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【過去の乗り鉄】115系で甲信地方ぐるり旅 その4 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
7年前の115系電車乗り継ぎによる甲信地方ぐるり旅の振り返り、まだまだ続きます。

小諸駅から乗車したしなの鉄道115系の長野行653Mは、14:56に坂城駅に到着。
このまま乗っていても篠ノ井線乗換駅の篠ノ井駅まで行くことは可能なのに、敢えてこの駅で途中下車した理由は・・・

それは、この年3月のダイヤ改正で現役を引退したしなの鉄道の169系のうち3両一編成が、湘南色の姿に戻されてこの坂城駅の構内に保存展示されたという情報を知り、実際に見に行こうという気持ちからでした。
この169系(しなの鉄道での編成番号はS51編成 長野方からクハ169-27+モハ168-1+クモハ169-1)は、引退後長野県坂城町に引き取られ、駅構内の町有地に線路を設置して展示されたものです。

坂城駅に着いてみると、169系はかつて貨物列車などが使用していたと思われる側線のすぐ脇に止まっており、ホームから見るとあたかも側線に止まっているかのように見え、ホームからでも容易に撮影できるので、さっそくまずはホームから撮影を開始しました。
坂城駅では国鉄・JR時代の名残で、短編成のローカル列車主体となった第三セクター化以後も超編成対応の長いホームが現役で使われていたので、3両編成を両方の先頭車の側からそれぞれ撮影するほか、1両ずつ個別に写真を撮ることもできました。
パンタグラフこそ上がっていませんが、3両はきちんと編成を組んで展示されており、とても現役を引退した車両とは思えないほどに美しい湘南色の姿でそこに佇んでいました。
前回の記事でもご紹介した軽井沢駅のクモハ169-6にはかわいそうですが、やはりこうして編成単位で保存されていると展示されていても見栄えのよさが格段に違って見えました。

一通りホームからの撮影を終えた後も、次の長野行まで時間があるので、改札を出て引き続き駅前というか駅横の駐車スペースから169系を撮影しました。
駐車スペースと169系の保存場所の境界の柵は、車体に被らない程度の高さのもので、撮影や観察には邪魔にならないものでした。
軽井沢駅のクモハ169と同様、ここでも2両の先頭車は種別幕に「急行」を表示していました。やはり湘南色の国鉄急行型電車に一番似合うのは、何といっても急行列車であるということを再認識したひとときでもありました。
私は、しなの鉄道の169系は、長野駅での撮影の経験はあったものの、乗車するチャンスがないまま引退となってしまいましたが、こうして美しい湘南色に戻った姿を見ることができたのは、この日の乗り鉄のもう一つのよき収穫になりました。

あれから約7年の月日が流れました。
この時の撮影の時点では、169系の保存場所には屋根等が設置されていませんでした。当時は美しい姿を見せていた169系も、完全な屋外展示ということで、現在どのような状況にあるのか大変気になります。
願わくば、今も定期的に手入れを受けた美しい姿を見せてくれていて欲しいと思いますし、そうであればさらに、できれば再び稼働状態に復元されてしなの鉄道線内やその先のえちごトキめき鉄道線(直流電化区間)で保存運転してくれたら、国鉄型車両ファンは大喜びするに違いないし、両社にとってもよき収入源になりそうな気がしますが。

次回は最終回。坂城から高尾へ、乗り継ぎ行程の後半戦です。
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【過去の乗り鉄】115系で甲信地方ぐるり旅 その3 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
今回も、昨日の続きで、115系を乗り継いでの甲信地方ぐるり旅の振り返りです。

横川駅からのJRバスで軽井沢駅に到着。
ここから再び、115系乗り継ぎ旅に戻ります。
駅の改札を入る前に、駅舎に併設されている旧軽井沢駅舎記念館を見学。
ここには碓氷峠の鉄道に関する各種の資料が展示されていました。

ここから乗車するしなの鉄道では青春18きっぷは利用できないので、途中下車予定の坂城までの乗車券を購入して軽井沢駅の構内へ。
ホームへ下りるとすぐに、折り返してこれから乗車する小諸行769Mになるしなの鉄道の115系が到着。
しなの鉄道の115系はワンマン運転。現状はわかりませんが、当時は側面方向幕も国鉄・JR時代とは異なる字幕が使用されていました。
ちなみに当時しなの鉄道の115系には、湘南色やスカ色、「コーラ電車」などのリバイバルカラー編成はまだ存在しておらず、769Mの115系も赤をベースにしたしなの鉄道オリジナル塗装でした。

旧軽井沢駅舎記念館には、碓氷峠で活躍した3両の車両が保存されていました。
記念館の中からはもちろん、軽井沢駅のしなの鉄道ホームからも外観観察や撮影は可能ですが、この時は769Mの115系に遮られてホームからの撮影ができないので、窓が開くのと停車中なのを幸い、車内から撮影・観察することにしました。
まずは、1963年の碓氷峠区間の粘着運転開始から1997年の廃止まで補機を務めたEF63 2号機。
重連で運用につくのが日常だったEF63にとっては、単機だとやや寂しげにも見えますが、青とクリームの美しい塗装が保たれているのが嬉しかったです。
碓氷峠で活躍した機関車といえば、わが国初の電気機関車でもある10000形も記念館に展示されていました。
そして、この歳保存車両に仲間入りしたばかりだった169系急行型電車のクモハ169-6も見ることができました。
しなの鉄道オリジナル色から製造当時の湘南色に塗装が戻され、正面上部の種別幕にも「急行」が表示されるなど、国鉄時代に信越線急行で活躍した当時をほうふつとさせる姿が再現され、国鉄型車両好きとしては感激ものでした。
ちなみに、この旧軽井沢駅舎記念館や軽井沢駅は数年前に大きくリニューアルされたようで、その際にクモは169の塗装も変わってしまったようで残念です。

さて小諸行769Mは13:48、定刻に軽井沢を発車。
しなの鉄道の走る軽井沢―篠ノ井間は、横川―軽井沢間とともに1992年2月頃にも乗車経験はあるものの、前回の記事でも書いたような理由でほとんどその時の記憶が残っていないため、まるで初めて乗車する時のような新鮮な気分での乗り鉄となりました。

769Mは14:12、終点の小諸駅に到着。
ここでは同じホームの反対側に停車中の14:23発の長野行653Mに乗り換えます。
が、その前に769Mの到着した線路の隣の側線を見ると、JR189系旧あさま色編成が停車していてびっくり!
その当時の私は知りませんでしたが、どうやらこの189系、この年引退した169系に代わってその頃、朝夕に運転されているしなの鉄道版ホームライナー「しなのサンライズ」「しなのサンセット」(現在も運転されています)に使用されていたようです。
この「しなのサンライズ」「しなのサンセット」は土曜・休日はいずれも運休のため、前日金曜日の「しなのサンセット」で小諸に着いた編成がそのまま滞泊していたのでしょう。
いずれにしても、側線留置中の車両とはいえ、旧信越本線区間の駅で189系が停車している様は、新幹線開業前の特急「あさま」を思わせるものがあり懐かしさを感じました。

653Mは、同じしなの鉄道所属の115系でも、先ほどまで乗車した769Mの車両と異なり、塗装はJR時代の信州色のまま、正面貫通扉と側面にしなの鉄道のロゴステッカーを貼り、ワンマン対応改造を行った2両編成。
おそらく169系の置き換えのためにJRから譲渡されたもののようです。

小諸を定刻に発車した653Mは、14:56に坂城駅に到着。
長野行に乗車しながらここで途中下車した目的は・・・
ここから先は、次回に続きます。

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【過去の乗り鉄】115系で甲信地方ぐるり旅 その2 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
昨日に引き続き、7年前の115系乗り継ぎ旅の振り返りです。

湘南色の115系で上越線水上駅まで往復して高崎に戻った後は、いよいよ中央線高尾駅までの原則115系だけを乗り継ぐ、本日の乗り鉄旅本来のコースをたどります。
高崎から乗車するのは、11:20発の信越線横川行133M。
もちろん車両は高崎車両センターの湘南色115系です。
空席も目立つのんびりムードの133Mの車内では、高崎駅で購入した駅弁「高崎線開業130周年記念弁当」で少々早めの昼食。
中身は豚の生姜焼きのたっぷり載ったご飯と煮物少々。
あまりスペシャル感は感じられないけれど、シンプルながら普通においしい弁当といったところでした。
ただ、個人的にはあと少しだけ生姜焼きご飯の量が多いともっとよかったですが。

11:53、133Mは横川駅に到着。
乗継ぎ旅をスタートしたばかりではありますが、ここでレール上の乗り継ぎルートは一旦途切れてしまいます。
ここから軽井沢駅までは、鉄路のなくなった横川ー軽井沢間を結ぶJRバス関東の碓氷線でルートをつなぎます。
今はなき碓氷峠の区間は、1992年の2月頃に一度乗ったことがあるだけ。
しかもこの時は大学時代に所属していたサークル(鉄道や旅関連ではありませんでした)の長野へのスキー旅行の帰りという状況だったので、乗り鉄モードになって車窓などを細かく眺める余裕がなく、その後も廃止まで乗りに行くチャンスに恵まれないままだったという、今思うと非常に悔いの残る場所です。
現在はどうなっているかわかりませんが、当時の軽井沢駅行のバス乗り場は、横川駅の目の前ではなく、駅と近くにある碓氷峠鉄道文化むらの間にありました。
駅からだと歩いて1~2分程度の距離ではありますが、この日は35℃ぐらいの暑さにはなっていたようで、そんな中バス停まで歩くのも面倒に思えてしまいました。
バス停に着くと、バスを待つ列が長かったので1台目のバスにすんなり乗れるかどうか不安でしたが、やって来たバスが座席の多い観光仕様車だったこともあってか結局ほぼ定員乗車の状態で収まりました。
この碓氷線のバスは信越線の廃止区間の代行バスという位置づけの路線だからなのか、バスの出入口の脇には、列車のサボを思わせる運転区間の表示(ステッカー?)が掲出されていました。

信越線133Mからの接続を受けた軽井沢行のバスは、定刻12:10に横川駅近くのバス停を発車。
私は道路の事情に詳しくないので、このバスが経由している道路名はわかりませんが、お盆も近い土曜日の真昼間の時間ということで懸念していた道路の渋滞に引っかかることもなく、カーブの連続する山道をバスは快調に飛ばしていきました。
結局軽井沢駅には時刻表上の到着予定時刻の12:44より2分ほど早着。
国鉄バス時代も含め、JRバスに乗るのは、実は記憶に残っている限りでは現在に至るまでこの一回だけなんですが、渋滞や遅延にイラつくこともなく、まずは快適なバス旅でした。

次回、軽井沢駅から再び115系乗継ぎ旅に戻ります。
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【過去の乗り鉄】115系で甲信地方ぐるり旅 その1 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
このところほとんど外出もままならず、正直ブログのネタにも困る毎日です。
そんな中で、暇つぶしを兼ねて過去にamebaブログでやっていた私のブログの過去記事を適当に覗いていたら、約7年前の夏に青春18きっぷを使って上越線・信越線・しなの鉄道・篠ノ井線・中央東線を(ほぼ)115系電車だけを乗り継いでぐるっと旅する乗り鉄旅の記事が見つかりました。
そこで、今回から何回かにわたって、その記事を参考にしつつ、当時の記憶やその後の変化も踏まえながら、この乗り継ぎ旅の模様を振り返ってみたいと思います。
(文中に出てくる列車番号や列車の時刻などは2013年夏当時のものです)

2013年8月、その前に別の乗り鉄旅で使用した青春18きっぷがまだ1日文有効なままで残っていたため、その消化もかねて日帰りでどこかへ鉄道旅に出かけることにしました。
時刻表と「普通列車編成表」という本を見比べながらあれこれ行先を検討するうち、上記の各線を乗り継いでの115系にこだわった乗り鉄旅ができることがわかり、出かけることに決めました。

8月10日、埼玉の自宅から西武線・川越線・上越新幹線を乗り継いで朝8時前に高崎駅に到着。
この年は、高崎線開業130周年ということで、高崎駅の構内にもポスターや横断幕などが掲げられていました。
さて、今回の乗り鉄のテーマはくどいようですが「可能な限り115系電車だけで信越本線・しなの鉄道・篠ノ井線・中央東線経由で甲信地方をぐるっと回る」ことですが、スタートとなる信越線高崎ー横川間の115系使用列車が昼前までないので、早速この旅の趣旨には若干反しますが、18きっぷの有効利用も考えてその前に上越線水上駅までやはり115系で往復するというオプションを組み込むことにしました。

乗り継ぎのスタートは高崎8:24発の上越線水上行727M。
もちろん乗車するのは、当時まだまだ群馬エリアで健在ぶりを示していた高崎車両センターの湘南職の115系3両編成。
発車数分前に乗車すると車内は結構な混雑で、座席はすべて埋まり、乗り鉄中としては珍しく途中の沼田駅まで立つことになりました。
土曜日の朝だったからか、観光客と部活の練習に行くらしい高校生の集団、それに私のような18きっぷ利用者とで、予想外の混雑でした。
沼田からはやっと座れたものの、結局終着の水上までほぼすべての席が埋まる盛況でした。
727Mは9:30、水上に到着。
隣のホームには727Mの接続を受ける長岡行1733Mが停車中で、高崎車両センターの湘南色編成と新潟車両センターの新潟色編成の115系同士の並びを見ることができました。これも、高崎の115系が消滅し、わずかに残った新潟の車両も上越線を走ることのなくなった今となっては、懐かしい光景となりました。
727Mから1733Mへの乗継客も結構いたようで、上越国境の登山や18きっぷ利用の乗り鉄旅には便利な列車だったことが727Mの盛況の理由かもしれません。

水上からは727Mの折返しとなる9:38発の734Mで高崎へ戻ります。
混雑していた727Mと違って734Mは比較的まったりムードが10:45頃に到着した高崎まで続きました。
高崎に着いた後は、次に乗車する信越線横川行の発車まで中途半端に間があるので、構内で115系を中心に撮影をして過ごしました。
両毛線と、上越線から吾妻線へ乗り入れる列車の、国鉄時代を思わせる湘南色の115系同士の並びを見ることもでき、まだまだ群馬の115系健在を実感することができたのも、懐かしい思い出です。

この後、信越線で横川へ向かいます。
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ムダに齢を重ねてしまったもので・・・ [ノンジャンル]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:今もし若返れるとしたら若返りたい?

無理して若者ぶろうとは思わないけれど、知力や経験はそのままに、体力的・精神的な若返りができるならしてみたいです。
もっとも、精神的な面では、若いと言うよりガキのまま止まってんじゃないの?とツッコまれそうな部分もありますが(苦笑)

何だか、体力的にも精神的にも20代なら20代、30代なら30代に相応しいことを大してしないままズルズルと50歳手前まで来てしまったもので、わずかでもその間にやっておくべきだったことをやれるのなら、というのもあります。
それに、自分としてはどれだけ齢を重ねても若い人の意見にきちんと耳を傾け、よいものはよい、これは改めた方がよいのではないかと思うことはきちんと若い人と対話をしたうえでアドバイスする、というように、自分の世代の常識や価値観を押し付けるような高齢者にはなりたくないと思っていて、そのためには若い人のことを正しく理解できるだけの知識や行動力が必要だと思うからというのもあります。

まあ、もう50歳目前という現実を潔く受け入れてそれこそ50歳代に相応しいことをすべきではないかという考え方も至極もっともな意見だとは思いますが・・・

タグ:若返り
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鉄道イベントの思い出07 品川駅ジョイフルトレイン展示会編 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
「鉄道イベントの思い出」シリーズの第7回は、1988年の春休みに、品川駅にJR東日本のジョイフルトレインが日替わりで展示されたイベント(細かい機関と正式なイベントの名称は忘れてしまいましたが)の思い出を書きたいと思います。

1988年の3月から4月にかけては、前年誕生したJRの一周年を記念したイベントが各地で行われていましたが、その中の一つとして、品川駅の臨時ホーム(7・8番ホームだったか9・10番ホームのどちらでの開催だったかは覚えていません)でのJR東日本のジョイフルトレインの展示イベントが行われました。
このイベントは、JR東日本に所属するジョイフルトレイン(欧風客車やお座敷列車などの団体用車両)を期間中毎日1~2編成ずつ日替わりで品川駅臨時ホームに展示し、撮影や車内の見学ができました。さらに一部の編成は、品川から茅ヶ崎か平塚あたりまで往復する試乗列車にも使用されました。
各日の展示車両のラインナップは忘れてしまいましたが、おそらく当時首都圏に配置されているジョイフルトレインは客車・電車ともほぼすべて展示されていたような気がします。その他、長野地区や東北地区の一部のジョイフルトレインが展示されていた日もあったと記憶しています。
客車の場合は機関車も付いた状態で展示され、塗装を合わせた専用機関車がある編成の中にはその機関車もセットで展示されたものがあったように思います。

私は、できればこのイベントには毎日出かけたいところでしたが、さすがにそうはいかず、1日だけ見に行くことにしました。
その日展示されていたのは、1983年に誕生し、現在もJR西日本で活躍する「サロンかーなにわ」とともにジョイフルトレインのブームの火つけ役となった14系欧風客車「サロンエクスプレス東京」と、仙台支社の12系ジョイフルトレイン「オリエントサルーン」の2編成でした。
昼頃に会場の品川駅臨時ホームへ行くと、ホームに停車していたのはこのうちの「オリエントサルーン」だけでした。
「オリエントサルーン」も関東ではそう頻繁にみられるというわけでもないので、到着後早速隣のホームから写真を撮影し、車内を見学しました。車内は以前鉄道雑誌などで見た写真と変わりはありませんでしたが、個人ではなかなかジョイフルトレインに乗る機会もなかったので、こうして車内に入ることができる機会は貴重です。そのせいか、車内はかなりの混雑で、ゆっくり見学や撮影を楽しむ雰囲気とはいかなかったのは残念でした。
「オリエントサルーン」には塗装を合わせたED75形(当時は707・711号機のの2両)があり、せっかくだからどちらか1両だけでも見たいところでしたが、さすがに交流電機を直流電化区間の首都圏まで改装するのは面倒なのか登場せず、代わりにEF58 89号機を横浜方に連結した状態でホームに停車していました。もちろん89号機も撮影しています。
そうこうしているうちに、試乗列車に使用されていた「サロンエクスプレス東京」が、お召機EF58 61号機に引かれて品川駅に到着し、乗客を降ろしたところで車内公開が始まりました。こちらも車内は大混雑でしたが、編成両端の展望室から眺める風景はやはりワイドで、次回はぜひ走る車内から後方の展望を楽しみたいと思ったものでした。

この日はとにかくイベント会場の人出がものすごく、当時まさに全盛期を迎えていたジョイフルトレイン、そして当日展示の両編成をそれぞれ牽引した2両のEF58形の人気を改めて再認識したイベントでした。

もうあれから30年余り、この当時全国で活躍していた多数のジョイフルトレインも、先ほど触れた「サロンカーなにわ」を除いてほぼ姿を消し、それらに代わるように登場した電車・気動車のジョイフルトレインもまた引退した編成が多く出ている状況です。
思えば、JR発足前後数年間ずつの間は、いろいろな意味での鉄道の楽しさを存分に楽しめた時期ではなかったかと思います。

それにしても、「サロンエクスプレス東京」も、「オリエントサルーン」も、もちろん他のジョイフルトレインも、ぜひ一度乗ってみたかったものです。
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一番記憶に残る卒業の日 [いろんな思い出]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:卒業式の思い出

先日は、大学の卒業式の時のことを記事にさせてもらいました。
では、その前の卒業式はというと、中学・高校の卒業式のことは正直ほとんど記憶に残っていません。
高校の卒業式の時には、おそらくこれから一年間の浪人生活が決定していたと思われるので、卒業を祝うような気分ではなかったのかもしれませんが、いずれにしても中学・高校の卒業式がどうだったのかはなぜか思い出せません。
そしてさらにその前の小学校の卒業式ですが、実はこれが一番記憶というか思い出に残っています。

ちょうど36年前の今日が、その小学校の卒業式の日でした。
この日は、登校してまず教室にクラス全員で集まってから、担任のI先生ともども卒業式に先立ってのあるイベントに臨みました。(その詳細は、https://gonana57.blog.ss-blog.jp/2019-07-11の記事の後半を参照してください)
そして卒業式。式自体はきわめて型通りの内容といったところでしたが、いわゆる「呼びかけ」の場面では6年間のいろいろな思い出がよみがえってきてグッとくるものがあったし、卒業証書授与で壇上に上がる際も独特の緊張感があったのを思い出します。
式の途中では、私達のクラスではなぜか誰も泣いている人がいなかったのに、隣のクラスでは男子も含めて何人もの人が涙を流していました。
式が終わり、教室に戻って本当に最後のクラス集合の時がやってきました。
まず担任のI先生からの最後の話があった後、各自が一言ずつ最後の挨拶をして、卒業アルバムや卒業文集、本当に最後の学級通信などを受け取って、思い出深い小学校を後にしたのでした。

あれから今日で36年。I先生もその後若くして亡くなり、あの頃の思い出を語り合うという機会もなかなかありませんが、この小学校卒業の日のことは今でも鮮明に心に残っています。
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これ、一度参加してみたいんだよね~ [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:これまでの人生でやり残したと思うこと

以前このお題で記事を書いた時にも書いたことですが、私が鉄道ファンとして「やり残した」事の一つに、客車による普通列車、特に旧型客車によるそれに乗りまくる経験ができなかったことがあります。

1980年代前半頃は、まだまだ客車による普通列車も結構いろいろな路線で運転されていて、旧型客車も山陰や東北地方など各地で最後の活躍を続けていました。
当時まだ小学生だった私は、最初のうちは客車鈍行の魅力というものがあまりよくわからなかったものの、鉄道雑誌の列車同乗ルポの記事で、当時日本最長距離の普通列車だった山陰本線門司発福知山行824列車などが取り上げられているのを読んで、客車鈍行での旅にブルートレインなどとはまた違った魅力を感じるようになっていきました。
しかし、いかんせんまだ小学生の身には、山陰本線などに一人で乗りに出かけていくわけにもいかず、そのうちに旧型客車もイベント用などの目的で残されたものを除き引退し、客車による普通列車自体も平成の時代に消滅してしまいました。
私は結局旧型客車による普通列車に乗る経験はできませんでしたし、旧型客車を置き換えるために登場した50系客車や12系客車改造車の列車も、九州の筑豊本線や久大本線で乗車しただけに終わってしまいました。
これもまた私のブログではお決まりの「あと10年早く生まれていたら・・・」にはなりますが、まさにあと10年早く生まれていたら、周遊券などを使ってもっと多くの客車鈍行に乗りに行けたのにと、残念でなりません。

そういえば先日、かつての旧型客車による鈍行の旅を再現するイベントのニュースがネットに出ていました。

大井川鐵道 長距離鈍行列車ツアー(2020年4月25日) - 鉄道コム
https://www.tetsudo.com/event/28937/

この大井川鐵道の長距離鈍行ツアー、過去にも路線を変えながら何回か開催されていて、私も一度参加してみたいんですが、そのたびに予定が合わなかったり開催を知った時にはもう満員御礼だったりでまだ参加できていません。
実際には新金谷から千頭までの間を3往復するという内容ながら、朝に出発し、夜行列車のムードを味わいながら終着駅に到着する長距離鈍行の気分を味わえるという意味では、なかなか楽しいイベントと言えるのではないでしょうか。
いつかぜひこのイベントには参加してみたいと思ってるんですがね・・・
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こんな時だからこその交流の場 [視覚障碍者としてのあれこれ]

こんにちは、gonanaです。
私はとある視覚障害者団体に所属しています。
この団体は主に視覚障害者の就労や仕事に関する相談事業などを行っているほか、月1回土曜日の午後に会員同士の情報交換などを目的にした月例会を、東京四ツ谷の日本視覚障害者職能開発センターという施設で行っています。
しかしこのご時世、ご多分に漏れずこの月例会も、昨日行われるはずだった今月は中止となったため、それならばと昨日月例会を開く予定だった時間に、「ZOOM」(ズーム)というビデオ会議システムを使った交流会が開かれることになり、私も参加しました。
もともとこの団体では、昨年から地方に住んでいるなどして東京での月例会に参加することが難しい会員のために、ZOOMを使った交流会を行っていましたが、今回はまさにこの開催方法が生かされたというわけです。

昨日のZOOMによる交流会は13:00から始まりましたが、私は都合で30分ほど遅れての参加となりました。
私はZOOM初心者のため、iPhoneにZOOMのアプリはダウンロードしたものの、うまく交流会への参加ができるかどうか不安もありました。でも実際に会話に参加するための操作を行ってみると、案外すんなりと接続することができ一安心でした。

交流会での話題の中心は、やはり時節柄というか、テレワークに関する話題でした。
テレワークは、通勤の負担や危険防止などで視覚障害者にとってもメリットがある半面、会社からテレワーク用に貸与されたパソコンを使用したり会社のネットワークにログインしたりする際に必要になるIDやパスワード等が視覚障害者でも入力しやすいものになっているかや、やるべき業務がパソコンに組み込んだスクリーンリーダー(画面読み上げソフト)を使って遂行することができるのか、またそもそもテレワーク用のパソコンにスクリーンリーダーを組み込むことを会社側に許可してもらえるのかどうかなどいろいろな問題もあり、交流会でもこのことについて多くの経験談や情報を知ることができました。
私自身は例の騒動に関係なく、視覚障害者になった後の約3年半前に今の会社に入社して以来テレワークをしているため、こうした問題を身近に感じることはあまりありませんでしたが、いろいろな方の発言を聞いていると確かにその通りだと感じることが多く、視覚障害者にとってのテレワークのメリット・デメリットを考える良いきっかけになりました。

ZOOM交流会は、最大時で20数名が参加して16:00まで行われました。
実際に参加してみると、他の参加者の方の発言も非常にクリアに聞こえ、まるで実際に同じ空間で会話をしているかのように感じました。また、団体がそもそもこのような交流会を始めた狙いの通り、関東だけでなく北海道や関西などから参加している方もおり、幅広い地域に住む人々が交流しやすくなるという意味では、今回のようなオンラインでの交流の場というのも、これからもっと注目されていくのかもしれません。
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富山の路面電車がここまで発展するとは・・・ [鉄道ニュース]

こんばんは、gonanaです。
今日21日から、これまで富山駅の南北それぞれに分かれて運行していた富山地方鉄道富山市内線(南側)と、第三セクターの富山ライトレールが運行していた富山港線(北側)の直通運転が開始され、さらに先月22日には富山ライトレールが富山地方鉄道と合併し、どちらの路線も同じ富山地方鉄道の路線として営業することになりました。

富山市路面電車、南北直通運転始まる 一番列車にファン行列(北日本新聞ウェブ[webun ウェブン])
https://webun.jp/item/7647059

私の知る限りでは関東ではあまりこの話題がメディアで大きく取り上げられた様子はないけれど、富山では今日はこの話題で持ちきりだったんでしょうね。

私は、富山地鉄富山市内線(環状線となっている富山都心線と、今回開通した南北接続線は除く)と旧富山ライトレールの区間は、それぞれ過去に2~3回ほど乗ったことがあります。
どちらの路線も、昼間でも結構乗客が多かった印象があり、だからこそ両線を結んで一本化しようという機運も盛り上がったのでしょう。

それにしても、10数年くらい前までは、富山の路面電車がここまでの発展をするとは想像もつきませんでしたし、JR富山港線がLRT化されると聞いた時にも、これと富山地鉄の市内線を直通させるという発想は、私の中にはありませんでした。
富山港線の国鉄・JR時代の乗車経験はないけれど、かつて73系電車や475系電車、キハ120系がのんびり走っていた路線がここまで変貌するというのも、相当に隔世の感を感じる出来事と言えるのではないでしょうか。

今回の南北接続では、富山地鉄と富山ライトレールが合併したおかげで、相互乗り入れ運転のように運賃が割高とならず、逆に同一会社の路線になることで実質的に大幅な運賃の値下げとなり、富山駅構内を跨いで両線間を乗り換えるという手間もなくなり、富山市内の路面電車ネットワークとしてとても利用しやすくなったのではないでしょうか。
この富山市のケースや、開業が近い宇都宮のLRTなどがよい成功例になって、今後各地でLRTが開業ということになれば、公共交通体系のあり方も変わっていきそうな気がします。

例のあの騒動が早く落ち着いて、富山地鉄の鉄道船ともども、今回南北接続した富山の路面電車に早く乗りに行きたいものです。
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