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【妄想シリーズ】北海道の鉄軌道 脳内乗りつぶし旅 3日目 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
乗り放題きっぷや北海道フリーパスを使う北海道の鉄軌道全線の乗りつぶし脳内旅、今回は3日目編です。

この日はまず札幌6:56発の特別快速「エアポート66号」でスタート、新千歳空港駅へ向かいます。
この特別快速、今年3月のダイヤ改正で登場したもので、札幌ー新千歳空港間で新札幌と南千歳のみに停車し、通常の快速よりも数分スピードアップされています。
そんな特快「エアポート」で新千歳空港駅に着いた後は、4分後に発車する普通小樽行で折り返します。
この列車、札幌駅付近で朝ラッシュ時のピークにかかるためなのか新千歳空港駅からの列車には珍しい各駅停車で、札幌駅までの所要時間も先ほど乗車した特別快速と比べ22分も遅い55分になっています。もっともこのプランでは次駅の南千歳で下車してしまうのでそれはあまり関係ありませんが・・・
南千歳からは8:01発の特急「すずらん2号」で東室蘭へ向かい、東室蘭9:12初の列車で室蘭駅へ。
室蘭9:37発の苫小牧行で東室蘭へ戻った後は、東室蘭10:03発の特急「北斗6号」で長万部へ、さらに前日も五稜郭→長万部間で乗車した「北斗7号」で苫小牧まで戻ります。
13:00ちょうどに着いた苫小牧からは、室蘭本線の岩見沢行に乗車、岩見沢では5分の接続で特急「ライラック21号」で滝川へ移動します。
滝川で乗り継ぐのは根室本線ですが、同線は台風だったか豪雨災害だったかで現在も東鹿越ー新得間が不通・バス代行のママで、滝川から乗車する15:38発の列車も東鹿越止まりとなっています。
この列車の東鹿越到着は17:32、代行バスは5分の接続ですぐ発車します。
代行バスは18:46に新得駅に到着。
1時間ちょっとの待ち時間で帯広からの特急「とかち10号」で石勝線を踏破して南千歳へ。
さらに南千歳22:12発の普通列車苫小牧行に終点まで乗車し、この日は苫小牧で乗り鉄終了です。

次回、4日目編です。
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【妄想シリーズ】北海道の鉄軌道 脳内乗りつぶし旅 1・2日目 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
昨日は、このほどJR北海道が発売する6日間乗り放題きっぷ「HOKKAIDO LOVE! 6日間周遊パス」(以下の記事内では「乗り放題きっぷ」と略します)について取り上げました。
これも昨日書いた通り、こんな切符を出されては北海道に行きたくてたまらなくなりましたが、現状ではなかなか気軽に旅立てる状況ではないのが何とも残念な所です。
しかし、妄想の世界なら例の騒動のことなど全く意識することなく旅が楽しめるので、さっそく脳内で、このきっぷや通年発売されている「北海道フリーパス」を使うことを前提とした、北海道内のJRと第三セクター鉄道道南いさりび鉄道、さらに札幌市営地下鉄と函館・札幌の市電をそれぞれ全路線乗りつぶす鉄道旅のプランを私なりに考えてみました。
プラン作成に関しては、特に普通・快速のみの利用などといった縛りは設けず、特急も適宜利用します。ついでに特急については、定期列車として運転されているすべての列車愛称の乗りつぶし(乗車区間の縛りはなく、1停車駅間でも利用すればカウント)にもチャレンジします。
では、今回は初日と2日目編です。

初日は、東京駅を6:32発の「はやぶさ1号」でスタート。八戸から先の東北新幹線と北海道新幹線は初乗車(青函トンネルは在来線時代に踏破済みですが)となります。
10:53、「はやぶさ1号」は終点の新函館北斗に到着。接続する11:07発の快速「はこだてライナー」で函館へ向かいます。
その後15時頃までは、昼食をとりつつ函館市電を踏破します。
函館市電を乗り歩いて再び函館駅に戻り、15:16発の道南いさりび鉄道木古内行に乗車、キハ40の乗り心地を堪能し、「北斗星」「海峡」などに乗車した時の思い出にも浸りながら全線を踏破します。
木古内まで往復して函館駅へ戻り、「乗り放題きっぷ」利用の場合は函館駅で切符を購入しておきます。これは、北海道フリーパスは首都圏でも購入しやすいのに対し、乗り放題きっぷは利用開始前日までにJR北海道のみどりの窓口などで購入しておく必要があるためで、この日、乗り放題きっぷや北海道フリーパスの利用対象外の路線を集中的に乗り歩いたのもこのためです。
無事きっぷを入手したところで、この日の宿泊先へ向かいます。

2日目からは乗り放題きっぷや北海道フリーパスも使い始め、本格的に道内乗りつぶし旅をスタートします。
この日のスタートは函館5:49発の普通列車森行。
こんなに早い時間のスタートになったのには理由があります。
函館本線七飯ー大沼間と大沼ー森間はそれぞれルートが2つずつあり、七飯ー大沼間では新函館北斗・仁山両駅を経由する本線と経由しない支線(通称藤城線)、大沼ー森間では山側の大沼公園・駒ヶ岳駅経由が本線、海側のお島砂原駅経由が支線(通称砂原線)に分かれます。
このうち藤城線と砂原線を経由する旅客列車はそれぞれ一部の普通列車のみで、しかも藤城線に関しては一日に下りの3本しか通過しないことから、函館周辺の函館本線を踏破するにはこれらの支線をいかにクリアするかがポイントになります。
その点、乗車する森行は同一列車でいずれの支線も経由するというありがたい列車で、それゆえこのような早朝出発となるわけです。
無事藤城・砂原の両支線を踏破して森駅に7:43に到着。あとは8:45発の特急「北斗2号」で未踏破の大沼公園・新函館北斗経由の本線を踏破します。
「北斗2号」で9:24に五稜郭駅まで戻り、七飯ー大沼ー森間の8の字状のルートをすべて踏破。
五稜郭からは10:10発の特急「北斗7号」で先ほど通ったばかりのルートを再び通り長万部駅へ向かいます。
11:32着の長万部では、特急の通過しない函館本線「山線」(倶知安・小樽経由)に乗り換え。
この「山線」、長万部側での運転本数は驚くほど少ないものの、幸いこのプランでの乗り換え時間はほどほどの長さで、13:18発の倶知安行に乗り換えます。
14:58着の倶知安での乗り換えも比較的スムーズで、15:18発の小樽行に接続。
16:28着の小樽でもわずか5分で快速「エアポート172号」に接続します。
「エアポート172号」は新千歳空港行なのでこのまま終点まで乗車してもいいのですが、このプランではあえて17:07着の札幌駅で下車、札沼線(通称学園都市線)の踏破に向かいます。
乗車するのは札幌17:30発の北海道医療大学行。
帰宅ラッシュの始まった(と思われる)中、18:17に北海道医療大学駅に到着。
いまやもうこの先新十津川へ向かう列車に乗ることは二度とできないわけで、折り返しの時間は日の暮れた終着駅で感傷的なムードに浸るひとときになるかもしれません。
18:38発の列車でもと来た道を戻り、札幌駅に19:21に戻ってきたところでこの日は終了となります。

次回、第3日編です。
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こういうきっぷを出されちゃあ(笑) [鉄道ニュース]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:北海道で食べたいもの

何てったて、北海道は食べ物ネタには困らない食の王国ですからね。
そういえば、その昔30年ちょっと前の博覧会ブームの頃には、北海道でも食をテーマにした博覧会が確かありましたよね。
海産物に農産物に、ジンギスカンにスープカレーにラーメンに、乳製品にお菓子に・・・と、北海道で食べたいものを挙げていったらキリがないでしょうね。
北海道の物産展がスーパーやデパートの催事の定番になっているのもそのためでしょう。
駅弁好きとしてはやはり各地の駅弁はどうしても外せないところだし、函館の「ラッキーピエロ」のハンバーガーとか、同じ函館のコンビニ「ハセガワストア」のやきとり弁当なんかにも興味アリです。
まあ、過去何度か鉄道旅で北海道に行った時には、行程の都合などもあって駅弁はともかく、街へ出て地元のおいしいものをたらふく食べる、なんてことはできないままでしたが(苦笑)

北海道の鉄道旅といえば、このたびJR北海道が超お得な乗り放題切符を発売するそうです。
詳細は以下のリンクからどうぞ。

「ついに本気を出した」「昔の周遊きっぷも真っ青な設定」 JR北海道の1万2000円「6日間全線乗り放題きっぷ」 注意点は? - ねとらぼ
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2007/13/news122.html

いやあ、こんなきっぷを出されちゃあ、例のあれの第2波かと言われる中でも、すぐにでも北海道に行きたくなってしまうではないですか!(笑)
6日間、在来線の普通・快速と特急自由席、一部を除くJRバスが乗り放題で、普通車指定席にも4回乗れて12,000円とは、北海道の旅行代金補助施策の一環で補助金を受けてのものとはいえ、経営危機が言われるJR北海道としてはかなり思い切った価格設定でしょう。
かつての「北海道ワイド周遊券」や周遊きっぷの「北海道ゾーン」の、例えば東京都区内初の価格がいくらだったかすぐには思い出せないけれど、確かにそれらよりも間違いなく安いでしょうし、乗車できる列車の範囲や1日文当たりの金額で見れば青春18きっぷとは比べ物にならないほどお得感が高いです。

今は例のあれの再拡大で、せっかくこんな素晴らしい乗り放題切符があるにもかかわらず、首都圏在住の者が北海道に行くということがしずらい状況だし、この切符自体も北海道の補助金の財源がなくなれば発売期限を待たず発売修了になるようですが、例のあれが本当に終息を迎えた折の改めての観光振興の意味も込めて、こうしたきっぷは折に触れて発売してほしいし、発売がない場合でも「北海道フリーパス」を少し値下げするだけでもそれなりに誘客効果やJR北海道のイメージアップは図れるような気がしますが、どうですかね?
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中央線201系の最後に立ち会う その2 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
前回に引き続き、中央線のオレンジ色の201系の31年間の活躍の最後に立ち会った思い出の振り返りです。

前回の記事にも書いた通り、中央線201系の最後の営業運転列車に乗車した日の3日後、いよいよ中央線201系にとっての本当に最後の一日になりました。
この日は、豊田車両センターを出て中央東線・篠ノ井線・信越本線を経由して解体先となる長野総合車両所へ向かう「片道切符の旅」です。
途中、豊田から松本まではツアー形式の貸し切り列車としての運転でしたが、私はこの列車には乗車できず、それならばこの廃車回送兼イベント列車を撮影することで中央線201系の本当の最後の日の姿を見届けたいと思いました。

2010年10月17日、朝自宅を出て西武線と徒歩で武蔵野線新秋津駅へ。
新秋津からは183・189系の「ホリデー快速河口湖3号」で最初の撮影地大月駅へ向かいました。
豊田以西の各駅や駅間には、すでに201系を狙うファンの姿がたくさん見られました。
もちろんそれはホリデー快速の車内も同じだったようです。
9:58に大月に着くと、もちろんここも多数のファンが待ち構えていました。
そんな中、定刻よりわずかに遅れて201系到着。
何しろ人数が多いもので駅撮りも一苦労でした。
でも、特製のヘッドマーク(ステッカー?)はもちろん、前面方向幕の特製字幕、それに運転室の花束が感動的でした。
特製の前面行先字幕には「ありがとう中央線201系」の文字がありましたが、その下の「豊田→松本」という一方向のみの運転区間表示が、二度と戻ることのできないこの日の旅路を象徴しているかのようで切なさを覚えました。
一方、側面方向幕は残念ながら「臨時」表示。他が素晴らしいだけにこちらも何か欲しかった・・・と思ったのはわがままですかね。

201系は大月を後に再び西へ向かいます。
私のほうは大月から「かいじ103号」で201系を追っかけます。
当初は甲府まで先回りして最後のお見送りをするつもりでしたが、同じ事を考える人も多く自由席は満席でデッキに立つことに。
そこで予定を変更し、手前の塩山駅で下車。
塩山に着くと、先着していた201系が「かいじ」が入線した隣の2番線に停車中。
201系はここで「かいじ」を待避するため長時間停車しているわけです。
結果的にいうと、ここに撮影地を変更したのは吉と出たようで、駅撮りしやすい長時間停車駅にもかかわらず、意外にも比較的余裕のある状態で撮影できました。
改めて太陽の下でオレンジ色のボディーを眺めると、もうこれがラストランだというのがにわかに信じられないほどの美しい輝きが感じられました。
そして12:08、定刻より4分ほど遅れて201系は塩山駅を発車。
そしてこの出発していく姿を後追いで撮影したかッとが、ついに私にとっての中央線201系のラストカットとなってしまいました。

撮影帰りに乗り換えのために降りた八王子や国分寺のホームに立つと、もういくら待ってもここにオレンジの201系が現れることはないと頭ではわかっていても、何だか信じられない気分でした。
前回も書いた通り、私は中央線沿線民ではないものの、中央線の201系には過去いろいろとお世話になることも多く、非常に身近な存在の車両でした。
そういうこともあり、3日前の営業運転最終列車とこの日のラストランの両方に立ち会うことができたのは本当に幸せだったと今でも思います。

あれから10年、201系から中央快速線のバトンを受け継いだE233系はグリーン車連結の対応工事が進み、12年ぶりの新製車増備も行われるなど、まだまだ中央線での活躍は続きそうです。
一方関東からはすでに撤退した201系も、関西では延命工事も行われるなどして健在でしたが、こちらも間もなく引退の時を迎えようとしており、時代の流れを感じます。

中央線の201系は、注目度の高い特急用車両やイベント用車両のような派手さはないものの、沿線の人々や頻繁に利用する機会のあった人々にはやはり馴染みの存在だっただけに、最後の営業運転や廃車回送にはいろいろな人のいろいろな思いがあるものだと、この2日間で強く感じました。
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中央線201系の最後に立ち会う その1 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
前回まで、2010年3月に引退した大糸線キハ52の最後の乗り鉄&撮影についての記事を書きましたが、今年でちょうど10年になる2010年は思い出してみるといろいろな列車や車両が姿を消した都市であることが分かります。
その中には、1979年の試作車登場以来31年間にわたり中央線快速電車の主役として活躍した201系電車もあります。
私は中央線沿線民ではないものの、1990年4月から一年間の浪人時代には、西荻窪駅前の某予備校へ通うために、ほぼ毎日国分寺ー西荻窪間でおれんじの201系のお世話になっており、それ以外にも何かと中央線でおれんじの201系にお世話になる機会も多くありました。
また、201系引退が近づき、残り稼働編成が2編成、1編成と減っていった頃には、それらの運用が把握できればよく乗車や撮影をしに出掛けたものでした。
そこで今回と次回は、そんな私にとっても思い出のある中央線201系の最後の営業運転列車と、ツアー形式のイベントを兼ねた長野総合車両所への廃車回送の撮影という、中央線201系最後の2日間に立ち会った時の思い出を書きたいと思います。

2010年10月14日、とうとう中央線201系最終営業運転の日がやってきました。
当初、最後の営業運転がいつになるのか不明だったため、とにかく当日の運用が把握でき、仕事などに支障しない時間に乗車や撮影ができれば後悔のないようにしておこうと、前日も会社帰りに国分寺→新宿間で201系に乗車しましたが、やはりこの日が最終日ということが分かるとまた乗りたくなり、当時よくチェックしていた、特徴のある車両などの運用状況や目撃報告を報告しあうサイトに報告が上がっていないか確認してみました。
そうすると、当日の201系豊田車両センターH7編成(この編成が、最後に中央線に残った201系でした)は「15T」運用に入ることが分かり、さらにこの運用の動きを時刻表で確認すると、ちょうど東銀座の会社を定時に退社してからでも間に合う東京駅19:15発の1915T列車が最後の営業運転となることが分かり、もちろん乗りに行くことにしました。

予定通り定時の18時を少し回ったところで会社を出て、有楽町駅から東京駅へ移動、19時ごろに中央線ホームに上がりました。
ホームはおそらくいつも通り帰宅客で賑わっていましたが、もちろん鉄道ファンらしき人の姿も多く見かけました。
19:14頃、いよいよ折り返し1915Tとなる201系H7編成が、もう二度と入線することのない東京駅1番線に入線しました。
私が確認できた限りでは特に最終営業運転であることを示すようなヘッドマークや装飾はなく、事情を知らなければラストラン列車であることに気づかないような普段通りの入線風景でした。
折り返し時間が短いので、東京駅での撮影は入線時のみにし、あとは最後部1号車に座席を確保して発車を待ちます。
そして19:18、定刻より3分遅れて1915Tは東京駅を発車、中央線201系最後の営業運転が始まりました。
車内はこれもおそらくいつも通り帰宅客でほぼ満員。車内アナウンスも東京発車後201系最後の営業運転であることにはまったく触れず、これだけを見ているとおよそ一時代を築いた車両の最終営業運転とは思えない状況にも思えますが、通勤型電車である201系にとっては、いつものような帰宅客を満載した列車で最後を飾れるというのはむしろ幸せなのかもしれないなどと思いながら中央快速線での201系の最後の乗り心地を堪能しました。

そして、普段通りの帰宅ラッシュ風景のママ列車は進み、いよいよ1915Tの、というより中央線201系営業運転自体の終着駅である豊田駅に近づきました。
到着を前にした最後のアナウンスでは、型通りの案内に続き最後に「201系への長らくのご乗車、ありがとうございました」とのメッセージが添えられて案内が締めくくられました。
ここまで特に最後の営業運転を感じさせるアナウンスや車内風景ではなかった分、グッとくる一言でした。
東京発車時点での遅れをそのまま引きずって3分遅れで到着した豊田駅のホームは、201系に別れを告げようとする人でいっぱいでした。特に私の降りた最後部の扉付近はかなりの人だかりができていました。私も含め、それほど広くはないホームに多くの人が集まり、みんなデジカメや携帯、ビデオで201系を撮影するうち、乗客を降ろした201系が豊田車両センターへ引き上げるときがやってきました。タイフォンの響きとともに201系が動き出すと、どこからともなく拍手や「ありがとう!」「ご苦労様!」といった掛け声がいくつか聞こえてきました。
これまで、旧型車や廃止される列車のお別れ運転や最終営業運転に乗客として立ち会った経験はほとんどありませんでしたが、やはり多少なりともお世話になった経験のある車両の最後の営業運転に立ち会う気分とはこういうものだということを、この時に実感することになりました。

次回、その201系の長野への最後の旅立ちを見届けに行った日の思い出です。
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大糸線キハ52お別れ乗車&撮影の思い出 その5 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
大糸線キハ52のお別れ乗車と撮影の思い出、最終回です。

糸魚川10:43発の428Dとして南小谷へ向かったキハ52 115+キハ52 156と、駅構内の仮設車庫に入庫するキハ52 125がともに糸魚川駅のホームから去った後は、428Dのコンビが南小谷から427Dで折り返してくる12:43まで糸魚川駅構内でのキハ52絡みの動きはなくなります。
しかし、当日の糸魚川は冷たい小雨の降る天候で、こんな天気ではその2時間のブランクにホームで北陸線列車を撮影したり、駅周辺をぶらついたりする気も進まず、ひとまず一旦改札を出て待合室で427D到着まで時間をつぶしました。
待合室内にはコンビニスタイルの売店もあり、糸魚川駅の駅弁やキハ52関連のグッズも販売されていました。
キハ52グッズは何種類か商品があり、私は3両それぞれのデザインのチョロQのセットと、糸魚川駅構内のレンガ造りの機関庫内に並ぶ3両のキハ52のイラストが描かれたマグカップを購入しました。

12時半を過ぎ、再びホームへ出ました。
12:43、427Dは糸魚川に定刻到着。
折り返しとなる13:12発の南小谷行430Dもこのコンビで運転ということになりました。
大糸線を利用して自宅に当日中に戻るための最終列車は、430Dの1本後の432D(糸魚川発14:49)で、その列車なら未乗車のキハ52 125に乗ることができるのですが、この後ちょっと寄り道をする予定にしていたため、少々早めながら430Dで糸魚川を離れました。
結局、キハ52 125に大糸線で乗車することは叶いませんでしたが、同車にはのちのまさかのいすみ鉄道譲渡により、何度も乗車することになります。
430Dの南小谷までの約1時間の乗車は、小雨や小雪の降る中、朝同様の雪景色を眺めながら、最後(になると、当時は思っていた)のキハ52の乗り心地を楽しんでいるうちにあっという間に過ぎてしまいました。

14:13に430Dが南小谷駅2番線に着いた後は、もう一度キハ52の姿を目に焼き付けてから、朝に渡った跨線橋を渡りました。
ここからはJR東日本のエリアに戻りますが、18きっぷの旅ながらここで一度改札を出て、松本までの乗車券と特急券を別概して接続する「あずさ26号」に乗車しました。
「あずさ」の車内では、糸魚川で購入した駅弁「白馬弁当」で昼食。
幕の内風の弁当でしたが、結構ボリュームがあり、食後はここまでほぼ一睡もしていなかったこともあり眠気が…

「あずさ26号」は15:43、松本に到着。
もちろんこのまま乗車していれば自宅へは早く戻れますが、それではあまりにもつまらないので、ここで少々寄り道をしてから帰路につきました。
その目的は、未乗車だったアルピコ交通(当時は松本電鉄)の乗り鉄を楽しむことでした。
の乗り鉄を楽しみます。
松本駅の松本電鉄用のホームは、主に大糸線列車が発着する6番線の反対側の7番線。
両者の間には中間改札はおろか柵などもないため、松本電鉄のワンマン電車内で松本停車中に流れる自動放送の中には、JRとの誤乗への注意を促す文言も入っていました。
松本電鉄(現在のアルピコ交通も)の現役の電車は、元京王井の頭線3000系の3000形。
3000形は、車体全体が白ベースの「アルピコカラー」に彩られ、各所に入ったロゴとも相まって側面下半分に残るコルゲート板の凹凸を見なければステンレス車であることを忘れそうな派手な外観になっています。
そんな3000形に乗車して、終点の新島々を目指しました。
道中のほぼ中間にある新村駅に隣接した車庫には、3000形入線まで松本電鉄で活躍していた5000形(元東急初代5000系)の姿を見ることもできました。
この旅の時点でも廃車されてから10年ほどの年月がたっていましたが、地元のボランティアの方々による再塗装も行われているようで、車内から見える範囲では結構きれいな姿をとどめていました。
現在の状況はわかりませんが、今もその当時の姿をとどめていることを期待したいものです。
松本から30分ほどで終点の新島々に到着。
また一つ完乗路線を増やしたところで、折り返しの電車で松本へとんぼ返り。
松本駅に戻り、駅周辺で時間を潰した後、甲府行448Mで帰路につきました。
甲府駅に20:25に到着すると、側線には、この人翌日に小海線で運転された「リゾート八ヶ岳」号で使用されていた「リゾートしらかみブナ編成」の初代編成と、同編成の改装区間の牽引を担当したEF6439の編成が停車中!

この後、甲府からは高尾行566M、さらに中央・武蔵野・西武線を乗り継いで、ギリギ日付が変わる前に自宅に到着しました。

大糸線の3両のキハ52たちは、この旅の直後の2010年3月13日限りで現在も活躍するキハ120形に置き換えられて引退し、その後の動向が気になっていましたが、115号は岡山県の「津山まなびの鉄道館」で静態保存され、125号はいすみ鉄道に譲渡されて現在も活躍しています。
残る156号はしばらく動静がつかめませんでしたが、現在は糸魚川駅高架下にある商業施設「ジオステーションジオパル」にある「キハ52待合室に保存されています。
ひとまず3両とも引退後の落ち着き先が決まり、156号については地元糸魚川での保存となったのは幸いと言えるでしょう。
125号はいすみ鉄道譲渡後何度も乗車する機会がありましたが、残る2両にはまだ再会できていないので、機会があればそれぞれ現地に行って再会を果たしたいものです。
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大糸線キハ52お別れ乗車&撮影の思い出 その4 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
大糸線キハ52のお別れ乗車と撮影の思い出、その4です。

10:20、南小谷から425Dで折り返してきたキハ52 125が糸魚川駅に到着。
先ほど私が1本前の423Dで南小谷からここまで乗車してきたキハ52 156と115のコンビとともに大糸線最後のキハ52として活躍していた125号でしたが、私はそれまで何度か鉄道旅の途中などに大糸北線を利用する機会はあっても、このキハ52 125との相性はあまりよくなかったのか、検査入場中だったり糸魚川の機関庫で休んでいたりと乗車や撮影のチャンスにずっと恵まれていませんでした。
そんなキハ52 125の写真をじっくり撮影するチャンスが、最後の最後になってやっと巡ってきたわけです。

さっそく、同車の到着した4番宣ホームや中線を挟んだ反対側のホームから、125号を撮りまくりました。

425Dで到着したキハ52は、本来の運用であれば10:43発の428Dで南小谷へ折り返すことになっていました。
しかし、この日は臨時に運用変更が行われ、428Dには先ほど一旦駅構内の仮設車庫に入庫したキハ52 115+156のコンビが入り、125号の方は入れ替わりに入庫ということになりました。
おそらく、428Dの折返しの427Dが、南小谷で千葉発の特急「あずさ3号」の接続を受けて発車するため、昨夜の「ムーンライト信州」同様この列車を利用して関東方面から来る乗客が集中することを見越しての措置だったと思われます。
428Dは発車番線も通常の4番線から2番線に変更され、キハ52 125も4番線にとどまっていたため少々強引ながら3両のキハ52の全車をワンフレームに収めて撮影することができました。

10:43、428Dは糸魚川を出発。
その直後、3両のキハ52が至近距離で一瞬の揃い踏みを見せてくれました。
若干シャッターを切るタイミングが遅れましたが、この光景が見られただけでもラッキーでした。

次回に続きます。
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大糸線キハ52お別れ乗車&撮影の思い出 その3 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
大糸線キハ52のお別れ乗車と撮影の思い出、その3です。

南小谷から乗車した大糸線糸魚川行423Dは、沿線の雪景色を眺めながら8:46、定刻に終着糸魚川駅に到着。
ここまで乗車してきた人々は、ホームで撮影を続ける人、次の目的地を目指す人と三々五々別れていきました。
私は駅のホームに残り、キハ52をはじめとする車両撮影を続けました。
糸魚川駅で主に大糸線列車が発着する4番宣ホームには、3両のキハ52の写真やイラストも入った観光案内看板も設置されていました。
大糸北線(南小谷ー糸魚川間)を管轄するJR西日本糸魚川鉄道部(当時)がが作成したものと思われ、こんなところにもキハ52に対する糸魚川鉄道部の方々の愛情のほどが感じられました。
大糸北線の車両がキハ120に変わった現在も、同種の看板は設置されているのでしょうか?

糸魚川駅といえば、北陸新幹線工事に伴って解体されてしまったレンガ造りの機関庫が有名でした。
キハ52同様消えゆく運命にあったこの機関庫は、当時まだ健在でしたが、以前訪れた時にはキハ52なども入庫していた庫内に車両の姿はなく、代わりに数人の作業員の方と工事用機材があり、何やら作業も始まっている様子でした。
解体前に最後の姿を見届けられた反面、解体がもう時間の問題という現実も突きつけられ、非常に複雑な心境で機関庫を眺め、撮影することになりました。

さて、糸魚川に到着して乗客を下ろしたキハ52 156+キハ52 115の2両は、一旦構内の富山寄りに引き上げた後、入庫となります。
しかしこれまでキハ52のねぐらであったレンガ造りの機関庫が上記のような状況なので、駅ホームを通過して構内直江津寄りの仮設(?)の車庫へ向かいます。
ここでは、糸魚川鉄道部に常駐していたディーゼル機DE15との並びも見られました。

2両のキハ52が入庫した後は、先ほど乗車した423Dと根知駅で交換したキハ52 125が、南小谷からの425Dで糸魚川に到着するまで1時間半近く暇なので、糸魚川にやってくる他の列車も数本撮影しました。
この間に撮影できたのは、当時こちらも消えゆく運命にあった寝台電車の近郊型改造車419系や交直流急行型電車の更新改造車413系の北陸線普通列車や485系の特急「北越」、JRと北越急行それぞれに所属する681系の併結による特急「はくたか」、さらには当時富山機関区に配置され、ローズピンクの国鉄色のままの姿だったEF81 404号機牽引の貨物列車と、どれも第三セクターに移管された現在では見ることも乗ることもできない車両たち。
この時の旅のメインはあくまでもキハ52でしたが、合間にやって来たこれらの車両たちも、今となっては懐かしい顔ぶれです。

次回に続きます。
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大糸線キハ52お別れ乗車&撮影の思い出 その2 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
大糸線キハ52のお別れ乗車&撮影の思い出、その2です。

信濃大町から乗車した快速1323Mは、定刻6:27に南小谷駅1番線に到着。
E127系のドアが開くやいなや、私も含め多くの乗客が跨線橋を急ぎ足で渡り、糸魚川行423Dの発車する隣の2番線へ向かいました。
その甲斐あって、私は乗車位置の列の前から3番目に立つことができ、着席はほぼ確定。
あとは422Dとして7:23に到着するキハ52を待つのみです。
この時間の南小谷駅あたりは、細かな雪交じりの雨が降っていましたが、あまり寒さは感じず、1時間弱経ちっぱなしではありましたが、その時間もそれほど長くは感じませんでした。

そして定刻通り、いよいよキハ52が南小谷に到着。
ドアが開いて座席を確保してしまえば、あとは423Dの発車する7:51までゆっくり撮影や観察を楽しめました。
この日の422D~423Dは本来は単行運転でしたが、この日は大糸線キハ52最後の週末、さらに前夜は「ムーンライト信州」運転日で首都圏から大糸線を訪れるファンが多くなることを予想してか、糸魚川寄りにタラコ色のキハ52 156、南小谷寄りに一般型気動車標準色(朱色とクリーム色のツートン)のキハ52 115のコンビの2両編成での運転でした。

423Dは定刻7:51、南小谷を発車。
車内は座席がほぼ埋まり、立っている人も数人見られましたが、2両に増結されていることもあってか予想していたような混雑はなく、しかも各駅で下車する人も結構多く、終着の糸魚川に着く頃には乗車したキハ52 115の車内には所々空席もありました。
途中駅の根知駅では、大糸線で活躍した最後のキハ52のもう1両であるキハ52 125(紺色とベージュのツートン)単行の南小谷行424Dと交換。
できればホームに降りて3両揃い踏みの状況を撮影したいところでしたが、423Dは交換後すぐ発車するためそれは叶わず。
まあ、もっともこの後糸魚川駅で揃い踏みを見ることはできましたが。

キハ52のクロスシートに座って沿線の雪景色を眺めているうちに、423Dは8:46、終点の糸魚川に到着。
この後は糸魚川駅ホームでキハ52をはじめいろいろな車両を撮影しました。
そのあたりは、また次回。

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大糸線キハ52お別れ乗車&撮影の思い出 その1 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
相変わらず新しいブログのネタの収集もなかなかできない状況なので、今回からも過去の乗り鉄の思い出の振り返りシリーズです。
今回からは、2010年3月のダイヤ改正でキハ120形に置き換えられて引退した、大糸線南小谷ー糸魚川間で活躍していたキハ52形3両に、引退直前にお別れ乗車と撮影をしに行った時のことを振り返っていきます。

2010年3月5日の夜、青春18きっぷを利用して大糸線キハ52のお別れ乗車&撮影に出発しました。
今回は実質的に日帰りとなるため、当時シーズン中の金曜夜を中心に下りのみ運転されていた新宿ー白馬間の夜行快速「ムーンライト信州」を立川から利用することにし、まずは自宅最寄駅から西武線と武蔵野線を乗り継いで西国分寺へ、さらに中央線で立川へ向かいました。
しかし、西国分寺までは順調に来たものの、この夜の中央線は、夜に入って車両点検による遅延が発生していたところへ、さらに22時半頃には四ツ谷駅で人身事故(実際には「接触」程度だったらしいですが)が発生し、このダブルパンチでダイヤは混乱。
事故による抑止は30分弱で解除になり、立川には0時頃到着したものの、各列車とも40分前後の遅れが出ていたようで、信濃大町・白馬からの乗り継ぎ、さらに運転本数の少ない肝心の大糸北線への接続のこともあり「ムーンライト信州」がどの程度遅れてくるのか気にしながらひたすら待つことに。
しかし、それも悪いことばかりではなかったようで、当時2編成が最期の活躍を続けていた中央快速線のオレンジの201系を、2編成とも立川駅ホームで撮影することができました。
いずれも30~40分ほどの遅れで立川に到着したものですが、2編成とももし中央線が定時運転であれば、撮影どころか遭遇もできなかったと思われるので、逆にラッキーな展開になりました。

さて、肝心の「ムーンライト信州」の方は、所定の立川到着時刻の頃になって「現在15分程度の遅れで運転中」とのアナウンスがありました。
もともとムーンライト信州はダイヤに比較的ゆとりがあったので、この程度の遅れの幅であれば高尾以西での回復運転はそう難しくないと思われ、ちょっと安心。
そして0:48、20分遅れで「ムーンライト信州」は立川に到着、1分停車で発車しました。
私は5号車のモハ188-33に乗車し、座席に落ち着きます。
その後の「ムーンライト信州」は、中央線遅延に伴う救済措置とかで本来通過の高尾と石和温泉に臨時停車したり、先行の大月行終電や貨物列車の支障で2~3カ所で抑止がかかったりして、塩山発車時点では遅れが25分ほどに拡大しましたが、そこからのスピードアップは素晴らしく、甲府発車時点で17分、小淵沢発車時点で5分と急速に遅れを解消していき、塩尻に到着したところで定時運転に回復しました。

「ムーンライト信州」は5:10に大糸線信濃大町駅に定刻到着。列車自体はこの少し先の白馬行ですが、私はここで下車。
この先南小谷への接続列車は、信濃大町からでも白馬からでも同じ快速1323M列車でしたが、1323Mは信濃大町始発のため、座席確保も考え信濃大町での乗り換えを選択しました。
1323MのE127系の車内は、私も含め「ムーンライト信州」からの乗り継ぎ客を中心に、特に白馬からは早朝とは思えない混雑となり、特に南小谷駅の改札や跨線橋に近い後部車両は満員になりました。
1323Mは定刻6:27に南小谷駅に到着。
ここから先は、いよいよこの日の乗り鉄&撮影の目的であるキハ52に乗車します。
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