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あれから10年… その1

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:○年前の今日はどんな日?

ちょうど10年前のあの日のあの瞬間。
私は、視覚障碍者となって退職するまで勤めていた会社の東銀座のオフィスで仕事してました。
翌日が土曜日なので、「さぁて、明日はどこで乗り鉄or撮り鉄使用か」などと考えながら、書類作成やデータ入力をやっていました。
そこへ突然の大きな揺れ。
揺れが始まった瞬間は、前々日(9日)の昼前にもやや大きめな地震があったため「またか」という感じでしたが、次の瞬間この揺れは一昨日のものよりかなり大きいことに気付き、しかも長く続いたことで、これは相当な地震であることが認識できました。
その時私はというと、何しろとっさのことでただ椅子に座って揺れが収まるのを待っていることにしか頭が回りませんでした。
今思うと、2分間ぐらい続いた(気がする)揺れの間にも何らかの「命を守る行動」をすべきだったのでしょうが、とにかくそこまで頭が回らなかったのは事実です。
もちろんオフィス内では他の同僚社員も数十人仕事をしていましたが、多くの人が私と同じような状況だったようです。

揺れが収まってしばらくしたところで、誰かがradiko(ラジコ)でTBSラジオを流し始め、先ほどの地震の概要が分かり始めてきました。やはり相当な規模の地震であることが情報で裏付けられましたが、この段階ではまだあれほどの津波災害や原発事故が起ころうとは想像もつきませんでした。

とりあえずオフィス内や会社の入っているビルにどうやら被害が出ていないことが分かり、また社員にも人的な被害はなさそうということも判明し、数回余震があって一時ビルの外に出たりしつつも、とにかくラジオで情報を得ながらも一応仕事に戻りました。
もっとも、あれだけの地震の後だけに、落ち着いて先ほどまでの作業ができたかというと…ですが。

もちろん、地震によって自宅がどうなったのかは気になるところで、地震直後から携帯でメールや電話での確認を何度も試みましたが一向につながらず、やっと電話がつながったのは2~3時間ぐらい後だったように記憶しています。ひとまず自宅やその周辺に大きな被害がなく家族も無事であることが分かりホッとしましたが、何か事が起こった時に電話やメールがつながらないということがいかに不安をもたらすものであるかを実感させられました。
同じ頃には、私が当時開設していたブログの読者の方でお互いに連絡先を好感していた方数人から安否確認のメールや留守電が届き、相変わらずメールや電話がつながりにくい中ではありましたが、それをなんとかかいくぐって仕事の合間を縫って返信や電話をし、お互いの無事を喜びあいました。
やはりこういう時に自分のことを気にかけてくれる人がいるというのは心強いものです。

次回も10年の今日の振り返り、続きます。
タグ:3.11 震災
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最終的には本人次第 [日々のあれこれ&つぶやき]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:自分の子供、芸能界に入れたい?

結論から言うと、正直、入れたいとも入れたくないとも言い切れません。
というか芸能界に入るかどうかは、本人の意思と信念、そして今後自分はどのように生きていきたいかというビジョンを踏まえ、親子で十分な話し合いを持つことはあっても最終的には本人が決断を下すべきことだと思いますし、親の見栄や打算のために子供を芸能界に入れるという考え方があるならばそれには反対です。
「芸能人になる」ということは、どんな幼い子供であっても社会に出て仕事をするということなんですから…

「歌やトーク、演技や芸などで日本中、いや世界中で愛される人になってほしい」というような熱い気持ちとブレない信念を持ち続けつつ、陰ながら子供に最大限の応援する親であるならばよいですが、そうでないなら親が主導して芸能界入りさせることには慎重であるべきだと思います。
だって、子供は親の見栄やエゴを満足させるために生きてるんじゃないんですから。

まあ、そんなことを言っている私には子供がいないので、私自身にこのような局面が訪れることは当分ないでしょうが(苦笑)
タグ: 芸能界 子供
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489系「ホームライナー」の思い出 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
今週末の13日に行われるJRダイヤ改正で、東海道線で朝と夜間に運転されていた通勤ライナー列車「湘南ライナー」「おはようライナー新宿」「ホームライナー小田原」が姿を消し、新たに「湘南」なる特急に生まれ変わります。
特急化されることが果たして利用客にとって便利なのかどうかなどといったことは置いておくとしても、これによって(わずか5か月とはいえ)国鉄時代に登場した列車がまた一つ歴史に幕を下ろすことになり、国鉄の終焉からの歴史を改めて感じます。
そして、気が付いてみると、これも国鉄末期に登場し、「ホームライナー」など様々な列車名で首都圏はもちろん全国各地で運転されていた朝夕通勤時の着席サービス列車(ライナー列車)も、特急化や列車自体の廃止によって今ではほとんどが姿を消してしまいました。

そんな国鉄・JRのライナー列車に、私はほとんど乗車経験がなく、「湘南ライナー」等も一度も乗車する機会のないまま廃止されてしまうことが確定的な状況です。
これは自宅がJR沿線ではないことで、通勤通学や帰宅の足としてライナー列車を利用する機会そのものがなかったのが大きな理由でした。
しかしそんな中で唯一、数回乗車経験があったのが、上野駅から宇都宮線(東北線)古河駅まで運転されていた「ホームライナー古賀3号」でした。
「ホームライナー古河」は、同じ上野発で高崎線鴻巣まで運転されていた「ホームライナー鴻巣」とともに、1984年に初めて上野ー大宮間に登場したライナー列車「ホームライナー」の流れをくむ列車でした。
この2つのライナー列車は、当初は車両基地に改装される特急車両を通勤客に開放するというライナー列車のコンセプト通り、「あさま」の189系などの特急型電車が使われ、その後は185系が主に使用されていました。

さてその「ホームライナー古河3号」を何度か利用したのは、2010年ごろから2012年3月まででした。
この当時、私は会社帰りに時折道草して「北斗星」「あけぼの」「北陸」「能登」といった夜行列車を上野駅13番線で撮影することにハマっていました。
その時期、これらの列車とともに撮影することが多かったのが、上野18:40発の「ホームライナー鴻巣3号」と同21:03発の「ホームライナー古河3号」でした。
当時「ホームライナー鴻巣」は一日4本、「ホームライナー古河」は2本が運転されていましたが(両列車とも、平日の夜下りのみの運転)、その中でも両列車の「3号」のみにこだわったのは、この列車にはJR西日本金沢総合車両所所属の489系が使用されていたからでした。
この489系は、その活躍の末期には金沢を夜行急行「能登」で出発し翌早朝に上野に到着、日中は尾久車両センターで滞泊。夕方二尾久を出発して上記のホームライナーで鴻巣と古河へそれぞれ往復したのち下りの「能登」で金沢へ戻るという運用が組まれていました。
当時の489系は、塗装が国鉄特急職に戻され、両先頭車もボンネット型の車両になっており、国鉄がた好きの私にとっては夜行列車群れと並んで格好の撮影対象になっていました。
489系使用のホームライナーのうち「鴻巣3号」は会社の代謝自国の関係で撮影できないこともありましたが、「古河3号」は時間帯的に上野駅での撮影がしやすく、しかもこの列車を利用すれば、「古河3号」の10分余り後を走るブルトレ「あけぼの」を上野駅と大宮駅で2回撮影できることから、「古河3号」に関しては上野ー大宮間で数回乗車する機会がありました。
金沢の489系事態は、「能登」でもやはり数回乗車した車両なので新鮮味はあまりありませんでしたが、貴重な国鉄型特急型電車に乗車できる機会でもあり、何だかいつもワクワクしながら乗車したのを思い出します。
上野発のホームライナーでは、上野駅で当該列車の整理券を購入した乗客のみが乗車できるシステムになっていましたが、実際に着席する座席の指定はなかったので、通常の普通車の座席に座ることもあれば、金沢の489系編成の6号車に設けられていた半室ラウンジでソファーに座り缶コーヒーなど飲みながらくつろいだり、わずか25分程ながら楽しい乗車でした。
上野駅で見られるJR西日本所属者という意味でも異色の存在だった、489系のホームライナーでしたが、2012年3月に「能登」が臨時列車に格下げ(その後廃止)され、同時に489系も定期運用を失ったことから車両がほかのホームライナーと同じ185系に変更され、その後「鴻巣」「古河」ともに列車自体が廃止されて消滅してしまいました。

現在の上野駅では、コロナ禍という状況であることを度外視しても、会社帰りに寄り道して撮影を楽しめるような列車もほとんどないという寂しい状況になってしまいました。
鉄道ファン的には程よい間隔で夜行列車や489系が次々にやってきていたあの頃の上野駅が懐かしくなってきます。
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同好の士との旅 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:団体旅行、参加したい?

基本的に旅行は一人で行くのが好きなので、学生時代の修学旅行や林間学校などを除けば、団体旅行に参加したのは小学生のころに伊豆のどこかの温泉地に行くバスツアーに家族で参加したりなど、数えるくらいしかありません。
そんな中でもずっと、一度参加してみたかった(というか乗りたかった)のが、高校や大学の鉄道研究会の貸し切り列車や、鉄道ファンをターゲットにした旅行会社のツアー。
まわりはほぼ同好の士ばかりという中で、普段は乗ることのできないルートを走る列車に乗車したり、車両基地や工場など普段立ち入れない鉄道の現場に、基地公開イベントなどとはまた違った環境で訪れることができるなど、個人の旅ではできない鉄道の旅の楽しみ方ができることに魅力を感じていたからでした。
そして、そのツアーの行程の中で同じ趣味を持つ新しい友人と出会うことができたなら、なおのこと楽しい旅になるだろうという気持ちもあります。
時折、鉄道雑誌などにこうしたツアーや団体臨時列車のレポートが乗っているのを読むたび、一度こういうツアーに参加したいと思ったものでした。
もっとも、そうはいってもなかなかそういう機会はなかったですが…

そういえば、先日こんな記事がネットに出ていました。

旅行業界注目の「マニアックSIT」、鉄道サークル企画の豪華客車貸切ツアーから考える:杉山淳一の「週刊鉄道経済」 - ITmedia ビジネスオンライン
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2103/05/news043.html

そう、こういうツアーにいつか参加したいと思っているのです。
「サロンカーなにわ」や水島臨海鉄道の一般営業以外の路線に乗車できることはもちろん、フリータイムには道中で知り合った人とともに過ごす時間が持てるかもしれないというのはかなり魅力的で、事前に知っていればぜひ参加したかったです。
このツアーを企画した「鉄道旅倶楽部」、今度いろいろ調べてみようかな。
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【鉄道イベントの思い出】秩父鉄道110周年ありがとうフェスタ(2009年) その7 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
2009年11月の秩父鉄道「110周年ありがとうフェスタ」の振り返り、今回で最終回です。

「パレオエクスプレス」の三峰口駅発車を見送ったところで、気がつくと午前中から3番線の横の側線に2編成並んで留置されていた、1000系秩父鉄道旧塗装リバイバル編成のうち、あずき色とベージュのツートンカラーの1002編成の姿が見えなくなっていました。
やがて、駅舎に一番近い1番線に、駅奥の引上線の報から1002編成が入線し、14:24発の羽生行普通1542列車として発射待ちとなりました。
一方、「パレオエクスプレス」のいなくなった3番線には、羽生へ往復してきたカナリアイエローの1012編成が到着し、側線に停車中だったレモンイエローの1007編成との「黄色い電車」同士のツーショットがみられました。
しかしそれもつかの間、今度は1007編成が入換を開始し、やがて14:56発の羽生行1544列車になるべく2番線に入線してきました。
こうして一旦留置車両がいなくなっていた側線には、その後3番線から移動した1012編成が入線し、さらに急行「秩父路5号」で到着した6000系6002編成も側線に入ってきました。

15:00ちょうど、5分遅れて羽生からの1531列車でスカイブルーの1001編成が到着。
側線に停車中の2編成とともに、スカイブルー・カナリアイエロー・白ときれいな3色並びを見せてくれました。
その15時で、三峰口駅前で開かれていた「ありがとうフェスタ」のイベントも終了し、同イベントの休憩所として車内が開放されていた6000系6003編成も15:42発の急行「秩父路8号となってホームに入線。
さらに、1001編成に続いて標準塗装の1008編成も羽生から到着し、三峰口駅構内は5本の列車がひしめく賑わいになりました。
それとは裏腹に、16時が近づくにつれ、先ほどまであれほど賑やかだった駅構内や駅前も、家族連れや鉄道ファンの姿がほとんどなくなり、すっかり静けさを取り戻していました。
そして、私もそろそろ三峰口駅を後にすることにし、この日はまだ未撮影だった1000系1003編成(活躍末期はオレンジ色の国電色塗装になっていましたが、この当時の塗装は標準塗装でした)が撮影できたところでこの日の撮影は終了。
朝と同じように西武4000系の西武線直通快速急行で帰路につきました。
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【鉄道イベントの思い出】秩父鉄道110周年ありがとうフェスタ(2009年) その6 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
2009年11月の秩父鉄道「110周年ありがとうフェスタ」の振り返りの続きです。

三峰口駅にやってきてから3時間少々、振り返ってみればほとんどの時間を駅のホームで過ごしてしまってきたので、ちょうど次の普通電車到着まで少し間があるので、再び改札を出ます。(ちなみに当日は三峰口駅もフリー区間に含まれるフリー切符を持っているので、改札の出入りは自由)
駅を出て、先ほどちょっと覗いた「ありがとうフェスタ」のイベント会場を右に見ながら少し歩いたところにある、駅ホームとその奥の引き上げ線を結ぶ線路に設けられている踏切のところまで来ると、三峰口到着後に客車から切り離されて上り「パレオエクスプレス」の牽引に備えて転向を済ませたC58の入換に遭遇。
もちろんここでもたくさんの撮影者がこの光景を撮影していました。

駅へ戻り、再び改札を入ると、3番線では上り「パレオエクスプレス」が発車準備を終えて発射を待っていました。
すでに乗車も始まっており、12系の車内は満席でした。
C58も客車編成の熊谷方への連結が完了し、もちろん家族連れも含めたくさんの撮影者に囲まれていました。
ホームには、先ほどイベント会場で姿を見かけた「パレオくん」と「パレナちゃん」も登場。
イベント会場でもそうでしたが、ホーム上でも「パレオエクスプレス」に負けず劣らず、家族連れから撮影攻め、握手攻めにあってました。
14:03、上り「パレオエクスプレス」は熊谷駅へ向けて三峰口駅を発車。
ホーム上ではパレオくん&パレナちゃんも手(?)を振ってのお見送りとなりました。
ホームを離れていく時には、子供たちからは、車内・ホームの双方から「バイバ~イ」の声が飛んでいました。
こんな光景も、窓の開く12系の列車だからこそのものでしょう。

次回も続きます。
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【鉄道イベントの思い出】秩父鉄道110周年ありがとうフェスタ(2009年) その5 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
2009年11月の秩父鉄道「110周年ありがとうフェスタ」の振り返りの続きです。

まだお昼を回ったばかりですが、三峰口駅にやってきてから2時間少々で1000系の全カラーバリエーションを撮りつくし、何となくこれでこの日の撮影を終えて帰ってしまってもいいかな、なんて考えも頭をよぎりますが、まだまだ駅にとどまります。

12:49、秩父鉄道の看板列車である、SL「パレオエクスプレス」が3番線に到着。
「パレオエクスプレス」の牽引機C58363はこの日、緑色地のナンバープレート、110周年記念ヘッドマーク、門鉄デフ、それに日章旗付きというこの日限定の特別装備で運用についていました。
C58に付いていた110周年記念ヘッドマークは、1000系国鉄色リバイバル編成が掲げていたカラフルなデザインのものとは対照的な、SLに似合うシックなデザインのマークでした。
もちろん到着後のC58のまわりには家族連れや鉄道ファンが大勢集まり、台撮影会のような光景が繰り広げられていました。
そんな中、しばらくしてC58は入換とその後の方向転換に備えて駅奥の引上線へ移動。
3番線に残された客車4両は、そのまま午後の熊谷行「パレオエクスプレス」の発車まで昼休みとなります。
何といってもC58に注目が集まる「パレオエクスプレス」ですが、この客車も塗装や内装こそ変わってはいるものの、この当時でも貴重になっていた元JR12系客車の生き残りです。

13:03、羽生からの1523列車が到着。
やってきたのは、元東急8500系である7000系のうち、両先頭車がともに中間者からの先頭車化改造車である7002編成でした。
立て続けに1000系が続いた後なので、それ以外の形式が来て気分転換にはよいですが、さすがに注目度の高い1000系と比べると撮影する人も少なかったです。
この編成は、13:47発の臨時急行で折り返していきました。

続いて13:13、1000系1005編成(標準塗装)の1525列車が到着。

すでに全カラーの撮影を達成できた1000系ですが、今日の撮影本数もすでに8編成になり、最盛期には12編成が在籍した1000系のこの日現在の稼働本数10編成のうち、残る今日の未撮影編成も1003・1010の2編成を残すだけとなりました(1004・1006の2編成は、確かこの日時点ですでに廃車になっていたと思われます)。
こうなると、個人的に「1000系祭り」のこの日、残る2編成も撮影したい欲が強まり、もう少し三峰口駅構内で粘ります。

次回もまだまだ続きます。
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【鉄道イベントの思い出】秩父鉄道110周年ありがとうフェスタ(2009年) その4 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
2009年11月の秩父鉄道「110周年ありがとうフェスタ」の振り返りの続きです。

三峰口駅横の駐車場で開催されていた「ありがとうフェスタ」のメインイベントを少し楽しんだ後、羽生からの普通電車1517列車の到着が近づいて来たので、再びホームに戻りました。
11:16、3分ほど遅れて1517列車が三峰口駅に到着。やってきたのは、活躍後期(3両編成のうち両先頭車が冷房化された後)の1000系の標準塗装(白ベースに青と赤の細帯入り)の1008編成。
国電色などのリバイバルカラー編成に比べると地味な存在ではありましたが、これも立派な1000系のカラーバリエーションの一つでした。
そしてこれまた苦しい構図ではありましたが、側線に停車中のかつての秩父鉄道オリジナルカラーのリバイバルカラー編成2編成との並び写真を撮影することもできました。

さて、ここまで三峰口駅構内で撮影することのできた車両は急行の6000系1編成以外はすべて1000系。
その中で、全12編成で最盛期は標準塗装を含め7パターンもあった1000系の塗装のうち、すでに5種のカラーを三峰口で見ることができ、残るはウグイス色+前面に黄色の警戒帯の1009編成とオレンジ色の1011編成を残すのみ。
こうなると、俄然この2本の登場に期待が高まるわけで…
そんな中、11:45頃羽生からの1519列車が3番線に到着。やってきたのは、オレンジの1011編成!
この時の1011編成は若干ボディーの色あせが目立ち始めていましたが、それもかえっていい味を出しているような気がしました。

さあ、あとは1009Fがいつやってくるかが一番の関心事です。
そして、12:17、やはり羽生からの1521列車が1番線に到着。やってきたのは…
ウグイス(関西線色)の1009F!
ここまで三峰口到着からわずか2時間ちょっとで、秩父鉄道1000系の歴代のカラーバリエーション7パターンをコンプリートできるという、予想外の結果に!
いやあもう、国電職リバイバル編成が登場して以来1000系に注目するようになっていた私にとっては、これだけで三峰口までやってきた甲斐があったというものでした。

この時点ですでに、何か達成感のようなものすら感じてきてしまい、「ありがとうフェスタ」のイベントを楽しみに来たのか普通に撮り鉄をしに来ただけなのかわからなくなりつつありましたが…(苦笑)
まだまだ祭りは続きます。
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【鉄道イベントの思い出】秩父鉄道110周年ありがとうフェスタ(2009年) その3 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
2009年11月の秩父鉄道「110周年ありがとうフェスタ」の振り返りの続きです。

秩父鉄道の起点羽生駅から到着してしばらく三峰口駅の1番線で、2番線の1001編成と並んでいた旧秩父鉄道色リバイバル編成の1002編成は、やがて駅奥の引上線へ移動した後、数分するとホーム横の側線に入り、1000系登場時塗装の1007編成の隣の線に留置されました。
これで、昭和から平成初期までの秩父鉄道オリジナルカラーのリバイバル編成同士の並びが実現し、このまま14時頃までこの状態で展示(?)されました。

ここまで、三峰口に着いてから30分ちょっと。
この間、あまりにテンションの上がる光景が駅構内に広がり、その結果なかなか駅の外に出てイベント会場を覗きに行ける状況にはなりませんでしたが、幸い(?)1000系が来る可能性がある羽生方面からの普通電車の到着は、西武からの直通と羽生からの急行「秩父路1号」を挟んで11:13までないので、それまでの間にちょっとイベント会場へ。
「ありがとうフェスタ」のメインイベント会場は、駅すぐそばの駐車場でした。
入口では、先着3000人にミニ1000系とミニ5000系(元 都営地下鉄三田線6000系)を作ることのできるペーパークラフトの配布が行われていて、無事にゲット。
このペーパークラフトには、おまけとして当日1000系国電色リバイバル編成に取り付けられたイベントPRヘッドマーク4種のミニサイズ版が一緒に印刷されていて、これも簡単に切り抜いて楽しめるようになっていました。
会場内では、秩父鉄道グッズや地元グルメの販売が行われたほか、秩父鉄道のキャラクター「パレオくん」と「パレナちゃん」も登場し、子供たちに愛嬌を振りまいていました。
さらに、11時前ごろに急行「秩父路1号」で三峰口に到着した6000系6003編成(元 西武新101系)は、乗客を降ろすと会場脇の留置線へ移動し、イベントの休憩所として車内が開放されました。

まだまだこの後も続きます。
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【鉄道イベントの思い出】秩父鉄道110周年ありがとうフェスタ(2009年) その2 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
2009年11月の秩父鉄道「110周年ありがとうフェスタ」の振り返り、今回も続きます。

西武線池袋から直通の西武4000系快速急行で到着した三峰口駅には、カナリアイエローとスカイブルーの1000系国電色リバイバル編成2編成が停車中で、国鉄色好きの私にとっては大いにテンションの上がる光景が展開していましたが、ホームを改札に向かって歩いていると、側線に停車中のスカイブルーの1001編成の陰に隠れて、もう1編成の1000系が側線に停車しているのを発見。
それは、国電色塗装のリバイバルとは別に登場した、1980年代後半から90年代にかけての秩父鉄道の車両塗装で、1000系も1986年の秩父鉄道でのデビュー当時まとっていたレモンイエローに焦げ茶色の帯というカラーに復元された1007編成。
この塗装は写真では何度も見たことはありましたが、実車で見るのは初めてでした。
三峰口駅に到着していくらもしないうちに、何やらこの日のイベントの「裏テーマ」が「1000系リバイバルカラー編成祭り」であるかのような雰囲気になってきました。

そんな中、10:19に羽生からの1513列車が三峰口駅に到着。やってきたのは…
1007Fに塗られているものよりさらに前の時代の秩父鉄道色(100形タイプ)のリバイバルカラー編成の1002F!
あずき色とベージュのツートンカラーが懐かしさを感じさせますが、過去にこの塗装で走ったことのない1000系にとってはこの塗装はある意味で「新塗装」ともいえるものでした。
1002Fの到着直後は、入れ替わりに羽生へ向けて発車する1012Fとの並びも見ることができました。

しばらくすると、先ほどまで側線に停車していたスカイブルーの1001Fは、いつの間にか構内を転線して駅奥の引上線へ移動したため、1001Fの陰に隠れていた1007Fの撮影ができるようになっていました。
やがて、1001Fは11:00発の羽生行1530列車となるために2番線に入線。
ちょっと強引な構図にはなりましたが、1番線に停車中の1002F、2番線の1001F、側線の1007Fの3色3本並びを撮影することができました。

次回も続きます。
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