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スーパービュー踊り子&リゾート21 乗車の思い出 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
先日行われたJRと多くの私鉄・三セク各社のダイヤ改正。
この改正で引退の時を迎えた車両や列車の中に、首都圏と伊豆半島をちょうど30年にわたって結んだリゾート特急「スーパービュー踊り子」とその専用車両251系があります。
「例のあれ」のせいで予定されていた伊豆急下田での撮影会などのイベントも中止となり、最終日となった13日も私の知る限りではあまりメディアで大きく取り上げられることもなく、30年にわたる功績を考えると寂しい幕切れではありましたが、最後まで大きく運転形態や車両を変えることなく運転が続いたのは、それだけ人気が定着していたことの表れなのでしょう。

その「スーパービュー踊り子」、そして251系に、私は一度だけ乗車経験があります。
今回はその時の思い出を、同じ日に乗った伊豆急の「リゾート21」乗車の思い出とともに書いてみたいと思います。
なお、当時の乗車記録などはとっていなかったため、乗車列車の運転時刻などはかなり大まかな記憶しかなく、本文中の記述もかなりざっくりしたものになってしまうことをお許しください。

私が唯一「スーパービュー踊り子」に乗ったのは、2003年のことでした。はっきりした日付は覚えていませんが、確か今ぐらいの時期ではなかったかと思います。
当時私は、新卒で入社した会社を辞め、次の就職先を探している最中でした。
日々、ハローワークで就職先を探したり、失業保険の認定に出かけたりする毎日でしたが、そればかりではどうしても気づまりするので、再就職に向けた予定がない日には時折特に目的もなく乗り鉄に出かけることがありました。
大半は都内や千葉・神奈川方面へ向かうことが多かったのですが、ある時理由は不明ながら急に伊豆急線に乗りたくなり、どうせならこの時点でいずれもまだ乗車経験のなかった「スーパービュー踊り子」と「リゾート21」に乗りに行くことにしました。

当日の朝、東京駅を東海道線普通電車で出発し、熱海駅に到着したのは10時半ぐらいだったと思います。
ここから乗車するのは、「リゾート21」を使用した伊東線・伊豆急行線直通の伊豆急下田行き普通列車です。
当日は平日でしたが、せっかくリゾート21に乗るなら先頭の展望室最前列に陣取りたいと、発車時刻よりも余裕をもってやって来たの思い出します。(リゾート21は普通列車に使用される際は展望席も早い者勝ち)
そのかいあって無事望み通りの席を確保、11時過ぎに熱海駅を発車しました。
当日はほぼ雲一つない晴天で、海の見える区間に入ると、展望席からはどこまでも続くような海のパノラマが広がり、それを見ていると日々の就活の憂さもどこかへ飛んでいくような気さえしました。
前面展望と海、そしてそれらを楽しみながら熱海駅で購入した駅弁を食べ、「リゾート21」の魅力を堪能して13時ごろに伊豆急下田駅に到着しました。

下田についたといっても、この日の目的はあくまでも乗り鉄のみのため、その後観光地や温泉に行くということもなく、構内のお土産屋さんで何かしらお土産を買っただけで1時間ほどで東京へとんぼ返りします。
東京への帰りの足は、14時台に伊豆急下田を発車する「スーパービュー踊り子」(号数は忘れてしまいましたが)でした。
この列車の指定券を購入するにあたり、せっかく乗るならこちらも先頭10号車(普通車)の展望室に乗りたいと、ダメもとで指定券を所望したら、最前列は叶わず2列目の座席とはなったものの、乗車前日にもかかわらず展望席をゲットすることができました。
実際に乗車してみると、2列目からでは251系の前面窓上部にあるやや太めの桟が目障りで、リゾート21のワイドな前面窓からの展望を味わった後では少々残念ではありましたが、それでも伊豆の海や東京駅までのすれ違う列車などの全面展望を味わうことはでき、十分満足の行く3時間弱の旅になりました。
それでもやはり次回乗るときはぜひ下田寄り先頭の1号車(グリーン車)の展望室最前列に座って前面展望を楽しみたいという気持ちは強かったのですが、結局そのままリベンジの機会を逸したまま引退ということになってしまいました。
「スーパービュー踊り子」の今改正での引退が発表されて、最後にもう一度乗りに行きたいとは思っていたもののなかなか予定が合わず、お別れ乗車がかなわなかったのはやはり残念です。

引退した251系は、おそらくこのまま廃車解体という道をたどることになるのでしょうが、願わくば先頭車1両だけでもどこかに保存とならないものでしょうか。
そして「スーパービュー踊り子」の後継となるE261系「サフィール踊り子」にもいつか乗りたいものです。
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山手線の駅を大阪の駅に例えると? [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
先週の3月14日に開業した高輪ゲートウェイ駅。
駅舎のデザインや、未来の駅を思わせる各種の新技術、さらには駅名標の字体まで、開業前から開業後までいろいろな話題を提供していますが、先日はネットにこんな記事が出ていました。

「高輪ゲートウェイ駅」って大阪で言うたらどこなん? 本町で山手線全駅を大阪の駅に例える会(みんなの経済新聞ネットワーク) - Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200228-00000002-minkei-l27

これはなかなか面白い規格ですね。
高輪ゲートウェイ駅を大阪で例えると、大阪環状線の弁天町駅ですか・・・
個人的にはなんか実感ないですね。
「港区つながり」や「埋立地つながり」が理由のようですが、高輪ゲートウェイ駅のあたりに埋め立て地っぽい雰囲気はあまり感じないですけどね。
環状線の弁天町駅といえば、個人的にはかつてそば(高架下と言ってよいのか?)にあった交通科学博物館と、高架の環状線をさらに高い高架で越える大阪メトロ中央線のイメージしかなく、その他に周辺に何があるのかあまり知らなかったりします。
どうやら弁天町駅の近くに大きな再開発ビルがあるらしく、その存在もこれから再開発ビルが建つことになるであろう高輪ゲートウェイ駅と似ているんでしょうか。
高輪ゲートウェイ以外の既存の山手線の駅を大阪の駅に例えた部分もありますが、新大久保=鶴橋・秋葉原=日本橋・東京=大阪といった、おそらくほとんどの人が容易に思い浮かぶであろう組み合わせや、品川=新大阪・渋谷=心斎橋・新宿=難波・池袋=京橋・上野=天王寺といった、言われてみれば似てるかも、という組み合わせもあれば、その一方で個人的になぜこの駅とこの駅がペアになるのかよくわからない組み合わせもいくつかあります。
それにしても、大の大人がこういったことを3時間半にわたりああでもない、こうでもないと議論するというのも、なかなか面白いかもしれません。
今回のような山手線の駅と大阪の駅という組み合わせだけでなく、例えばもっと範囲を広げて関東の駅(街)を関西の駅(街)に例えるとどうなるか、などといったことを考えてみるのも、なかなか外出もままならない暇な休日の暇つぶしにはいいかもしれませんね。
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まさに浦島太郎気分だろうな~ [ノンジャンル]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:冬眠できるとしたら、したい?

あまりにも疲れを感じる時なんかには、普段ありえないくらい長時間眠りたいと思う時もあるけれど、冬眠まではしたいと思わないですね~
というか、目が覚めたら知らないうちに何ヶ月、何年も時が流れていたとしたら、まさに浦島太郎になった気分になるでしょうし、そういう状況に果たして自分が耐えられるかどうか、自信はないし不安でもあります。
私には経験はないけれど、ほんの短時間だけ眠ったと思ったら、実は丸一日爆睡していたことを知り、軽くパニックになったという人のエピソードも聞いたことがあります。
せっかく冬眠して英気を養っても、眠りから覚めた後に冬眠中の世の中の流れについていくのはかなり大変だと思うし、そのためのリハビリ期間のストレスに負けてしまいそうな気が・・・
もともと未来を見てみたいという気持ちもそれほど強くないし、冬眠することで何かを得たいという願望があるわけでもないので、積極的に冬眠したいとは思わないです。
まあ、冬眠から覚めた後の世界では自分の望む技術や製品、サービスなどが開発されていることが約束されていて、自分もその恩恵にあずかれるのであれば、冬眠してみるのも悪くはないのかもしれませんが。
タグ:冬眠
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本格的な引っ越しをしたのも結構昔の事に [ノンジャンル]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:引越し、何回したことある?

幼稚園入園の少し前に東京都大田区から同じ東京の清瀬市へ引っ越したのと、幼稚園の年長の年の途中で清瀬市から今も住んでいる埼玉県某市へ引っ越した時、さらにその家から徒歩2分ぐらいの場所に引っ越したのと、合計3回です。

初回の時の記憶はほぼありませんが、2回目の時のことは断片的にですが記憶に残っています。
引っ越し荷物を積んだトラックの助手席に母親に抱かれて乗っているところとか、まだ建築中の家を両親と見に行った時に、別にする事もなく暇なので近くの児童公園に行って遊んだり周辺をぶらぶら歩いているうちに迷子になってしまったりとか・・・
今のところの最後の引越しとなっている20数年前の引越しの時には、移る先が徒歩わずか2分という近さなのと、もともと父方の祖父母が大田区から移り住んでいた家に家族で住むことになり、徐々に生活の拠点をそちらへ移すという形をとったため、あまり引っ越しに伴って生活が一変するという感じでもなかったのを覚えています。

今のところ引越しをする予定はないですが、個人的な願望を言えば、どこの街ということは決めがたい、けれど駅から近く、商店街など買い物の不便もなく、視覚障害者でもいろいろな場所へのアクセスが便利な場所があれば引越しを考えたいところですが、果たしてそれはいつ叶うのか・・・?
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かなりベタなチョイスですが [ノンジャンル]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:卒業ソングといえば?

最近の曲でも心に残る卒業ソングは多いのだと思いますが、何せ最近のヒット曲の動向に疎いので・・・
私にとっての卒業ソングといえば
・尾崎豊 「卒業」
・斉藤由貴 「卒業」
・菊池桃子 「卒業」
・おニャン子クラブ 「じゃあね」
・SPEED 「my graduation」「April」
という、「my graduation」「April」を除けば昭和の時代からのド定番ともいうべき曲がまず頭に浮かびます。
社会人になってかなりの年月が経ち、子供もいないので「卒業」というものに縁遠くなっても、これらの曲がラジオなどから流れてくると、「ああ、もうそんな時期なんだ」と季節を再認識したりします。
もっとも、心なしか今年はこういった曲もラジオ等で聞く機会が少ないような気がしないでもありませんが・・・

卒業といえば、25年前の今日は、私にとっては大学の卒業式の日でした。
卒業式のことは正直あまり記憶に残っていないけれど、その後に学内でサークルやゼミの仲間と最後に集まる機会があり、その時のことは今でも思い出に残っています。
特に私の所属していたサークルは、メンバーが私たちの学年しかいなかったため、全員の卒業でサークル自体が消滅してしまうこともあり、より寂しさを感じました。
ゼミの研究室で行われた、所属していたゼミの集まりでは、後輩から私たち卒業生それぞれに花束が贈られました。教授からのありがたい言葉もいただき、これも思い出に残るひとときになりました。
あれからもう25年、サークルやゼミの仲間ともほとんど会う機会はないけれど、それらの人たちとの出会いは今も良い思い出になってます。
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祝!常磐線全線復旧! [鉄道ニュース]

こんにちは、gonanaです。
今日は、JRはじめ全国の鉄道各社でダイヤ改正が行われ、新駅開業や新車登場などの動きがありました。
「例のあれ」のせいで出発式などのイベントが中止になったりという残念な話も多いですが、本当にどこを見ても「あれ」の話題ばかりの中では久しぶりにちょっと明るいニュースと言えるのではないでしょうか。
ダイヤ改正の話題の中で一番注目度が高いのは、やはり何といっても高輪ゲートウェイ駅(この期に及んでも私はこの駅名は受け入れがたいですが)の開業ですが、その影に隠れた感はあるものの大きな節目として重要なのが、東日本大震災と原発事故で不通が続いていたJR常磐線の、富岡ー浪江間運転再開による全線復旧でしょう。
あれだけの未曽有の大災害を経て、9年ぶりに鉄路がつながったというのは、やはり被災地にとっては大きな喜びになるでしょうし、もし震災がなければ消滅していた被災地域から東京への直通特急が全線復旧後も残されたのは、在来線特急の区間短縮や系統分割が相次ぐ中、東京とのつながりが断たれなかったという意味でも大きな福音になるのではないでしょうか。

私は震災8か月前の2010年7月、当時東北本線仙台周辺と常磐線水戸以北で最後の活躍を見せていたJR貨物のED75を撮影するため18きっぷ利用で仙台へ行きました。
仙台へは、往復とも常磐線経由で向かいました。東北線経由よりも普通・快速同士の接続がスムーズで乗り換え回数も少ないことや、常磐線は日立駅以北が未乗車のままだったので踏破路線を増やせるのも理由でしたが、行きがけ・帰りがけとも常磐線内でED75を撮るチャンスがあるというのが大きな理由でした。
しかし実際に乗った時には、いわき以北で乗車したのが往復ともオールロングシートの701系で車窓を見るのに少々難があったのと、一部の区間でつい居眠りが出てしまったりで、いわき駅以北の車窓の印象がかなり薄くなってしまったのは、今となってはいろいろな意味でとても悔やまれます。
仙台からの帰りには、春かGWまでED75の活躍がまだ続いていたら、また再訪しようと考えていましたが、震災でこれも幻に終わり、同時に震災での常磐線の被災区間の乗車も、震災前としてはこの時が最初で最後となりました。

今回の全線復旧により、再び常磐線を経由して関東から東北へ向かうことができるようになったのは、乗り鉄好きとしても嬉しい出来事です。
視覚障害者となった今では、今回の開通区間を含む被災区間の現状をこの目で見ることもかなわないのが残念でなりませんが、それでも「例のあれ」が収束したころにでも、仙台直通「ひたち」や普通列車で震災の被災区間にぜひ乗りに行きたいと思っています。

あと、最後に鉄道ファン的な希望を言えば、これも騒動が落ち着いたら、全線開通記念として、高崎の12系客車や旧型客車をEF81やED75が牽引する「思い出の急行十和田」とか「思いでの常磐線客車鈍行」なんて列車が走ったら面白いのではないでしょうか。
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やはり鉄道好きとしては・・・ [ノンジャンル]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:飛行機100円だったらどこに行く?

ズバリお答えしましょう。
航空運賃がたとえ無料になろうとも、基本的に他の交通機関、特に鉄道で行ける所である限り、少なくとも自分の意思で飛行機に乗ることは、おそらく一生ないと思います。

やっぱり、根っからの鉄道好きなもんでね・・・
ちなみに、今のところ最後に飛行機に乗ったのは31年前の修学旅行の帰りに福岡から羽田まで乗ったJAL機で、自分のお金で飛行機に乗ったことはありません。

仕事等の都合で本当に止むに止まれぬ事情でならばともかく、ホイホイと気軽に飛行機に乗ってしまうのには、好きである鉄道をともすれば見捨ててしまうような気がして抵抗があります。
そこまで頑なにならず、柔軟に考えたらどうか、というアドバイスは確かにその通りだとは思いますが。

それでも敢えて飛行機で行くとしたら、沖縄ですかね。
さすがに沖縄へ鉄道だけで行くことは不可能だし、鹿児島からのフェリーを利用するにも日程的な余裕が必要なので・・・

沖縄へ行ったら、いろいろ行きたい場所、行くべき場所はありますが、鉄道ファン的にはやっぱりゆいレールの乗車ですかね。
あと、海外だったら韓国か台湾ですかね。
まあ、こちらも旅の要素として鉄道がかなりの比率を占めることは否めませんが(笑)

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今年こそ遠征したい! [日々のあれこれ&つぶやき]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:1人旅に行くならどこがいい?

まあ基本的に私がどこかへ旅するということは、ほとんどの場合即ち一人旅なわけですが・・・
目が見えていた頃は、まとまった休みになるとよくあちこちへ鉄道旅に出かけていたものですが、視覚障害者になってからというもの、首都圏を離れての泊りを伴う遠征とはすっかりご無沙汰になってしまっています。
しかし、私の入っている視覚障害者の鉄道ファンが集うメーリングリストには、駅員さんはじめいろいろな方のサポートを受けながらも、基本的には一人であちこちへ乗り鉄旅をされている方の投稿が時折あり、今年は私もそれにチャレンジしてみようと思い、年頭に新年の目標にもしています。
もし行くとすれば、一番の候補は今月21日に従来からの富山地方鉄道区間と旧富山ライトレール区間の「南北直通運転」が実現する富山地鉄の軌道線と、何度か富山に行っているにもかかわらず全線未乗車のこれも富山地鉄の鉄道線を1泊2日で乗りつぶすことですかね。
この時には、同時に北陸新幹線にも開業5周年にして実質的な初乗車となるので、この点でも楽しみです。
あとは、これも今月の14日に全線復旧を迎えるJR常磐線を、やはり同日から復活する仙台直通「ひたち」でたどって仙台へ向かい、仙台近辺の乗り鉄をしたいと思っています。
できれば、この2つのうちどちらかでも、夏前ぐらいには実現させたいと企んでいる所です。

そのためにも、例のあれには一刻も早く収束してもらわないと困りますが。
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結局はその人次第では? [ノンジャンル]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:何歳からおじさん?

「おじさん」の定義をどう考えるかとか、「おじさん」という言葉をいい意味で使っているかそうでないかといったことにも影響されるけれど、結局はその人の見た目や内面が若々しいかおっさん臭いかによって決まるのではないでしょうか。
それこそ40~50歳台になっても見た目も精神も年齢を感じさせない若さにあふれた人もいれば、年齢的には若くても妙におっさん臭さを感じさせる人もいますからね。

ちなみに私は、大学時代から約20年ほどの間ボランティアをしていたおもちゃ図書館で初めてボランティアとして活動した日、おもちゃ図書館を利用する子供から19歳にして早くも「おじさん」と呼ばれてしまいました。
まあ、身長も低く今より太ってもいて、少なくとも幼児番組の体操のお兄さんとか、ジャニーズのアイドルなどとは真逆の見た目だったから、良くも悪くもストレートな物言いをする子供の前では、悔しいけれど否定もできない歯がゆさを感じました。

もっとも、今となっては年齢も50歳の大台に乗るのが間近となり、しかも私の妹の子供(甥っ子)にとってみればリアルに「叔父さん」なわけで、もう「おじさん」と言われても驚かなくなりましたが。
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長崎駅での奇跡の出会い [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:ラッキーと思った瞬間

もともと私は籤運もあまりいいとは言えないし、その他の点でも運の「引き」が強いとは言えません。
だから、「ラッキー!」と思うような瞬間もそうそうあることではありません。
でも、どういうわけか鉄道に関する運ははそこそこあるような・・・
「鉄」活動をしていてラッキー!と思う瞬間といえば、やはり事前に何の情報も持たない状況で乗りたい車両、撮影したい車両に偶然遭遇できた時ではないでしょうか。
ましてや、それが遠路はるばる遠征した先での出来事ならなおさら・・・

遠征先での「ラッキー!」の例としては、こんなエピソードが。
もう10数年前のある日、私は九州への鉄道旅の途中で、長崎へ向かいました。
目的は、まずは長崎駅ホームで朝のブルトレ「あかつき」の到着シーンを撮影した後、長崎電軌の路面電車の乗車と撮影を楽しみ、トルコライスで昼食をとった後長崎を離れるというものでした。
早朝
6時台前半に博多駅を「かもめ」で出発し、約2時間で長崎駅に到着。
「あかつき」の長崎到着まで少し間があるのでホームでぶらぶらしていたら、諫早からの普通列車で、2000年のミレニアムを記念してローズピンクの国鉄色に塗装が復元された南福岡電車区(当時)の415系が到着しました。
もちろん、国鉄色好きとしてはどこかで出会えるものなら出会ってみたいという思いはあったものの、当時の南福岡電車区の415系の運用範囲はかなり広く、しかも現在のようにツイッターなどで簡単に注目度の高い車両の運用情報が得られる時代でもなかったので、その嬉しさはひとしおでした。
到着した415系国鉄色編成は、乗客を降ろすと駅のすぐ隣にある車両基地(当時の長崎車両センター)に入りました。幸い長崎駅ホームからでも十分に撮影できる位置に停車したので、ゆっくり撮影を楽しむことができました。
この時のラッキーはこれだけでは終わりませんでした。
路面電車の乗り鉄&撮り鉄を終え、トルコライスも味わって13時半過ぎに長崎駅に戻ってきました。
先ほどの415系は引き続き車両センター内にいたものの、先ほどとは停車位置が変わっていました。
そしてその415系の隣の線路には、これもミレニアム記念で国鉄色に戻されたキハ66・67のトップナンバー編成が止まっていました。これももちろん事前情報なしでのいきなりの遭遇でした。
これで、この時代でも九州では貴重だった国鉄色の車両同士の出会いの場に立ち会えるという幸運に恵まれたことになります。
隣の線に入線している415系とキハ66・67の国鉄色コンビでしたが、両車の停車位置はズレていて、両車をワンフレームに収めようとするとかなり苦しい構図にならざるを得ませんでしたが、ともかくこの奇跡の並びをこの目で見て撮影することができたのは大きな収穫でした。
今では、415系国鉄色編成は九州色に戻されて消滅し、キハ66・67の国鉄色編成は2本に増えたものの、新形式YC1形の投入で今後の動向が注目される状況になっています。
さらに「あかつき」は廃止され、長崎駅も高架の新駅へと生まれ変わるなど、10数年の時の流れを実感させられます。
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