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今こそあった方がよい授業 [ノンジャンル]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:学生時代、あったらよかったと思う授業

学生時代、もっと学びたかったことといえば、例えば日本史や世界史の近現代史の部分(確か日本史は大正時代の途中以降はかなりの駆け足で進んで学年の終わりに間に合わせた記憶が…)や、政治経済の授業でのもう少し細かい内容南下が思い浮かびます。
でも今思うとあの頃こんな授業があったら役に立ったのではないかと感じるのが、日々のテレビや新聞のニュースが理解しやすくなるような解説授業です。
私も中学生になったあたりからテレビや新聞のニュースにも少しずつ触れるようになっていきましたが、それでもやはりバラエティー番組などと違ってそれほど積極的にニュース番組を見ていたわけではなく、新聞も見るのはせいぜい1面の見出しや社会面、それにテレビ・ラジオ欄ぐらいのものでした。
その理由は、とにかくニュースや新聞記事に出てくる用語の意味や起こっていることの背景が今一つ理解しにくく、興味がわきにくいことでした。
そんな時に、いろいろな教科で学んだことと関連付けてニュースについてのわかりやすい解説をしてくれる授業があったら、中高生の時でもニュース番組や新聞を見る目が変わっただろうと思うし、大人になって世間で起こっていることを正しく理解するうえでも有益だったのではないかと思います。
そして、いろいろなメディアニあふれるニュースを正しく深く理解できるようにする教育は今こそ重要だと思います。
例えばウクライナ問題にしても、ただニュースや記事を見たり読んだりするだけでなく、歴史や民族、地政学的な背景などのわかりやすい解説を、テレビや新聞、ネットよりも親身になってしてくれる場が学校に会ったらよいと思うし、もし通常の学校のカリキュラムの中でそういった時間を割くのが難しければ、そういった授業を専門に行う塾や口座があってもいい気がします。
一般の学校の先生がニュースについての解説をするというのは負担が大きすぎるので、オンライン授業が定着してきた流れを利用して、テレビや新聞の解説委員や記者などが出演して開設をしたり生徒の質問に答えたりする配信授業スタイルをとると授業の質も高くなって理解が進むのではないかと思います。
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山ばっかり(笑) [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:遠足の思い出

そういえば、春の遠足シーズンって今ぐらいからでしたっけ?GW明けぐらいかな?
それはそれとして、私にとって遠足といえば、幼稚園から小学校、そして中学校まで、西武池袋・秩父線の飯能から西武秩父あたりにかけてのエリアが行き先になることが多かったです。
その中でも、これらの区間に点在する山へ登るのが定番のようになっていました。
幼稚園から高校まで、私は一貫して西武沿線の幼稚園や学校に通園・通学していました。
この時代、西武鉄道が遠足や林間学校などの行き先として沿線の学校に盛んに営業活動を行っていた影響や、遠足の行き先として距離的にもちょうどよいことからこれらの場所が選ばれたのだとは思いますが、ほぼ毎年の春と秋に決して好きとは言えない山登りばかりするので、本来楽しいはずの遠足も正直あまり乗り気になれなかったのを思い出します。
他の地域の学校が動物園や遊園地、博物館や大きな公園へ行ったりしたという話を聞くたび、いろいろなところへ遠足に行ける他の学校の子がうらやましかった思い出があります。

そんな、少々マンネリ気味だった遠足の中で、小学4年生の春の遠足の時に、ちょうど開園したばかりの東武動物公園へ行ったのは楽しい思い出でした。
でも…どういうわけか肝心の現地での記憶がほとんど残っていません。
この当時の東武動物公園といえば「カバ園長」こと西山園長がテレビ番組や東武動物公園のCMに出たりして有名で、確かその西山園長の話を園内のどこかで聞いたような覚えはありますが、肝心の動物の記憶がほとんど残っていないのは今思うと残念です。
そして鉄道好き目線での東武動物公園といえば、開園当初には蒸気機関車や電化当時の電車、東武日光軌道線の連接車など、現在では東京東向島の「東武博物館」で保存されているものを中心に数両の鉄道車両が園内に保存されていたのも目新しかったです。
もちろん私はそのことも鉄道雑誌で知ってはいたものの、どういうわけかこれも見た記憶がありません。
もしかしたら私たちが遠足の時に動いた動線と保存車両の点在していたエリアが合わなかったのかもしれませんが、今となってはこれもかなり悔やまれるところです。

あと、ちょっと変わったところでは(遠足といわず校外学習といっていたような記憶もありますが)、高校2年の時にこの年(1988年)に埼玉県熊谷市で開催された「さいたま博覧会」の会場に行ったことがあります。当時はバブル真っただ中だったせいもあってか日本各地で博覧会ブームが起こっていて、この「さいたま博」もその中の一つでした。
3年前の筑波の科学万博に行きたいと思いながら実現できなかった私としては、科学万博よりも格段に規模は小さいもののどんな楽しいものが見られるかと楽しみにしていましたが、こちらもどんなパビリオンやイベントを楽しんだのかあまり記憶に残っていません。
ただ、実際に行ってみると期待していたほどには楽しめなくて、これなら翌年(1989年)に開催される横浜博覧会の方が楽しそうな気がしたのは確かでした。
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人とつながりたい! [ノンジャンル]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:こんなマッチングサイトが欲しい!

恋愛系のマッチングサイトにも興味はなくはないけれど、それ以上にあったらいいなと思うのが、同じ趣味でつながることが出来たり、ひたすらくだらない話やどうでもいい話で盛り上がれる相手を探せるサイトです。
私はもともと誰とでも友達になれるというほど人づきあいが得意ではなかったけれど、このところ以前と比べ人とのつながりがかなり薄くなってしまったように感じます。
在宅で働くようになって5年半ほど経ち、同僚とはスカイプを通じてつながってはいるものの、オフィス勤めの時のようにたわいない会話を頻繁に交わしたり飲み会に出かけたりすることもないので、同じセクションで働いていながらお互いのことをあまりよく知らなかったりします。
また視覚障害者になったことやコロナ禍で家から出ないことが増えたことも、人とのつながりが足りていないと感じる原因かと思われます。
そういう状況なので、同じ趣味同士であったり、ただただ誰かとおしゃべりしたい人同士でつながることのできるマッチングサイトがあったらぜひ登録したいと思っています。
そして、そこで出会った人と一緒にどこかへ出かけたり、将来何かの活動を一緒にするきっかけが出来たりしたらなおいいのではないかと思います。
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できるものなら書いてみたい気もあるけれど [ノンジャンル]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:小説を書くとしたら、どんなものを書く?


以前のこのお題の時にも書いた記憶がありますが、たまには当ブログの記事の一つとして小説「らしきもの」でも書いてみてもいいかな、と考えたことは何度もありましたが、自分の文章力が足りないのと興味を持って読んでもらえるような物語の構成が上手くできる自信がなく、一歩を踏み出せずにいます。
ブログのネタが枯渇状態で、かといって自らブログのネタを「仕込みに」行ったり収集しに行ったりすることが視覚障害者になったことやコロナ禍の影響もあり何かと制約がある中、「真似事」レベルでもいいから小説のようなものをブログにアップできるようになったら、マンネリ化が隠せないこのブログの新しい展開として有望な気がします。

…といっても、今から何か書いてみようとしたところで、なかなかこれという小説のアイデアが浮かばないんですよね。。。
正確に言うと、こういう人が東上したら、というのは何となく浮かんでも、それをいかに全体的なストーリーの中で生かしていくかについての「これ」というよいアイデアがなかなかないのが実情です。
このブログの記事のように、ただ書きたいことをダラダラと適当に書くだけなら気軽にできますが、それを「小説」という一連のストーリーに基づいた作品に仕上げるだけの技量というのが今の自分には相当不足している気がします。

プロの小説家の方が書かれるようなレベルには届かなくても、何かしら読んで楽しくなるようなものを書くことができれば、今後の新たなライフワークにもできそうなのでいつかは挑戦してみたいと思っています。
さしあたって、小説を書けるようになるというよりも文章力をアップさせることのできるような通信講座でもあれば、受けてみようかな…
タグ:小説
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今もし営業していれば… [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:行きたかったけれど、いけなかったお店

食べることは好きだけど、あまりグルメ番組やグルメ本で特定の店に食べに行こうとする人間ではないので、行きたかったけれど果たせなかった店というのはことグルメ関係に限ればそう多くはありません。
そんな中でも私が特に「一度行きたかったのに…」と今でも思うのが、東京恵比寿にあった「ビアステーション恵比寿」というビアレストランです。
お店に入ったことのない私がこのお店のことを今も記憶にとどめているのは、すぐそばを走る列車を眺めながら飲んだり食べたりすることができるという、鉄道好きにはたまらなく魅力的なお店だったからです。
この「ビアステーション恵比寿」は、恵比寿駅の目黒方にあったサッポロビールの工場で生産された製品の積み出し用の側線として使用していた線路を利用し、そこに電気機関車のEF58 91号機と旧型客車3~4両を停車させ、客車の中で飲食ができるというお店でした。
EF58は昭和30年代のブルートレイン牽引機時代の青とクリーム色の裾帯の姿に塗装を変更し、客車も同じ青色にきれいに塗装し直されました。
そしてこれらの車両が停まっていたのが、山手線と山の手貨物船の線路のすぐ脇。つまり「トレインビュー」どころか手が届きそうに感じるほどの近距離から走る列車を眺めながら食事やお酒を楽しめるというお店でした。
このお店がオープンすると聞いた時には私ももちろんこんなお店ができたのかと興奮しましたし、祖父母の家へ行く時などに山手線で恵比寿を通るたびに「一度あそこでEF58を眺めて客車で食事したい」という気持ちが停まりませんでした。
でも当時はまだ中高生だったので当然ビールは飲めず、かといってなぜか親に行きたいとねだるようなこともなかったように記憶しています。その代わり、「20歳になったら絶対一番に行くぞ」と心の中で誓ったものでした。
まあ考えてみれば、ビアレストランとはいってもジュースなどのノンアルコールのソフトドリンクが全くメニューになかったわけでもないでしょうから、それを飲みながら食事を楽しむという手もあったとは思いますが、中高生の私の入店を店側が許可するかどうかを考えると難しかったかもしれません。

こうして、ぜひとも一度行きたいと思いながら入店を果たせないでいるうちに、かつてビール工場や「ビアステーション恵比寿」のお店のあった一帯で「恵比寿ガーデンプレイス」の再開発が始まり、そのため「ビアステーション恵比寿」はわずか数年で閉店。
EF58は残念ながら解体となり、客車も一部が目白駅構内に映ったもののそれも長続きせずに姿を消してしまい、とうとう私の小さな夢は叶いませんでした。
その後、同じ「ビアステーション恵比寿」というお店がガーデンプレイスの中の施設として再びオープンしましたが、昨年末でこのお店も閉店したそうで、名前だけとはいえ残っていた面影も消えてしまいました。

ところで、「ビアステーション恵比寿」がEF58+旧型客車のスタイルで営業していた当時、客車の窓から見えるのは山手線を走る103系や205系、それに山の手貨物船を走る貨物列車や臨時・回送列車ぐらいでした。
しかし、今や山の手貨物船には湘南新宿ラインや埼京線、「成田エクスプレス」や伊豆方面への特急、それに埼京線と相互直通する相鉄やりんかい線の車両など実に様々な車両が数分間隔で走る状況になっており、山手線のE235系ともども30年前とは別世界のように景色が変わっています。
もし「ビアステーション恵比寿」が、車両は変わったとしてもオープン当初と同じスタイルで今も営業していたら、いろいろな列車を眺めながらお酒や食事が楽しめる飲み鉄&食べ鉄スポットとして、平日・休日問わず大賑わいだったに違いないでしょう。
そうかんがえると、「ビアステーション恵比寿」はある意味時代を先読みし過ぎたともいえるかもしれませんね。
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もっと青春を謳歌したい! [ノンジャンル]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:高校生に戻れるとしたら、何がしたい?

現役の高校生との接点がまるでなく、今どきの高校生についての情報がかなり断片的なものしかないので、私が高校生の頃である30年ちょっと前の時代に戻れたら、ということにさせてもらうなら…
やはり若さや青春を思いっきり謳歌できるようなこと、そして何より高校生だからできるような楽しいことがやりたいですね。

例えば高校での部活なら、少し前にも記事にした通り私としては運動部よりも文科系の部に入りたいです。
その中でも入りたい部は演劇部や放送部あたりですかね。
演劇部の方は、芝居のセンスや演技力がどの程度あるのかわかりませんが、高校演劇の世界には少々興味があり、入部できれば案外積極的に活動に参加しそうな気がします。
放送部の方は何といってもテレビ・ラジオ好きで小学生時代には委員会活動で実際に校内放送を担当していたこともあるので、ぜひやってみたいです。
あと鉄道ファンとしてはやはり鉄道研究会があれば入りたいですね。(現実の私の高校生時代は、高校に鉄研がなかったので実現しませんでしたが)
プライベートでは、高校生らしく彼女とデートもしたいですし、一緒に映画やライブに出かけるなんてこともしたいです。
もちろん男友達とゲームセンターで遊んだりカラオケに行ったりするのもありですね。
あと、これは前回の記事の内容にもつながりますが、(30数年前の)高校生の自分に戻れたら、ぜひこの年代で青春18きっぷデビューを飾りたかったです。
高校生なので18きっぷの発売期間でもある春・夏・年末年始の長期休みにしか長距離の鉄道旅には出かけられないけれど、その分18きっぷや周遊券などを駆使して若いからこそできるようなスケールの大きな旅ができそうな気がします。

とにかく、もし高校生に戻れたら悔いのないように30数年遅れで味わう青春を思いっきり謳歌したいです。
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初めての18きっぷ旅 [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。
ネタ探しも兼ねて、鉄道関連のニュースをあれこれチェックしていたら、こんな記事を見つけました。

青春18きっぷ「初体験」はいつ? お金が無くて野宿 「日本って広いんだ」思い出はさまざま (乗りものニュース)
https://trafficnews.jp/post/117418

この記事を読んで、私も初めて青春18きっぷを使って鉄道旅に出た時のことを久しぶりに思い出しました。
私が初めて18きっぷを使って鉄道旅に出たのは、社会人になった翌年の1996年の夏休み。
上のリンク記事のアンケートの結果からするとやや遅めのデビューですが、本格的に長距離の鉄道旅をするようになったのが大学入学意向ということと、特に九州や北海道に行く場合は普通・快速しか利用できない18きっぷよりも、自由周遊区間内では特急の自由席も利用できるワイド周遊券の方が使い勝手がよいと感じていたためでした。
初めての18きっぷ旅の行先は広島でした。目的は広島電鉄(広電)の路面電車と宮島線、それに広島市内の新交通システム「アストラムライン」への乗車でした。
東京駅をこの年の春に登場した夜行快速「ムーンライトながら」で出発し、その後大垣・米原・姫路・岡山・福山・三原での乗り継ぎを経て広島駅に着いたのがおそらく16~17時頃だったと思います。さすがに短い乗り換え時間での乗り継ぎを重ねながらの16~17時間の普通・快速列車の旅に疲れを覚えなかったと言えば嘘になりますが、特に日中に通るのが初めてだった山陽本線の姫路以西の車窓をゆっくり眺められたのはよい経験でした。
翌日は一日広電とアストラムラインを乗りまくり、もう一泊して広島を後にしました。
当初は広島を午前中に出て行きと同様快速と普通を乗り継いだ後、その夜に大垣駅から「臨時大垣夜行」こと167系電車の臨時列車で東京へ戻ることを考えていました。
しかしさすがに中1日おいているとはいえ立て続けの17時間に及ぶ普通・快速の乗り継ぎもきついので、帰りは一旦大阪で一泊することにしてその分広島出発をゆっくり目にすることにしました。
午前中はもう少し広電の乗り鉄を楽しんで昼前に広島駅を出発。
往路の三原ー広島間は山陽本線を経由したので、帰りの同区間は呉線を利用。このようなことが気軽にできるのも18きっぷならではです。
その後は往路とほぼ同様な駅での乗り継ぎを経て19時過ぎに着いた大阪で予定通り一泊。
最終日は朝のラッシュが終わった頃に大阪を出て米原・大垣・豊橋・浜松・熱海と乗り継いで、20時頃に東京駅に戻ってきました。
初めての18きっぷ旅といっても、特にこれといった予期せぬ出来事もありませんでしたが、「18きっぷを利用して『ムーンライトながら』に乗り鉄道旅に出かける」という経験をやっとすることができたのは乗り鉄好きとしてはうれしかったのを思い出します。
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やっぱりこっちの方が何となく安心 [ノンジャンル]

こんにちは、gonanaです。
本日のお題:キャッシュレス派? 現金派?

私は基本的に現金派です。
もちろん全くキャッシュレスに縁のない生活を送っているというわけではなく、電車に乗る時にはPASMOを使うことがほとんどになり、コンビニでも時折PASMOで支払いをすることがあります。
でも、○○ペイのようなスマホ決済など他のキャッシュレス決済の手段は使ったことがありません。
その理由の一つは、とにかく使い方がよくわからないこと。
そんなもの、慣れればスムーズに使いこなせるよ、と言われるかもしれませんが、いまだにスマホをうまく使いこなせているとは言い難いこともあり、いざスマホ決済で支払いを、という場面になっても今の自分にはトラブルなく支払いができる自信がありません。
二つ目は、個人的な感覚としてやはりこれまで通りの現金での支払いの方が何となく安心する気がするからです。
私はこれまでずっと、ほとんどの支払いを現金でしてきました。
クレジットカードを持ったことがなかったわけではありませんが、これは以前よく利用していたお店のポイントカードがクレジットカード機能付きのものに切り替わるということで結果的に持つことになったまでで、そのカードのクレジット機能を使って買い物や支払いをしたことはほとんどありませんでした。
その背景には、中高生の頃ぐらいからいろいろなところでクレジットカードの使い過ぎが原因の多重債務やカード破産の話を聞くことがよくあり、自分がもしクレジットカードを持ったら果たして節度を持った使い方ができるのかどうか不安があったことがあります。
その点現金は、今使える金額が手元ではっきりわかり、カード払いやキャッシュレスよりも抑制的にお金を使える気がします。
それと、視覚障害者である私としては、利用金額や現在の残高、ポイントなどがわかりにくいキャッシュレス決済よりも、硬貨や紙幣に触れることで今持っている金額が分かる現金の方が使いやすいということも現金を使い続ける理由です。
残高やポイントなどは、お店のレジや自動改札機のディスプレイやスマホ画面を見れば一目瞭然なのかもしれませんが、見えない者にとっては店員さんなどに声で教えてもらうしかなく、最近多くなった無人レジではそういうわけにもなかなかいかないでしょう。(音声案内のあるレジもあるんですかね?)
もちろん、視覚障害に限らず障害のある人にとってはキャッシュレス決済はありがたいという意見もあるようで、それはそれでなるほどとも思います。
ただ私としては、キャッシュレス化の流れはもう止めようがないことは理解しつつ、少なくともしばらくの間は、現金主義の人でも不利益や「取り残された感」を感じることのない優しいシステムという方向性で進んでいってほしいものです。
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鉄道好きであることが役立つ時 [ノンジャンル]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:好きな事や特技のおかげで、得した事・損した事

これといって自慢できる特技がないので、特技が生きているうえで何かのプラスになった経験というのもあまりないけれど、趣味に関して言えば得したことはあっても、おそらく損したことはほとんどなかったと思います。
考えてみると、私が子供の頃からずっと好きな鉄道や、子供の頃は大好きだったテレビが、学校の勉強などにもいい影響を与えていたのかなと思うことは結構あります。
例えば、このブログでも何度も書いたことがありますが、幼い頃の私はひらがなやカタカナはもちろん、簡単な漢字までもテレビを見ながら何となく覚えていったということを母親に聞いたことがあります。
ひらがな(もしかするとカタカナも?)に関しては、私が幼い頃好きだった「カリきゅらマシーン」という幼児向けのテレビ番組で覚えたと母親が言っていましたし、その他CMなどでよく出てくる企業名などの簡単な漢字も、歌やナレーションと関連付けて文字の形と読み方を頭にインプットしていたようです。
その後も小学校低学年の頃から鉄道雑誌を愛読したおかげか、漢字を覚えるのにそれほど苦労した記憶がありません。
他にも、鉄道好きなのが功を奏したのかどうか、地理の授業が好きになったり地図を見るのが苦にならなくなるといった「得」もありました。

こうして特に国語や社会科の授業が好きになったのは、鉄道やテレビが好きだったことがかなり影響していると思われます。
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40年以上前の西武線の思い出 その3 [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。
私と家族が沿線に引っ越してきて以来ずっとお世話になっている西武線の、40年以上前の思い出の振り返り、ひとまず今回で最終回です。

西武池袋線沿線の東京都清瀬市に住み始めて2年ほど経った1977年10月、私たち一家は現在も住む西武新宿線沿線の埼玉県某市に引っ越しました。
清瀬市と某市との間はそれほど遠く離れているわけでもなく、そのおかげで引っ越し後も清瀬時代に通っていた幼稚園にそのまま通えたのですが、それでも子供なりに引っ越し前後で家の周囲の環境の違いは何となく感じたものでした。
そして、それまで身近だった西武池袋線と、新たに最寄りの路線になった西武新宿線との違いも何となく感じるようになりました。
例えば、新たに自宅最寄り駅になった駅は、引っ越してきた当時は上下線のホーム間の行き来を跨線橋ではなく構内踏切で行っていたり、本川越寄りには単線区間も残っていたりなど、池袋線の特に池袋ー所沢間の区間とは雰囲気の違う路線という感じがありました。

当時の新宿線の電車は、池袋線同様まだまだ赤とベージュの「赤電色」の電車が大活躍していましたが、池袋線よりも101系や冷房化改造済みの701・801系といった「黄色い電車」の数は少なかったような記憶があります。
そんな中で、ちょうど私たち一家が引っ越してきた1977年秋に、新宿線に新型車2000系が登場し、自宅に近い駅でも時折見かけるようになりました。
2000系は本格的な新車としては初めての20m4扉車で、101系では窓まわりが薄茶色だった塗装が黄色一色になったり、側面ドア脇の戸袋窓がなくなったり、前面形状もそれまでの西武電車にないもので、まだやっと車両番号と車体形状の違いで車両形式の別を認識できるようになった私でも明らかに新車とわかる車両でした。
特急車5000系は別として久しぶりに大きくデザインの変わった新車ということで西武としても期待の存在だったのか、翌年(11978年)の正月に新聞に折り込まれていた西武鉄道の広報紙にも2000系の写真が大きく掲載されていたのが今も記憶に残っています。
ただ、電車に乗ると運転室後部から前方を見るのが大好きだった私としては、運転台が高い位置に変わったことで運転室背後の窓も小さく高い位置になり、おまけに座って前方を見ていられる運転室直後の座席もなくなってしまったのにはがっかりでもありました。

私が西武沿線に住むようになった頃には、同じ西部の二大幹線である池袋線と新宿線との間には、新車や冷房車の数などに差がつき、新宿線は冷遇されているとも言われていたようです。
この格差は、新宿線にも本格的な特急の運転が始まるようになって縮まった感がありましたが、最近は池袋線に複々線区間が完成したり相互直通運転のネットワークが拡大したり、さらには新型特急車001系「Laview(ラビュー)」が登場したりして再び広がってきた感もあります。
今後新宿線沿線にいつまで住むことになるのかわかりませんが、都内の一部区間の連続立体化工事などの変化が、池袋線と比べると変化が乏しいようにも思える新宿線にどのような変化をもたらすのか、楽しみです。
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