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「富士はやぶさ」お別れ乗車&北九州遠征の思い出 その7 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
11年前の「富士はやぶさ」お別れ乗車と北九州遠征の思い出、その7です。

「もっと乗っていたい!」という思いを抱きながら、東京駅から16時間にわたって乗車したブルートレイン「はやぶさ」を博多駅で下車し、終着の熊本までのラストスパートに踏み出す同列車を見送りました。

さて、今回の遠征はあくまでも「富士はやぶさ」のお別れ乗車と北九州エリアのED76とEF81の撮影が目的で、博多駅まで来たのも少しでも長く「はやぶさ」に乗っていたかったがためでした。
したがって、今回利用する周遊きっぷ「福岡ゾーン」のゾーン券を使用開始するために一旦改札は出入りするものの、とんぼ返りで博多駅を離れます。
博多からは10:20発の特急「ソニック15号」の自由席に空席を見つけたので(周遊きっぷの「ゾーン券」の自由周遊区間では、特急の自由席が特急料金なしで利用可能でした)、これに飛び乗り鹿児島本線を小倉方向へ戻った折尾駅へ。
折尾駅に立ち寄ったのは、この駅で古くから販売されている有名な駅弁を購入するためでした。
折尾駅に到着し、同駅の鹿児島線下りホームの駅そば屋で無事その駅弁を購入し、再び上りホームへ戻ろうとすると、下りホームに貨物列車接近の自動放送が流れました。
慌ててデジカメを構えて待っていると、やってきたのはED76 37号機の牽引する2071列車。
ED76 37号機は当時ED76 0番台の現役最若番機で、前面のナンバープレートがブロックタイプのものになっていないなど原形に近い姿で活躍していました。

ED76&EF81牽引の貨物列車の撮影としては、なかなかいいスタートが切れたところで、415系1500番台の門司港行普通列車150Mで次の撮影地西小倉駅へ移動しました。
西小倉駅は小倉駅の1駅博多寄りの駅で、日豊本線と鹿児島線、そして鹿児島線の貨物線の3つの複線がそれぞれ並んでおり、鹿児島線上りホームからは貨物線を行く貨物列車を間近に眺めることができます。
ここではEF81牽引の貨物列車を狙います。
11:28頃、EF81 403号機牽引の5053列車が通過し、無事撮影。

この後は少しの間貨物列車の通過が途切れるため、この間に再び撮影場所を移動します。
一度隣の駅で、今夜の宿泊先のビジネスホテルの最寄駅でもある小倉駅へ向かい、荷物を駅のコインロッカーに預けて再びホームへ。
小倉からは鹿児島線鳥栖行普通161Mで黒崎駅へ向かいました。
ちょうど時刻も12時を回ったので、14分間の停車中の813系の暖かい車内で、先ほど折尾駅で購入した駅弁で昼食。
その駅弁は、折尾駅名物のかしわめし。
さすがは長い歴史を誇る人気駅弁だけあり、文句なしに美味しかったです。
残念だったのは、これも折尾駅名物だった立ち売りのおじさんから買うことができなかったことでした。

次回も、北九州での貨物撮影です。

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「富士はやぶさ」お別れ乗車&北九州遠征の思い出 その6 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
11年前の「富士はやぶさ」お別れ乗車と北九州遠征の思い出、その6です。

「富士はやぶさ」は関門トンネルを抜けて九州に上陸し、8:51に5分遅れで門司駅に到着。
ここでは下関からのワンポイントリリーフを務めたEF81から九州内の牽引機を務めるED76への機関車交換に加え、「富士」と「はやぶさ」の分割作業も行われるので、「富士はやぶさ」到着後の門司駅4番ホームは下関駅以上に撮影や見学をしようとする人々で賑わっていました。
到着後すぐにホームに降り立つと、ホーム先端付近では早くも機関車交換作業が始まりました。
関門間1往復、構内転線を除けば実働わずか16分の朝の仕事を終えたEF81 410号機が小倉方へ引き上げていくとやがて入れ替わりに先に発車する「はやぶさ」の牽引機ED76 66号機が「はやぶさ」編成に近づき連結。
ホーム先端で機関車交換が行われている頃、中ほどでは「はやぶさ」と「富士」の分割作業が行われていました。
機関車交換と両列車の分割作業をどちらも撮影したり見学したりすることは無理なので、せめて「はやぶさ」の6号車デッキから「富士」を残して門司を発車するシーンを撮ろうと目論んでいましたが、やはりこれも同じことを考える人は多く、デッキは先客多数で入り込むスキがなく断念するしかなかったのが残念でした。

長時間停車で定時に戻るかと思われた「はやぶさ」の門司駅発車は、やはり5分遅れの9:04。
5号車の自分の寝台に戻って一息つくと、気がつけば下車する博多駅到着まであとわずか1時間あまり…
門司を発車した後は、進行方向右手に広がる門司機関区と北九州貨物ターミナルに自然と注目してしまいます。
門司機関区の構内に留置中の機関車の中には、ナンバープレートや製造銘板はおろかパンタグラフまでも撤去された哀れな姿のEF81未更新機も見られ、これからEF81やED76を撮影しようとやってきているミニは寂しい光景でした。
「はやぶさ」は時刻表上では小倉ー博多間ノンストップでしたが、途中の赤間駅で運転停車して「ソニック」を待避。
一瞬のうちに窓の外を走り去った「ソニック」に続いて赤間を発車すると、「はやぶさ」お別れ乗車も間もなくフィナーレ。
東京駅停車中に挨拶を交わし、その後も少ないながら数回言葉を交わした向かいの寝台の住人の方に別れの挨拶をし、博多到着のアナウンスが流れる中、朝から何度もたった1号車のデッキへ移動。

10:12、4分遅れで「はやぶさ」は博多駅に到着。
到着と同時にホームに出て、先頭の機関車付近や客車との連結部付近で撮影。
50年近い歴史のあった九州の赤い電気機関車とブルートレイン客車とのコンビも、あと2か月で見られなくなるのだと思うと、やはり感慨もひとしおでした。
実は、博多駅でブルトレを撮影するのは今回が初めてでしたが、同時に最後の機会にもなってしまいました。
通常だと、現地土休日の場合、「はやぶさ」は博多で4分停車するため、到着ホームで撮影後うまくすれば反対側のホームからの撮影もできなくはなかったかもしれませんが、この日は遅れのためそれは叶いませんでした。
10:14、「はやぶさ」は熊本へ向けてのラストスパートに踏み出していきました。
今回は利用する周遊きっぷ「福岡ゾーン」の自由周遊区間の関係とこの後の行程の都合で、残念ながら博多までの乗車でしたが、できるものならこのまま熊本、いやそこまでと言わず西鹿児島(この旅の時点ですでに駅名は鹿児島中央でしたが、やはり「はやぶさ」の話をするときは敢えてこの駅名で呼びたい)まで乗って行きたかった…と本気で思いながら、去っていく「はやぶさ」の後ろ姿を見送りました。

次回、北九州でのED76&EF81撮影に入ります。
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「富士はやぶさ」お別れ乗車&北九州遠征の思い出 その5 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
11年前の「富士はやぶさ」お別れ乗車と北九州遠征の思い出、その5です。

私の乗る「富士はやぶさ」は本州西端の下関駅に近づき、東京駅からこの列車を牽引してきたEF66 43号機も間もなく任務を終えようとしていました。
下関到着まであと10分を切ったところで、下関駅での機関車交換シーンの撮影に備えて再び1号車のデッキ付近へ移動。
やはり皆考えることは同じというべきか、デッキは一刻でも早く撮影のベストポジションを確保しようとする人で埋め尽くされていました。
8:37、「富士はやぶさ」は下関駅に5分遅れで到着。
ドアが開くや否や、私も含めデッキにいた人たちはホームに飛び出し、やがて他の号車からの乗客も加わり、EF66の周辺は多くの人が詰めかけ大撮影会状態に。
この時点での下関の天気は雪ではなく、細かくみぞれっぽい雨が降っていましたが、あと2か月で見られなくなる貴重なシーンを撮影できるとあっては、そんな天候も関係ありません。
3連休前日発で乗客に家族連れも多かったので、鉄分濃い目な人だけでない多様な人々がデジカメや一眼レフ、携帯やビデオカメラなどを手に撮影に夢中でした。
中でも5歳ぐらいの小さな女の子までもニンテンドーDSのカメラ機能で参戦していたのには脱帽といったところでした。

東京からのロングランを終えたEF66 43がネグラの下関車両管理室へ去っていくと、今まで顔が連結面に隠れていたスハネフ15にもシャッターの嵐が浴びせられました。
まだホームでの大撮影会が続いている間に私は「はやぶさ」車内へ戻り、1号車の貫通扉越しに「富士はやぶさ」編成に接近してくる門司駅までのワンポイントリリーフのEF81 410号機を撮影しました。

下関発車も5分ほどの遅れ。すぐ後の門司駅での撮影に備えて、私も含め多くの人が寝台に戻らずまたまた1号車のデッキで関門トンネル通過を迎えました。
次回、九州上陸、そして「はやぶさ」お別れ乗車もラストスパートです。

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「富士はやぶさ」お別れ乗車&北九州遠征の思い出 その4 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
11年前の「富士はやぶさ」お別れ乗車と北九州遠征の思い出、その4です。

東京駅を発車した「富士はやぶさ」は、人身事故の影響によるわずかな遅れを引きずりつつも、快調に西へ向かっていました。
運転士交代のため運転停車した米原駅を6分ほどの遅れで発車したのを確認したところで就寝し、翌朝は広島駅を発車した直後ぐらいに目を覚ましました。
広島の次の停車駅岩国駅を発車したところで、1号車前方のデッキ付近の通路へ移動しました。
その理由は、この先の徳山駅発車後に開始される車内販売で販売される弁当をゲットするためでした。
この弁当は近くの箭内駅の駅弁でしたが、柳井駅での駅弁販売はこの時期にはすでになくなっており、この「富士はやぶさ」下り列車の車内でのみ購入することができました。しかも販売されるのは一日たった6個ということで、徳山駅を発車し車内販売の始まる1時間前から車内販売員の乗りこむ1号車の通路に並んでいたというわけです。
私が通路に並んだ時には、前に並んでいたのは一人だけでしたが、時間を追うごとに並ぶ人が増えていき、最終的には隣の2号車との連結部あたりまで列が伸びたようでした。

7時少し前に徳山駅に到着し、車内販売員のおばちゃんも乗り込み、車内販売が始まりました。
そして希望通り弁当を購入し、5号車の自分の寝台へ戻り、さっそくその弁当で朝食としました。
弁当自体は特にこれといった特徴のない幕の内弁当でしたが、おかずもご飯も両が多く、朝食としては結構なボリュームで満足の弁当でした。

この日、朝の山口県西部はうっすらと雪化粧していて、私の乗った「富士はやぶさ」の車窓からも細かい雪がちらついているのが見て取れました。
北海道・東北などには及ばないとはいえ、九州ブルトレの車内から山陽地方には珍しい雪景色を見ることができたというのも、今にして思えばある意味かなりラッキーだったというべきかもしれません。
そんな中、先ほど1号車のデッキで顔を合わせた車内販売員のおばちゃん(このおばちゃん、当時一部で大人気だったらしいです)がカートを押して5号車にやってきたので、おばちゃんからホットコーヒーを購入。
雪景色を見ながらのモーニングコーヒーは実においしかったです。
コーヒーを飲んでいると、通路を通りかかった他の乗客からなぜか声を掛けられました。
新山口駅から立席特急券で乗車したというこの人は別に知り合いなどではありませんでしたが、なぜか会話が盛り上がり、お互い車内販売のコーヒーを飲みながら10数分話し込みました。こういう出会いも、開放B寝台の旅ならではですね。

やがて本州の西端の下関が近づき、「富士はやぶさ」道中最大のイベントも近づいてきました。
次回、下関駅での機関車交換です。
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「富士はやぶさ」お別れ乗車&北九州遠征の思い出 その3 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
11年前の「富士はやぶさ」お別れ乗車と北九州遠征の思い出、その3です。

18時が近づき、「富士はやぶさ」の東京駅発車も間近になりました。
しかし、実はこの日17:20頃に川崎駅で人身事故が発生し、その影響で東海道・京浜東北線が運転見合わせとなっていました。
当然その影響は「富士はやぶさ」にも及ぶわけで、せっかくのお別れ乗車の旅が出だしからつまづくかと思われましたが、結局は正式な運転再開(18:20頃)を待たずほぼ定刻の18:03頃に東京駅を発車し、とりあえず一安心。
品川までは3分ほど前に東京駅を発車した普通電車がつかえていてトロトロとした走行ぶりでしたが、品川を過ぎてからは徐々にスピードも上がり、その後は平塚付近で少々もたついたものの、遅れを5分前後にとどめつつ快調に飛ばしていきます。
横浜駅を5分ほどの遅れで発車したところで、本日の夕食。
大丸東京店や東京駅の駅弁売店であれこれ迷った末、私が東京駅でよく購入する「チキン弁当」をチョイス。
夜行列車に乗るのならといつもは飲まない缶ビールを飲みながら唐揚げをつまむのは、なかなか贅沢な気分でした。
先ほど挨拶を交わした向かいの寝台の住人の方とも弁当のおかずを交換したり、少しですが会話を交わしたりと、開放B寝台ならではの旅を満喫しながら西へ向かいます。

夕食の後、腹ごなしも兼ねて少し車内を散歩。
もともとが終焉近い列車である上に3連休前日の発車であることもあり、個室の状況はわかりませんでしたが開放B寝台は熱海到着前の時点でも「富士」編成も「はやぶさ」編成もほぼ8~9割り方寝台が埋まっている状況でした。(東京発車後の案内放送でも「本日は満席」という案内あり)
各車の洗面所には、この頃にはすでに貴重な存在となっていた冷水器も健在で、確かほぼ全車できちんと機能していました。
冷水器は国鉄時代や昭和を象徴するアイテムの一つになっていたこともあり、給水ついでに写真を撮る人もよく見かけました。もちろん私もその一人でしたが(笑)
この日の乗客の多くが私と同じ鉄道ファンだったようで、その他にも車内のあちこちで標示類などを撮影する人をよく見かけました。

運転士交代のため運転停車した米原駅を6分ほどの遅れで発車したのを確認したところで、この日は就寝としました。
次回、山陽路を西へ下ります。
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「富士はやぶさ」お別れ乗車&北九州遠征の思い出 その2 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
11年前の「富士はやぶさ」お別れ乗車と北九州遠征の思い出、その2です。

自宅を出て一旦大船駅に立ち寄り、同駅に掲出された感動的なブルートレイン惜別ポスターを見た後、東海道線で東京駅へ。
といっても、東京駅に着いても乗車する「富士はやぶさ」の入線まではあと1時間ほど間があるので、一旦改札外へ出て(ここまではPASMO利用だったので)、八重洲口の大丸東京店で時間をつぶした後にこの遠征で使用する周遊きっぷ「福岡ゾーン」の「ゆき券」で再入場し、「富士はやぶさ」が発車する10番宣ホームに上がります。
9・10番ホームの屋根に掲出されていた案内板には、かつては「○○方面」の「○○」の部分に列挙されている地名に、ブルトレ・夜行の行先がいくつも含まれていたのですが、この旅の時点になると「富士はやぶさ」も「サンライズ瀬戸・出雲」も「寝台列車」の一言で片づけられていて、こんなところからも夜行列車の存在感が希薄になっていく現実を痛感したものでした。
やがて、10番線の発車案内表示に、「富士はやぶさ」の案内が表示されました。
東京駅在来線ホームに「富士」「はやぶさ」という伝統ある列車名と「熊本」「大分」の駅名表示が輝くひとときが、あと2か月で消えてしまうと考えると、改めて寂しさを感じました。
また10番線ほーむ頭上に下がっていたブルートレイン用の乗車位置案内表示のプレートもあと2か月で見られなくなるわけで、このような普段は気にも留めないような物にも役目を終えようとするものに対する哀愁が感じられました。

徐々に私と同じように列車に乗り込もうとする人や撮影する人たちがホームに増えていく中、17:21、定刻通りに「富士はやぶさ」の品川からの回送が、下関まで「富士はやぶさ」を牽引するEF66 43号機を先頭に入線。
入線後ほどなくして、EF66は一旦客車から切り離されて神田方の引上線へ移動し、その後17:34頃、有楽町方への機回しのため9番線をEF66が通過しました。
一方ホームに残った客車の方は入線後もしばらくはドアが開かないので、その間に私はホーム上からこの日の編成各車のナンバーや最後部12号車のスハネフ14、さらにはホームの様子などを撮影しました。

17:45頃になってやっと客車のドアが開き乗車が開始され、さっそく私も車内に入り、指定された「はやぶさ」の5号車オハネ15 1246の14番下段の寝台へ向かいました。
私が寝台に荷物を置くのとほぼ同時に、向かいの13番下段の住人(?)も現れ、お互い挨拶を交わして着席します。
この頃の私はすでに個室寝台の魅力を十分感じてはいましたが、やはり開放型の寝台でこそ味わえる、このような同じ乗客との出会いを経験すると、開放寝台もやはりいいものだと再認識したものです。

次回、いよいよ「富士はやぶさ」東京駅を発車します。
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「富士はやぶさ」お別れ乗車&北九州遠征の思い出 その1 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
先日はブルートレイン「北斗星」最後の乗車の時の思い出について書きましたが、今回からはブルートレインつながりで、2009年3月のダイヤ改正で廃止された東京駅発着の最後のブルートレイン「富士はやぶさ」に、その年の1月にお別れ乗車した時と、その際に北九州エリアで撮影などをした時の思い出を書いていきたいと思います。

東京駅発着の最後のブルートレインだった「富士はやぶさ」がその栄光の歴史に幕を下ろしてから、早いものでもう11年の年月が経過しました。
2009年3月の「富士はやぶさ」廃止が近づくと、ほぼ休みごとにいろいろな場所でこの列車を撮影するようになりました。
最終日に撮影したものも含めてその頃に撮影した写真を今改めて見ることはかなわないけれど、その時の思い出は今も鮮明に心に残っています。
一方私にとってブルートレインは、「乗る」ことも大切な楽しみです。(もう動くブルートレインには乗れないけれど、敢えてこの表現にさせてもらいます)
2008年夏に九州へ遠征した時に、「これが九州行ブルトレのお別れ乗車になるかもしれない」という思いを抱きながら、行きは「富士」の、帰りは「はやぶさ」のそれぞれ当時の全区間に乗車しましたが、その年の暮れに正式に「富士はやぶさ」の廃止がアナウンスされると、最後にもう1度だけでもいいから「富士はやぶさ」に乗りたいという思いが強くなり、2009年年明けの成人の日を含めた3連休(+有給休暇1日)に北九州エリアのED76・EF81の撮影を兼ねて「富士はやぶさ」の本当のお別れ乗車に出かけることにしました。

2009年1月9日、「富士はやぶさ」お別れ乗車を兼ねた北九州遠征に出発しました。
当日は自宅を13時過ぎに出発し、まずは池袋駅から湘南新宿ラインで大船駅へ向かいます。
自宅から1時間半程度あれば到達できる東京駅に、しかも「富士はやぶさ」の東京駅入線時刻から考えても余裕がありすぎる時間に出発し、しかも東京駅へ直行せず大船へ向かったのは、その大船駅に掲出された「富士はやぶさ」廃止に寄せて制作された同駅のオリジナルポスターを見に行きたかったからでした。
前年の「銀河」廃止に際して制作された同駅オリジナルの惜別ポスターの存在を、当時のブログ仲間の方から教えていただき、実際に見に行って感動したこともあり、このブルートレイン惜別ポスターの掲出が始まったという話を聞いて出発前に見に行くことにしました。大船駅の東海道線下りホームの事務室の壁に貼られたポスターは、上りホームからも見ることができました。
ポスターの内容は、東京ー九州間のブルートレイン各列車の行先字幕の写真や列車の走行写真などとともに、(ポスターの文面を書いた人のものかどうかは定かではありませんが)九州行ブルートレインの思い出や廃止に対する思いなどが綴られたメッセージが掲載されていて、「銀河」のポスターに続き非常に感動的なポスターでした。
特に、(メッセージをまとめた人の?)両親の郷里である九州へ向かう際に乗ったブルートレインの車内で修学旅行のお兄さんやお姉さんたちに優しくしてもらった思い出や、食堂車で食べたハンバーグやカレーがなぜかいつもよりおいしく感じた記憶などの一節には、何だか泣けてきてしまいました。
そして、
「ブルートレイン、それはその中にいろんな人の夢や思い出をたくさん詰め込んだ特別な故郷への列車なのです。
故郷へ続くレールを走るブルートレイン」
という一節は、関東生まれ関東育ちで世間一般にイメージされるところの「故郷」といえるものがない私の心にも響く、素晴らしい言葉でした。
今の大船駅でもこうした感動的なポスターが掲出されることがあるのかどうかはわかりませんが、「銀河」の時といい「富士はやぶさ」の時といい、ビジネスライクな列車廃止の告知ポスターでなく、その列車に対する熱い思いにあふれたポスターを制作してくださった大船駅の方々には頭の下がる思いです。

素晴らしいポスターを見た後、まだ少し早めですが東京へ向かいました。
次回、いよいよ乗車する「富士はやぶさ」が東京駅に入線します。
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駅や電車のアナウンスや音にまつわるあれこれ [視覚障碍者としてのあれこれ]

こんばんは、gonanaです。
例の騒動の影響が大きくなってからというもの、私も乗り鉄などで出かけることもほぼまま日々が続いています。
そんな中で、当然駅や電車を利用する機会も激減し、先日ようやく1駅間の往復とはいえ4か月ぶりに電車に乗る機会がありました。
短い距離と時間であり、乗り鉄と言えるほどのものではないけれど、久しぶりに生の「鉄分補給」ができたのは正直なところ嬉しかったし、4か月のブランクがあってもこのような気分になるのは、やはり私は根っからの鉄道好きなんだな、と改めて感じました。
そんな、実際に鉄道に乗ることに関しては浦島太郎状態(?)ともいえる状況の私ですが、最近私の所属する視覚障害者団体や鉄道好き視覚障害者のサークルのメーリングリストに、駅や電車での音やアナウンスにまつわる投稿が寄せられていたので、込ん今回はその中から2つほど取り上げようと思います。

一つ目は、「窓を開けて走っているので社外の騒音や走行音が通常より大きくて駅名等のアナウンスが聞こえにくい」問題です。
最近の電車やバス、タクシーなどはたいてい換気のために窓を開けて走っているそうですが、そのために、電車の外の騒音の大きさや、今乗っている路線の線路や車両の状況などいろいろな要素にもよりますが、電車内の駅名などのアナウンスが聞き取りずらくなっている場合があるということです。
私が先日乗ったのはもうかれこれ40年も乗り慣れた路線であり、しかもすぐ隣の駅までの乗車だったので、特に車内アナウンスの聞き取りやすさを意識して乗ってはいなかったけれど、確かに外からの騒音が大きくなり、車内アナウンスの音量や聞き取りやすさが通常の窓を閉めた状態を前提にしたものであったなら、やはりアナウンスが騒音にかき消されて聞き取りにくくなる場面も起こってくるでしょう。
もちろん、目が見えていればたとえアナウンスが聞き取りずらくても、窓の外を見たりドア上などの情報案内装置などを確認すればよいわけですが、見えない・見えにくい人たちにとってはアナウンスが頼りなだけに、アナウンスがよく聞こえなかったばかりに降りるべき駅で乗り損ねたり乗り間違いを起こしたりすることが十分に考えられます。
冬になって寒風が吹き雪の降ることもある季節になった時どう対処するのかわかりませんが、電車やバス等が窓を開けて走るというのはこの状況では当分続きそうです。
それならば、自動放送にせよ肉声放送にせよ、マイクやスピーカーの音量を少し上げるなど、車内の騒音レベルがいつもより大きくても、聞き取りやすい車内アナウンスに向けた改善はしてほしいものです。

もう一つは、最近JR東日本のいくつかの路線や他の私鉄などで、駅の発車メロディーならぬ列車接近メロディーを導入する例が増えているという話題です。
この話題は視覚障害者団体のメーリングリストで取り上げられるまで知りませんでしたし、約半年ほど西武線のごくわずかな区間しか乗車していない(その区間の駅には今のところは導入されていない模様)なので、この列車接近メロディがどんな音なのかわからないのでこの話題に対する明確なコメントは今の私にはできません。
しかし、メーリングリストに寄せられていた意見を読んだところでは、メロディーを聞いて列車が間もなく発車するものと勘違いして線路の方へ歩いてしまい、ホームから線路に転落し進入してきた列車に引かれてしまう事故が起きる懸念や、警告音が過剰な危機感をあおり、恐ろしさで平常心を奪われるとか、メロディーに列車の走行音がかき消されて列車の侵入が分かりにくなってしまうなどといった意見がありました。
先ほども書いた通り私は実際にこの接近メロディーを聞いていないので、これらの意見がどの程度実状を表しているのかよくわかりませんが、こうした懸念や問題点がもし実際にあるのであれば導入時にはいろいろ改善点があるかもしれません。
できれば早く自分でこの問題についての自分なりの検証(というと大げさですが)ができるといいんですが、それはいつになるのやら…

以上の他にも、駅や電車内でのアナウンスや音にまつわることで改善してほしいことはまだいくつかありますが、これらについても機会を見て書きたいと思います。
見えない・見えにくい人たちが安全に安心して利用できるようにするための施策というと、ホームドアの設置や点字ブロックの配置の問題、駅構内やホームなどでの声掛けや誘導などの話題が取り上げられがちですが、アナウンスや音にまつわること、案内表示などについての問題はそれらに比べるとまだあまり注目されていない気もします。
それらについてもバリアフリー施策の一環として改善を望みたいですし、私のような視覚障碍者自身も、鉄道会社や国などにもっと改善の声を上げていく必要があるのではないでしょうか。
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【北斗星の思い出】 変わり種「北斗星」乗車・撮影の思い出 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
一昨日まで、2012年にブルートレイン「北斗星」に(結果的に)最後の乗車をした時の思い出を書きましたが、今回はその記事を書きながら思い出した、通常の「北斗星」とはちょっとだけ違う変わり種(?)の北斗星(あるいはその回送列車)に乗車したり、撮影したりした時の思い出を2つほどご紹介したいと思います。

●その1:「北斗星小樽号」乗車の思い出
1999年の夏休みに北海道へ鉄道旅に出かけた際、北海道への足として利用したのがこの列車でした。
「北斗星」といえば、通常の定期列車の他にいろいろな列車名の臨時列車が運転されていましたが、この「北斗星小樽号」がそういった臨時列車と少し違うのは、この列車が定期列車の「北斗星1号」を、札幌ー小樽間で延長運転し、上野ー札幌間のダイヤと列車番号はそのままに、列車名を変更して運転されたということでした。(上り小樽発の設定はありませんでした)
「北斗星小樽号」は私が乗車した1999年の夏休みシーズンから多客期に運転されるようになり、ちょうどこの年の夏休みの鉄道旅の行先を北海道に決めていたので、「北斗星」が営業列車としては走らない札幌ー小樽間(正確に言うと、途中の手稲駅までは回送列車として毎日走っていましたが)に乗れるということで乗り鉄好きの血が騒ぎ(と言っては大げさだけど)、行程に組み込むことにしました。
7月のある日、上野駅から「北斗星1号」改め「北斗星小樽号」に乗車しました。
札幌到着までの流れは2012年の時とあまり大きな変化はありませんでした。(2012年に乗車した時より運転時間が早かったためもあり、青森駅停車中の車内や函館駅ホームでの撮影はしていませんが)
乗車した「北斗星小樽号」は、正確な到着時刻は覚えていませんが、定刻に通常は終着駅となる札幌駅に到着しましたが、ここで下車せずそのまま乗り続けるというのはやはり新鮮な気分と少々の違和感が入り混じったものを感じたものです。
札幌駅で10分ほど停車した後、延長運転区間へ踏み出します。
途中の手稲までは、折り返し整備を受ける札幌運転所への回送列車のダイヤを流用しているようで、あたかも回送列車に便乗させてもらっているような錯覚もありました(もちろん運転所構内へ入っていくわけではありませんが)
銭函駅付近の日本海沿いの区間では、進行方向右手の車窓に海が広がり、当日がほぼ雲のない晴天だったこともあり、私がブルートレインや夜行列車から眺めた車窓の中でも1、2を争う絶景を楽しむことができました。
やがて列車は終点の小樽駅に到着。札幌からだとわずか30分ほどの距離の延長運転区間でしたが、普段はその列車の走らない区間に乗れるという特別感を十分に味わうことができ、ブルートレイン好き、乗り鉄付としては楽しい経験でした。

●その2:変則編成の北斗星(の編成の回送)撮影の思い出
その2は、2010年8月15日に、通常とは一部異なる編成で運転された「北斗星」の返却回送列車を撮影しに行った時の思い出です。
この時の経緯については、やや記憶があいまいな部分もあるのでいろいろを調べてみると、以下のようなことが分かりました。(少々長くなりますがご了承を)

2010年8月11日、台風4号の影響により北日本は荒天となり、函館本線の一部区間で路盤流出による不通区間が発生しました。
これにより、11日に上野・札幌を出発した「北斗星」(当時、すでに北斗星は定期列車1往復のみの運転になっていました)も、下りは函館、登りは長万部で運転打ち切りとなり、下り列車の編成は函館始発に変更された12日発の「北斗星」で折り返し、上りの編成は札幌へ戻りました。
幸い函館本線は翌12日には復旧したので、「北斗星」も下りが12日発、上りは13日から通常通り運転されるようになりましたが、上記のような状況のため12日朝に上野(尾久車両センター)に到着しているべき前日札幌発の編成が到着していないという状況になりました。
以前にもこうした状況は何度か発生し、そのようなケースでは使用すべき車両のいない列車は運休になることが多かったのですが、この時はちょうどお盆期間だったこともあるのか、予備車をかき集めて変則的な編成を組んで12日上野発の「北斗星」を運転することになりました。
当時の「北斗星」は、JR北海道所属車と東日本所属者の混成編成となっていましたが、もちろん尾久にはJR北海道所属者の予備者などないので、当然JR東日本車だけで編成を組むことになり、予備者をかき集めた急造編成ということもあり、例えば1人用B寝台個室「ソロ」と半室ロビーの合造車(北海道所属)の代わりに当時定期運用から外れていた東日本所属の全室タイプのロビーカーが連結されるなど、編成も一部通常とは異なる構成となっていました。
こうして変則編成が組まれた「北斗星」は札幌に到着しました。折り返しとなる13日発の上り「北斗星」には運転打ち切り後札幌に戻っていた11日発上り(だった)通常編成が使われるので、変則編成は当時の「カシオペア」のダイヤを使って尾久に返却回送されることになりましたが、13日は本来の「カシオペア」の運転日のため、翌日(14日)に運転されることになりました。
そしてその返却回送列車を、翌日(15日)撮影しに行くことにしたというわけです。

当日は別の用事があった都合もあり、尾久駅と上野駅で撮影することにしました。
まずは尾久駅ホームで返却回送を撮影。
ほぼ定刻通りやって来た返却快走は、回送列車にもかかわらず牽引機のEF510-503に「北斗星」のヘッドマークが付いていました。
これはこのEF510-503が、長万部で運転打ち切りとなった11日札幌発の「北斗星」を青森から牽引する予定だったため、上野(田端車両センター)へ戻る列車がなくなり青森にとどまっていた同機が返却回送の牽引を担当することになったためとのことでした。(ちなみに編成最後部のオハネフ25のテールマークは「回送」表示だったようです)
いつもの機関車にいつものヘッドマークがついているので、一見すると普通に乗客の乗っている「北斗星」とあまり区別がつかず、島式ホームでのスチール撮影では編成が変則的であることも分かりにくいですが、この変則編成の外観上のポイントともいえる全室ロビーカー(オハ25503)はしっかりと写しこむことができました。

尾久で一旦回送の通過を見送った後、後続電車で上野駅へ移動。
到着後早速すでに14番線に到着している返却回送のもとへ向かいました。
14番線や線路を挟んで向こう側の13番線には、やはりこの返却回送の運転を知って駆けつけたと思われる私のような鉄道ファンが何人も撮影に訪れていました。

9:38、13番線に「本物」(と言っては無事助っ人の役割を果たした変則編成に失礼ですが)の上り「北斗星」がEF510-506の牽引で定刻に到着。
返却回送が尾久車両センターへ引き上げる前のわずか3~4分ほどの間ながら、あたかも続行運転の2本の「北斗星」が並んでいるかのような光景が展開されていました。
実はこの頃、「カシオペア」が上野駅に到着する日のみ、9:25(だったと思う)に上野駅に先着した「カシオペア」と後から到着した「北斗星」が同様に並ぶ光景が普段から見られましたが、すでに「北斗星」自体の運転が通年にわたり1往復のみとなっていた中、きちんとヘッドマークを付けたEF510牽引の正調・変則2本の「北斗星」編成の並びを見られるとはなかなか貴重な経験となりました。

こうして無事返却回送の撮影を終え、もちろん正調「北斗星」の駅撮りも行い、2本の北斗星が尾久車両センターへ引き上げていったのを見届けて上野駅を後にしました。

以上、少々長文になってしまいましたが、変わり種の「北斗星」の乗車・撮影の思い出を書かせていただきました。
ここ数日の記事で何度も書いている通り、「北斗星」が臨時列車としても運転を修了し、長いようで短い、短いようで長い歴史に幕を下ろして5年。
今回「北斗星」にまつわる記事をいくつか書きながら、この期に及んでもまた「北斗星」にまた乗りたい気持ちがふつふつと湧いてきました。
いつの日か、また「北斗星」のような列車で北海道へ行けないもんですかね~
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これ、40年前に教えてよ~ [いろんな思い出]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:夏休みの宿題、一つ減らせるとすれば何をなくしてほしい?

私は読書感想文派

何だか、今年は夏休みやお盆休みの時期という気分がまるで出ないですよね~
私も一応会社の夏休みは取得したものの、今の状況では大手を振って乗り鉄などにも行きずらいし、例の騒動に関係なくもともとが在宅勤務なもので、休みといっても会社から貸与のPCの電源を入れて何かしらの作業をするということがないだけで、あとはあまりいつもと変わらない一日でしかないので、どうも生活にメリハリがつかない感じです。

まあそれはそれとして、夏休みの宿題ですか…
正直、小中学生の頃はいつもこれが面倒くさくてしかたがなかったのを思い出します。
百歩譲って「夏休みの友」(今思うとこの名前にも一言いいたいけど)なるドリルやプリントはまだいいとしても、他の自由研究や絵日記、工作や図画の制作などはどれも苦手だったし、今考えるとなぜ全員がこれらの課題をすべてやらなければならなかったのかとも思います。
そんな夏休みの宿題の中でも、私が一番やりたくなかったのが読書感想文。
本を読むことは決して嫌いではないけれど、特に中学生あたりになると、なぜ課題図書として指示された本を読み、しかもその感想を原稿用紙3~5枚ほどにわたって書かなければならないのか、どうにも納得がいきませんでした。本を読んだ感想など、書きたい(言いたい)人がいくらでも書けば(言えば)いいわけで、全員に課題として強制する必要があるのかと…
そういう私はといえば、本当に読書感想文は苦手で、いざ書こうとしても何をどう書いたらよいかわからず、なかなか筆が進みませんでした。

そんな苦い思い出がある私ですが、先日ネットニュースを見ていたらこんな記事を見つけました。

読書感想文、ミステリーでも図鑑でも書ける!? 「感動は書かない」目からウロコの技(朝日新聞EduA) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/9242eca3919a6ed75ff5db7d0d11ab7d88484a9b

これ、40年前に教えてくれよ~(泣)
40年前の私がこれを読んだら、どんなにか心強いアドバイスになったことでしょう。
何てったって、電車の本で感想文を書いたって、一向にかまわないっていうんですから。
私が小学生の頃の鉄道の本といえば、子供でも読みやすい本というのは今ほど多くはなかったような気がします。
その頃の子供でも読みやすい鉄道関連の本としては、小学館の「コロタン文庫」やケイブンシャ(今はもうないそうです)の「大百科シリーズ」なのシリーズの中にそれぞれ何冊かずつラインナップがあり、その他にも単発でいくつか出版されているものはあったけれど、どれも写真主体のものでした。
乗り鉄好きの人(私も)にはおなじみの紀行作家宮脇俊三氏やレイルウェイライター種村直樹氏の著作などは感想文も書きやすそうだけど、あの頃の私がどれだけローカル線などの乗り鉄の楽しみを理解できたのか、いまいちよくわかりません。
今なら子供や鉄道に興味を持ち始めた人にも読みやすい鉄道の本や雑誌記事もかなり増えてきたので、もし私が小中学生で読書感想文を書くなら、結構本の選択肢はありそうです。

それにしても、「感想文とは感想を書くものであって、感動を書くものではない」とか「読書感想文が悪いのではなく、やり方を教えないのが問題」というのは目からウロコな考え方です。
確かに、読んで感動する本でしかその本の感想を語れないわけでは全くないし、国語の時間に読書感想文の書き方を習った記憶も特にありませんでしたから。
それと、小学生向けのおすすめの本として、「オリエント急行殺人事件」が出てくるとは思いませんでした。
私自身はこの作品を読んだことがないので、どこまで小学生に理解できる内容なのかわからないけれど、これで感想文が書けたら読む人にはインパクト台でしょうね。

ともかく、40年前にタイムスリップできるなら、宿題に頭を悩ませているあの時の自分に教えてあげたいアドバイスです。
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