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【鉄道中心】40年前の磐梯家族旅行の思い出 その1 [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:家族旅行の思い出

私たちの一家は、そう頻繁に遊園地などへ出かける方ではなかったし、両親とも免許を持っていなかったので、休日に家族でドライブ、なんていうこともありませんでした。
しかし、私がまだ小学生で5歳年下の妹がまだ幼かった頃は2~3回ほど家族で泊りがけの旅行に出かけたことがあります。
今回からはその家族旅行のうち、ちょうど40年前の1982年の夏休み(正確な日付は忘れてしまいましたが、おそらく夏休み前半だったと思われます)に福島県の磐梯方面へ出かけた時の思い出を振り返りたいと思います。
(正確には、私たち一家と父親の同僚のWさんの一家との2家族での旅行になりましたが)
この旅行では、磐梯地方の観光地にもいくつか足を延ばしましたが、まだ小学生の私にとっては正直それらについての関心がいま一つだったからなのか、観光地や宿泊した宿(ペンション)での思い出よりも、むしろ現地への行き帰りに乗車した列車の思い出の方が鮮明に残っているのが実情です。
そこで今回は、家族旅行の思い出というよりは40年前の夏休みの列車旅の思い出というような色彩の方が濃くなってしまうことをお許しください。

旅行の初日は、ほぼこの旅行で2泊するペンションへの移動日になりました。
午前中に自宅を出て、(おそらく)タクシーで大宮駅へ。
この旅行の時点で、東北新幹線はすでに大宮ー盛岡間暫定開業から1か月ほど経過していましたが、開業直後の夏休み中とあって指定券が取れなかったからか、大宮発12時半過ぎの喜多方行急行「ばんだい」(号数は忘れてしまいましたが、時間帯から考えて3号か5号だったと思われます)に乗車しました。
「ばんだい」は当時上野ー会津若松・喜多方間を結んで走っていた交直流急行形電車455系による電車急行でした。
東北新幹線先行開業時のダイヤ改正で在来線特急にはすでに「やまびこ」全廃や「ひばり」削減などの影響が出ていましたが、新幹線がまだ大宮暫定開業ということもあり、まだまだ東北線の電車急行も最後の活躍を見せていた頃で、今にして思えば乗車できたことは貴重な経験だったと思います。
乗車したのはなぜかグリーン車のサロ455形で、ごく普通のサラリーマン家庭ゆえグリーン車などなかなか縁のない存在と思っていた私にはかなりのサプライズでした。
旅行を計画した父親としては途中の宇都宮駅からWさん一家が子供連れで乗車することを考えて、座席確保ののためおそらく指定席だったと思われるグリーン車を選んだのかもしれませんが。
何はともあれ、私にとっては初めてのグリーン車体験とあって、緊張するやらわくわくするやら複雑な心境でした。

車内に落ち着いて家から持ってきたおにぎりやら玉子焼きやら鶏からの昼食をとったところで、13時半過ぎに到着の宇都宮駅でWさん一家が合流。ガラガラのグリーン車の中で私たちのいる一角だけがにぎやかになりました。
黒磯を過ぎて交流電化区間に入ると、道中ですれ違ったり沿線各地で出会う車両たちも、比較的見慣れた感のある115系や485系、貨物列車牽引のEF65PFなどから、関東にいては見ることのできないED75牽引の旧型客車による普通列車など、東北に初めてやってきたという感慨がわく車両へと変わりました。
鉄道好きの私にとっては車窓を眺めていればそこそこ間は持ちますが、やはり大宮―喜多方間5時間弱の旅ともなると、特に妹やWさんの子供といった小さい子にとっては2時間ほどもするとだんだん飽きがきてしまいます。
そんな時、ちょうどうまい具合に車内にやってきたのが、弁当や土産物、飲み物などを扱う一般的な車内販売ワゴンとは別に乗っていた、アイスクリーム専門の車内販売員のおじさん。
そして、私の母親が、そのおじさんから私も含め子供たち全員にバニラアイスクリームを買ってくれました。
この時食べたバニラアイスは、あの「新幹線すごく固いアイス」のようなものではなく、普通にスーパーや食料品店(当時まだコンビニは少なかった)などで買えるカップアイスとそう大きな味の違いのないものだったと記憶しています。(もちろんスーパーなどで買えるものとは全く違う商品でしたが)
この時は単なるアイスクリーム好きの子供として、特にこれといった感慨もなく食べたごくありふれた味のバニラアイスでしたが、なぜかこの一コマは今でも私の思い出に鮮明に残っています。

郡山駅で上野から併結して共に走ってきた別の急行(おそらく仙台行の「まつしま」あたりだったと思います)との切り離し作業のため長めに停車し、東北本線から磐越西線へと入っていきます。
磐越西線でも、この線でしか見られなかったED77牽引の旧型客車やキハ58系などとの出会いを楽しんでいるうち、17:20過ぎに「ばんだい」は終着喜多方駅に到着。
駅前に迎えに来ていた宿泊先のペンションの車(マイクロバス?)に乗ってペンションへ向かい、この日は終了となりました。

ところで、今にして思えば悔やまれるのが、昭和59年まで喜多方駅で磐越西線から分岐して熱塩(あつしお)という駅までの間を結んでいた「日中線」というローカル線に乗ることができなかったこと。
この日中線は、その線名に反して一日の列車本数が朝・夕・夜に1往復ずつの合計3往復しかなく日中の運転がないことで有名でした。ちなみに日中線という線名は、熱塩から先にあった延伸計画区間にある日中温泉という温泉からとったそうです。
日中線の、1980年代に国鉄改革が叫ばれる中で赤字ローカル線として廃止対象とされたことによる廃止とバスへの転換は昭和59年4月1日なので、この磐梯旅行の時点ではまだ運転が続けられていたわけです。
当時の日中線のダイヤはわかりませんが、私たちが喜多方駅に着いた時間を考えると、もしかするとその気になれば日中線に乗りに行ける状況だったかもしれません。
まあ、家族旅行中ゆえ私のわがままで勝手に家族から離れて単独行動をするわけにもいかず、また当時の私はまだ小学生だったせいかローカル線やそれをめぐる諸問題にはあまり関心がなかったようで、日中線の存在や廃止対象になっていることは何となく知ってはいたものの、乗っておこうという考えにはおそらく至っていなかったと思われます。
そう考えると、にわかに「もしあの時、わがまま勝手は承知で日中線に乗りに行っておけばよかったかもしれない」という思いが沸き起こってきます。
そして、もしあと10年早く生まれていたら必ずや乗りに行ったのに…といういつもの無いものねだりの気持ちになってしまうのです。

話が横道にそれてしまいましたが、次回は旅行の2日目編です。
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