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久々の関東脱出乗り鉄 その3 [鉄活動レポート]

こんにちは、gonanaです。
5月5日の久々の関東脱出乗り鉄のレポート、今回も続きます。

熱海駅から元「セントラルライナー」用車両である313系8000番台による普通列車に乗車して静岡駅に到着しました。
静岡駅では一旦改札を出ますが、次に乗車する列車の発車時刻までちょうど30分しかないので駅の外へは出ず、コンコース内の駅弁売り場で昼食の駅弁を調達し、名店街?でお土産を購入して再び改札を入ります。
ここから乗車するのは、11:45発の特急「ふじかわ5号」。富士駅から身延線を経由して甲府駅まで向かいます。
乗車するのは静岡駅発車時点では最後尾となる1号車。途中の富士駅で進行方向が変わるため、座席は進行方向に対して後ろ向きにセットされていました。
「ふじかわ」に使用されている373系は、過去にも「ふじかわ」で乗車経験があるほか、以前夜行快速「ムーンライトながら」やその関連運用の東京ー静岡間の普通列車、さらにはかつて運転されていた特急「東海」や今も運転されている特急「伊那路」で何度も乗車したことのある形式ですが、振り返ってみればこの形式もお久しぶりの乗車となります。

座席に落ち着いたところで、静岡駅で購入した駅弁で昼食とします。
今回私とガイドヘルパーさんがともに選んだのは、去る4月10日の「駅弁の日」に新発売となったばかりの「思いがけぬ出会い弁当」というちょっと変わった名前の弁当です。
この弁当は、ともに静岡市に本社のある有名缶詰メーカーの看板商品である、「はごろもフーズ」の「シーチキン」と「ホテイフーズ」の「やきとり」、それに静岡駅で駅弁を販売している「東海軒」がコラボして生まれた駅弁です。
その内容はというと、まずご飯はシーチキンの炊き込みご飯とやきとりがトッピングされた茶飯の2種類。シーチキンの炊き込みご飯は思ったよりシーチキンが主張せずあっさりいただけ、茶飯の上に乗ったやきとりも炭火焼の香ばしい風味が堪能できて、どちらもとてもおいしいです。
おかずの方もシーチキンやきとりボールやシーチキンの入ったマカロニサラダやナスのみそ漬けとシーチキンややきとりを使ったメニューが並び、さらにはマグロの串カツや黒はんぺんの磯部揚げ、わさび漬け、抹茶のわらび餅といった静岡を感じさせるメニュー、「東海軒」自慢という「親子焼き」というだし巻き卵と盛りだくさんで、満足度のかなり高いお弁当でした。

「ふじかわ5号」は定刻の11:45に静岡駅を発車し、まずは先ほど通って北ばかりの東海道本線を富士駅まで戻ります。
東海道線で久しぶりに乗る373系は、時間帯は真逆ながら「ムーンライトながら」にこれまた久しぶりに乗っているかのような錯覚を覚える走りを見せ、また「ながら」のような夜行快速に乗って乗り鉄旅に出たいという気持ちが強くなってきました。
富士駅からは進行方向が逆になり、乗車中の1号車を先頭に身延線へと入っていきます。
身延線に入ってからも「ふじかわ5号」は快調に走り、単線区間にもかかわらず結構速く走っているように感じました。
1号車の乗客の数はわかりませんでしたが、全体的に社内の人の動きは少なく感じ、会話もほとんど聞こえないので何だか妙な静けさが車内を支配していました。静けさと快適な走り、そして食後の満腹感のせいでついつい居眠りも出てしまいます。
「ふじかわ5号」は2分ほど遅れて14:05に終着の甲府駅に到着。
甲府駅もUターンラッシュなのか構内は賑わっているようでした。

乗り鉄レポート、次回で最終回です。
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久々の関東脱出乗り鉄 その2 [鉄活動レポート]

こんにちは、gonanaです。
5月5日の久々の関東脱出乗り鉄のレポート、今回も続きます。

品川駅から乗車した「こだま711号」を熱海駅で下車し、私とガイドヘルパーさんは在来線ホームの3番線へ移動し、10:00発の熱海始発の静岡行普通列車1441Mに乗り換えて静岡駅を目指します。
なぜ静岡駅まで行くのに「こだま711号」に乗り続けたりそれよりも静岡に先着する「ひかり505号」に乗ったりすることなく、あえてここで在来線に乗り換えた理由は…
それは、1441Mの後部3両(列車自体は6両編成)に、ある車両が連結されているという情報を知ったからでした。

その「ある車両」とは、この春のダイヤ改正に伴い、製造当初から所属していた神領車両区から静岡車両区へ転属し、活躍の舞台が中央西線から東海道線静岡エリアに変わった313系8000番台です。
この313系8000番台は、多くのバリエーションのある313系の中でも特別仕様ともいえる車両で、中央西線名古屋ー中津川間で運転されていた座席指定制快速「セントラルライナー」に使用するために、座席は他の313系にも多い転換クロスシート仕様ながら他の車両よりもグレードの高い設備になっていたり、車体のカラーリングも他の番台とは違うカラーリングになっていたりと特徴のある車両です。
2013年に「セントラルライナー」が廃止された後も引き続き中央西線で活躍していましたが、この春の中央西線への新形式315系投入により3両編成×6編成あった当番台車がすべて静岡エリアに活躍の場を移したというわけです。
静岡エリアで活躍する普通列車用の車両といえば、いわゆる間合い運用で数本普通列車に使われる特急形373系や、身延線や御殿場線を中心に活躍する313系のセミクロスシート車を除けば大半が211・313系のオールロングシート仕様者ばかりで、特に青春18きっぷ利用で東海道本線の静岡県内区間を乗る時には少々気の重い区間でもありました。
そんな静岡エリアにそれまでほぼ配置されていなかったと思われる転換クロスシート車がやって来たということで、この春鉄道ファンの間でちょっとした話題になったのがこの313系8000番台です。
私自身、この車両には15年以上前に「セントラルライナー」で乗車したことがあり、話題の車両がちょっと足を延ばせば乗れる地域を走り始めたということで、今回の久々の乗り鉄旅のターゲットに選びました。

と、前置きがかなり長くなってしまいましたが、私とガイドヘルパーさんは熱海駅の3番線のやや東京寄りに移動し、1441Mが入線してくるのを待ちました。
9:51、沼津からの熱海止まり1436Mが到着。この折り返しが1441Mになります。
到着した電車の車内からはさっそく背もたれを動かしていると思しき音が。ということは目の前に停車しているのはお目当ての313系8000番台であることが分かります。
現在の静岡車両区313系8000番台の運用には既存の211系が入る場合もあるらしいのですが、今回は無事目的の車両に乗車できます。
早速車内に入り、もちろんクロスシートに2人並んで座ります。車内では「この電車の後より3両の座席は背もたれを動かして向きを変えられます」という案内も流れているのが、転換クロスシート車登場から間もない静岡エリアらしい光景です。
発車が近づき、東京方面からの「踊り子」や普通列車からの乗り継ぎ客も乗り込んできて、少しずつ座席が埋まっていくのが分かります。中には「東京を離れると電車も違うんだね」と、関東ではほとんど見られない転換クロスシートの車内に驚いている人もいました。まあ、静岡地区だって転換クロスシート車はまだまだ珍しいのですが…
1441Mは定刻通り10:00に熱海駅を発車し、各駅停車で静岡駅を目指します。
313系の転換クロス車は名古屋地区の特別快速・新快速や快速で乗った経験が多いので、各駅停車で乗るのはなかなか新鮮です。それでも駅間距離の長い区間ではそこそこ高速で走るのでなかなか快適です。
考えてみるとこの区間を昼間にクロスシートに座って通るのはかなり久しぶりのことで、かつて何度も113系に乗って静岡県内を横断した時のことを思い出して懐かしい気分にもなりました。
1441Mは11:15、静岡駅に到着。改札を出てコンコースへ出ると、さすがにこの時間ともなると駅は多くの人で賑わっていてGWらしい活気を久しぶりに感じることができました。

次回も引き続き乗り鉄旅のレポートです。
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久々の関東脱出乗り鉄 その1 [鉄活動レポート]

こんにちは、gonanaです。一昨日(5月5日)、かなり久しぶりに関東地方からちょっとだけ脱出する日帰り乗り鉄旅をしてきました。
ここ2年あまり、なかなかまともな乗り鉄旅ができず、中でも関東地方から抜け出すのはかなりお久しぶりになってしまった中で3年ぶりにコロナがらみの制約のないGWがやってくるということで、この機会にせめて1日だけでもどこかへ行こうと考えるうち、とある車両にターゲットを定めてこれに乗ることをメインにした乗り鉄旅に出ることにしました。
ということで今回から、この日帰り乗り鉄旅のレポートを記していきます。

5月5日、自宅最寄駅を7時20分過ぎに出発。この日の乗り鉄はガイドヘルパーさんとの2人旅です。
西武線と山手線内回りを乗り継いで8時半過ぎに品川駅に到着。
山手線ホームから新幹線ホームへ向かう通路にはやはりそれなりに多くの人が歩いているようでしたが、GW中だからかそれとも駅ナカの商業施設の中にはまだ営業を始めていない店もあるからなのか、GW3連休最終日という割にはあまり混雑しているようには感じませんでした。
ここからは、品川9:04発の新幹線「こだま711号」に乗車します。
新幹線下りホーム(23・24番線)に移動してもホームは静かで、GW中なのに子供のはしゃぐ声やグループ客のおしゃべりもほとんど聞こえてこず、コロナ禍の影響もあるのでしょうが何だか妙な気分でした。
当初の予定よりも早く到着したためにホームのベンチでしばらく待機した後、「こだま711号」に乗車しました。ガイドヘルパーさんに乗車した13号車(指定席)の新横浜発車時点での乗り具合を見てもらったところ、2列席(山側)はそこそこ埋まっていたものの3列席(海側)はパラパラとしか乗客がいないとのこと。
編成の端寄りということもあるのかもしれませんが、連休最終日の東京発下り「こだま」ってさほど混雑しないということなんでしょうか。
それならば、時間に余裕があれば乗車区間や利用のタイミング次第では「のぞみ」に乗るより「こだま」に乗る方がいろいろと得、という場合もあるということなんでしょうね。
小田原駅で東京駅からずっと後を追ってきた「のぞみ213号」と「ひかり505号」の2本を待避して発車した後、車掌の自益案内に続いてJRグループの鉄道開業150周年キャンペーンのお知らせが案内されました。
このアナウンスはその前に乗車した山手線やその後乗車した列車でも流れていて、久しぶりにJRグループ全体で繰り広げるキャンペーンらしい力の入れようを感じました。

「こだま711号」は9:42に熱海駅に到着。
私たちはここで下車し、この日の乗り鉄旅のメインに選んだある車両に乗れることを期待しながら、東海道在来線のホームへ向かいます。
ここから先はまた次回です。
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何となく…だけど [ノンジャンル]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:移住するとしたら、どこに住む?

「移住」といえば、最近は東京などの大都会から田舎へ引っ越すというイメージになることが多いですが、私の場合は適度に都会の便利さを持ちつつ、ちょうどいい距離間での人と人とのつながりがあり、生活にあまり慌ただしさを感じない街が合っているかもしれません。
あくまでも私の勝手なイメージで例を挙げるとすると、例えば東京都内なら私の生まれ故郷でもある大田区の蒲田・六郷あたりや墨田区・荒川区などが個人的に住みやすいかもしれません。
東京以外だと、仙台・静岡・岡山・広島あたりがいいかもしれません
どの街もそれなりに規模のある都市でありながらも、東京ほどの慌ただしさもなく、普通に生活するならちょうどいい街の雰囲気というイメージがあるからです。(もちろん、あくまでも余所者の勝手なイメージでしかありませんけど)

もっとも、私にとってはどこに住むにせよ、地元の食べ物がうまいことと、鉄道などの公共交通機関や徒歩で日常の移動がある程度事足りる街であること、そしていつも身近に鉄道に触れていられる環境にあることは、移住を考える時にはかなり重視したいポイントの中に入ってくると思いますね。
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「鉄ちゃん」たるもの、鉄道絡みで失敗しては… [ノンジャンル]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:終電を逃した!! あなたならどうする?

やっぱりまんが喫茶かネットカフェか、あるいは始発の時刻まで滞留可能なマックやファミレスがあれば迷わずそこに入りますね。
余計な出費があるとはいえ大枚はたいてタクシーで帰るよりは格段に安いですし。
でも最近は深夜営業しているファミレスも相当少なくなったので、終電を逃したようなケースでの夜明かしの場所もそれだけ限られるようになりましたよね。
まあ、どうしても朝まで時間をつぶせる場所が見つからなければ、最後の手段で大枚はたいてタクシーで帰宅するしかないんでしょうが…

とまあ、こんなことを言ってますが、私は今までに終電を逃して夜を明かす場所に困った経験はありません。
そもそも、終電に間に合わなくなる時間まで飲んだり遊んだりするようなことがこれまでまずなかったもので。
それにやはり「鉄道好き」を自認する者としては、鉄道に絡んだ事で失敗をするというのは恥ずかしいですし…
だから、何らかの理由で帰宅時間が終電近い時間帯になる時は、地元駅へ電車のみで帰れるタイムリミットを事前に調べておき、その時間に合わせて行動するようにしています。

大学時代は埼玉県某市の自宅から千葉市内まで通学していたので、その当時から飲み会等で帰りが遅くなる時は飲み会会場などの最寄駅から地元駅へ帰るための最終接続電車の確認は怠れませんでした。
今のように「乗換案内」のサイトなんてありませんでしたから(というか、その当時は携帯すらなかったし)、当時出ていた首都圏のJR・私鉄・地下鉄などの時刻がまとめて詳しく掲載された時刻表は頻繁に買っていました。
ただ、終電を逃すことよりむしろ怖かったのは、終電に十分に間に合うつもりで帰路についたのに、人身事故などによるダイヤ乱れのせいで最終的に地元駅まで電車で帰ることができなくなるという事態。
私自身は幸いそのような経験は今までありませんでしたが、特にいくつもの路線で夜の時間帯にダイヤの乱れが頻発していた頃は、終電近くの時間帯に帰宅するようなときには毎回首都圏の電車の運行情報が気になったものです。
まあ、終電近い時間帯まで外出するということがすっかりなくなってしまった今となっては、これも昔の話になりつつありますが…
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かなりベタですが [ノンジャンル]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:子供に花の名前をつけるとしたら?

子供につける花の名前…
かなりベタで「ひねり」や工夫もない名前だけれど、やっぱり「さくら」が一番ですね。
いえいえ、いくら鉄道好きだからといっても別にブルートレインや山陽・九州新幹線の「さくら」号にちなんでいるだけ、ということはありません。
シンプルに「さくら」って名前、なんかいいですよね。
日本人のほとんどに愛される桜の花のように、みんなに愛され親しまれる人になってくれそうな気がします。
これだけいろいろな「キラキラネーム」があふれる中にあっても、「さくら」という読み方の子供の名前を聞く機会は結構ある気がします。
それだけ、日本人には一番馴染みの深い名前の一つなんでしょうね。

あと花にちなんだ名前といえば…
「すみれ」とか「ゆり」とか「ひまわり」とかですかね。
さすがに今の時代「菊」とか「梅」とかが含まれる名前の子供というのもなかなかないでしょうね。
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福井鉄道200形乗車&撮影の思い出 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
来年の北陸新幹線の敦賀延伸によって注目度が高まりそうな福井県の鉄道。
その福井には、私鉄の福井鉄道と第三セクター鉄道のえちぜん鉄道の2つのローカル鉄道があります。
今回はこのうち、福井鉄道に初めて乗車した際に乗車・撮影したある形式の車両の思い出を記したいと思います。

それは2008年の夏休みのこと。
この時の私は、青春18きっぷを利用して関西へ鉄道旅に出かけた帰りに、初めて北陸本線経由のルートで関東へ戻ることにしていました。
正確な日付は覚えていませんが、7月末のある日の朝に大阪を出発し、新快速と北陸本線普通列車を乗り継いで昼頃に福井駅に到着しました。
その後はJR福井駅のすぐそばにあるえちぜん鉄道福井駅から電車に乗車し、短い時間と区間ながらえちぜん鉄道の乗り鉄を楽しみました。(えちぜん鉄道の乗り鉄については、また機会を改めて書ければと思います)
そして、えちぜん鉄道の乗り鉄を終えて福井駅まで戻る途中の俵町という駅で下車。
ここは、えちぜん鉄道とともに福井市内に乗り入れるもう一つのローカル鉄道である福井鉄道との連絡駅です。
現在のえちぜん鉄道と福井鉄道は、両社の超低床車両を使って相互直通運転を行っていますが、当時はそのような運転形態になるという話も聞かない頃で、普通にえちぜん鉄道の電車から福井鉄道の電車へと乗り換えました。もっとも、両社のホーム間には跨線橋や改札はなく、ホーム上を平面移動するだけの簡単さでした。

福井鉄道の一日フリー切符を購入して田原町から乗車した福井鉄道の電車は、2005年の名鉄の岐阜地区一部路線の廃止によって福井鉄道にやって来た770形電車で、しかも乗車した車両の番号は777号。今考えると、これはその後の乗り鉄&撮り鉄成果の暗示だったのかも?
777号に乗車して田原町駅を発車し、福井市内中心部の路面上の併用軌道区間から郊外の鉄道線区間へと入っていきます。
この日は福井駅近くのビジネスホテルにすでに宿を取っていたので時間にも余裕があり、終点の武生新駅(同駅はその後、現在の越前武生駅に改称しましたが、2023年の北陸新幹線敦賀延伸とともに元の武生新駅に再改称予定)へ向かう途中の小さな駅(残念ながら駅名は覚えていませんが)で気まぐれに途中下車することにしました。
とりあえず、再び田原町駅に戻るかそれとももう一つの福井市内の起終点駅である福井駅前停留所まで行くか考えながらホームのベンチに座っていたところ、やがて福井市内方面行の電車がやってくる音がしました。
そしてやってきた電車を見て思わずテンションUP!
その理由は、やって来たのが福井鉄道福武線のエース車両として長く活躍した200形という車両で、しかもやって来たのが前年に製造当初から全盛期にかけての車体塗装がリバイバルされた203編成だったからです。
福井鉄道200形は、1960年から62年にかけて3編成が製造された連接車で、主に急行運用に使用されるために2扉セミクロスシート仕様となっていました。
200形は福井鉄道の車両の中でも特別な存在だったのか、2006年以降に車両の多くが名鉄からやって来た路面電車タイプの車両に入れ替わった後も、大型車両ゆえの輸送力の高さを買われて3編成とも生き残り、ラッシュ時を中心にこの当時も活躍を続けていました。
そして、私の前にやって来た203編成は、前年に全盛時代の紺色とベージュのツートンカラーに白帯を入れた塗装に復元されていて、私にとっては福井鉄道200形といえばこの姿というイメージだったのでこの出会いはラッキーでした。
しかし、私が遭遇したのはまだ15時少し前頃で、先ほども書いた通りラッシュ時中心の運用となっている車両がやってくるには早い印象がありました。
まあそれはともかく、福井鉄道の乗り鉄&撮り鉄をするならぜひ遭遇したかった200形のリバイバルカラー者にいきなり出会えた幸運を噛みしめながらさっそく乗車し、福井駅前停留所へ向かいます。
車内はパラパラと乗客がいる程度で中心部に入っても特に混雑することもなくゆったりムード。まるで国鉄型の近郊型・急行型電車のようなボックスシートに座り乗り心地を楽しむうち、終点の福井駅前停留所に着きました。
2008年当時の福井鉄道福井駅前停留所は、現在の福井駅停留所から150mほど離れた駅前の大通りの真ん中に1面1線のホームがあり、併用軌道区間や高さの低いホームで使用する、ドアの開閉と連動して作動するステップを利用して乗車や降車をしました。
その福井駅前停留所付近で武生新へ折り返し発射する203編成を撮影し、一旦予約していたホテルで一休み。
福井駅前に203編成が戻ってくるのを見計らって再びホテルを出ました。
戻って来た203編成に再び乗車して今度は終点の武生新まで全線乗車。この時点で時刻は17時を少し回った頃でしたが、会社帰りのラッシュには少し早いのか混雑はさほどではなく、ボックスシートにはそれぞれ2~3人ぐらいが座る程度の込み具合で福井駅前を発車し、先ほど同様ボックスシートで乗り心地を満喫しながら50分ほど(?)で終点の武生新駅に到着しました。
武生新駅にはホームを挟んで隣の線にここまで乗ってきた203編成と同じ200形の201編成(こちらはベージュの地に紺色の帯の塗装)が停車していて、203編成との並び写真も撮影することができました。

武生新から折り返しの203編成に乗車して福井駅前停留所へ戻り、ホテルで一泊。
翌日も10時過ぎの北陸線普通列車で福井を離れるまでの間、福井鉄道の電車の撮影を楽しみました。
朝のラッシュ時間帯ということもあり、前日乗車・撮影しまくった203編成を再び撮影できたほか、前日は武生新駅に停車している姿しか見ることができなかった201編成、それに200形同様ラッシュ対策のため活躍していた元名古屋市営地下鉄の610形、それに元名鉄の低床型電車といろいろな車両を撮影することができ、満足のいく乗り鉄&撮り鉄を味わうことができました。

福井鉄道200形はその後、2015年から順次運用から離脱していき、最後に残ったリバイバルカラーの203編成も2016年に運用を終えました。
203編成はその後も沿線での保存の要望があり、それに向けた動きもあったようですが、今のところ保存が実現したという話は聞きません。
もし今も203編成が解体されずに残っているのなら、ぜひきれいに整備して再び多くの人が見ることのできる場所で保存してくれると嬉しいのですが。
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せっかくやるんだったら [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:もしお店をつくるなら、どんな店にする?

そもそも私には、商売の才能もなければ店を経営する能力もおそらくないでしょう。それに接客も得意ではない(バイトでも接客業の経験はなし)ので、自分で店を経営するなどということはおそらく一生ないのかなと思います。

それでもあえてお店をやるなら、どんな店がいいか…
せっかくやるなら、先ほど書いたこととは矛盾しますが、お客さんとの距離が近くて自然に人が集まってくるようなお店をやりたいですね。
最近、日テレの「おもうまい店」という番組にハマっていて、毎週毎週登場する「え!?こんなメガ盛りや豪華な食材を使ったメニューなのにこんなに安いの?」と思ったり思い切りキャラの建ったご主人や店員さん、お客さんのいる店のことを見るたびに、どうせ店をやるなら自分もこんな店にしたいという気持ちになってきます。
また、中学生の頃に短い期間ながら通ったことのある模型屋さんのご主人の影響もあるかもしれません。
そのお店はいかにも「模型屋さん」という感じの小さなお店で、その当時60~70歳ぐらいのご主人が一人で切り盛りしていました。
私がお店に行くといつも、狭いスペースにプラモデルや鉄道模型、塗料などのプラモや模型の関連商品であふれた店内でご主人は常連?のお客さんと盛んに模型やプラモデル談義をしたり、子供にぷ裏モデルの作り方のアドバイスをしたりしていました。もちろん私にも優しく接していただき、鉄道模型のキットの政策のコツなどいろいろな話をした思い出があります。
その模型屋さんには2年弱ほど通った後、高校受験が近づいたりして自然に足が遠のいてしまい、気がつけばあれからもう40年近くになります。
今となっては模型屋さんのご主人もご存命ではないかもしれないし、お店自体も閉店してしまっている可能性が高そうですが、それでも「模型好きな人が好き」といつも言っていたご主人のことは忘れることができず、もし何かのきっかけでお店をやるようなことがあれば、そんな店主になりたいものです。
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ブログ仲間さんの乗務する列車に乗車 [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:ずっと会ってないけど、久々に会いたい人

この手のお題で記事を書くのはもう何度目か、何だかよくわからなくなってきましたが(笑)
今回は、私がかつて開設していたブログで友達登録をしてくださっていたブロガー仲間のKさんについての思い出を書きたいと思います。

Kさんは私より7~8歳年下で、私がブログ上で親しくさせていただいていた2006~2014年当時は関西のとある私鉄で車掌をされていました。
Kさんのブログでは、車掌としての乗務中やそれ以前に駅で勤務されていた時代の出来事や裏話など、鉄道ファンにとっては興味深い記事がいろいろアップされていました。
またKさんは「西部警察」や「太陽にほえろ」などの刑事ドラマも大好きで、鉄道ネタと並んでこちらの方面のマニアックな話題もかなりアップされていました。

そんなKさんとは、住まいが関東と関西で離れていることもありブログ上でしか交流がありませんでしたが、ある年のGWに私が関西へ鉄道旅に出かけるとブログに書いたところ、ブログのメッセージ機能(ブログの管理人とそのブログの特定の読者との間だけでメッセージをやり取りする機能。ツイッターのDMのようなもの)でKさんから「もし日程に余裕があるなら、一度私の乗務する列車に乗りに来ませんか」というお誘いをいただき、せっかくなのでそのお誘いに乗らせていただくことにしました。
鉄道旅中のある日、Kさんは午前と午後に1往復ずつ普通電車に乗務するということなので、私はそのうちの午前中のA駅からB駅までの上り電車に乗ることにし、宿泊していた大阪市内のビジネスホテルからまずはKさんの勤務する会社の終点へ向かう特急電車に乗車して途中のA駅へ向かいました。
A駅に着いてしばらくすると、Kさんの乗務する電車がやってきました。ホーム監視のためにホームに出てきたKさんに軽く会釈して(事前にブログのメッセージ機能で当日の服装をKさんに伝えていました)、最後部乗務員室そばのドアから社内に入り、乗務員室背後の窓から私の姿がよく見えるようにドア脇の座席に座りました。
A駅を発車した普通電車に使用されていた形式には自動放送設備がないので、各駅ごとにKさんの肉声による社内放送が流れる中、B駅に向けて各駅停車で進んでいきます。
Kさんの勤務する会社の路線には関西に鉄道旅に出かけると何度も乗車していましたが、たいていは特急などの優等列車に乗ることが多く、この時のように普通電車に乗るというのもちょっと新鮮な経験でした。
途中のC駅では特急のを先行させるため数分間停車するのでホームへ出ると、ここでもホーム監視に出てきたKさんと顔を合わせました。もちろんKさんは乗務中なのでお互い声を交わすことはありませんでしたが、何だかK三都の一風変わったオフ会を楽しんでいるような気分を味わうことができました。

そして、乗車した電車でのKさんの乗務区間の終点であるB駅に到着。
KさんがB駅から先の区間の乗務を担当する車掌との間の引継ぎを済ませ、電車のB駅発車を見届けたところでKさんに再び軽く会釈をすると、Kさんもこちらに敬礼を返してくださいました。そしてその後、Kさんは(おそらく)到着点呼と休憩のため乗務員詰め所へ、私の方は他の路線に乗り換えるため改札絵とそれぞれ別れました。
もちろんここでもお互い声を交わすことはなかったものの、その中でお互いできる形でコミュニケーションをとることができ、私としては普段よりも列車の乗務員の方との距離を近く感じることのできた時間でした。
その後、この時のことについて書いたブログの記事にはKさんもコメントをくださり、私のことをしっかり認識してくださっていたと知って改めて嬉しかったのを思い出します。Kさんもご自身のブログで私が乗務列車に乗車したことを書いてくださり、何だか照れくさいような、それでいてちょっとだけ誇らしいような気分になったものです。

ここまで書いてきたように、Kさんとの初のオフ会(?)はお互い一言も声を交わすことなく終わりました。
その後もお互いのブログを通じての交流は続き、東日本大震災のあった直後(確か40分ほど後)には電話やメールがなかなか通じない中で安否確認のメールをくださったりもするなど親しくさせていただいていました。
しかし、私が視覚障害者となったことで以前のブログの更新を止めてしまったためにKさんとの交流も自然消滅してしまい、お互い音信不通の状態が続いています。
今ではKさんがどうしているのかも全くわかりませんが、できることならもう一度どこかでお会いし、今度こそお互い思う存分お互いの事や鉄道のことを語り合い、Kさんのマニアックな刑事ドラマ知識を披露してもらいたいものです。
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