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2012年GW 名古屋遠征の思い出 その1 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
今回からは、2012年のゴールデンウィークに、前年に開館したJR東海の鉄道博物館「リニア・鉄道館」訪問と久しぶりの名鉄の乗り鉄をメインに、名古屋方面へ出かけた時の思い出を振り返ります。

2012年5月3日、約3年ぶりの名古屋遠征に出発しました。
当日まずは地元駅から西武線で西武新宿駅へ、そしてJR新宿駅へ向かいました。
この日朝の東京は雨模様でしたが、8時半頃の新宿駅11番ホームに上がると、隣の12番線に頻繁に中央快速線のE233系が発着する中、明らかに行楽客とわかる人々がすでに結構集まっていました。
途中11番線に入ってきた183・189系の回送を撮影したりしながら待つうち、9時少し前にこれから小淵沢まで乗車する「ホリデー快速ビューやまなし」の215系が入線。
私も3号車自由席の2階席に乗車します。
9:02、「ホリデー快速ビューやまなし」は新宿を発車。
さすがGWというべきか、それとも春から秋にかけてほぼ毎土休日に運転されて存在が認知されているからか乗車率は高く、2両ずつ連結されたグリーン車(指定席)と普通車指定席はいずれも満席。私が乗車した3号車も新宿発車時点ではほぼ座席が埋まり、扉付近には立ち客もいる盛況でした。
新宿以西の中央線は、それまで何度となく乗車した路線でしたが、215系の2階席から眺める社葬は、やはりいつもと違って見えました。もっとも相変わらず天気は小雨や曇りで、眺望としてはいまいちでしたが…

「ホリデー快速ビューやまなし」は定刻11:59に終着の小淵沢駅に到着。
ほぼ満席だった乗客も大月や甲府で大量に下車し、甲府から先は社内にもだいぶ余裕が出来てきましたが、それでも新宿から小淵沢まで乗り通した人も、私も含めそれなりに多かったようです。

都内では雨だった空も、山梨・長野県境に近い小淵沢まで来ると、少し薄日もさしてきていました。
ここから乗り継ぐ予定の松本行457Mまでは40分弱の待ち時間となるので、まずは駅弁で昼食とします。
小淵沢駅の駅弁といえば「高原野菜とカツの弁当」などの有名駅弁がいくつかありますが、この日選んだのは「甲州ワインで育った牛と豚の弁当 まんぷく甲斐?(まんぷくかい?)」というこの時初めて見る弁当
中身は甘辛く味付けした「甲州ワインビーフ」の牛丼と、「甲州ワインポーク」のメンチカツが載ったソースかつ丼のセットになっていました。
結構ボリュームもあり、何より美味しい駅弁でした。

次回も引き続き名古屋を目指します。
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東海道線 乗り得普通列車の思い出 その2 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
今回も、かつて東海道線東京口に存在した、「乗り得」な普通列車の話題です。

前回は、185系を使った東海道線の普通列車と、その中でも私が何度も利用した東京発伊東行521Mについて書きましたが、今回は前回も紹介したネット記事(https://trafficnews.jp/post/105160)の後半でも紹介のあった、JR東海の373系特急型電車を使用した東京ー静岡間の321M・338Mについてです。
この2本の列車は、記事にもある通り「ムーンライトながら」、さらに東京ー静岡間で運転されていた特急「東海」と一体になった運用が組まれており、それは「ながら」が無名の夜行普通列車(通称 大垣夜行)、「東海」も急行として運転され、車両も165系急行型電車を使用していた時代から基本的に変わりがありませんでした(上りの列車番号は変化あり)。
そして、東海道線東京口の普通電車の運転系統が、朝夕の数往復が沼津まで乗り入れる他は熱海や伊東より東側での折り返し運転になっていった後も、この2本のみは静岡への乗り入れを続けていました。
私はこの2本のうち、上りの338Mには、165系で運転されていた当時から、青春18きっぷを使った時もそうでない時も、名古屋や関西あたりから西への鉄道旅の帰りに何度もお世話になりました。
この列車を利用することを前提に旅程を組めば、鉄道旅の目的地に滞在する時間が少しでも長くでき、それでいて22時半過ぎに到着する東京駅からでも自宅のある埼玉へ帰る西武線の終電には余裕をもって間に合うのはありがたかったし、熱海や沼津での乗り換えが不要になるのも楽でした。。
そして何より、青春18きっぷや乗車券だけで最新の特急型車両に乗車できるのは魅力的でした。
338Mの静岡駅発車は19:30なので、静岡や浜松で購入した駅弁をもって乗車し、373系の一部車両の車端部に設置されているセミコンパートメント席で大型テーブルに駅弁を広げ、食堂車気分を味わいながら夕食をとるのも楽しみでした。
一方、下りの321Mの方は、東京駅発車が5:20とあまりにも早く、埼玉からでは東京駅近くに前泊しないと乗車できないため、この列車を鉄道旅の旅程に組み込むことはなかなかできずにいましたが、それでも一度だけ、鉄道旅の岐路に上り「ムーンライトながら」を利用した後にそのまま折り返す形で乗車するという方法で乗車したことがあります。
ただしこの時は、もともと東京ー静岡間の全区間ではなく大船までの乗車で、しかも前日大垣から乗車した「ながら」が静岡県内や川崎付近での人身事故のために若干遅延したため東京駅での折り返しが難しくなり、そのため品川で「ながら」から321Mに乗り換えるという形にはなりましたが…
この321Mを振り出しに東海道・山陽本線を普通・快速列車のみを乗り継いで西へ向かうと、最終的には関門トンネルを超えて九州に入った小倉駅まで当日中(小倉到着時点では0時をわずかに回ってはいますが)に到達できるのはよく知られており、私も一度このような乗り継ぎ旅にチャレンジしたかったですが、ついにその機会は訪れませんでした。

前回と今回とで取り上げた2つの「乗り得」普通列車が健在だったころは、鉄道旅をするのにも今より選択肢が多く、旅程を組んだり実際に旅をしたりする場面でも自由度が高く楽しかった気がします。
今後、そういった楽しみのある鉄道旅をどの程度楽しめるのか、気になるところです。
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東海道線 乗り得普通列車の思い出 その1 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
現在では上野東京・湘南新宿の両ラインを介して直通する宇都宮・高崎線も含め、すっかりE231・233の2系列に車種が統一された東海道線東京口の普通列車ですが、かつてはそれらの系列、あるいはそれ以前の113・211系に混じり、少数ながらそれらよりも設備のよい「乗り得」な車両を使用する列車も存在しました。
今回と次回は、そういった列車の思い出を書いていきたいと思います。

まず今回は、185系編です。
先日、40年にわたる定期運用からついに引退した185系。
この形式といえば、東海道線では何といっても特急「踊り子」のイメージが強く、さらに「湘南ライナー」などのライナー列車での活躍も印象に残るものではありましたが、それに加えて登場当初から30年以上も存在した普通列車での運用も特徴的な運用でした。
185系がもともと特急列車と普通列車を同一の形式で運用できるようにするというコンセプトで開発された形式であるだけに、1981年に185系が登場してから数年間は、同形式を使用する普通列車が何本も設定されていました。
正確な本数や運転時間帯はあまり記憶に残っていませんが、それらの185系使用の普通列車の中には、特急運用ではついに乗り入れることのなかった東海道線沼津駅まで直通する列車や、東京から伊豆急線伊豆急下田駅まで直通する列車(「踊り子」や急行「伊豆」では定番の運転区間ではありますが)などの変わり種列車もあったようで、185系登場時はまだ子供だった私も、「踊り子」はもちろんこのような185系使用の普通列車にもぜひ乗ってみたかったものです。
しかし、「踊り子」には家族旅行で乗る機会はありましたが、普通列車の方は朝や夕方~夜間に運転される列車が多く、埼玉県内の自宅からでは乗りに行ずらいこともあり、なかなか乗車するチャンスがありませんでした。
そうこうしているうちに185系の普通列車運用も、113・211系への置き換えや「湘南ライナー」などの登場もあって少なくなっていきましたが、そんな中でJR化後も長く生き残り、私自身も何度も利用したのが、東京発伊藤壱岐普通列車521Mでした。

7時24分発 東海道線伊東行き 特急形でも「18キッパー御用達」だった185系電車の記憶 (乗りものニュース)
https://trafficnews.jp/post/105160

私はこの列車に、おそらく10回以上は乗車したと思います。東京ー伊藤間の全区間を乗車したのは1~2回だけで、あとは熱海までの乗車がほとんどでしたが、東京発の時刻もよく(それでも乗車するには自宅を早朝に出なければなりませんでしたが)、青春18きっぷ利用で静岡・浜松あたりへ日帰りで出かけたり、名古屋や関西あたりへまだ明るいうちに着いたりするのにも便利な上に、特急型電車ならではの快適なシートに座れるということで、好きな列車の一つでした。
鉄道ファンや18きっぷ利用者以外にもこの列車は有名だったようで、乗車するとたいてい休日の朝でも座席はあらかた埋まっていることが多かったように記憶しています。(それでも通路やデッキまでいっぱいという状況には出くわしませんでしたが)
今回の185系定期運用引退の話題では、テレビなどではやはり「踊り子」や「湘南ライナー」にスポットが当たりがちで、普通列車運用についてはあまり大きくは紹介されていないような気がしましたが、これもまた185系のもう一つの活躍の場であり、今となっては貴重な乗車体験となりました。

次回は、リンク記事の公判でも取り上げられている東京ー静岡間の373系使用の普通列車の思い出です。
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いつの間にやら [ノンジャンル]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:コーヒーはブラック?砂糖・ミルク入れる?

特に味や香りを楽しみながら飲むということを重視するなら、やっぱりブラックがいいんでしょうかね

…なんて言っていても、別にコーヒー通は気取りたくはないし、コーヒーについての知識が大してあるわけでもないんですけどね。
私もかつてはコーヒーを普通にミルクや砂糖を入れて飲んでましたが、30歳過ぎたあたりからブラックや微糖の缶コーヒーを飲む機会が増え、いつの間にやら喫茶店や自宅でもブラックで飲むことが多くなりました。

でも、疲れている時など、たまにミルクも砂糖も入れた甘いコーヒーを飲みたくなることもあります。
特に、甘みが強いことで有名な「ジョージア マックスコーヒー」が、こういう時に結構効くんですよね~
かつて「ちばらぎ(千葉と茨城)の名物ドリンク」とも言われたマックスコーヒーが、都内や埼玉あたりでも普通に自販機やコンビニで買えるようになった時には、非常に嬉しかったのを思い出します。

そういえば、久しくマックスコーヒーを飲んでいないなあ~
マックスコーヒーの缶やペットボトル、今も近所のコンビニにあるのかどうかは確認できていないけれど、機会があればまたぜひ飲みたいですね。
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「どうする?」ってきかれてもなあ… [鉄道ニュース]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:2000万円もらった!さて、どうする?

2000万円か・・・

手にしたことはもちろんのこと、生で見たこともない金額なので、2000万円をいきなり貰っても正直最初はどうすればいいか悩むでしょうね・・・
これだけの大金を手にするということが、自分の中で果たして現実味を伴って受け入れられる出来事なのかも分かりませんし。

う~ん、2000万をどう有意義に使うか・・・?
「せっかく2000万あるならこれだ!」というようなナイスな使い道のアイデアがなかなか浮かばないのは、こんな大金を手にしたことも、大きな金額の買い物や投資をした経験もない人間の悲しい性なんでしょうか?

とりあえず今だったら、こんな物でも買ってみるとしますかね。

特急「踊り子」などで活躍の185系電車「純金」になる 価格は1000万円 (乗りものニュース)
https://trafficnews.jp/post/105500

ついに定期運用から離脱した185系。
その定期運用最終日の12日の沿線の盛り上がりっぷりはすごいものがあったようですね。
私はあまり見ることはできなかったけれど、当日夕方や翌日朝のニュース番組でも結構大きく取り上げられていたとか。
それにしても正直、首都圏でしか活躍した経歴のない185系の引退がここまで話題になるとは思ってもみませんでした。
そんな185系のお別れフィーバーも、ここまで来ましたか…
宝飾品や金製品の世界には全く縁のない私には、なかなかその価値が理解しずらいけれど、確かにこういったものを部屋に飾っていると、自慢にはなりますよね。

この純金185系&レプリカ入場券セットを購入(+送料?)しても、まだ1000万円弱残ってますが…
さて残りはどうするか?
とりあえず、あれこれ落ち着いたら鉄道で旅でもしながらゆっくり使い道を考えるとしますか…

なんて、一度でいいから言ってみたいものです。
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彼は双子?クローン? [ノンジャンル]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:自分が2人いたら、もう1人の自分には何をやらせる?

この質問って、その「もう1人の自分」が双子の相方なのか、それとも完全なる自分のクローンやコピーロボットであるかによって答えがビミョーに変わってくる気もしますが…
やっぱり彼が双子の相方ではなく、自分の「コピー」であるなら、少々面倒くさい用事は彼に丸投げですかね(笑)
そういえば子供の頃、アニメの「パーマン」を見ながら、「僕にもコピーロボットがいたら、学校に行くのがかったるい時には代わりに行かせるのになあ」なんて何度も思ったっけ。
そして、視覚障碍者となった今では、双子であれクローンであれ、「もう一人の自分」には私にとっての「目」になってサポートしてもらいたいという気持ちが強いです。
何しろ自分の一番身近に、いつでも頼ることのできるガイドヘルパーさんがいるようなものですから。
もっとも、彼にとっては、私に何かとこき使われるのは少々迷惑な話かもしれませんが…

もちろん、もう一人の自分が「コピー」であっても、彼にはしっかりと「鉄」の沼にハマってもらいます(笑)
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震災直後の通勤記録を振り返る その3 [ノンジャンル]

こんばんは、gonanaです。
前回に引き続き、10年前の東日本大震災の翌週の、計画停電下での会社への通勤の記録を振り返ります。
今回は、週の後半の3月17日(木)・18日(金)編です。

【3月17日】
朝の会社への通勤は、おおむね前日と同じ時間・経路でした。西武線の混雑は相変わらずでしたが、前日より運転はスムーズだったようで、有楽町駅には前日より10分少々早く到着しました。
この日、電力需要の逼迫が懸念されるとかで政府から各企業に終業時刻の前倒しや帰宅時間の分散が呼びかけられたらしく、会社から急ぎの業務のない社員の早帰りの指示が出たため、定時より1時間早い17時に退社。
混雑が予想される有楽町線を避け、この日も有楽町駅から17:15頃発の山手線内回りで出発。
車内はやはり同じように早帰りする人が多いのか結構混雑していましたが、それでも震災の日の夜の大江戸線や数日前の西武線の混雑を思えばまだ楽といったところでした。
17:50頃池袋に到着し、この日も西武線改札の入場待ち行列へ。
改札待ちの列は前日よりは短く、1940頃には池袋駅を出発。
所沢で新宿線に乗り換えるも、この時点での新宿線は新所沢ー本川越間が運転見合わせになっていました。
19:40頃に新所沢駅に着いた時には、ちょうど駅付近は計画停電の真っ最中。駅の改札内は間引きされていたとはいえ照明も転倒し、確か自動改札機も動いていた記憶がありますが、一歩改札を出るとそこには本当の暗闇が広がっていました。
なんとか駅前まで出てとりあえずタクシーで自宅へ向かおうとしましたが、駅前のタクシー待ちの列は長く、しかもあたりは真っ暗で列の最後尾がどこなのかも判然とせず、タクシー利用は断念。
そこで自宅まで徒歩で向かうことにしましたが、何度か歩いた勝手知ったる道とはいえ、信号も街灯も建物から漏れる明かりもない中を歩くのはもちろん未経験で、その恐怖感たるや、ある意味視覚障碍者となった今より大きかったかもしれません。
新所沢駅周辺の計画停電は19:50過ぎには終了し、信号機や街灯などの明かりも戻りましたが、交通量の多い県道の広いとはいえない歩道を明かりの少ない中で歩くにはかなりの慎重さを要し、普段のほぼ倍の1時間20分をかけて21時頃に自宅にたどり着きました。

【3月18日】
この日の朝も、西武新宿線新所沢ー本川越間は運転見合わせとなっていたため、自宅を6時ちょうどに出発し、前夜歩いた道を今度は自宅から新所沢駅に向けて歩きました。
暗かった前夜とは打って変わってすっかり明るくなっていたので、過去何度か歩いた時とほぼ同じ45分ほどの所要時間で新所沢駅に到着。
ホームへ出ると、ちょうど西武新宿行各停が停車中で、幸い座席にもありつけたので、所沢で池袋線に乗り換える予定を変更して高田馬場まで乗車、そこから山手線外回りで有楽町へ向かいました。
帰りは、定時に退社して有楽町線で池袋へ、池袋からは池袋線と新宿線を乗り継いで自宅最寄り駅へと向かいました。
有楽町線から西部への直通ン点がまだ再開されていなかったのと、やはり臨時ダイヤのためもあり所要時間いつもよりわずかに多くかかったものの、それ以外は通常とそれほど変わりのない帰宅となりました。
また、西武池袋・新宿両船とも、間引き臨時ダイヤでは各停のみの運転でしたが、池袋線ではこの日から準急も運転されるようになるなど、平常ダイヤへの回復に向けた動きも出てきました。

こうして、いろいろと変則的だった震災直後の一週間が終わりました。
先日も書きましたが、この記事を書くにあたって当時のブログを読み返してみると、震災から数日間のいろいろなことが思い出されました。
あくまでも個人的なことながら、これも10年前の貴重な記録になるかもしれません。
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震災直後の通勤記録を振り返る その2 [ノンジャンル]

こんにちは、gonanaです。
前回に引き続き、東日本大震災直後の計画停電下の通勤体験の振り返りです。

【3月16日 自宅→会社】
この日の朝は、自宅付近の西武新宿線は間引き臨時ダイヤながら全区間の運転が行われていたので、6:32に自宅最寄り駅を出発。
所沢駅まで移動し、6:52頃発の池袋線池袋行に乗り換え。
こちらもオール各停の臨時ダイヤで、乗車した車両は所沢発車時点ですでに立錐の余地もないほどの混雑。
そこへ各駅からの乗客が加わるため(おそらくかなりの人が積み残されていたのではないかと思われます)、もはや正常な態勢で立っているのも困難なほどの混雑でした。
当然各駅での停車時間も伸び、通常の所沢ー(西武線)池袋間の各停なら、優等列車待避の多めな列車でも同区間を45分弱で走るところをほぼ1時間かかる結果になりました。
池袋からは、前日の夕方と同様な理由で通常の東京メトロ有楽町線経由ではなくJR山手線で迂回しました。
池袋を8:00頃の外回り電車で出発。この日の山手線は確か7割程度まで運転率が回復していました。私は座れこそしませんでしたが、乗車した車両の池袋発車時点での乗車率は、平日朝8時杉とは思えないほど余裕のあるもので、最も混雑するといわれる上野ー東京間でもそれほどの混雑はありませんでした。
JRでの会社最寄り駅有楽町には8:30頃に到着、徒歩で会社に向かい定時出社しました。

【3月16日 会社→自宅】定時で退社し、18:15頃に会社を出発。
この日の帰りは通常の通勤経路通り銀座一丁目駅から有楽町線に乗車しました。
懸念していたほどの混雑ぶりではありませんでしたが、相変わらず西部有楽町・池袋線への(東武東上線へもですが)直通運転が中止されたままなので、18:50頃に到着した池袋で下車し、前日に続いて改札規制が行われていた西武線改札の入場待ちの列に並びます。
その行列は明らかに前日よりも長く、改札に入るまで1時間近くを要しました。
やっと電車に乗車して池袋を出発したのは20:10頃。かなり待たされただけあって池袋発車時点の車内は超満員でしたが、所沢に近づくにつれて社内には余裕も出てきて少々ほっとしました。
池袋からの電車は20:50過ぎに所沢に到着。朝は全区間動いていた新宿線もこの時間帯は田無ー本川越間が運転見合わせとなっていたので、前日同様所沢駅から自宅までタクシーを利用することにしましたが、この日はここでの行列も長く、1時間ほど待ってやっと車にありつけ、22:20頃になってやっと自宅に到着しました。

全般的にこの日は、前日よりも通勤時の混雑が激しかったように記憶しています。

次回は3月17・18日編です。
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震災直後の通勤記録を振り返る その1 [ノンジャンル]

こんにちは、gonanaです。
前々回・前回の記事で、10年前の東日本大震災の瞬間から、翌日未明に自宅に帰るまでのことを振り返りました。
その記事を書くにあたって、当時開設していた某所のブログの当日の記事を読み返していると、改めてその日のいろいろなことが思い出されました。
そして、その直後のブログの過去記事には、震災の翌週、つまり2011年3月14日から18日にかけての会社への通勤・帰宅時の様子を記録した記事も見つかりました。
そこで、この記事を参考にしながら、10年前のことを引き続き振り返っていきたいと思います。

震災の当日は金曜日だったので、翌日・翌々日は土・日曜になりますが、世間的にも気分的にもどこかへ出かけられるような状況ではなく、自宅で過ごしました。
そして、その週末が明けて14日の月曜日になりましたが、この日から原発事故による全原発の停止による電力事情の逼迫を理由とした計画停電が始まり、その影響はさっそく鉄道の運転見合わせという形で私にも及んでくることになりました。
すなわち、当日の西武線では、池袋線は池袋ー練馬高野台間、新宿線は西武新宿ー上石神井間のみの運転となり、自宅周辺はおろか東京23区外から電車に乗ることが不可能となってしまいました。
加えて我が家には車がないため、練馬高野台や上石神井まで車で向かうこともできず(もしあったとしても道路混雑などで迂回手段としては機能しなかった可能性もありますが)、結局その日は「自宅待機」という名目で休みとなりました。(まあ、後日有休扱いで処理されることになりましたが)

【3月15日 自宅→会社】
翌15日も、自宅周辺の西武新宿線は上石神井ー本川越間が運転見合わせのままでしたが、JR川越線がこの日から運転を再開したという情報をラジオで耳にしたので、川越・京浜東北線を利用し、川越駅から会社最寄りのJR駅有楽町まで迂回乗車して会社へ向かうことにしました。
先ほども書いた通り我が家には車がないので、よく利用しているタクシー会社にダメもとで電話をかけてみると奇跡的に空車があったのでタクシー利用で川越駅に向かうことに。
7:20頃に自宅を出発、川越駅周辺を除いては同中の渋滞はほとんどなく、8時少し前に川越駅前に到着。
駅前の道路には噂通り駅に入るための長蛇の列が続き、いつ電車に乗れるか以前にいつ駅にたどり着けるか予測もつかない感じでしたが、案外列は早く進み、行列に並んでから30分少々の8:35頃に川越駅を発車する列車に乗車することができました。
川越線は私の乗車した列車の後しばらく運転を見合わせたようで、もしかするとせっかく3,000円超のタクシー料金をかけてここまで来たのに足止めを食らっていたかもしれないと考えると幸いでした。
乗車した川越線205系(行先がどこだったか記憶がありませんが)は超満員ではありましたが、運転そのものは順調で、9:00には大宮駅に到着、ここで京浜東北線に乗り換えます。
当日の京浜東北線では通常の約5割程度の間引き運転が行われていましたが、実際に大宮駅の京浜東北線ホーム(1・2番線)へ行ってみると列車は運転間隔のばらつきもなくコンスタントに運転されているようで、座席確保のため次の電車を待つ余裕もありました。
乗車した9:20頃発車の南行電車は、座席が大体埋まった程度の乗車率で大宮駅を発車。
南浦和で武蔵野線への乗り換え客が下車した後しばらくは、おそらく平日のこの時間としては異例なのではないかと思えるほど社内に余裕ができそれは赤羽を過ぎるあたりまで続きました。
都内に入ってからはさすがに乗客も増えてきましたが、最も混雑する上野ー東京間でも車内はさほどの混雑とはなりませんでした。
やはりいつもより都内への人出は減っているのだろうと感じながら、10:15頃に有楽町に到着。
ここで下車して徒歩で会社へ向かい、10:25頃にオフィスに到着しました。
当時勤めていた会社は9時始業のため、結局約90分の遅刻とはなりましたが、さすがに状況が状況だけに遅刻扱いとはならず、定時出社として処理されたと記憶しています。

【3月15日 会社→自宅】
この日は定時の18時まで勤務し、18:15に会社を出発。
当時の私の通勤ルートは、銀座一丁目駅から東京メトロ有楽町線・西武有楽町・池袋線・新宿線で地元駅へ、というものでした。
しかし有楽町線は計画停電による間引きダイヤが始まって以来、西武・東武への直通運転は中止され、運転本数自体も大幅減となって混雑が激しくなっているらしいという情報を聞き、有楽町線利用は回避したので、間引き中とはいえそれなりの本数が確保されている山手線で池袋まで向かうことにしました。
有楽町から乗車した18:25頃発の山手線内回り電車は、普段の平日のこの時間帯とあまり変わらない程度の混雑であまり間引き運転の影響は感じられませんでした。
池袋には19時ちょうどごろに到着。
西武線の改札では改札規制が行われていましたが、全列車確定の臨時ダイヤながらそれなりの本数は運転されていたようで、それほど待たされることなく19:30頃に池袋を発車する電車に乗車。
この電車は20:10頃に所沢に到着。本来ならここで新宿線に乗り換えますが、この時間の新宿線は上石神井ー本川越間の運転見合わせが続いていたため、駅前からタクシーを利用し、21:00過ぎに自宅に到着しました。

15日は、予想していたほどの混雑や混乱もほとんどなく、西武線池袋駅の改札待ちや所沢駅前のタクシー待ちの時間も短く、全体的に見ればあまりストレスを感じずに通勤することができました。

次回は3月16日編です。
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あれから10年… その2 [日々のあれこれ&つぶやき]

こんばんは、gonanaです。
昨日の記事の続きです。

10年前のあの日。
おそらく私がこれまで体験した中で最強と思われるあの地震が起きてから3時間余り。
やがて時刻は終業時刻の18時になりましたが、この時点では首都圏の鉄道はほぼ全線が止っており、ラジオなどでも復旧の見通しなどに関するニュースは伝わってこないため、とりあえずそのまま仕事を続けつつ新しい情報を待つしかない状況が続きました。
そして、いつ帰宅できるかわからないとなるといつ食事にありつけるかもわからないので、何かしら食料を仕入れておこうと会社の入っているビルの1階にあるコンビニへ行ってみました。
すると、やはり同じことを考える人は多いもので、店内は混雑し弁当やパン、おにぎりやサンドイッチの棚は軒並み空っぽ。
スナック菓子やおつまみ系も在庫がかなり少なくなっていたので、とりあえずリッツ(クラッカー)の小袋だけ買ってオフィスに戻りました。

その後も、オフィスで流れていたTBSラジオやNHKラジオ第一から流れる情報を聞きながらの「待ち」の時間が続きました。津波に関する情報も色々伝えられ、一方で首都圏の鉄道の中にはこの日中の運転再開を断念する会社も現れるなど、「長期戦」を覚悟して気分的にも落ち着かなくなってきました。

そんな中、21時を回ったあたりから少しずつ全区間、または一部区間で運転を再開する路線も出始め、22時半頃になると自宅最寄りの西武線も運転再開したことが西武のHPで確認でき、やはり運転再開した都営浅草・大江戸線と乗り継ぐことで会社のある東銀座からの帰宅ルートがつながりました。
そこで、上司のOKがもらえたこともあり、この日は帰宅することにしました。
(本来の通勤ルートは銀座一丁目駅から有楽町線を利用するものでしたが、都営線を使うコースの方がわずかに早く運転再開の情報を得られました)

会社を出て浅草線の東銀座駅ホームに着いたのは23時を少し回った頃。ホームにはそれほど人はおらず、2~3分ほどしてやってきた都営5300系の西馬込行もそれほどの混雑ではありませんでした。
東銀座から2つ目の大門で大江戸線に乗り換えましたが、やってきた六本木・光が丘方面行はとても乗り込む余裕のないほどの大混雑。
そこでこの電車を見送り、30分近くたってやっと到着した後続電車になんとか乗車することができました。
この列車ももちろん超満員で、各駅では条項に手間取って停車時間も伸びていました。
混雑する社内でひたすら耐えることほぼ1時間、西武新宿線との乗換駅中井に到着。ちなみに通常時の大門ー中井間(六本木・新宿経由)の所要時間は26~7分なので、いかに混雑で乗降時間が伸びたかがわかります。
大江戸線の中井駅と西武の中井駅の間では商店街を2~3分ほど歩くことになりますが、私と同じように西武の駅へ向かう人の姿も多く、午前1時を回ろうとしている時間とは思えないような光景でした。
西武の中井駅に着くと、ほどなくして新所沢行各停が到着し、やっと座席にありつくことができました。
この各停は途中の上石神井で本川越行急行の対比を行うというのでそちらへ乗り換え。こちらでの着席はできなかったものの、これで自宅最寄り駅まで電車で帰れることが確定し、ほっとしたのを思い出します。
そしてその自宅最寄り駅に着いたのが2時を回った頃。
駅から自宅へ向かう道では特に大きな被害らしきものは見当たらず、途中にあるコンビニも何事もなかったように普通に営業していました。
コンビニの明かりを見た途端、昼に会社近くのマクドナルドで昼食をとって以来ほぼ何も食べていないことを思い出し、同時に空腹を感じました。
幸いこの自宅近くのコンビニでは食料品の棚が空っぽになるといった事態は起きていなかったので、ドリアとおにぎり1個を購入。

そして2時半頃、会社から3時間半かけて自宅に到着。
幸い自宅には地震の影響がないことはわかっていたので安心はしていましたが、実際に帰宅してそれを確認できた時には改めてほっとするものを感じました。
自分の部屋に入ると、こちらでも揺れは相当なものだっただろうに、落下したり産卵したりしているものもないいつも通りの室内に驚くやらほっとするやら。

何はともあれ、運転見合わせによって帰宅手段のなくなってしまったいわゆる「帰宅難民」と呼ばれる人々や、都心から郊外まで徒歩での帰宅を余儀なくされる人々が多数出た中にあって、どうにかこうにか自宅にたどり着くことができた幸せをかみしめながらドリアとおにぎりを食べ、入浴して4時にはふとんに入ることができました。

次回は、震災翌週の会社への通勤を振り返ります。
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