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ブログオフ会の思い出(2013年夏 千葉編) その3 [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。
前回に引き続き、以前のブログでのブログ仲間の方々との千葉でのプチオフ会の思い出です。

小湊鉄道五井機関区で保存されているSLや気動車を見学した私たちプチオフ会メンバーは、再びYさんの車に乗り、京成千原線学園前駅近くにある「大百池公園」へ向かいました。
ここでは賑やかな蝉時雨の中、園内の遊歩道を一周ウォーキング。
ひと時鉄道から離れてゆっくりと池の周りを歩いていたつもりでしたが…
公園内に京成千原線の高架が通っているとYさんに教えていただいてついついそちらに注目してしまいました。
列車の通過には出くわしませんでしたが、高架橋だけ見ると新幹線のものと錯覚しそうなほど立派に見えました。
当日はかなりの暑さでしたが、通っていた大学からほど近い場所に緑あふれるこのような公園があったとは卒業してからでも20年近くも気付かなかったのが悔やまれるほど、自然豊かで癒されるひとときでした。
大百池公園を後にして次に向かったのは、千原線おゆみ野駅近くにあるパン屋さん「石窯パン工房」。
ここは名前の通り石窯で焼いたパンを提供するお店で、千葉では結構有名なお店なんだそうです。
店内でパンを買うとイートインコーナーでおいしいコーヒーを飲みながら買ったパンをいただけるので、みんなで好きなパンを買っておしゃべりしながら一休み。

その後は、夕方からの千葉駅付近での飲み会に向かうべく近くのおゆみ野駅へ移動。
先ほど大百池公園で眺めた千原線の高架橋が新幹線ぽく見えるなら、おゆみ野駅の駅舎も新幹線のそれのような立派さです。
しかし、ホームへ上がると相対式2面2線のホームのうち線路が敷かれ架線も張られているのは本来ちはら台方面専用のホームとなる側だけで、反対の京成津田沼方面ホーム側は線路や架線はおろか、ホームへ上がるための階段も未完成というありさまで、もちろん列車の発着はちはら台方面行も京成津田沼方面行も線路のある側のホームで行っていました。(現在でもこの状況は変わっていないと思われます)
壮大な路線延伸構想や立派な高架橋・駅舎とは裏腹な千原線の現実を見せつけられる思いでした。
果たして、京成津田沼方面行ホームに列車が発着し、乗降客がホームに立てる日はやって来るのでしょうか…?

私たちプチオフ会メンバー以外の乗客もほとんどいないホームで待つことしばし、京成3500形未更新車の京成津田沼行がやって来たので私たちはこれに乗車し、2つ先の大森台駅で途中下車しました。
ここは千原線の前身である千葉急行電鉄が1992年に開業した時の終着駅だった駅です。
駅は半地下構造で、列車が去ると薄暗いホームは途端に静寂に包まれます。
ただ、列車の音も駅の外の音もほぼ聞こえないと不安になる人もいるためか、どこからかカッコウの鳴き声が聞こえてきました(もちろん録音されたものですが)

次の京成津田沼行までは20分間あるので、薄暗いホームでじっとしているのもどうかということになり改札を出て駅周辺を一回りしました。
大森台の駅舎は、体育館か航空機の格納庫のような外観が特徴ですが、駅の規模を考えると何を意図してこのような駅舎になったのか不思議です。
駅周辺の道路は結構交通量があるようで、駅の中とは活気がずいぶん違うと感じました。

再び千原線に乗り京成千葉駅へ移動。
ここでもう一人の参加者も合流し、近くの居酒屋へ移動して飲み会のスタートとなりました。
改めて全員で自己紹介などした後、飲んで食べてしゃべっての大盛り上がり。
そして21時頃には、これもYさんが当時いすみ鉄道を様々な形で応援する組織である「いすみ鉄道応援団」のメンバーとして活動していた縁で、その会の掛須団長と鈴木助役(役職はいずれも当時のものです)が来てくださるというサプライズもあり、お二人からもいろいろと貴重なお話を伺うことができました。
惜しむらくは時間が少々足りなかったのが残念でしたが…

そんなこんなで飲み会が終わってみれば時刻はもう22時。
17時頃居酒屋に入ってからあっという間に5時間が経過していましたが、その長さを感じさせない盛り上がりの楽しい席でした。
そしてまたのオフラインでの再会をお互いに約束して、プチオフ会はお開きとなりました。
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ブログオフ会の思い出(2013年夏 千葉編) その2 [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。
前回に引き続き、以前のブログでのブログ仲間の方々との千葉でのプチオフ会の思い出です。

小湊鉄道海土有木駅でひと時を過ごし、再びプチオフ会主催のYさんの車に乗り次に向かったのは、同じ小湊鉄道の五井駅構内にある車両基地、五井機関区。
ここでは、Yさんを通じて職員の方から許可をいただき、敷地内に静態保存されている3両のSLを見学させていただきました。
この3両は、いずれも明治・大正期にイギリス・アメリカで製造され、小湊鉄道での活躍後保存されたものです。
そしてこれらは、かつてYさんがボランティアとして再塗装作業に参加されたことがあるそうで、その時の裏話も職員の方やYさんから伺うことができました。
さらにここでの収穫は、廃車後も長らく五井機関区で保管されている気動車キハ5800形を見ることができたこと。
この車両は1914年に製造された鉄道院(後の鉄道省→国鉄→JR)の電車がルーツで、その後荷物車化や三信鉄道(現在のJR飯田線の一部区間)への譲渡、その後、三信鉄道の国有化に伴う鉄道省・国鉄への復帰を経て、1960年に気動車化の上で小湊鉄道へやってきたものです。
小湊鉄道では、同社で今も活躍するキハ200形とともに活躍し、予備者となった時代を経て1997年に廃車となった後も機関区で大切に保管されています。
同車はイベントの時など特別な場合を除き非公開ですが、これもYさんと職員の方とのご縁のおかげで見学することができました。
そのキハ5800形は検修この中に入っており、隣の線にはキハ200形が入線していたため一方の前面しか見ることはできませんでしたが、かなり色あせが目立つとはいえ、電車時代も含めればこの日の時点で製造からまもなく100年に達するという歴史的価値の高い車両を見ることができ、鉄道ファンとしてはよいものを見せていただいたという気持ちになることができました。

五井機関区を後にして、さらにプチオフ会は続きますが、続きはまた次回。
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ブログオフ会の思い出(2013年夏 千葉編) その1 [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。
今回からは、かつて私がamebaでブログをやっていた時代の2013年7月に、4人のブログ仲間の方々と千葉方面でプチオフ会を開いた時のことを振り返ります。

このプチオフ会には、この会を持とうと声をかけてくださったYさんという方をはじめ、私も含め男性3名、女性2名(1名は夜の飲み会だけでしたが)が参加しました。
2013年7月27日、京成千葉駅から京成千葉・千原線に乗車して13時前に終点のちはら台駅に到着。
Yさんはじめプチオフ会の参加メンバーとはここで待ち合わせしました。
私は主催のYさんとはいすみ鉄道のイベントで何度か顔を合わせていましたが、他の方々とはお互いリアルでは初めての出会いとなりました。
しかし、お互いに相手のブログを読んだりコメントをしたりしていたからなのか、打ち解けるのもかなり早く、出発前から何度もあっているかのように会話が盛り上がりました。

そして一同、Yさんの車に乗せていただき、まず向かったのは小湊鉄道の海土有木(あまありき)駅。
この駅は、昭和の懐かしい鉄道風景が随所に残る小湊鉄道らしい、いかにもローカル線の駅といった感じのひなびた駅舎のある駅です。
しかし、Yさんによれば、この駅は世が世なら大変貌を遂げていたかもしれないというのです。
それは、私が先ほど乗ってきた京成千原線(千葉中央ーちはら台間)を建設し当初運営していた第三セクター鉄道千葉急行電鉄は、ちはら台駅からさらに延伸してこの海土有木駅まで路線を伸ばすことを計画していたからで、ちはら台駅からここまで車で通ってきた道もその計画ルートに近いものだったそうです。
また千葉急行電鉄や京成は、千葉急行線をここからさらにJR外房線の安房小湊駅まで延伸させるという野望も持っていたそうで、これが実現していたらその途中駅になっていたかもしれない駅だったそうです。
この一連の計画は私も鉄道雑誌で読んだことがありましたが、現実の海土有木駅に行ってみるとそういう計画があったことも信じられないような、のどかな土曜日の昼下がりといった光景が広がっていました。
現実には安房小湊どころか海土有木までの延伸も叶わないまま、開業済み区間の乗客数の伸び悩みから千葉急行は経営破綻し、すでに開業していた区間は京成千原線となりました。
そんな話をYさんから聞きながら、のんびり無人駅のホームを歩いたり待合室のベンチに腰掛けていたりすると、もしここや安房小湊までの延伸が実現していたらこんなのどかな風景は失われていたのではないかと思う一方、どんな列車が走っていたのだろうという想像が広がってきました。
仮に安房小湊まで延伸されていたとすると、この構想がリゾート客の誘致が目的だったということからして、おそらく京成上野駅や都営・京急線方面からのリゾート特急が走っていたのかもしれないし、一般輸送でも千葉急行や京成だけでなく、レールのつながっている都営浅草線や京急、新京成電鉄の車両も乗り入れてきたかもしれない…などと妄想するのもなかなか楽しいものです。

30~40分ほど海土有木駅で過ごし、列車の発着風景も見ることができたところで再びYさんの車に乗り、次の目的地に向かいます。
ここから先は次回に続きます。
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いったい何枚買ったやら… [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:集めたことあるもの

集めたというよりどんどん溜まっていったと言う方が正しいでしょうが・・・
オレンジカードやイオカード、パスネットにスルッとKANSAI、テレホンカード等のプリペイドカードや、ブルートレインなどの個室カードキーやシャワールーム利用時のカードなどの磁気カードは、一時たくさん持ってました。
どれもこれも、今となっては懐かしさすら感じる存在になってしまいました。
私自身、乗車券や指定券を収集したり記念切符を購入したりすることにはあまりハマりませんでしたが、これらのカード類を集めるのはなぜか好きでした。
これらのカードが全盛の頃、プリペイドカードを買う時にはいろいろな絵柄の中から好みのものを選ぶ楽しみがあって楽しかったし、例えば自分の乗った列車でその列車の担当車掌区特製の限定オレンジカードが販売されたりしているとつい買ってしまったりと、今から振り返るとなかなか楽しい時代でした。
オレンジカード等やテレホンカードを日常的に使っていると、使用済みのカードがどんどん手元に溜まっていきますが、今にして思えば数限りない種類の写真や絵柄のカードが集まっていくのは楽しみで、これはICカード等では真似のできないものでしたね。

こんな、実用性と収集欲の両方を満たしてくれるようなアイテムって今後はもう現れないんでしょうかね。
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これを語りだしたら… [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
2週間ほど前、例によって、ネットで鉄道関連のニュースをあれこれチェックしていたら、こんな記事を発見しました。

「昔の鉄道」過去に戻れたら何に乗りたい? ブルトレ、食堂車、懐かしの新幹線…703人の声 (乗りものニュース)
https://trafficnews.jp/post/105608

いやあ、過去の鉄道に関する話題って、結構盛り上がりますね。
私が所属している鉄道好きの視覚障害者の集まるメーリングリストでも、この記事が出てから数日間、乗りたかった(もう一度乗りたい)列車の話題で大いに盛り上がりました。
それにしても、ブルートレインに対する懐かしさや憧れを今でも持ち続けている人って多いんですね。
確かに私にとってもブルートレインや夜行列車はあこがれの存在だったし、実際に乗った時のことを思い出しても懐かしい気分に浸ることができ、それこそタイムマシンがあったらまた何度でも乗りに行きたい列車の筆頭です。

それで、私にとっての「過去に戻れたら乗りたい(撮りたい)列車(車両)」は…
・JR東日本の豪華客車「夢空間」に乗車し、食堂車で後方展望を楽しみながら食事がしたかった!
・JR発足直前に社内設備のグレードアップが行われた東京ー博多間のブルトレ「あさかぜ1・4号」に乗車し、「オリエント急行風」の内装の食堂車で食事がしたかった!
・大阪ー青森間の485系特急「白鳥」や大阪ー博多間(山陰線経由)のキハ82系特急「まつかぜ」などの昼行長距離特急に乗りたい!
・日本全国を急行列車や旧型客車の鈍行で旅したい!
・近鉄の初代・2代目のビスタカーや修学旅行用車両20100系「あおぞら」、東武の1720系デラックスロマンスカーなど、子供のころのあこがれだったのに乗るチャンスのなかった私鉄車両に乗りたい!
・全国の路面電車に乗りまくりたい!(特に東京や大阪、名古屋などの広大な路線網を誇っていた都市)
…などなど、もう挙げていったらきりがありません。
鉄道ファン同士の飲み会などで、この手の話題が出たら、人それぞれにいろいろな願望が出てきて止らなくなるんでしょうし、それは鉄道以外のジャンルでも同じかもしれませんね。
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久しぶりに食べたくなってきた [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:凍らせておいしいものは?

小中学生の頃、たまに給食で「りんごシャーベット」が出ることがありました。
シャーベットといっても一般的にイメージするようなものとは少し違い、りんごを皮付きのまま半分に切り、芯とヘタを取って冷凍したものでした。
この「シャーベット」、手で簡単に皮が剥けるのが氷菓メーカーの売りだったようで、袋にもその事が書かれていました。
確かに食べるときに実際にやってみると、ほとんど力もいらずに皮がスルスルと剥け、すぐにかぶりつけるので手軽に食べることができました。
りんごはもともと好きでした(もちろん今でも)が、この「シャーベット」も、かぶりついて食べるとひんやり感とりんご自体の甘味が口の中に広がり、すっかりハマってしまいました。
あまりにこの食べ方が気に入ったので給食に出てくるのを待っているだけでは飽き足らず、家でも同じようにして何度か食べた思い出があります。

そして給食に出てきた冷凍フルーツといえば、冷凍みかんも忘れられません。
冷凍みかんといえば、かつて駅の売店などでも売られていて「昭和の鉄道旅」のよき脇役的アイテムにもなっていますが、給食にたまに出てくる冷凍みかんも楽しみでした。
ちなみに、これとは別に「オレンジシャーベット」も給食に出ることがありましたが、リンゴのシャーベットとは違いこちらは一般的にイメージされるようなオレンジ(みかん)のシャーベットと同じものでした。ただ、シャーベットはみかんやオレンジの中身をくりぬいてできた容器に入っていたのがユニークでした。

給食に縁がなくなって、りんごやオレンジのシャーベットや冷凍みかんを食べることもほとんどなくなりましたが、この文章を書いているうちに久しぶりにこれらを食べたい気分になってきました。
りんごシャーベットや冷凍みかんは作り方も至って簡単なので、それぞれの旬の時期になったら作ってみようかな…と思ってます。
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2012年GW名古屋遠征の思い出 その15 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
2012年GWに名古屋へ鉄道旅に出かけた時の振り返り、最終回です。

一通り屋内展示の車両たちやその他の展示物を見学しましたが、展示・利用されている車両は屋外にもいます。
そこで、最後に屋外の車両も見ていきます。
●ケ90形蒸気機関車ケ90号
もとは大正時代に岐阜県にあったローカル私鉄東濃鉄道に導入された、軌間762mmの軽便鉄道向け蒸気機関車で、その後東濃鉄道の一部区間が国有化されたのに伴い国鉄(当時は鉄道省)の所有となり、昭和初期の廃車以後も浜松工場などで保管や教習用車両としての活用を経て、ここでの保存展示となりました。
同機は廃車後しばらくして中部地区での鉄道職員の郷愁施設だった中部鉄道学園(現在のJR東海研修センター)の教習用教材となった際に、内部構造が見学しやすいように車体の一部が切り取られた形態になり、リニア・鉄道館でもそのままの状態で屋外展示されています。
先ほど屋内でC62やC57を間近に見た直後だったので、それに比べて同期のコンパクトさがよくわかりました。
●117系電車クハ117-30+モハ117-59+クハ116-209
京阪神地区や名古屋地区で新快速や快速用として活躍した転換クロスシート車。
リニア・鉄道館には大垣車両区に所属していたS1編成4両のうち、モハ116-59を除く3両が製造時と同じクリーム色に茶色帯の姿に戻されて屋外に展示され、飲食・休憩スペースとして車内が開放されていました。
しかし、2019年に新幹線N700系の試作車の一部が保存車両として加わった際に展示位置を譲ることになり、クハ117-30が屋内の「収蔵車両ゾーン」に移ったほかは解体されてしまいました。

これで一通り展示を見終えたので、もう時刻も13時になろうとしていたこともあり、ほぼ原形のままと思われる117系の車内で駅弁の昼食をとることにしました。
117系の車内はやはり家族連れなどでほとんどの座席が埋まっていましたが、車内を空席を探して歩いていたところちょうど目の前に空席ができたのでそこに着席。
ここでいただいたのは、朝のうちに名古屋駅で購入しておいた駅弁
「ひつまぶし」。
さすがに車両の中ではひつまぶしの本流とされる食べ方はできなかったものの、国産のうなぎは旨かったです。

駅弁を食べた後一休みしてリニア・鉄道館を後にし、「あおなみ線」の金城ふ頭駅へ。
朝ここまで乗ってきたときには気づきませんでしたが、その金城ふ頭駅のホームに面白い自販機があるのを発見。(現在もあるかどうかは不明です)
その自販機は、商品を買うと、名古屋でラジオパーソナリティーなどとして活躍している矢野きよ実さんというタレントさんによる名古屋ことばのメッセージが流れるというもの。
試しにその自販機で缶コーヒーを買ってみると、内容は残念ながら覚えていませんが、謳い文句通りこれぞ「名古屋ことば」という感じのメッセージを聞くことができました。
流れるメッセージはいくつものパターンが収録されていて、それらがランダムに流れるようになっていたようです。
時間とお金があればどんなメッセージが流れるか全部聴いてみたい気分になってきましたが、そんなところへちょうど名古屋駅へ向かう電車がやってきたので乗車。

「あおなみ線」で名古屋駅へ戻った後は、新幹線で帰路に就くだけになりました。
名古屋から乗車するのは、N700系による15:28発「こだま664号」。
この日はGWも終盤になり、上り(のぞみ)はかなり混雑しているようでしたが、名古屋始発の「こだま664号」は指定席・グリーン車こそ満席だったものの、乗車した自由席7号車は名古屋発車時点でも空席がいくつかあり、その後も乗客の入れ替わりはあっても社内やデッキに立ち客が出るという状態にはならず、約3時間のんびりと過ごすことができました。

こうして、2012年の名古屋への鉄道旅は終わりました。
あれからほぼ9年が経ちましたが、この2012年の遠征以来名古屋にはゆっくりと出かけるチャンスがなく、名鉄やリニア・鉄道館などにもご無沙汰になっています。
毎度のことながら、早く今の状況が好転して久しぶりに鉄道旅を思い切り楽しみたいものです。
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2012年GW名古屋遠征の思い出 その14 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
今回も2012年GWに名古屋へ鉄道旅に出かけた時の振り返りです。
前回に引き続き、リニア・鉄道館(鉄道館)を訪れた時のことを振り返ります。

今回も、「収蔵車両ゾーン」と呼ばれるエリアに展示されている車両たち編です。
ちなみに今回取り上げるのはすべて客車、そして佐久間レールパークからの引っ越し組です。
●オロネ10形オロネ10 27
10系軽量客車の1等寝台車(後のA寝台車)として登場した車両。
その後、鉄道工事の現場での作業員の移動宿泊車(工事車)オヤ10 1に改造され、国鉄時代末期に廃車されました。
佐久間レールパーク開園に際して同署で保存されることになり、車内は工事者時代のまま、外観の塗装(ぶどう色に青帯)や各種標記類だけをオロネ10としての製造直後の仕様に復元した車両です。
●マイネ40形マイネ40 7
戦後間もない時期に製造された1等寝台車。
その後寝台車の等級変更によりマロネ40形に形式を変更、さらにオロネ10改造のオヤ10形同様の工事車オヤ41形となって国鉄時代末期に廃車された後、やはり前項のオロネ10同様、外観の塗装と標記のみ、マイネ40としての製造当初の仕様に復元したものです。
復元された標記類の中には、国鉄発足前の「鉄道省」を表すアルファベット略称の「JGR」の文字もあり、これも貴重な存在ですが、やはり横並びの保存形態ではそれも通常は見ることが困難です。
●オハ35形オハ35 206
戦前から戦後にかけて大量に製造された一般型客車で、同系列の車輛は今でも大井川鉄道で保存運転されているほか、各地で保存展示されている車両も多い形式です。
同車は標記類が戦前の仕様のものに復元されています。
●スニ30形スニ30 95
スニ30は、日本初の鋼製客車であるオハ31系列の荷物車。
屋根はダブルルーフ構造ですが、線路レベルからではなかなかそれがわかりにくいのが少々残念です。
スニ30 95は、荷物者としての活躍の後に救援車スエ30 8に改造されていたものを、佐久間レールパークへの保存に当たって復元したものだそうです。
●オヤ31形オヤ31 12
この車両は、新線開通や電化開業時など、線路周辺の駅舎などの建造物に大きな変化が生じた場合に、建造物が建築限界(車両に障害物が触れないようにするための限界線)内に収まっているか測定する「建築限界測定試験」に使用される車両で、建造物が建築限界に支障しているかどうかを測定するための矢羽根を車体から出していることから、通称「オイラン車」とも呼ばれます。
収蔵車両ゾーンに展示されている客車は、いずれも他の客車との連結麺を見せているだけなので、妻面を見ているだけではそれぞれの形式の区別がつきにくいのが残念ですが、オヤ31は「矢羽根」の存在のおかげですぐ見分けがつきます。

次回、屋外の展示車両編、そして名古屋遠征の思い出の振り返りは最終回となります。
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2012年GW名古屋遠征の思い出 その13 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
今回も2012年GWに名古屋へ鉄道旅に出かけた時の振り返りです。
前回に引き続き、リニア・鉄道館(鉄道館)を訪れた時のことを振り返ります。

今回と次回は、「収蔵車両ゾーン」と呼ばれるエリアに展示されている車両たち編です。
ここに展示されている車両は、車両正面(運転室のある車両は運転室側、それ以外は連結麺)を見せた状態で横並びに展示されているため車両側面は見学しずらいのが、特に側面の窓配置などに特徴のある車両では大変惜しいところです。
また、車両展示ゾーンの車両たちの中には社内が公開されているものもありますが、収蔵車両ゾーンの車両たちの車内は通常非公開で、ガイドツアーの時などに見学するチャンスがあるようです。
●新幹線0系16-2034+37-2523
車両展示ゾーンにも展示されている0系の、こちらはグリーン車とビュフェ車。
どうせならこの2両も21形や36形と連結して展示し、車内も見学できるようになっていたら嬉しかったですが、敷地の関係で無理だったんでしょうか。
●381系クロ381-11
JR東海が発足後、中央西線の特急「しなの」の基本編成を9両から6両に減車した際に登場した、運転室後部の座席から全面展望が楽しめるパノラマグリーン車。
一度乗ってみたかった車両の一つでしたが、乗車するチャンスのないまま鉄道館で初対面となりました。
しかしこの車両、2019年にしんかんせんN700系の試作車の一部が屋外展示車両として加わった際に、そこに展示されていた117系のクハ117が屋内展示となり、それに場所を譲る形となって展示を終了し解体されてしまいました。
●165系電車クモハ165-108・サロ165-106
こちらも東海地方には縁の深い165系電車。
クモハ165は「デカ目」とも呼ばれる原型の大型ヘッドライトと「急行」の種別表示、サロ165も淡緑色の帯を側面窓下に配した姿で展示されていますが、これも編成を組んだ姿が見てみたかったです。
●モハ63形モハ63638
戦時中から戦後にかけての通勤輸送に貢献した車両。
同車は、浜松工場で廃車後に保管されていた牽引車クモヤ90005を63形電車としての製造当時に近い姿へ復元した車両です。
63形電車は後年の改造後の形式である73系とともに、名古屋地区での活躍は東京・大阪エリアと比べわずかなものでしたが、その63・73系のほぼ唯一のきちんとした保存例である同社が、その名古屋にいるというのも面白いところです。
ただ、展示位置の関係で、63形電車の外観上の特徴の一つである三段窓が目立ちにくいのが惜しまれます。
私が鉄道館を訪れた当時は、正面に行先表示板などは掲げられていませんでしたが、現在は中央線用の行先表示板が掲げられているとか。
●キハ80系気動車キハ82 73
車両展示ゾーンのキハ181系の一世代前の特急型気動車キハ80系の先頭車。現状はわかりませんが、私が鉄道館を訪れた時には、正面に高山線特急「ひだ」の絵入りヘッドマークを掲げて展示されていました。
●キハ48000形気動車キハ48036
国鉄の液体式気動車の先駆けと言える形式で、のちに形式がキハ10に改められています。
同車は長らく国鉄真岡線(現 真岡鐵道)で活躍後、茨城交通湊線(現 ひたちなか海浜鉄道)での活躍を経て、佐久間レールパークの開園に当たってJR東海に引き取られ、さらに佐久間レールパーク閉園に伴いここへやってきたという経歴をたどっています。
車体の塗装も紺色とベージュの昭和30年代前半頃のものが再現されています。

次回も収蔵車両ゾーンの車両たち編です。
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2012年GW名古屋遠征の思い出 その12 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
今回も2012年GWに名古屋へ鉄道旅に出かけた時の振り返りです。
前回に引き続き、リニア・鉄道館(鉄道館)を訪れた時のことを振り返ります。

●EF58形EF58157
国鉄時代の東海道本線等で各種旅客列車の牽引に大活躍した機関車。
157号機は国鉄時代に一度廃車となった後も解体されず残り、JR東海が発足した後に車籍復活。
飯田線や東海道線でイベント列車等に活躍、再度の廃車の後も浜松工場で保管されていたことがここでの保存につながりました。
国鉄時代末期から車籍復活し引退するまでブルー塗装のままだった同機も、展示にあたって新製当時に近いと思われる姿に復元され、塗装も新製時と同じ茶色に戻されました。
●ED18形ED18 2
大正時代にイギリスから輸入された電気機関車をルーツとする形式。飯田線で貨物列車の牽引に使用された後、浜松工場の入換機となり、JR東海で車籍復活し飯田線でイベント列車やトロッコ列車の牽引に活躍、引退後も保管の後鉄道館にやってきました。
●ED11形ED11 2
これも大正時代製造の電気機関車で、こちらはアメリカからの輸入機。
同機は現役引退後浜松工場の入れ換え機としての使用や同所や佐久間レールパークでの保存を経て、ここへやってきました。
ちなみに、2両が存在したED11形のうち1号機は、西武鉄道に譲渡されて同社のE61号機として活躍後、横瀬の車両基地で保存されています。
●C57形C57 139
同機は戦後の名古屋機関区のお召列車用機関車となり、関西本線名古屋発着のお召列車を18回にわたり牽引した実績を持ちます。鉄道館でもお召列車牽引時に近い姿で展示されています。
●ホジ6005形ホジ6014
動力源として客車の一端に蒸気機関を搭載した「蒸気動車」のうち、現存する唯一の車両だそうで、鉄道記念物にも指定されています。
●スハ43形スハ43 321
1951年から製造されたスハ43形客車の一両で、急行列車やローカル列車などで活躍後美濃太田運転区での保管を経てここへやってきました。

次回は、同じ保存車両たちの中でも「収蔵車両ゾーン」に展示されている車両たち編です。
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