&イベントの思い出】いすみ鉄道と町おこしイベントと「ポッポの丘」と その5 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
前回に引き続き、6年前のいすみ鉄道乗車、「みんなでしあわせになるまつりin夷隅」(以下「みんしあ」)、そして「ポッポの丘」再訪の振り返りです。

大原から乗ってきた国鉄型キハの「急行1号」を国吉駅で下車し、「みんしあ」の行われる苅谷商店街へ向かいますが、その前に昨年同様「昭和」な光景が広がっている国吉駅前をちょっと覗いていきます。
駅入口のすぐ脇には、前年見たのとはまた違うカラーのオート三輪のトラックが止まっていました。
トラックとはいっても、何となくかわいらしさすら感じるデザインで、背後に設置されている丸型のポストや赤い公衆電話とともに「昭和」な雰囲気を醸し出していました。
そして、おそらく前年も見たのと同じ車と思われるワーゲンバスも「みんしあ」での展示を控えてか駅横の駐車場で待機中。
前年も感じましたが、車好きの人ほど車に対する思い入れが深くなく、これらの車が現役で活躍していた頃を知らない世代の私にも、何となく郷愁のようなものを感じさせてくれる2台です。
2台とも、正面の塗り分けが国鉄80系湘南電車のような「金太郎塗り」になっているのも、鉄道ファン的には親しみを覚えました。
前年に何台も駐車場で待機していた「昭和のクラシックカー」たちはすでに「みんしあ」会場に向かったようで姿がなく、その代わりというわけでもありませんが、ミニ電車の運転が行われていました。
エンドレスに敷かれた線路の周囲には柵やカラーコーンの代わりに、レールバスの形の置物が数個置かれていすみ鉄道らしさを演出していましたが、そこで走っていたのはなぜか103系、しかも千葉には縁のない仙石線使用の更新車を模したものというのが面白かったです。

10時を過ぎたところで「みんしあ」会場の苅谷商店街へ。
この日のイベントが始まって間もない時間でしたが、すでに多くの人達で賑わっていました。
商店街の中の広場に組まれた野外ステージでは、いすみ鉄道公認のご当地アイドル「BOSO娘」のライブも行われていました。
そして前年同様、「みんしあ」の目玉の一つである、歩行者天国になった商店街の路上での昭和のクラシックカーたちの展示も行われていました。
車に対する知識がないので細かい車種等はわかりませんが、それでも展示されていた車たちを眺めていると、何となく「ああ、昔これよく走ってたっけ」とその当時の記憶を呼び起こさせてくれました。

この後は、これも前年同様「みんしあ」の目玉であるボンネットバスで「ポッポの丘」へ向かいます。
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【乗り鉄&イベントの思い出】いすみ鉄道と町おこしイベントと「ポッポの丘」と その4 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
前回までは、2013年4月28日に、いすみ鉄道の乗車と沿線の商店街で行われた町おこしイベント「みんなでしあわせになるまつりin夷隅」(以下「みんしあ」)、農産物の生産・販売を行う施設でありながらなぜか多種多様な鉄道車両が集まった「ポッポの丘」を楽しんだ思い出の振り返りを書いてきましたが、ちょうど1年後にも前年同様「みんしあ」が開かれるというので、「ポッポの丘」ともども再訪してきました。
今回からはその時の思い出の振り返りとなります。

2014年4月27日、1年前と同様に早朝自宅を出発。
これも前年同様新宿駅から「新宿わかしお」でいすみ鉄道の始発駅大原駅へ向かいました。
大原駅にはこれも昨年同様8:54に到着し、早速いすみ鉄道に乗り換えます。
大原から乗車するのも、これまた昨年と同じ「急行1号」。
キハ28・キハ52とも、通常は過去の房総の準急・急行列車の愛称のヘッドマークを付けて運転されますが、この日は2両とも「みんしあ」のPRヘッドマークを掲出しての運転でした。
キハ28は正面助士席側窓下に小さな円形マークを付けており、かつての四国の気動車急行を思い出させる姿となっていました。
そして、ここまでの数少ない変化は、上総中野寄りに連結されたキハ52 125が、いすみ鉄道での復活以来まとってきた朱色とクリーム色のツートンカラーの国鉄一般型気動車標準色から、朱色一色のいわゆる「タラコ色」「首都圏色」に衣替えしていたこと。
もっとも、大原駅のいすみ鉄道ホームは、国鉄型キハ2両編成がぎりぎり入るだけの長さしかなく、キハ52をきれいに撮るのは難しいので、こちらの撮影は次の停車駅国吉駅でとします。
今回も指定席券を購入してキハ28に乗車し、9:20に大原を出発。
「新宿わかしお」からの乗継客の中にはすぐ接続する大多喜行に乗り継いだ人も多かったのか、「急行1号」は比較的空席が目立っていました。

9:36に国吉駅に到着。「急行1号」は10分停車するため、ここでキハ52の撮影タイムとしました。
朱+クリーム色の旧標準色も好きですが、タラコ色のキハも、これはこれで1980年代の非電化ローカル線の光景をイメージさせるのにはぴったりの存在でしょう。

前年は国吉からも引き続き国鉄型キハの旅を楽しみましたが、この年は早くもここで下車し、「みんしあ」ノ会場となる国吉駅最寄りの「苅谷商店街」へ向かいます。
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【乗り鉄&イベントの思い出】いすみ鉄道と町おこしイベントと「ポッポの丘」と その3 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
7年前のちょうど今日に、いすみ鉄道乗車と「みんなでしあわせになるまつりin夷隅」、そして「ポッポの丘」への訪問を楽しんだ時の振り返り、その3です。

「みんなでしあわせになるまつりin夷隅」会場の商店街から数分歩いたところにある郷土資料館の駐車場に、まつりのもう一つの目玉でもあるボンネットバスが止まっていました。
このボンネットバスも、まつりのコンセプトである「昭和レトロ」を演出するアイテムとして、宮城県栗原市で行われている本家「みんなでしあわせになるまつり」でも運転されているもので、こちらいすみでのまつりでもそれに倣った形になっています。
このバスたちは、まつり会場周辺をめぐる体験乗車と、いすみ市内にある「ファームリゾート 鶏卵牧場 夷隅農場 ポッポの丘」(以下、「ポッポの丘」)への送迎バスとして全部で3台ほどが活躍していました。
できれば両方のコースで乗りたい気持ちもありましたが、バスの乗り場にやってきた時にはすでに13時を回っていたので「ポッポの丘」へ行く方を優先しました。
しかしボンネットバス自体も人気が高い上、「ポッポの丘」へ向かおうとする人も多く、それに対してボンネットバスの定員は少なく、その結果直近の便に乗ることはできず、ポッポの丘へ行ったバスが戻ってくるまで40分ほど待つことになりました。
でも、40分近く待って初めて乗ったボンネットバスは、今のバスにはない何となくのんびりゆったりした乗り心地が味わえ、暑くもなく寒くもないちょうどよい気候の中、窓を開けて走ると風邪も心地よく(ちなみにバスに冷房はなし)、短い時間ながらなかなか楽しいバス旅でした。

ということで、ボンネットバスに揺られること約15分。ポッポの丘に到着。
この「ポッポの丘」は、もともとは鶏卵をはじめとした農産物の生産・販売をする農場でしたが、なぜか単なる農産物等の生産・販売のための施設だけでなく、全所有者も車種もバラエティー豊富な各種の鉄道車両が次々に敷地に搬入され、ちょっとした鉄道公園の様相を呈しています。
あさかぜ1号 博多行
あさかぜ1号 博多行
入口を入ってすぐのところ(というか、バスを降りたすぐ目の前)には元「万葉線」の7052号が鎮座しています。
塗装は加越能鉄道時代のオレンジとクリームのツートンカラーの姿で、加越能改め万葉線の同タイプの車両が塗装変更された今となっては貴重な存在です。
前面の方向幕には、加越能鉄道・万葉線の途中停留所で車両基地のある「米島口」の表示がされていました。
車内は農場で生産された鶏卵の販売スペースに活用されています。
このように、ここにいる車両たちの多くは、車内が農産物や鉄道グッズ等の販売スペースになっています。

以下、2013年春時点で「ポッポの丘」に保存されていた車両たちを簡単にご紹介します。

・いすみ鉄道いすみ204号車
 木原線の第三セクター転換(→いすみ鉄道)に伴って登場したレールバスで、いわば「地元代表」の車両といったところです。
・北陸鉄道3752号
 前後を他の保存車に挟まれて展示されているので、片側の側面しか見たり撮影したりできないのが残念ですが、こちらも何の因果化?遠く千葉にやってきました。
外観は北陸鉄道時代のクリームと朱色のツートンカラーのままでした。
それにしても、いすみ鉄道のキハ28やキハ52もそうですが、なぜかこの近辺の鉄道シーンは北陸・日本海側地方の車両たちと縁が深いようで・・・
・銚子電鉄700形
 元銚子電鉄700形は、在籍していた2両がいずれも「ポッポの丘」にやってきました。
701号は先の2両と編成を組んだような状態で配置され、窓まわりが白っぽいグレー、その上下が水色のツートンカラーの塗装になっていました。
一方の702号は単独で置かれ、塗装は銚子電鉄時代末期の上半分黒、下半分赤の塗装になっていました。
・千葉都市モノレール1003+1004
懸垂式モノレールの車両の保存例はあまり聞いたことがありませんが、それよりもこの車両のここでの保存状態がかなり興味深いものがあります。
なにせ頭上の案内軌条にぶら下がっている状態ではなく、車体床面を地上に着地させた状態で置かれているのですから。
そしてこの2両の隣には、次に紹介する元JRキハ38が置かれているので、通常は同一の平面上に並ぶことのありえない一般の鉄道車両と懸垂式モノレールが並ぶという、ここでしか見られない光景が見られます。
懸垂式に限らず、モノレールの車両をこのような場所で見られるというのもなかなかない事でしょう。
2両の車内は休憩室として使われていると思われます。また千葉都市モノレールでは非常時以外は通行できない車両間の貫通路もここでは開放されていましたので、せっかくだから通ってみました。
ちなみに現在は配置が一部変更され、2両は並んで展示されているとか。
・JRキハ38 1
 千葉つながりということで、久留里線で活躍していたこの車両も展示車両の仲間入りをしていました。
塗装は白ベースに青と青緑のラインの久留里線塗装のままでした。
・小型DL(形式や番号の表記は見つかりませんでした)と元国鉄の車掌車4両の編成
 青や緑にきれいに塗装されて編成を組んだ状態で展示されていました。
2013年に訪れた時には走行していませんでしたが、翌年再訪した時には数十mながら車掌者に乗客を乗せて走行し、私も乗車することができました。
自然の中にあるこういった場所には最も似合う車両と言えるでしょう。
・営団地下鉄丸ノ内線454号
2013年に訪れた当時は、「ポッポの丘」入りしてまだ日の浅かった車両の一つです。
この車両も単独で、比較的撮影しやすい配置になっていました。
この車両は6両編成の中間に連結されていた時期が長かったためか、前面の方向幕には昭和30~50年代に使用されていたと思われる字幕が残っており、2013年に訪問した時には「後楽園」、翌年再訪した時には部分開業時に短期間使用されただけの「新中野」のレアな表示が出されていました。
丸ノ内線の赤い旧型車はまだ幼い頃からよくお世話になっていた車両なので、こうしていつでも見に行ける保存車が増えたのは嬉しい限りです。
・JR DE1030+オロネ24 2+オハネフ24 2
この3両も、2013年に訪れた時にはまだ展示が始まって間もない頃でした。
編成を組んだ状態で、他の保存車両たちがいるエリアを見下ろす丘の上に置かれています。
DE10 30は、お台場の船の科学館に保存されていた、青函連絡船羊蹄丸の車両甲板で展示されていたものが移設されてきました。
オロネ24 2とオハネフ24 2はどちらも側面の方向幕は「日本海 青森」を表示し、オハネフ24のテールマークも「日本海」を表示していました。

1時間ほどポッポの丘で過ごし、再びボンネットバスで国吉に戻ります。
途中の踏切では偶然にも国鉄型キハコンビの「急行4号」の通過待ちとなりました。
私も含め車内の乗客の多くが踏切にカメラを向けていましたが、できるものならバスから降りて撮りたい光景でした。

「ポッポの丘」から15分ほどで、先ほどバスに乗った郷土資料館に戻ってきました。
時刻も16時近くなり、ボンネットバスの今日の活躍もそろそろ終了です。
バスを降りて国吉駅まで歩き、16:10発の大原行に乗車。
「みんなでしあわせになるまつりin夷隅」や「ポッポの丘」帰りの人達で単行のいすみ301号は立ち客多数でした。
いすみ301号は16:27に大原駅に到着。
反対側のホームには本日最後の大多喜行「急行5号」としての発車を待つ国鉄型キハコンビが停車中。
先ほど撮影しそびれた「急行」表示のキハ28も撮影できたところで、この日の撮影は終了。
大原16:55発の特急「新宿わかしお」で帰路につきました。

さて、2013年の「みんなでしあわせになるまつりin夷隅」と「ポッポの丘」への一日旅は終わりましたが、実は翌年の同じ時期にも同様な一日旅をしています。
次回からはその、2014年の時の模様を振り返ってみたいと思います。
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【乗り鉄&イベントの思い出】いすみ鉄道と町おこしイベントと「ポッポの丘」と その2 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
前回に引き続き、7年前の4月28日に、いすみ鉄道乗車と「みんなでしあわせになるまつりin夷隅」(「みんしあ」)、そしていすみ市内にある「ポッポの丘」で過ごした一日の振り返りです。

いすみ鉄道の起点の大原駅から終点の上総中野へ気へ、さらに折り返して大多喜まで、キハ28+キハ52の国鉄型キハコンビの旅を堪能した後、大多喜からいすみ鉄道オリジナルの気動車で国吉駅までやってきました。
ここは、本日の次なる目的の「みんなでしあわせになるまつりin夷隅」ノ舞台となる苅谷(かりや)商店街の最寄り駅です。
改札を出て駅前に出てみると、そこには「昭和」を感じさせるものがたくさんありました。
駅舎がいかにも昭和時代のローカル線の駅という感じの建物であるのもそうですが、出入り口のそばには昔ながらの円筒形の郵便ポストとダイヤル式の赤い公衆電話も置かれ、これもいい味を出していました。
特にダイヤル式の公衆電話は、実際に使用できるものだったかどうかはともかく、この当時すでに公衆電話自体が貴重なものになりつつある中で、このようなものが残っているというだけでもすごいことだと感じました。
さらにその前には、ワーゲンの小型バス(経常的にはワゴン?)と車種不明のオート三輪が止まっていました。
どちらもリアルタイムでその活躍を見たことはほぼないと思われるのに、不思議と何だか懐かしさと癒しを感じる車でした。
そして、駅横の駐車場には、昭和時代の様々な車が何台も駐車していました。
これらの車は「昭和のクラシックカー」の愛好者の方々が、日ごろから整備し走れる状態で保有している車をこのまつりのために集結させたものとか。
これは実物の鉄道車両では真似のできない楽しみ方です。
しばらく駐車場をぶらぶら歩きながら車を見ているうちに、クラシックカーたちはまつり会場の街中へ次々と繰り出していきました。

駐車場に併設された駐輪場からは、駅側線に留置されている国鉄色のキハ30 62号車も撮影可能でした。
これも立派な国吉駅の「昭和」アイテムです。
このキハ30、本線復帰はいまだ果たせてはいないものの、時折国吉駅構内を短い距離ながら自走する姿を披露することもあるようで、いつかキハ28・52とともにいすみ鉄道の本線を営業運転する日がやってくることを期待したいものです。

国吉駅前でしばし「昭和」に浸った後、数分歩くと「みんなでしあわせになるまつりin夷隅」の会場の苅谷商店街に到着しました。
この「みんなでしあわせになるまつりin夷隅」は、2006年から宮城県栗原市栗駒の六日町通り商店街で毎年9月第3日曜日に開催されるイベントである「みんなでしあわせになるまつり」を、昭和レトロな商店街で様々な手作り感あふれるイベントを開くというコンセプトをそのままにいすみ鉄道の沿線でも開こうと、いすみ鉄道を様々な形でサポートする活動を行っている「いすみ鉄道応援団」が中心となって2012年から始まったイベントで、私の訪れた42月8日と翌日に開催されたこの年が2回目の開催でした。
先ほども書いた通りこのまつりのメインテーマといえるのが「昭和レトロ」で、その昭和レトロを感じさせる街並みの苅谷商店街のメインの通りが歩行者天国になっていて、多くの人が行き交っていました。
そんな歩行者天国の路上に展示されていたのが、国吉駅前でも多数見かけた昭和のクラシックカーたち。
車の知識がほとんどない私でも何となく懐かしさを感じるような車がたくさん展示されていました。
この昭和のクラシックカー展示、本家栗原氏の「みんなでしあわせになるまつり」でも行われているものだそうです。
もちろん車の展示ばかりでなく、この地域の特産などの物販ブースや、ご当地グルメの「勝浦タンタンメン」などが味わえる飲食ブースなどもたくさんあり、ぶらぶら歩いているだけでもそれこそ幸せになれそうなイベントでした。
ただ、ここへ来る前の国鉄型キハ乗車とこの後の「ポッポの丘」訪問とに挟まれて、あまりゆっくりまつりを楽しむ時間がなかったのが残念でした。

次回、ボンネットバスに乗って「ポッポの丘」での鉄分補給に向かいます。
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【乗り鉄&イベントの思い出】いすみ鉄道と町おこしイベントと「ポッポの丘」と その1 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
またまたですが、今回から数回にわたって、過去の乗り鉄の振り返り記事シリーズです。
今回は、2013年4月28日に、千葉県のローカル私鉄いすみ鉄道を利用して、同線の国吉駅前の商店街で行われた「みんなでしあわせになるまつりin夷隅」(以下、一部「みんしあ」と略すことがあります)と、いすみ市内にある「ポッポの丘」という施設に行った時のことを思い出しながら書いていきたいと思います。
(「みんなでしあわせになるまつりin夷隅」と「ポッポの丘」の詳細については、それぞれ後の記事で紹介します)

2013年4月28日、朝早く自宅を出て、まずは新宿駅へ。
新宿からは、7:09発の255系の「新宿わかしお」でいすみ鉄道との接続駅である外房線大原駅へ向かいます。
乗車した編成には、成田ゆめ牧場や成田市のゆるキャラ「うなりくん」のラッピングが施されていました。
外房へ、成田市PRラッピングのある車両で向かうというちょっと面白い展開になりました。
「新宿わかしお」は8:54に大原駅に到着。早速改札を出てすぐ右手にあるいすみ鉄道の駅へ移動します。

土休日にいすみ鉄道に乗りに来たなら、やっぱり乗りたいのは国鉄型キハの急行列車です。
しかもこの年3月からは、JR線上で最後の定期運用を持つキハ58系の一両として高山線の富山ー越中八尾間で活躍し、新製直後の1964年夏には房総地区の海水浴輸送にも活躍した実績のあるキハ28 2346号車がいすみ鉄道に入線し急行運用に加わったので、もちろんまずは急行券(キハ28は指定席者のため座席指定あり)を購入。
幸い無事に指定券をゲットでき、キハ28に乗車できることとなりました。
購入した急行券は硬券で、乗車日・発車時刻・席番は手書きで記入、そして改札鋏の入鋏跡も入り、これだけでも国鉄時代のローカル急行の雰囲気は十分。
しかも乗車後の急行県の回収もないので乗車記念品としての価値も高いです。
ちなみにこれから乗車する大原9:20発の「急行1号」は上総中野行ですが、急行券の発売区間は途中の大多喜までで、大多喜ー上総中野間は各駅に停車し、急行券なしで乗車可能でした。

駅舎を出ていすみ鉄道のホームに出ると、すでにキハ28+キハ52の国鉄型コンビが入線していました。
JR時代末期には塗装がワインレッドに白帯の入った通称「高岡色」だったキハ28も見事急行色に戻っていました。
やはり国鉄色の車両は、どこでいつ見てもいいものです。
キハ28は大原寄りに連結されていて、前面にはかつての房総地区の急行列車を思わせるヘッドマークも掲げられていました。
キハ28の前面種別表示は、私がホームで撮影していた時点では折り返し前の大多喜始発の快速の時の「快速」表示のままでした。(その後「急行」表示になりました)
また車体側面の所属標記は、キハ52と同じ「千カウ」(勝浦機関区の意味?)になっていて、ここにも国鉄時代を再現する演出が感じられます。

ホームでキハ28の外観撮影を一通り終えて、いよいよキハ28に乗車します。
キハ28のデッキには、この後向かう「みんしあ」のポスターが掲げられていました。
車内は原形のオールクロスシートではなく、JR時代に近郊化改造された後のセミクロス仕様のままで、ロングシート部の一部には、JR西日本オリジナルの優先席用の黒地にカラフルな模様の入ったモケットがそのまま張られていましたが、その他の部分(ボックス部分・ロング部分とも)は国鉄時代を思わせる青いモケットに張り替えられていました。

キハ28+52の「急行1号」は9:20に大原駅を発車。
「みんしあ」へ向かう人たちで混雑するかと思いきや、キハ28の車内は大きな混雑もなく、上総中野までの1時間強の間ワンボックスを一人で占領して急行型キハの旅を満喫することができました。
大原を出て最初の停車駅国吉駅に到着する直前、構内には、同じ千葉県内の久留里線を最後に引退した後、いすみ鉄道にやってきた国鉄色のキハ30 62号車の姿を見ることができました。

今日の目的地である国吉に到着しましたが、この時点ではまだ下車せず、約10分間の停車中にホームへ出て撮影をしたり、ホーム上をぶらぶら歩くだけです。
この間に線路を挟んだ上りホームから国鉄型キハコンビを眺めると、これぞまさしく国鉄時代の非電化ローカル線というムードがたっぷり感じられ、これが21世紀の光景とは信じられないほどです。
国吉ではいすみ300形と350形のコンビの大原行と交換。
いすみ350形の前面は、新製時の社長だった鳥塚亮前社長のこだわりで前面がキハ20風に仕上げられていて、実際に見てみると本当に国鉄キハ10系やキハ20系にそっくりなのがわかります。

再びキハ28の車内に戻って引き続き上総中野を目指します。
国吉と大多喜では下車する人も多く、大多喜からは各駅停車となって事実上普通列車扱いになり、車内ものどかな雰囲気になっていきました。
そして10:26、国鉄型キハコンビは終点の上総中野に到着。
あっという間の66分間でした。

上総中野に到着した国鉄型キハコンビは、同駅10:46発(この日実際には「運転上の都合」とやらで7分ほど遅延)の大多喜行で折り返します。
もちろん私も、この列車で大多喜へ戻りますが、先ほどまではキハ28の乗り心地を堪能してきたので、ここからは相方のキハ52 125号車に乗車します。
この大多喜行は普通列車のため急行券なしで国鉄型キハに乗れることと、上総中野で接続する小湊鉄道からの乗り継ぎもできるためか、先ほどの「急行1号」よりも乗車率は高かったです。

国鉄型キハコンビは、上総中野から20分ほどで大多喜に到着。すぐに折返し11:30発の普通列車で上総中野へ戻ります。
そして私は大多喜からはいすみ300形+いすみ350形の大原行に乗り継ぎました。
この大原行は、私と同じように大多喜止まりからの乗継ぎ客も多いようで、結構混雑していました。
そして、本日の目的地国吉駅に再び到着。
先ほどはホームを歩いただけでしたが、今回は下車し、いよいよ本日の次なる目的である「みんしあ」へ向かいます。

次回に続きます。
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やっぱり北斗星は強し! [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
相変わらずネタがないので、ネタ探しにネットをあれこれあさっていたら、こんな記事を見つけました。

青函トンネル 乗った列車は「北斗星」「白鳥」が多数 トンネル経由にした理由を聞いた (乗りものニュース)
https://trafficnews.jp/post/95204

青函トンネルを走る列車が貨物列車を除けば北海道新幹線だけになってしまってからまだ4年ほどしか経っていませんが、この記事に出てくる列車たちも北海道新幹線と「四季島」を除けば、すべてもう思い出の存在となってしまったことに時代の流れを感じます。
それはそれとして、青函トンネルで乗った列車としてブルトレ「北斗星」という回答が多かったというのには、やはり「北斗星」の人気が反映されているという感じです。
確かに青函トンネル開通時から、「北斗星」は青函トンネルを象徴する存在でもあったし、列車自体の人気も終焉まで大きく落ちることはありませんでしたからね。
逆に「トワイライトエクスプレス」の数字がそれほどでもなかったのは個人的には意外でしたが・・・
「白鳥」「スーパー白鳥」「海峡」の数字が高いのは、やはり日中に青函トンネルを通るとこれらの列車のお世話になることが多かったためでもあるでしょうし、「はまなす」も人気の高かった列車だったので利用経験のある人が多かったということだったのでしょう。

ちなみに私が青函トンネルで乗車したことのある列車を思い出してみると、「北斗星」が4回、「はまなす」が2回、「スーパー白鳥」「海峡」が1回ずつでした。
私もやっぱり「北斗星」が一番多かったですね(笑)
そして今でも青函トンネルで、というよりも列車自体に乗れなかったのが悔やまれるのが「トワイライトエクスプレス」と「夢空間北斗星」です。
また、青函トンネル開業後数年間行われていたという、「北斗星」「トワイライトエクスプレス」のロビーカー・サロンカーでの、深夜のトンネル通過時の車掌さんによるトンネル開設などのイベントにも、一度参加してみたかったですし、トンネル内の「海底駅」(竜飛海底駅・吉岡海底駅)の見学のチャンスも逃してしまったのは残念です。

今や青函トンネルを通過する営業列車は新幹線のみとなり、旅の行程や自分の好みで利用する列車を選ぶ楽しみが失われてしまったのは残念なところです。
そう考えると、初めて「北斗星」で青函トンネルを通った時、まだ夜明け前のロビーカーで通過の時を待ったことや、「海峡」のカーペット者でカーペットに大の字に寝転んでトンネルを通過したりしたことも、今となっては懐かしい思い出です。
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【過去の乗り鉄】震災前の常磐線に乗り、ED75に会いに行く その5 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
東日本大震災と原発事故に見舞われる前の常磐線をたどり、仙台周辺と常磐線水戸以北で最後の活躍を続けていたJR貨物のED75を追いかけた10年前の仙台遠征の振り返り、最終回です。

仙台遠征最終日の2010年7月27日は、宿泊していた東北線長町駅そばのビジネスホテルを少しゆっくり目にチェックアウト。
この日も昼頃までは長町駅ホームでED75牽引の貨物列車を中心に撮影しました。
まずは1010号機牽引の97列車を撮影。
その後にやってきた1015号機牽引の93列車も撮影、したのですが・・・
長町駅での最後のED75牽引貨物の撮影となる昼過ぎの名取への854列車は、シャッターを切るタイミングが遅れて右側が切れて失敗。
この失敗画像を削除しようとして、ミスショットでパにくっていたせいかその1つ前の93列車の画像まで誤って消去してしまうという痛恨のミス・・・
まあ、1015号機自体は以前にも撮影しているのでまだあきらめもつきますが。

最後は締まりませんでしたが、ひとまず仙台エリアでの撮影は終了。
長町13:20発のいわき行242Mで帰路につきます。
242Mは期待していた719系やE721系ではなく残念ながら701系で、ここから勝田までロングシート車2本を乗り継いでの4時間超の旅が始まります。
途中、名取駅到着直前には、すでに到着していて入換待ち?の、先ほど失敗した854列車を車内から撮影。
そして、この旅の約8か月後に震災と津波、原発事故により甚大な被害を受けることになる区間を通過。
この時も、今見えている景色が後に一変することになろうとは露知らず、漫然と通り過ぎてしまったのが、今となっては大変悔やまれます。

いわきではE501系の水戸行576Mに乗り換え。
こちらもロングシート車、しかも701系といいE501系といいシートは固く、長時間にわたり座っているとかなり苦痛でした。

576Mは17:36、終点水戸の一つ手前の勝田駅に到着。
ここ勝田で下車したのは、上野方面への当駅始発列車に乗るためもありますが、メインはこの遠征最後のED75撮影のため。
でもその前にこの駅から発車するひたちなか海浜鉄道の車両を撮影。
期待していた旧型気動車の姿は見ることができなかったものの、それでもひたちなかオリジナル車のキハ3700形、旧三木鉄道のミキ300-103号車を撮影することができました。
そして1008号機牽引の92列車を無事撮影して、今回の旅でのED75撮影は終了。
この後、勝田→我孫子→新松戸→新秋津→秋津→地元駅のコースで帰路についたのでした。

こうして、3日間にわたる仙台遠征は終わりました。
せっかく仙台へ行ったのなら、ゆくゆくは全国の鉄道完乗も目標にしている私としては仙台市営地下鉄にも乗りたかったし(当時は南北線のみ開業していましたが)、その後震災があったことを思うと仙石線や石巻線、気仙沼線などにも足を延ばせばよかったという後悔もあります。
それでも、この旅の目的であるED75の撮影という点では、本命のJR貨物所属機が7両と、予期していなかったJR東日本所属機1両を撮影でき、まずまずの収穫といったところでした。
ただ、貨物機の中でも未更新で赤一色塗装を維持している機関車の牽引する貨物列車をとる(見る)ことができなかったのはやはり心残りでした。
そんな中、正確な時期は覚えていませんが、2011年になる前後にそれまでしばらくの間休車となっていた、赤一色塗装を保つED75全体のラストナンバー1039号機が運用に復帰したという情報を知り、これはぜひ春の18きっぷ利用期間かGWに仙台に再訪して撮影したいとプランを練っていたんですが・・・
東日本大震災とそれによる津波、そして原発事故で、それらはすべて果たせぬ夢になってしまいました。
そして、常磐線を南下中に震災と津波に遭った92列車の牽引機が、復帰を果たしてまだ間もない1039号機だったというのもショックでした。(1039号機自体は流失を免れたそうですが)
そのことを思うと、ED75ももっと早くから撮影していたらという思いはあるし、常磐線も含めた震災の被災路線も、震災前に乗車して車窓その他をしっかりと記憶に残していればよかったと、後悔することしきりです。

今年3月に9年ぶりに常磐線が全線開通し、もし震災がなかったら2012年春には消えていたはずの都区内ー仙台間直通の「ひたち」も復活したので、いろいろ落ち着いてゆっくり鉄道旅が楽しめる状況になったら、ぜひ再び常磐線で仙台へ行きたいと思っています。
そしてもし叶うものなら、まだ乗車したことのないED75牽引の客車列車に乗る機会に恵まれたら・・・なんて妄想もしてしまいます。
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【過去の乗り鉄】震災前の常磐線に乗り、ED75に会いに行く その4 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
ED75を追いかけた10年前の仙台遠征の振り返り、その4です。

東北本線松島駅でED75牽引貨物2本を撮影した後、719系の1554Mで岩切駅へ。
そして、岩切からは東北本線利府支線に乗車して終点の利府駅へ向かいます。
当時、日中の利府支線は、701系による約40分間隔での岩切―利府間の折り返し運転でした。(朝夕には仙台方面への直通もあり)
本数や運転系統だけ見ればやや閑散としたローカル線をイメージさせますが、乗車した列車は上下とも平日の昼頃としてはそこそこの乗車率でした。
利府行が岩切を発車してしばらくすると、進行方向左手に仙台新幹線車両センターが見えてきます。
電車の窓から見える車両センターの構内には、まだ登場間もなかった頃のE5系の姿もありました。
そして、その付近の留置線には、何ともうとっくに姿を消したと思っていた、国鉄型電車417系の姿が!
この鉄道旅の時点では詳細はわかりませんでしたが、どうやらこの417系、仙台都市圏での活躍を終えて廃車された後も、ほぼそのままの姿でいわゆる「訓練車」として活用されていたようです。
せっかく残しておくなら、何らかの形で復活や保存をしてほしかったですが、昨年あたりについに郡山車両センターに運ばれて姿を消してしまったようです。
鉄道ファン的には興奮ものの車窓を眺めながら、岩切から5分ほどで利府駅に到着。
ホームは1面1線だけの規模ですが、駅や周辺は都市近郊の新興住宅地のような雰囲気で、駅もニュータウンに開業した新駅のような雰囲気でした。

利府から岩切に戻り、ここで本日3本目のED75牽引貨物撮影になる93列車を待ちましたが、通過時刻を過ぎても現れず撮影断念。
次に撮影予定のED75貨物までの間に少々時間があるので、それまでの間にこれも未踏破だった、名取ー仙台空港間の仙台空港アクセス線の踏破に向かうことにしました。
岩切から仙台駅まで出て、仙台からは仙台空港アクセス線専用のE721系500番台に乗車します。
列車自体はこれから向かう仙台空港行ですが、名取―仙台空港間は第三セクターの仙台空港鉄道の路線のため18きっぷが利用できないので、名取までの乗車となります。
しかし・・・、これが思わぬ収穫につながります。

名取で一旦改札を出て仙台空港までの乗車券を購入し(ちなみに当時、名取―仙台空港間7.1㎞の片道運賃は何と400円!でした)、再びホームへ降りて次の仙台空港行を待っていると、まだ次の普通列車には間があるのに上りホーム(仙台空港アクセス線方面と東北線福島方面行が同一ホームに発着)に接近放送が流れました。
自動放送では行先や列車種別の案内はなくただ「列車が通過します」とだけ案内されたので、どんな列車が来るのか判然とせず、とりあえず仙台方へカメラを向けて待っていると・・・
何と先ほど小牛田駅構内で留置されているのを見かけた、「リゾートみのり」中間車の故障修理のための郡山車両センターへの入場回送を、JR東日本仙台車両センターのED75758号機が牽引して通過!
その時私がいたのが橋上駅舎の増したという状況だったので、そうと分かっていればもっといい位置で撮影したかったけれど、定期運用がないため出会っただけでもラッキーな仙台車両センター所属のED75を撮影できて満足でした。

名取駅で思わぬ収穫をゲットした後、いよいよ仙台空港アクセス線の踏破に向かいます。
ここから乗車した仙台空港行1342Mは仙台空港鉄道所属のSAT721系での運転。
同形式はJRのE721系とは共通設計ですが、車体色の違いでかなり印象が違います。
正面から見ると南海1000系や2000系にも似ている気がします。
乗車したSAT721系SAT01編成には、マイカーから電車への乗換えを促すメッセージとともに、側面のいたる所に動物などのイラストのラッピングが施されていました。
名取駅から10分ほどで仙台空港駅に到着。仙台空港の飛行機発着のピークなのかどうかはわかりませんでしたが、空港までの利用客は昼間にしては多かった印象があります。
仙台空港駅の改札付近には、記念撮影用のSAT721系の顔はめ看板が設置されていましたが、隣には何気にSuicaペンギンも鎮座していたのはちょっとほほえましい光景でした。

仙台空港駅からはさらに空港へ行く・・・こともなく、先ほどの1342Mの折返しとなる仙台行1343Mで仙台駅へ戻りました。
1343Mに乗ったあたりまでは、仙台市内やその郊外の空は晴れていたのですが・・・
前日と同じように16・17時台に長町駅を通過するED75牽引貨物の撮影のため仙台から長町へ移動した16時前頃から雲行きが怪しくなり、やがて激しい雷と風雨が仙台の街を襲いました。
しかし、そんな中でも16時台の下りED75貨物2本はほぼ定時でやってきました。
まずは1004号機牽引の名取からの853列車、続いては岩沼からの1016号機牽引の855列車と通過。
ちなみに、ED75牽引貨物列車が長町駅を通過した16時台後半頃、仙台市内中心部ではたった10分間の雨量が24ミリにもなったとか。
そんなとんでもない雷雨も17時を過ぎると収まり始め、3本目のED75貨物の94列車の通過時刻になると再び晴れ間ものぞきました。
しかし94列車は雷雨の影響なのかどうか、通過時刻を過ぎても現れず・・・
結局この日の撮影は、仙台まで乗り入れる阿武隈急行AR8000系の2985Mを撮影して終了しました。

次回、仙台遠征の振り返り、最終回です。
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【過去の乗り鉄】震災前の常磐線に乗り、ED75に会いに行く その3 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
ED75を追いかけた10年前の仙台遠征の振り返り、その3です。

2010年7月26日、宿泊していた東北線長町駅近くのビジネスホテルを出て、この日の乗り鉄&撮り鉄をスタート。
この日はまず、長町駅から仙台駅へ移動し、仙台8:54発のキハ110系快速「南三陸」で小牛田駅へ。
「南三陸」は気動車列車ながら、小牛田までは普通電車が45分前後のところ、12分も速い33分で走破するという結構な俊足列車でした。
「南三陸」は9:27に小牛田駅に到着。
到着してまず、仙台方向から向かってホームの右手に広がる、仙台エリアの気動車が多く配置されている小牛田運輸区の留置車両をホームや跨線橋上から撮影しました。
小牛田運輸区の構内には、小牛田駅に発着する陸羽東線や石巻線で活躍するキハ110系やキハ40系のほか、現在はフィリピンで活躍しているというキハ58系改造のジョイフルトレイン「こがね」の姿もありました。
10時を回った頃、陸羽東線の観光列車「リゾートみのり」が到着。
「リゾートみのり」は本来3両編成での運転ですが、この日は中間車を抜いた2両編成での運転でした。
そしてその、編成から抜き取られた中間車はDE10と連結した状態で小牛田運輸区の構内に留置中。
小牛田駅にいた時点では事情が分かっていませんでしたが、その後中間車が故障のため編成を外れていたことが分かり、さらにその後思いがけなくその中間車の郡山車両センターへの入場回送に遭遇することになりました。
そして、小牛田駅では気動車だけでなく、石巻線からのDE10牽引貨物列車の到着にも遭遇。この列車はここ小牛田で牽引機をED75にバトンタッチし、後ほど再び撮影することになります。

さて、小牛田までやって来たのは、撮影のプランを考えた段階では、当時盛岡貨物ターミナルまでED75が乗り入れる貴重な列車になっていた93列車・92列車を小牛田以北のどこかで撮影するつもりだったためでした。
しかし、小牛田駅ホームの待合室で時刻表を見ながら検討したところ、仙台寄りに戻った松島駅以南で撮影すれば、この2本と小牛田からED75が牽引する1650列車(先ほどの、石巻線からDE10に牽引されて到着した列車)の3本を撮影する合間に、岩切駅から分岐する東北本線の通称「利府支線」(岩切―利府間)に乗車できることが分かり、それならと計画を変更。
ということで、小牛田駅からは719系の1546Mで松島駅まで移動。
せっかくここに来たのだから松島の景観も楽しみに行きたいところですが、暑くて断念。
その代わりというわけではありませんが、この駅で1008号機牽引の93列車と、1016号機牽引の1650列車と、2本のED75牽引貨物列車を撮影。
この時点で、5両のED75を撮影できたことになりました。

次回、「利府支線」の踏破に向かいます。

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【過去の乗り鉄】震災前の常磐線に乗り、ED75に会いに行く その2 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
今から10年前の、ED75撮影のための仙台への鉄道旅の振り返り、その2です。

朝の上野駅を出発し、水戸駅で415系1500番台による常磐線いわき行き普通列車543Mで昼前にいわき駅に到着しました。
もう昼前、しかもこの後乗車するのもロングシート車両ということで、乗り継ぎの間を利用して、ホームのベンチで水戸駅で購入した「ウニピラフ弁当」で昼食。
ご飯にウニを混ぜ込み、ピラフとして仕上げた弁当でしたが、残念ながら味が薄くてもう一つ満足のいく弁当とはいかなかったのが惜しまれました。
いわき駅からは仙台車両センターの701系の251Mでさらに北上します。
いわき以北の常磐線はこの時の乗車が初乗車(正確には、それより少し南の日立駅以北が未踏破区間でしたが)で、今にして思えば車窓を注視しながらこの区間を旅したかったところですが、震災や原発事故から8か月前の当時は、まさかこの路線が9年間にわたり不通になることも、地震や津波、原発事故で周囲の景色が一変することになることも全く考えられず、やや単調な走りとロングシートのせいもあったのか、車内では眠気を感じてしまう場面もありました。

251Mは仙台行だったので、単純に仙台へ向かうならこのまま乗り続けても良いのですが、私は13:40過ぎに到着した途中の原ノ町駅で下車。
ロングシート車での長旅から逃れるためもありますが、目的は何といっても、間もなく原ノ町を通過するED75牽引の上り貨物列車92列車。
ED75を追いかけるこの遠征で最初のED75撮影です。
原ノ町到着から92列車通過までは少々時間があるので、一度改札を出て待合室で小休止し、再び駅構内へ。
そして15時過ぎにいよいよ92列車がED751010号機の牽引で通過。
まずは最初の撮影を無事終え、E721系の仙台行253Mに乗車。
ロングシート車が続いた後のセミクロスシート車のE721系はやっぱりありがたいものです。
原ノ町からも田園地帯の中を進みつつ、次第に仙台の街が近づいてきた岩沼駅で常磐線を完乗。
そのまま長町駅まで乗車して下車しました。

ここ長町では、16・17時台に通過するED75牽引貨物2本(本来は3本でしたが、1本は土休日運休のため当日は運転なし)などを撮影。
ED75貨物の1本目は一般形(0番台)の140号機牽引の855列車、2本目は常磐線へ向かう94列車(114号機牽引)でした。
ホームで撮影していて気付いたこととしては、仙台エリアの列車接近放送は首都圏と比べて、自動の接近放送が流れてから実際に列車の姿が見えてくるまでのタイムラグがかなり長いような気がしました。今はどうなっているのかはわかりませんが、当時は初めて仙台エリアの駅に降り立つということで、ちょっとしたカルチャーショックでした。

その他719系・E721系・701系といった仙台都市圏の列車も撮影したところで、この日の宿泊先の駅近くのビジネスホテルに入って小休止。

1時間半ほど休憩して再び長町駅から岩切駅へ移動。
岩切ではED75牽引貨物の3075列車を狙うも失敗・・・
そしてこの日最後の撮影は、仙台駅での「カシオペア」。
しかしこの日の「カシオペア」は、牽引予定だったEF510-510号機の無線機故障とやらで牽引機を急遽同じ「カシオペア」塗装の509号機に変更した上、30分ほど遅れて仙台駅に到着。
思わぬ遅延はあったものの、とにかくEF510のカシオペア塗装機の初撮影にはなりました。

このあと約2時間後には下り「北斗星」も仙台駅にやってきますが、時間も遅いのでこれにて撤収、長町へ戻ってこの日は終了となりました。

次回からは7月26日の撮影分です。
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