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急行「きたぐに」乗車の思い出 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
前回の記事で、JRの線路上から定期列車としては消滅した急行列車のことを思い出させる話題を取り上げましたが、今回はその流れではありませんが、かつてその急行列車に乗った時の思い出を書いてみたいと思います。
といっても、私が本格的に長距離の鉄道旅に出かけるようになった1990年代にはすでに急行列車の全盛期をかなりすぎていて本数もかなり減少し、乗車した列車の数としてはかなり少なくなってしまいますが…
そんな中からではありますが、今回はかつて北陸本線経由で大阪ー新潟間を結んでいた夜行急行「きたぐに」に乗車した時の思い出を振り返りたいと思います。

「きたぐに」は、日本海側の各線を経由して大阪ー青森間を結んでいた長距離急行「日本海」がルーツの列車でした。
この「日本海」が、1968年10月のダイヤ改正で新設された同じ区間を走るブルートレインに列車愛称を譲ることになり、それに伴って命名されたのが「きたぐに」でした。
改名された後も引き続きほぼ同じ体制で大阪ー青森間を走っていた「きたぐに」は1982年11月のダイヤ改正で新潟以北の区間が廃止となり、続いて1985年3月のダイヤ改正では車両が客車から寝台・座席両用の581・583系(以下、まとめて583系と記します)電車に置き換えられるといった変化がありましたが、その後は細かな変化はあるものの、2012年3月のダイヤ改正で定期運転が終了するまで運転が続き、その後もわずかな期間ながら臨時列車として運転された後に本格的に廃止されました。
私自身は、「きたぐに」そのものは大阪駅などで見たことはあるものの実際に乗る機会はなかなか訪れませんでしたが、2007年のGWに関西への鉄道旅に出かけた際、大阪への往路に北陸本線経由のルートを選ぶことにし、その機会に長岡駅から大阪駅まで「きたぐに」に乗車することにしました。

2007年5月1日、自宅を午後に出て高崎・上越線の普通列車を乗り継いで(確か)21時過ぎに長岡駅に到着。
駅の待合室で時間をつぶした後、0時少し前の発車となる「きたぐに」を待ちます。
発車時刻が近づいてホームに出ると、新幹線からの乗り継ぎ組も多いのか「きたぐに」に乗ろうとする人が結構集まっていました。
そんな中ほぼ定刻に新潟から「きたぐに」が到着し、私は自由席車に席を確保しました。
「きたぐに」には10両編成の中にA寝台・B寝台・グリーン車・普通車(自由席)と4種類の設備があり、寝台車やグリーン車の状況はわかりませんでしたが、私の乗車した自由席車に関して言えば長岡駅発車時点で座席はほぼ埋まり、デッキにわずかながら立ち客もいる状態でした。
長岡を発車してからは深夜の信越本線や北陸本線を西へと向かって走ることになりますが、深夜時間帯に駅で乗客扱いの停車をするケースの少ないブルートレインとは違い、「きたぐに」は深夜でも特急停車駅クラスの規模の駅にはこまめに停車していきました。
しかも多くの停車駅で車内に人の動きがあり、特に富山・金沢・福井といった県庁所在地の駅では乗車・降車ともそこそこの人数があったのが驚きでした。
乗車したのがGW中だったということを考えても、「きたぐに」があたかも「北越」「雷鳥」「サンダーバード」「しらさぎ」などの北陸特急の深夜便のような役割をこれだけ果たしていたからこそ、同一区間(一部経由線区が異なる)を結んでいたブルートレインの「つるぎ」が廃止された後も長く生き残っていられたということなのでしょう。

午前4時台の敦賀駅に到着すると、隣のホームに国鉄特急色の電車が停車していました。この車両は当時急行「能登」などでも活躍していた金沢運転所(当時)の489系国鉄色車編成でした。この編成はこの日(すでに日付が変わって5月2日になっていました)大阪発の臨時列車に使用されるため金沢から回送途中のもので、ここで「きたぐに」に追い抜かれるダイヤになっていました。
「きたぐに」用の583系は塗装が国鉄色からJR西日本オリジナルのものへと変わっていましたが、この当時でも貴重な国鉄型特急用電車同士の並びとあってぜひ撮影したいところでした。しかし乗車した上り「きたぐに」は全般的に各停車駅での停車時間が短く、敦賀駅でも確か停車時間は2~3分程度しかなかったためホームでの撮影は断念しました。(この489系回送列車は、後ほど大阪駅で無事撮影することができました)
その後米原駅から東海道本線に入る頃になると外も明るくなり、終着大阪が近づいてきます。
京都駅で案外多くの人が下車したのを見届けた後、定刻の6:47に「きたぐに」は大阪駅に到着しました。
長岡からここまで、ほぼ眠らずに来ることになりましたが、おかげで深夜の「きたぐに」の実情を見ることができてこれはこれでなかなか面白い乗車経験になりました。

その後「きたぐに」には数年後の鉄道旅で再び乗車する予定を組み、この時には未体験だった583系の寝台を体験しようとB寝台券も確保したものの、都合で鉄旅のスケジュールを変更する必要が生じて泣く泣くキャンセルしてしまいました。
結局そのまま2度目乗車のリベンジは叶わないまま「きたぐに」は廃止となってしまい、その点では今でも悔いの残る結果となってしまいました。
それでも、実際に乗車して活気のある夜行列車で活躍する583系の姿に触れることができたのは、今から思うとなかなか貴重な経験だったと言えるのではないかと思います。
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確かに現状からすると… [視覚障碍者としてのあれこれ]

こんにちは、gonanaです。
私のような視覚障がい者をはじめ、障がいを持つ人が鉄道やバスなどの公共交通機関を利用する場合、障害者手帳など規定の障がいを持っていることを証明するものを提示することによって運賃や料金などが割引になる制度が各交通機関で決められています。
JRの場合で言えば、「身体障害者旅客運賃割引規則」という規程で、例えば視覚障害1~3級などの第1種身体障害者の乗車券は、介護者が同伴すれば普通急行券とともに本人、介護者とも半額になるというものです。
ところが、この規程の文章のうち、「普通急行券」という文言に対して、現状にそぐわないという声を上げた議員さんがいるという記事が先日ネットに出ていました。
詳細は下記のリンクからどうぞ。

JR障害者割引、対象の急行すでに廃止「実態即さず」全盲の町議訴え(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/58f89a496ba770712d85a1f1aababecb49ace6bd

私は鉄道好きとはいっても、キップや運賃、料金などの細かな規則や規程については疎いところがあり、この障害者割引についても急行料金は対象になっても特急料金に関しては規定がないとは知りませんでした。
それはそれとして、2016年春の「はまなす」廃止をもってJR前線から定期の急行列車がすべて姿を消してから6年となり、確かに障害者割引の対象となる料金に急行列車に必要な「普通急行券」は含めても特急に必要な「特別急行券」は含めないというのは実情にそぐわないというのは納得です。
この規程が制定されたのがいつの事なのかは不明ですが、おそらくはJR、というか国鉄時代の、急行列車がほぼ全国の路線をカバーし、特急列車はまだ本数も運転線区も限られた存在だった時代の事だったのでしょう。
そのような時代であれば、中長距離を移動する場合、多くの場合急行列車が便利に利用できる状況にあり、その急行の料金が割引になることは障がいを持つ人の鉄道利用の点からかなりのメリットがあったことでしょう。
しかし今や障がいを持つ人であっても鉄道で中長距離の移動をしようと思えば特急列車や新幹線を利用するのは普通の事であるのに、それに必要な特急料金が障害者割引の対象から漏れているのはやはり問題ではないでしょうか。
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言い訳下手なもんで… [ノンジャンル]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:朝寝坊で遅刻……正直に謝る? 言い訳する?

やはりここは正直に謝るのが一番かと…
どんなに言い訳しようと「遅刻」という事実が消えるわけではないし、下手な言い訳をしてそれが嘘だとばれたりした後の顛末を考えると、素直に謝る方がある意味楽かもしれません。
というのも、私はいわゆる「上手い嘘」をついたり巧妙な言い訳を考えるのがかなり下手で、嘘をついたり都合の悪い事を隠したりしたとしても、たいていはどこかに詰めの甘さが出てしまい、結局ウソがばれてしまうことが多いからなんですよね。

実は私、寝坊で遅刻という経験はあまりなく、思い出してみても生まれてから2~3回ぐらいしかありません。
その時どのように事情を説明したか正確には覚えていない部分もあるけれど、たぶんいずれの時も特に言い訳せず普通に寝坊してしまったと謝って許してもらった記憶があります。
もっとも、その数少ない遅刻も、実際に遅れた時間は20分程度で、仕事や授業、重要な用事でという状況ではなかったので、これで何とか乗り切れた、というのはあるとは思いますが…
タグ:寝坊 遅刻
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できるだけアクティブなじじいになりたい [ノンジャンル]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:10年後、どうなっていたい?

10年後といえば2032年。もう還暦になってますね。
そう考えると、自分もだいぶ齢をとったことに改めて気付かされます。

10年後どころか来年の自分さえどうしているか、なかなか具体的な予測がつきませんが…
とりあえず、今勤めている会社の定年はまだなので、特に何もなければそのまま働き続けていると思います。
(もっとも、契約社員という身分ゆえ、安心はできませんが…)
もし今の会社を退職ということになったとしても、どこかで何かしら仕事はしていたいと思っています。
やはり私にとっては「早期リタイア」はあまりメリットのある生き方でないような気がします。
以前も書いたことがありますが、還暦と言わず身体が動くうちはできる限り何かしら社会に貢献できるような活動が出来たらと思っているので、そのためにもアクティブで積極的なじじいでいたいものです。
そして、若い人たちの感覚や価値観を頭から否定せず、いいものは素直に評価し、どうかと思うことにはきちんと声を上げられるような年長者になりたいですね。
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ネタはいろいろあったはずだけど [ノンジャンル]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:あだ名で呼ばれることある?あった?

そういえば、生まれてから現在まで、私にはあだ名で呼ばれた経験がほとんどありません。
学生時代も社会人になっても、誰かに呼ばれるときにはたいてい「まるまる」「○○君」「○○さん」(○○は私の苗字)と呼ばれるのが定番で、それ以外で呼ばれた経験はかなり少ないです。
あえて挙げるとすれば、確か高校の頃に当時の体型からか「熊さん」と呼んだり、やはり見た目が似ているという理由で「両さん」(「こち亀」の両津勘吉)と呼ぶ人がいたりもしましたが、どちらも定着することはありませんでした。
まあ個人的にはあだ名やニックネームはあってもなくてもどちらでもそれほど気にしないというのが正直なところではあります。
でも、先ほど挙げた「熊さん」や「両さん」はわりと気に入っていたので、せっかくならこれがあだ名として定着してもよかったかな、とも思いますけどね。

ところで、最近は生徒同士がお互いをあだ名で呼ぶことを禁止し、呼び名を「○○さん」で統一する学校もあるとか。
確かにあだ名の中には、対象となる人の容姿やコンプレックスなどをネタにしてそれを揶揄するようなものも少なくなく、それがいじめや不登校などにつながることもある点を考えれば、最近の風潮からしてもそのような流れになるのもわかる気はします。
ただ、かといってあだ名をつける側が純粋に相手に親しみを感じ、愛情と敬意をこめて呼ぶようになり、なおかつ呼ばれる側もそれを好意的に受け止めているあだ名まで一律に「禁止」することが果たして正しいのかどうかについては一考の余地があると思いますが…
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【乗り鉄の思い出】いすみ鉄道&小湊鐵道 初乗車の思い出 その5 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
10年前のいすみ鉄道&小湊鐵道初乗車の思い出、今回で最終回です。

いすみ鉄道から小湊鐵道への1時間弱の乗り継ぎ時間を上総中野駅で過ごし、次に乗車する小湊鐵道の五井行の発車時刻が近づいてきたのでホームに出ました。
小湊鐵道の列車が発着する駅舎に面したホームは、線路を挟んで向こう側のいすみ鉄道が発着するホームとはかなり雰囲気が異なります。
いすみ鉄道のホームには、同鉄道の他の主要駅にもあるようなキハ52やレールバスのカラーにラッピングされた自販機が置かれていたり、ホームに立つ駅名標も現代的なイメージのものが設置されていますが、小湊鐵道側のホームはいかにも古き良き昭和のローカル線の駅というイメージで、駅名標も文字が筆書き風であったり駅名のひらがな表示が「かずさなかの」ではなく「かづさなかの」になっていたりと、ここにいるだけでも十分に小湊鐵道ならではのタイムスリップ間を感じることができました。

13:30、五井からの上総中野止まりが到着。
前回も触れたように小湊鐵道の上総中野発着の列車の本数は極端に少なく、2012年1月当時のダイヤでは、この列車は何とこの時点でもやっと3本目!の列車になります。
車両は小湊鐵道オリジナル車両のキハ200形211号。
というか2012年時点では小湊鐵道の営業用車両はキハ200形の1形式のみで、その後「里山トロッコ」が登場し、さらにJR東日本からキハ40形がやってくることになろうとは想像もつかなかった頃です。
到着したキハ211から降りてきた乗客は意外に多く、鉄道ファンと思われる人も多かったです。
「昭和」のムード満点のホームでゆっくりキハ200形の撮影、といきたいところですが、キハ211はわずか3分でこれから乗車する五井行となって折り返してしまうので、あわてて数カットデジカメと携帯で撮影して乗り込みました。

そしていよいよ、千葉県内の鉄道最後の未乗路線、小湊鐵道の踏破に出発です。
ところで、前回も書いたように上総中野駅は駅員無配置のため、同駅を発車した時点ではまだ乗車券を持っていません。
ではどうするのかといえば、上総中野を発車して間もなく車掌さんが車内を回り、下車駅までの運賃と引き換えに補充券を発行していました。この補充県は、例えばこの日の私のように五井駅で下車する場合は同駅のJRの改札(五井駅の改札はJR・小湊の両社共通)の有人通路で駅員に手渡すことになります。
上総中野を発車した時のキハ211の車内は、オールロングシートの車内が1/3ぐらい埋まる乗車率。
車窓と車内ののんびりした雰囲気とよく効いた暖房のせいで、せっかくの初乗車路線なのについつい居眠りが…
キハ200形はオールロングシート車ですが、新しく仲間入りしたキハ40にはクロスシートもあるので、「里山トロッコ」ともどもキハ200形とはまた景色の見え方が変わってくるかもと想像してしまいます。

昭和のディーゼルカーに揺られてエンジン音を聞きながら、初めて来たのになぜか懐かしい気分にさせてくれる駅や沿線の風景を楽しみながら走ること1時間余り。
14:46、キハ211は定刻に五井駅に到着。
この時点で、千葉県内の鉄道全線の完乗が達成となりました!
五井駅のホームでは、上総中野ではあまりできなかったキハ211の撮影をゆっくりしてから改札へ。
その後内房線に乗り換えて帰路についたのでした。

以上、10年前のいすみ鉄道と小湊鐵道の初乗車の思い出でした。
いすみ鉄道にはその後も何度か乗車していますし、小湊鐵道にも数年後にも再度乗りに行きましたが、両線ともしばらくご無沙汰になってしまっています。
先日からたびたびこのブログでも話題にしているように、貴重な国鉄型キハとしていすみ鉄道の「顔」として活躍してきたキハ 2346の引退が決まり、相方のキハ52の今後も考えるとぜひ今年11月までにはもう一度いすみ鉄道の「観光急行」に乗りに行きたいですし、一方小湊鐵道には新たな主役になるかもしれないキハ40が登場し、これも今のうちに…な存在かもしれないキハ200形とともにぜひ乗りたいところです。
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【乗り鉄の思い出】いすみ鉄道&小湊鐵道 初乗車の思い出 その4 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
10年前のいすみ鉄道&小湊鐵道初乗車の思い出、まだまだ続きます。

大多喜駅から乗車したいすみ200形重連に乗って到着した上総中野駅。
同駅はここまで全線乗車してきたいすみ鉄道と、これから乗車する小湊鐵道の乗換駅です。
ホームは島式ホーム1面(実際に使用しているのは片面だけ?)と駅舎に面した片面のホームがあり、前者にはいすみ鉄道の、後者には小湊鐵道の列車がそれぞれ発着しています。
両社ともに駅員のいない無人駅ですが、小湊鐵道側のホームには駅舎兼待合室もあり、駅自体やその周辺の雰囲気もよく、次の小湊鐵道の五井行列車までの1時間弱の乗り継ぎ時間を過ごすにはまずまずの環境でした。

ここまで乗車してきたいすみ鉄道のいすみ200形をひとしきり撮影・観察した後は、駅舎兼待合室のベンチに座って駅弁で昼食とします。
この日選んだのは、大原駅までの道中の千葉駅で購入した「潮干狩り弁当」。
大学時代日常的に千葉駅を利用するようになって以来、数えきれないくらい食べた千葉駅の駅弁でしたが、この弁当はこの日初めて食べました。
「潮干狩り」の名にふさわしく、煮たアサリとハマグリが載った茶飯や、イワシのつみれやイカのみそ焼きなどが盛り付けられていておいしかったです。
それにしても、房総半島とはいっても海から結構離れた内陸で、真冬(1月)に「潮干狩り」というのも乙なもの…ですかね。

駅弁を食べた後は、次の乗車列車がやってくるまで駅構内や周辺をぶらぶらしたり、待合室に掲示されたポスター類を眺めて過ごしました。
待合室内には、いすみ鉄道と小湊鐵道のそれぞれの当駅の時刻表も掲示されていました。
この時刻表は、どちらも左半分が発車時刻、右半分が当駅への到着時刻を表している、これまでにあまり見たことのない様式のもので、慣れないとどちらの時刻が当駅の発車時刻の表なのかわからなくなりそうでした。(現在もそのような様式なのかは不明です)
まずいすみ鉄道の発車時刻表を見ると、当時(2012年1月)の大原行最終が19:41、大多喜止まりの最終が20:30となっており、23~0時台まで電車があることに慣れた地域の人間にとっては驚きの早い時間の最終列車となっていました。
もっとも、列車本数を見るとほぼ全時間帯で1時間~1時間半くらいに1本程度の本数は確保されていて、慣れればそれほど不便さは感じないレベルではあったのかもしれません。
一方、小湊鉄道の発着時刻表を見ると、何と!当時路線の末端区間でもある養老渓谷ー上総中野間は休日6往復、平日は4往復しか運転されないというこれまた驚きのダイヤとなっていました。
しかも最終列車の時刻はいすみ鉄道以上に早く(ちなみに始発列車もいすみ鉄道より遅く出発していました)、17時過ぎには五井行の最終が発車してしまっていました。
まさか、夏場なら太陽の出ている時間にしか一つの路線の列車が来ない駅が、東京から日帰り圏内の近さの場所にあろうとは…と思ってしまう衝撃的な時刻表でした。
次回、いよいよ千葉の鉄道最後の未乗線区、小湊鐵道の踏破に出発します。
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