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2012年夏 山万ユーカリが丘線乗り鉄の思い出 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
ちょうど3か月前の記事で、千葉県佐倉市を走る新交通システム「山万ユーカリが丘線」(以下、ユーカリが丘線と略します)に始発から終電まで一日中乗車し続けるチャレンジを行った人がネットニュースで取り上げられたことを書きました。
(その時の記事は→https://gonana57.blog.ss-blog.jp/2020-09-10
この記事を書いているうちに、前回私が子のユーカリが丘線に乗ったのはいつだったのか気になりました。
そうすると、前回乗車したのは確か8年前の夏のことだったのではないかということを思い出しました。
その当時のブログの記事をいろいろあさってみると、ちょうどこのユーカリが丘線の乗り鉄のことを書いた記事がありました。
そこで今回はその記事をもとにしながら、その他の記憶も交えてこの乗り鉄のことを振り返ってみたいと思います。

2012年7月16日、ふと思い立ってかなり久しぶりにユーカリが丘線に乗りに行くことにしました。
特にこれといった乗り鉄の目的はなく、単に前回いつ乗りに行ったか記憶にないくらい久しく乗車していなかったので、この機会に乗ってみるか、という感覚での乗り鉄でした。

京成本線でユーカリが丘駅へ向かい、下車後さっそく、連絡通路でつながっているユーカリが丘線乗り場へ。
ユーカリが丘線の駅の自動改札機は、この乗り鉄の当時も現在も、PASMO・Suicaなどの交通系ICカードに対応していないので、自動券売機で乗車券を…と思ったらユーカリが丘駅の自動券売機ではなぜか大人用の切符が買えず、隣の窓口で購入するようにという案内がされていました。
それで、窓口の駅員に声をかけて全線均一運賃の200円(2020年現在も同じ)を払うと、手渡された切符は何と回数券をバラ売りして普通乗車券の代用としている模様。
ニュータウン内の交通機関だけに、定期券や回数券を利用する人が利用客の大半を占めるので、敢えて大人用の普通乗車券は用意していないということだったのかもしれませんが(2020年現在の状況は不明)、いずれにしてもこの辺りからすでに、ユーカリが丘線と他の新交通システムとの違いを感じさせます。
その窓口ではユーカリが丘線グッズもいくつか発売していて、その中からキーホルダーを2つ購入。
1つは当時各社から多く発売されていた方向幕デザインのもの。
もう一つは、ちょうどこの年が1982年11月にユーカリが丘線がユーカリが丘―公園―女子大―中学校間で部分開業してから30周年となったのを記念した絵柄のもの。
どちらも裏面は車両イラストとイメージキャラクターのコアラのイラストが入っていました。

改札を入りホームに上がると、ちょうど次にユーカリが丘駅を発車する列車が到着。
開業時から活躍し、2020年現在も唯一の形式である1000形の前面窓の下半分には、開業30周年記念ヘッドマークが掲出されていました。
3編成ある1000形には、編成ごとに車番に対応して「こあら1号」「こあら2号」「こあら3号」の愛称がそれぞれついていて、この日の日中は「こあら3号」1編成のみが走っていました。
発車までの間にホームで車両を撮影していると、片隅にある記念撮影ボードを発見。
おそらく5年前の25周年記念の時に設置されたものと思われますが、私以外にこのボードに気を留めている人はいないようでした。

やがて次の列車の発車時刻となり、ユーカリが丘線の乗り鉄に出発。
「こあら○号」こと1000形の車内は、今どき珍しい非冷房(2020年現在も同じと思われます)。
乗車した日は猛暑というほどでもないもののそこそこ気温は高かった記憶がありますが、車両の側面窓上部が内側に少し倒れるようになっているのと、やや強めの風がそこから入ってくるおかげで、非冷房車でもそれほど苦痛を感じることはありませんでした。

ユーカリが丘駅から2つ目の「公園」駅で途中下車。
ニュータウン内だけの交通機関らしい、何とも「そのまま」の駅名ですが、当線にはこうした駅名が他にもいくつかあり、例えば公園駅の次の「女子大」駅は、周辺に和洋女子大学が移転を計画していたことにちなんで命名されたそうですが、その計画は中止となり、同校のセミナーハウスが建設されただけで終わってしまったとか。
ユーカリが丘線の路線は、ユーカリが丘駅を起点にして公園駅まで進んだのち、ユーカリが丘ニュータウン内を反時計回りに一周して公園駅、そしてユーカリが丘駅に戻るラケット状・一方通行の環状運転になっています。
ユーカリが丘駅で購入した乗車券は全線均一運賃の200円のものなので、どの駅で降りてもよい状況でしたが、「公園」駅というからには近くに講演があるのだろうという単純な発想で、ここを途中下車駅に選びました。
公園駅で下車したのは、私一人だけ。
調べてみると、この公園駅の駅名の由来は、ユーカリが丘南公園なる講演に近いという理由のようでしたが、駅前広場に出てみてもそれに関する案内看板などは発見できず、よくありがちなニュータウン地域にある駅前の風景という感じでした。

ユーカリが丘三波公園の案内地図でもあれば、それに従って講演にもよってみようかと考えていましたが、公園の場所が分からないので散策は断念し、公園駅の自動券売機で乗車券を買い再び駅へ。
先ほどの「こあら3号」にまた乗車して環状部分を一周、さらに先ほど乗車したユーカリが丘ー公園間を逆方向に走り(ちなみにユーカリが丘線は全線にわたり単線運転)、起点のユーカリが丘駅に戻ってきました。

ユーカリが丘線は、ユーカリが丘駅を発車して全線を乗車しユーカリが丘に戻ってくるまで約14分、公園駅での途中下車を挟んでも40分弱で全線踏破してしまったミニ路線ですが、特別に絶景と言えるポイントが見当たらない代わり、ほぼ全線にわたり緑の多い住宅地を走り、車両の窓から眺めていても結構癒される風景が広がっていました。
30数年弱前の全線開業以来、新車投入や路線延伸などの話題もなく、正直ともすれば存在すら忘れそうになってしまうユーカリが丘線ですが、乗車した列車は休日の昼前としてはそこそこの乗車率のようで、地元の足としてはしっかり根付いている路線ということになるのでしょうか。
現在もユーカリが丘線の主となっている1000形は、すでに車齢40年近くになり、令和の世にはある意味貴重な非冷房車であるので、今後いつまで活躍をつづけるのか注目されるところですが、同形式の外観は最近の新交通システムの車両にはない丸みの強い「癒し系」(?)なデザインで、前面や側面(2012年に乗車した時にはなかったですが)にはユーカリが丘線のマスコットキャラクターのコアラのラッピングがされていたりと、子供や女性にも受け入れてもらえそうな外観なので、路線ともども売り込み方次第ではかなり人気が出るかもしれません。
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西武多摩川線 旧101系223Fお別れ乗車&撮影の思い出 その4 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
前回に続き、西武多摩川線での営業運転を終えた後、同じ西武の小手指車両基地へ向けて甲種回送中の西武旧101系223Fの追っかけ撮影の振り返りです。

115系の「ホリデー快速むさしの」で大宮駅に着いた後は、再び223Fの追っかけ撮影に戻るべく、京浜東北線・武蔵野線・中央線を乗り継いで国立駅へ向かいました。
もちろんここでの目的は、八王子駅の側線に朝まで留置された後に進行方向を逆にして新秋津駅へと向かう223Fの甲種輸送列車を撮影するためですが、国立駅で撮影することにしたのは、この撮影日の少し前に高架線に切り替えられた同駅の上り線を走る223Fの姿を撮影したかったためでした。
が、肝心の撮影では、上りホームでの後追い撮影の際にシャッタを早く切りすぎたせいで、甲種輸送列車の最後部に連結されたクハ1224の正面右側が切れてしまうという痛恨のミス…
まだ真新しいホームを、もうここを通ることのない旧101系が駆け抜けていく貴重なシーンを撮影するという目論見は、見事に失敗してしまいましたが、気を取り直して次の撮影予定地の新秋津駅へ移動しました。
223Fを追うように新秋津駅へ向かい、改札を出て武蔵野線の走る掘割沿いの道路の脇から同駅の新小平駅寄り構内にある側線を見下ろすと、すでに甲種輸送列車は到着していて、武蔵境からここまで牽引してきたJR貨物のEF65 1083はすでに223Fから切り離され、少しホーム側に離れて停車していました。
さらに、隣の線路にはここから小手指まで223Fの牽引車役を務める西武新101系263Fも停車中で、これから223Fとの連結作業に入るといった感じでした。

新秋津で少し撮影して駅近くで昼食の後、秋津駅から西武池袋線で所沢駅へ移動。
私が昼食休憩をとっている間に新秋津を263Fの牽引で離れた223Fは、武蔵野線と池袋線との連絡船を通って西武のレールに戻り所沢駅6番線(ホームのない線路)に到着し、ここで再び1時間弱の停車となります。
この所沢駅6番線は、隣の5番ホームから中1線空けて間近に撮影や観察ができることや、まとまった停車時間があることもあり、私が所沢に到着した13時過ぎには223F目当てのファンらしき人がたくさん撮影に訪れていました。
もちろんその中に私もいたわけですが。

所沢駅ホームで撮影の後、甲種輸送列車に先行する電車で、この日最後の撮影地であり甲種輸送の終着駅でもある小手指へ先回り。
ここでも数人のファンが待ち構える中、13:54に、263F+223Fの編成は小手指駅に到着。
旧101系も新101系も、かつては池袋線の主役でした。それだけに、ホームに佇む両形式の姿は、塗装が黄色一色になっていることと、最後部のクハ1224に取り付けられた赤色円板を除けば、あたかもかつての池袋線の日常の風景を再現したかのようでした。
そして…、数分間停車した263F+223Fは小手指車両基地へと引き上げていきました。
だんだんと遠ざかっていく223Fの後ろ姿を見送っていると、幼い頃から数えきれないくらい乗車した馴染みの車両ということもあり、何だかグッとくるものを感じました。
この日の段階では、旧101系の姿を見られるのもこの日限りと思っていましたが、幸いなことにこの日回送された223Fの飯能方先頭車クハ1223が、塗装を登場時のツートンカラーに戻した状態で、同時にデビューした特急車5000系の先頭車クハ5503や輸入古典電機などとともに横瀬車両基地で大切に保存され、同所でのイベントの際には一般公開されており、今でも姿を見ることができます。
西部旧101系は、決して話題性の多かった形式ではありませんでしたが、西武にとってもいろいろとエポックメイキングな車両だけに、今後も末永く保存されてほしいものです。
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西武多摩川線 旧101系223Fお別れ乗車&撮影の思い出 その3 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
前回の記事では、西武多摩川線に唯一残っていた西武旧101系223Fの最終営業運転の日のお別れ乗車を振り返りました。
西武旧101系は個人的な思い入れもある形式だけに、営業運転最終日にお別れ乗車や撮影ができたのはとても満足で、これで旧101系とも(実車では)最後の出会いという現実も受け入れることができた…つもりでした。
しかし、その翌日化翌々日にある鉄道雑誌に、その旧101系223Fが多摩川線の白糸台車両基地から西武池袋線の小手指車両基地へ向かう際の「甲種輸送」(鉄道車両を、機関車牽引で貨物列車として輸送すること)が、223Fの多摩川線引退から5日後の2010年11月14日の未明から午後にかけて行われることを知り、当日が日曜日だったこともありまたしても撮影に出かけることにしてしまいました。

西武多摩川線は、線路が他の西武各線とはつながっていないため、多摩川線を走る車両の日常の整備は同線白糸台駅構内にある白糸台車両基地で行われていますが、大規模な検査修繕は池袋線高麗駅付近にある武蔵丘車両検修場で行われるため、多摩川線車両の検査修繕などがあるたびにJR貨物の機関車の牽引による「甲種輸送」が武蔵境ー新秋津間で現在も行われています。
この日は、白糸台から小手指まで改装される223Fを、完全な形ではないものの追っかけ撮影しようというわけです。

当日の早朝、始発で自宅最寄駅を出発し、まず向かったのは八王子駅。
西武線と武蔵野線・中央線を乗り継いでやって来た八王子駅では、中央線下りホームと横浜線ホームの間にある側線に、すでにEF65と連結した223Fの姿がありました。
223Fは、多摩川線終電後に白糸台車両基地を出発してJRとの接続駅武蔵境まで改装された後、渡り線を使ってJR中央線の線路に入り、ここからJR貨物新鶴見機関区のEF65 1083号機(現 2083号機)に牽引されて中央線を下り、八王子に到着しました。この後は、進行方向を逆にして中央線を国立駅付近まで戻り、さらに連絡線を通って武蔵野線に入り、新秋津へと向かいます。
6:20過ぎに八王子駅やって来た時には、すでに牽引機のEF65は折り返し発車のため東京方への「機回し」を終えていました。
西部旧101系が、無動力回送とはいえ八王子にやってくるのはこれが最後となるので、私のような追っかけ撮影のファンが何人もいると思っていましたが、さすがに早朝ということもあるのか、それらしい人はほとんど見かけませんでした。

ここから223F回送の追っかけ撮影は始まりますが、その回送が新秋津へ向けて動き出すまでにはまだかなり時間がありました。
そこで、この間を利用して223Fとは別の乗り鉄を楽しみます。
乗車するのは、八王子と大宮を結ぶ「ホリデー快速むさしの号」。
快速「むさしの」は、現在も武蔵野線用の209系500番台・E231系によって運転されていますが、この当時は現在よりも運転本数は少なく、車両も豊田車両センターのスカ色の115系M40編成を使用して運転されていました。さらに土休日は列車名も「ホリデー快速むさしの」に変えて運転されていました。
この日の直後の12月に控えたダイヤ改正で「むさしの」は増発されることになっていましたが、それと同時に使用車両が115系から当時の武蔵野線の主力205系に変更されることになっており、115系で運転されているうちにもう一度乗っておこうというわけです。
ホームから側線に止まる223Fを撮影した後、入線してきた「むさしの」の115系に乗車。
乗車したクハ115-398の車内は、座席のシートモケット以外はほぼ原形のままと思われ、国鉄型車両好きとしてはホッとする空間でもあります。
そんな社内の乗客は、日曜の早朝だからということもあり少なめ。

「ホリデー快速むさしの」は6:47、八王子を定刻発車。
八王子から途中の新秋津までは、後程223Fも通ることになるルートを進み武蔵野線へ。
さらに西浦和駅付近からの東北本線への連絡線を通り、7:34に終着の大宮駅に定刻到着。
「むさしの」の115系は、この時点ですでに大宮駅に発着する数少ない国鉄型電車の一つになっており、私と同様に乗車や撮影を楽しんだと思われるファンの姿も数人見かけました。

次回、本格的に223Fの追っかけ撮影に入ります。
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西武多摩川線 旧101系223Fお別れ乗車&撮影の思い出 その2 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
一昨日の記事では、2010年11月に多摩川線での運用を最後に西武線内での定期運用から引退する西武旧101系223Fにお別れ乗車と撮影をしに出かけた時のことを振り返りました。
まだ幼稚園に通うかどうかといった時期からの馴染みの車両だけに、できることならその最終営業運転の日にも多摩川線に駆け付けたいところでしたが、前々回の記事に書いたお別れ乗車の日の時点では223Fの最終運用がいつになるのか判然としなかったため、とりあえずお別れヘッドマークを付けた最後の姿を目に焼き付け、最後の乗車も果たしたということで、たとえ最後の日に立ち会えなくても満足、という状況でした。
しかし、そのお別れ乗車から3日後の11月9日になって、この日が223Fの営業運転最終日であることを車両運用関連の掲示板で知り、しかもこの日は終電近くの時間帯まで運用に入るらしいという情報も得たので、平日(火曜日)でしたが会社帰りに本当のお別れ乗車をしに行くことにしました。

東銀座にある当時勤務していた会社を定時で退社し、中央線快速で多摩川線の始発駅武蔵境駅に着いたのが19時半頃。
3日前と同じように連絡改札口を通って多摩川線ホームへ上がり、新101系の列車を一本やり過ごすと、次にやって来たのが223Fでした。
223Fの姿は3日前と変化はなく、ホームも帰宅客がそこそこ多い状態だったので、お別れヘッドマークを除けば普段の多摩川線での活躍とほとんど変わらない姿で淡々と最終日の営業運転をこなしているといった感じでした。
もちろんこの日も223Fに乗車して終点の是政へ向かいます。
もう夜になり前面展望もきかない(運転室背面の窓にカーテンが下りている)状態なので、2両目のモハ224に乗車。
武蔵境発車時の車内はこの時間帯らしく、帰宅客で座席がすべて埋まり、数人の立ち客がある状態でしたが、各駅に着くたび乗客はどんどん降りていき、終点是政に着くころには車内もかなり空席ができていました。

武蔵境から12分ほどで到着した是政駅では、夜のホームに停車する223Fを撮影し、武蔵境へ一往復して是政に戻ってきた223Fに再び乗車して武蔵境へ戻ります。
武蔵境行きの車内は乗客もわずかで、乗車した武蔵境方先頭のクハ1223乗客は私一人だけでした。
223Fの各車の車内は、室内の化粧板やシートモケットの色が変わっているだけで原形とそれほど変化がなく、座席の座り心地も昔と変わりませんでした。
旧101系に乗るのもこれが最後になるので、短い時間ながら幼い頃からの旧101系乗車の思い出を振り返りながら武蔵境へ向かいます。
そうこうしているうちに、223Fは武蔵境に到着。
約半月前のJR中央線快速の201系の時はうまい具合に営業運転最終列車に乗車できましたが、今回の223Fは終電近くまでの運用になるため、さすがに最終営業運転列車に立ち会うことはできませんでしたが、それでも「幼なじみ」の車両の営業最終日に最後の乗車をすることができ、何となくほっとした気分で多摩川線ホームを後にして帰路に就いたのでした。
そういえば、旧型車両などの最終日ともなれば多くのファンが駅や沿線にあふれるのが普通ですが、こと西武旧101系に関しては、少なくとも私の乗車した時間に限れば明らかに223F目当てのファンと思われる人の姿をほとんど見かけなかったのが印象的でした。
中央快速線201系の時には私も含め多くのファンが乗車や撮影に訪れていましたが、やはり地味な私鉄通勤車ともなれば注目度は低かったのでしょうか。
まあそのおかげで、イベント性の強くない普段着の姿に近い223F最後の営業運転に立ち会えたという点ではよかったのかもしれませんが。

次回「その3」では、多摩川線での営業運転を終え、「甲種輸送」で小手指の車両基地へと回送される223Fの追っかけ撮影をした時のことを振り返ります。
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初めてのオンライン忘年会 [視覚障碍者としてのあれこれ]

こんにちは、gonanaです。
今年、一気に定着した感のあるオンラインでの飲み会ですが、実は私、昨日初めてそのオンライン飲み会なるものを体験しました。
その飲み会は、私の所属する視覚障害者団体のオンライン忘年会です。
この団体では、毎年この時期に東京両国の某ホテルの宴会場を借りて忘年会を開催しており、私も昨年まで3年連続して参加していました。
(昨年の忘年会についての記事はこちら→https://gonana57.blog.ss-blog.jp/2019-12-08-1
ただ今年は、このご時世でリアルでの開催ができないということで、初めてZOOMを使ったオンライン忘年会ということになりました。

自宅に近いコンビニで購入したチキン南蛮弁当とファミチキ、それにグレープフルーツ味の酎ハイをスタンバイし、自宅の部屋で20時からオンライン忘年会に参加しました。
まずは団体の代表の挨拶があり、その後出席しているメンバーが一人ひとり自己紹介(お互い見えない・見えにくい人たちばかりなので、視覚障害者の集まりではこれが一番大事です)とともに、今年一年を振り返っての感想や来年に向けての抱負を発表しあいました。
今年一年の総括ではやはりコロナ禍ゆえのいろいろな困りごとや、働き方や生活の変化などについてのコメントが多く聞かれました。
そして来年こそはまたリアルでの交流会や忘年会ができるような状況になってほしいというコメントも多くありました。
一通り出席者全員の発表が終わったところで、出席者をミーティングのホストがランダムに4~5人ずつのグループに分けてそのグループ内でフリートークをするという時間が設けられました。(ZOOMにそのような機能があったとは昨日まで知りませんでした)
普段のこの団体のZOOM交流会ではあまり交流の機会のない人とでも、人数の少ないグループ内だと結構会話が弾み、なかなか楽しいひと時でした。ただ、自己紹介タイムが長引いたからなのか、わずか10分ほどでフリートークタイムが終わってしまったのは残念でしたが。
最後は再び出席者全員を一つのグループにまとめて一本締めを行い(一人だけの部屋でスマホに向かって一本締めをするのも変な気分でしたが)、22時にひとまず中路目となりました。

私にとっては初めてのオン来飲み会体験になりましたが、アルコールや食べ物を用意してZOOMミーティングに参加するという、普段のこの団体の交流会とは違うスタイルは、何だかちょっとしたわくわく感を感じる時間でもあり、今後リアルでの交流会などが普通に行えるようになっても、たまにはこうしたオンラインでの飲み会というのもありかも、などとも思ってしまいました。
まあ、本当の所はやっぱり一日でも早くリアルでの会食や飲み会が普通にできる世の中になってほしいものですが。
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西武多摩川線 旧101系223Fお別れ乗車&撮影の思い出 その1 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
前回の記事では、2010年11月6日に行われた、JR隅田川貨物駅での貨物フェスティバルの思い出を書きましたが、今回はその日の午後に、西武多摩川線で運用され、同線からの引退による消滅が目前に迫っていた西武101系の初期製造車(先頭車前面が低運転台構造のグループ、以下「旧101系」と略します)のお別れ乗車と撮影に出かけた時の思い出を振り返ります。

西武旧101系は、1969年から76年にかけて製造された車両で、1979年以降に製造され今も一部が西武戦で活躍を続けている新101系とともに、かつては西武鉄道の主力通勤車として活躍した車両でした。
製造時からレモンイエローと薄茶色のツートンカラーの塗装が施され、現在も根強い「西武線=黄色い電車」のイメージを定着させた車両でもあります。

私にとってのこの旧101系は、西武池袋線沿線に引っ越してきた約45年前から馴染み深い、いわば「幼なじみ」ともいえる車両でした。
私が引っ越してきた当時の池袋線では、101系以前のいわゆる「赤電」と呼ばれる各形式もまだまだ活躍していましたが、やはり黄色の旧101系は目立つ存在でした。
前面窓が大きく、しかも子供でも運転室直後に立ったり座席に座ったりすることで前方展望が堪能でき、西武線の中でも好きな車両の一つでした。
その後も通勤通学などいろいろな場面で旧101系のお世話になる時代は長く続きましたが、やがて新2000系以降の新系列社の登場や他の形式への部品供給などで旧101系も廃車が進み、最後には多摩川線(武蔵境ー是政間)に4編成が残るだけになっていました。
その4編成も、同線に新101系が投入されるにつれて次々と運用を離脱し、2010年の11月には最後の1編成(223編成、以下223Fと表記します)が残るだけになり、その223Fも11月9日の運用を最後に引退することになったということで、「幼なじみ」の電車の最後の姿を撮影し、乗車することにしました。

昼過ぎまで隅田川駅でのイベントを楽しんだ後、南千住駅から常磐線・山手線・中央快速線を乗り継いで14時過ぎに多摩川線の始発駅武蔵境駅に到着。
さっそく連絡改札を通って多摩川線ホームへ向かいます。
この日の時点での多摩川線の運用は、新101系3編成と旧101系223Fの4編成で賄われ、日中にはそのうちの3編成が運用されていました。
せっかくお別れにやってきても動いていなければ無駄足になるところですが、幸い私が多摩川線ホームに上がると、すぐに223Fが到着しました。
その223Fの両先頭車にはそれぞれ特製のヘッドマークが掲げられており、武蔵境方先頭のクハ1223には「ありがとう黄色い電車」、是政方先頭のクハ1224には「さよなら黄色い電車」の文字がそれぞれ添えられていました。
旧101系の後を引き継ぐ新101系が、当時白一色のボディーに沿線の指揮を表すラッピングを施した「白い電車」だったので(現在は各種のリバイバルカラー編成や地方私鉄カラーの編成も使用)、「旧101系」とか「223F」ではなく、「黄色い電車」という、特に鉄分の濃くない人でも親しみやすい表現にしているのでしょう。
この223F引退の約半月前にはやはり日々武蔵境駅に出入りしていた中央快速線の201系も引退しており、同駅にとってはJRと西武の違い、あるいは片や53年、片や30年という歴史の差こそあれ、長年当たり前に発着していた「オレンジ色の電車」「黄色い電車」との別れを相次いで迎えることになりました。

ホームに停車する223Fの姿を撮影したら、その後はもちろんこの223Fに乗車して多摩川線の終点是政を目指します。
乗車したのは是政方先頭のクハ1224。もちろん迷うことなく運転室直後の座席に座りました。
高架の武蔵境駅を発車してやがて地上に降り、是政駅まで「かぶりつき」を楽しみます。
運転室背面の大きな窓から眺める運転台は、細かな機器配置などは多少変わっているのでしょうが、幼い頃から何度も眺めたそれとほとんど変わりません。
そしてその向こうの前方展望の楽しみも、あの頃と全く変わらないものでした。
223Fの引退により、座席に座っての「かぶりつき」ができる車両が西武線の営業線上から姿を消してしまうということで、昔を思い出しつつ窓から見える風景を目に焼き付けながらの短い旅となりました。

是政駅に到着後、武蔵境へと折り返していく223Fを見送り、しばらく駅付近をぶらついたのち、30分ほどしてまた是政に戻ってきた223Fに再び乗車。
引退間近の223Fにお別れ乗車をするという目的はひとまず果たせたので、このまままっすぐ武蔵境へ戻ってしまってもよいのですが、せっかく「幼なじみ」の最後の姿を見届けに来たのにすぐ帰るのももったいない気がして、せめて一枚だけでも223Fの走行写真を撮っておこうと、途中の白糸台駅で下車。
武蔵境へ向けて発射していく223Fを見送り駅の外へ。
駅に隣接する多摩川線の白糸台車両基地に停車している新101系をホームや敷地外から撮影しながら時間をつぶし、やがて武蔵境から戻ってきた223Fの走行シーンを駅近くの踏切から撮影。
窓周りの薄茶色部分のない黄色一色塗装の姿なのが少々残念ではありましたが、ともかく旧101系の走行する姿を目に焼き付けておくことができて満足でした。
そして、再び是政から折り返してきた223Fに武蔵境まで乗車し、この日のお別れ乗車は終了しました。
この日は土曜日で、お別れヘッドマークを付けての運転であったにもかかわらず、少なくとも私の見た限りではお別れ乗車や撮影にやって来たと思われるファンの姿はあまり見かけず、比較的のんびりと「幼なじみ」との時間を過ごすことができました。

「その2」では、223Fの最終営業運転の日に再びお別れ乗車した時のことを振り返ります。
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【鉄道イベントの思い出】隅田川駅貨物フェスティバル(2010年) [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
「鉄道イベントの思い出」シリーズ、今回は、2010年11月6日に開催された、JR貨物の隅田川貨物駅で開催された「隅田川駅貨物フェスティバル」についてです。

このイベントは、貨物輸送の東京北部の拠点駅と言える隅田川貨物駅を年に一度一般公開し、機関車・コンテナ車の展示や鉄道グッズや貨物列車で輸送されてきた農産物の即売などが行われるイベントです。
このイベントに、私は過去2回ほど行ったことがありますが、その中でも2010年の開催の際には、当時絶大な人気を誇っており、私自身としても好きな、ある機関車が展示されるということで、期待を胸に隅田川駅へ向かいました。

隅田川駅は貨物駅のため、当然そこへアクセスするためには近くの旅客駅である南千住駅から向かうことになります。
当日の朝10時頃、JR常磐線の南千住駅に降りると、駅舎やホームはリニューアルされて間もないようで、かなりきれいでした。
駅を出て少し歩くと、道路とその内側の広大な空間を仕切るフェンスに、駅名を示す看板とこの日のイベントを告知するポスターが掲示されていたので会場入口はもうすぐと思いきや、そこから10分近く歩いてやっと会場入口にたどり着きました。
さすがは広大な貨物駅といった感じです。

先ほども書いた通り、この日のイベントに出かけたのは、完全にあの超人気の機関車ありきだったので、何はともあれ機関車が展示されている会場の一番奥のスペースへ向かいました。
そこには、貨物ホームに「金太郎」ことEH500形(番号は失念してしまいました)とコンテナ車が連結した状態で、さらにその近くには、「桃太郎」ことEF210-161号機、そしてそのEF210と並んで、かつての東京発のブルートレイン牽引機のスター、EF65535号機が展示されていました。
そして、そして、このイベントに出かける目的がこのEF65535号機(以下、535号機と略します)
でした。
同機はその2年前に現役を引退した後も、JR貨物大宮車両所で保管され、同所でのイベントでは相変わらず相当な人気となっていました。その535号機が隅田川駅にやってくるというので出かけた次第でした。
EF210と535号機が並んでいた場所は、一般公開エリアの片隅に近いあたりで、やや狭苦しい感はありましたが、それを逆手にとってか、両機を囲むように一方通行の見学者用の順路が設けられていました。
そのせいか、少なくとも私が会場にいた時間に限って言えば大きな混雑が起こることもなく、落ち着いて撮影を楽しむことができました。

そして、イベントでの535号機といえば、両エンドの正面にどんなヘッドマークが掲出されるかも毎回楽しみでした。
私が会場にいた午前中には、会場入口に近い側に向いていた1エンド側には、2008年の現役最終運用の際に掲げられた「惜別」ヘッドマーク、反対側の2エンドには、535号機も何度となく牽引した東京発のブルトレ「さくら」のヘッドマークがそれぞれ掲げられていました。
そして、多田ヘッドマークを掲出するだけにとどまらず、1エンド側では最終仕業で使用された特製の金文字の区名札&仕業番号札が、2エンド側にはブルトレ牽引機当時に所属していた東京機関区の「東」の区名札が、それぞれ区名札差しや仕業番号札差しに掲出されるという徹底ぶり。
結果、535号機の全盛期と引退時のそれぞれにかなり近い姿を同時に見ることができ、EF65P型ファンとしては感激というしかない状況でした。
(ちなみに、同じ時間帯には、ともに展示されていたEF210-161には、コンテナ特急「たから」のヘッドマークが掲出されていました)

私は昼過ぎには会場を後にしましたが、入れ替わるように午後に会場入りした当時のブログ仲間の方によれば、イベント終了間際になって2エンド側のヘッドマークは「さくら」から、2003年に大宮車両所で動機最後となる全般検査を受けた際の試運転で掲出された、「最終全検」(「さくら」マークを模したデザイン)に変わったり、イベント終了後にはヘッドマークを付けたDE10がEF210と535号機を牽引する形での入れ替え作業が行われるといったおまけもあったようで、これらを見逃してしまったのがかなり悔やまれました。

それにしても、どこで展示されていてもヘッドマークを付けたEF65P型には他の機関車にない特別なオーラが感じられ、ある意味「カリスマのすごみ」を改めて感じるイベントでもありました。
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今こそ令和版「20,000km」を! [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:生きているうちに達成したい目標

できるものなら実現したいことや、体験したいことはいくつかあるけれど、鉄道好き、中でも乗り鉄好きとしての生涯の目標といえば、やはり日本の鉄道の全線完乗です。
中高生の頃以来、紀行作家の宮脇俊三氏の「時刻表2万キロ」や、レイルウェイライター・種村直樹氏の著作などを読んでいるうちに、自分でも国鉄・JR、さらにはそれ以外の日本の鉄道の完乗に挑戦してみたくなりました。
今の段階でどの程度まで踏破が進んでいるのか、正確に達成率を計算したことはないけれど、地域によって達成度にばらつきがあるのは事実で、特に東北地方や中国地方には未乗車の路線が結構残っているので、これらはいつか集中的に乗りつぶしに行きたいと思っています。
いずれにしても、乗り鉄好きとしては、生きているうちに日本の鉄道完乗、ぜひ完遂したいものです!

「全線完乗」といえば、先日こんな記事がネットに出ていました。

昭和時代「国鉄2万km全線走破」のほとばしる情熱と旅情 GoTo見直しの今こそ考える(アーバン ライフ メトロ) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/9b1890012cbff2cccc61c0bd6344e56a237e01a7

全線完乗に挑戦しようとする人って、60年前からいたんですね。
でも、全線完乗が鉄道ファンの間で一つの目標や夢としてメジャーになるのは、やはり「時刻表2万キロ」や「いい旅チャレンジ20,000km」がきっかけということにななるんですね。

「いい旅チャレンジ20,000km」、少し前の記事でも書きましたが
(その時の記事は→https://gonana57.blog.ss-blog.jp/2020-07-03
懐かしいですね~
もっとも、私自身は残念ながらチャレンジする機会を逃してしまいましたが…

先ほどの記事でも書きましたが、今年、いろいろな意味で受難の年になった鉄道界だからこそ、その「いい旅~」の令和版のような、全国の鉄道各社を舞台にしたスケールの大きな企画をやってはどうかと思います。
今はまた、どうも気軽に鉄道旅に行きずらい空気になってしまっているけれど、そんな状況が少しでも改善されるようになってからでも、スタンプラリー感覚で全国の鉄道を巡る旅に出てもらうような長期のイベントを仕掛けてはどうでしょう。
幸い、昭和の「いい旅~」の頃と比べ、乗り鉄趣味もかなり市民権を得てきていますし、企画内容次第ではかなりのヒットになるような気がします。

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コーヒーガム復活、熱烈希望! [ノンジャンル]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:ガムを買うならミント系?フレーバー系?

眠気覚ましのためにロッテのBLACK BLACKを買うことはありますが、基本的にミント系はあまり選ばないですね。
普通にガムを噛みたいときに選ぶのは、同じロッテのグリーンガムとか、フルーツの味の粒ガムの詰め合わせのボトルとかですかね。
というか、最近はガムをあまり買ってないです。
以前ならコンビニや駅の売店で頻繁にガムを買って噛んでいたのが、4年前に在宅勤務をするようになって以来、そのような機会がほぼなくなってしまったのが原因かと思われます。
もっとも在宅勤務であっても、眠気を感じたりした時にはガムを噛むことはかなり有効だそうですが。

ガムといえば、先日はこんな記事がネットに出ていました。

ロッテ、懐かしの「ジューシー&フレッシュガム」「クイッククエンチ―Cガム」復刻 (マイナビニュース)
https://news.mynavi.jp/article/20201110-1478312/

いやあ、これは懐かしい!
個人的にこれはぜひ久しぶりにか見たくなってきます。

昔は同じガムでもロッテの7枚入りとか9枚入りとかのいたガムのシリーズが好きで、それこそ駅の売店やコンビニ、食料品店などでよく買っていました。
昔はこのロッテのいたガムはフレーバーの種類が多く、今もあるグリーンガムやクールミントの他にも、今回復活したジューシー&フレッシュやクイッククエンチ―C、白いパッケージのスペアミント、ややメタリック間のある空色のパッケージのミントブルーなど、その時の気分でいろいろフレーバーを選べるのが好きでした。
その中でもダントツに好きだったのが、茶色いパッケージのコーヒーガムでした。
どちらかといえば、コーヒーの香りというより、コーヒー牛乳のようなかなり甘い味ではあったけれど、それでも子供心には何となく大人の感じがするコーヒーへの憧れもあったのか、大好きな味でした。
そのこーひがむが、ある時からしばらく見かけないなと思っていたら、いつの間にか販売終了になっていたのを知った時には、かなりショックだったのを思い出します。
その後、「めざましテレビ」で取り上げられたりしたことが影響したのかどうか、コーヒーガムは何度か期間限定という形で復活発売されました。最近はそういった話は聞きませんが、今も復活を望んでいる人は私以外にもいると思います。
今は昔とはガムに求める機能というか役割が異なり、ガム自体が昔ほど売れなくなっていると聞いたこともありますが、今回のジューシー&フレッシュやクイッククエンチ―Cのように、コーヒーガムも復刻販売してくれないですかね~
復活すれば即買いするんですけど…
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40年前にこれがあったなら… [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
小学生時代に、学校や家での勉強でよく使ったのがドリル(問題集)。
漢字や算数など、いろいろなドリルをやりましたし、夏休みには「夏休みの友」なんてのもありました。
そんな「ドリル」ですが、今ではこんなものもあるという記事が、先日ネット入巣に出ていました。

鉄道をテーマに、1冊で1学年の全教科が学べる小学生向けドリル登場 (マイナビニュース)
https://news.mynavi.jp/article/20201129-1534918/

いやあ、私が小学生だった40年前にこれがあったなら、少しは今より頭がよかったかも(笑)
何せ、昔の漢字ドリルや計算ドリルには、「楽しみながら理解する」要素はほぼ無いに等しかったですから。
いろいろな角度で鉄道と教科を結びつけながら、1冊で1学年の全教科の要点が理解できるようになるという、学習ドリル本来の役割も期待できるというのは、子供にとっても親にとっても魅力的なのではないでしょうか。
振り返ってみると、小学生時代の私にとって漢字の勉強がそれほど苦痛に感じなかったのは、駅名などで早いうちから感じに接する機会が多かったのが理由の一つだったような気がしますし、社会科や日本のチリの勉強が好きだったのも、鉄道が好きだったことが少なからず影響していたのかもしれません。
そう考えると、幼い頃から鉄道好きだったことは、少なくとも私にとってはプラスに働いていたんでしょうね。
私には子供がいないので、子どもにこのドリルを買い与えることはできないけれど、もし機会があれば私自身で小学生時代を思い出して、一通り全教科分やってみたいものです。
案外簡単な所で躓いて、脳の劣化を露呈してしまうリスクがないとは言い切れませんが…(苦笑)
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