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褒められて…はいないんだろうけど [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:褒められて嬉しかった一言を教えて!

「褒められて」という言葉の意味から考えると少々微妙な気もしますが、今でもこの一言を頂いた嬉しさや感謝の気持ちは忘れられないという、思い出の一言です。

その言葉をかけて下さったのは、小学5・6年生の時の担任だったi先生。
この先生のことについては以前も記事にしたことがありますが、この機会に再び書いてみたいと思います。
(ちなみに、以前の記事は→https://gonana57.blog.ss-blog.jp/2019-06-06

I先生は、教育に対する情熱は他の先生にも増して強く感じられながらも、決してそれは押しつけがましいものではなく、温厚で話しやすく優しい先生でした。
そのI先生が担任だった5年生の2学期に、私は学級委員をやっていました。
当時私のいたクラスでは、学級委員の任期は1年を通してのものではなく、1つの学期ごとに男女1人ずつが務めるという形でした。
もともと私は、学級委員になどなるつもりはこれっぽっちもなかったのですが、I先生にうまいこと乗せられて立候補してしまい、結局女子のHさんと一緒に学級委員をやることになりました。
学級委員のクラス内での仕事はいろいろありますが、その中に毎週土曜日の学級会の議題を決め、学級会の時は議長(兼司会)を務めるというものがありました。
実は、これが一番苦労した仕事だったのです。
学級会は土曜日なので、たいてい木曜日か金曜日にHさんと2人でその週の議題や内容を話し合い、その結果をI先生に報告してOKをもらったりアドバイスをもらったりするのですが、この話し合いがうまくいかないことが多かったのです。
近日中に何かクラス内で決めなければならない懸案事項があればそれをやればいいわけですが、さしあたってそういったものがない時には土曜日の学級会直前までその日何をやるかが決まらず、結局I先生に助けを借りることになってしまうことが何度かありました。

こんな状態であったにもかかわらず、私とHさんは2学期の間どうにか学級委員を解任されることもなく、新たな学級委員に仕事を引き継ぐ3学期の始業式の日を迎えました。
2学期の学級委員としての最後の仕事は、その日の学級日誌を書いてI先生に提出するというものでした。(毎日学級日誌を書くことも、学級委員の大切な日常業務でした)
日誌を書き終わり、Hさんと2人で職員室にいるI先生に手渡しに行きました。
I先生は日誌を受け取った後、「S君(私のこと)、Hさん、学級委員をやってみてどうだった?」と聞いてきました。
私は、「T君とKさん(1学期の学級委員)のやっていたようにやろうと思って頑張ったんですけど、全然だめでした。特に学級会はいつも何をやるか決められなくてよくなかったです。」と答えました。
それに対してI先生は「いや、T君とKさんだって、みんなが見ている前では完璧に仕事ができていたように見えたかもしれないけど、実は彼らも彼らで苦労してたみたいだよ。学級会のことだって、何度も俺のところに助け借りにきたんだもん」と、自分にとっては意外なことをおっしゃいました。

そして最後に
「S君もHさんも、毎日学級委員の仕事を頑張っていたのは先生はちゃんと見ていたよ。2学期の間、ご苦労さん!」
と言って、私とHさんの肩をポンとたたいてくださいました。

正直、自分の学級委員としての仕事ぶりに全く自信を持てないまま任期を終えることになってしまったのですが、あの時は本当にこの一言に救われた気がしました。

I先生は、5年生の時に担任の先生になって以来好きな先生でしたが、この一言でますます好きになりました。
それは卒業するまで、いや卒業した後もずっと変わりませんでした。
以前、大学生時代にほんの短期間ながら教師志望だった時期があったと書いた記憶がありますが、この時思い描いていた理想の教師像もI先生でした。
そんなI先生でしたが、今から10数年前に、わずか50歳という若さで亡くなられました。
残念ながら、このことを知ったのが先生が亡くなってからしばらくたってからのことで、感謝の言葉とともに最後のお別れをすることすら叶わなかったのが、今でも悔やまれてなりません。
大人になってそれなりの年齢になったら、I先生と酒でも酌み交わしながら何時間も語り合うのが夢だったんですがね…

先日、I先生の亡くなられた50歳という年齢になり、改めて情熱家で優しかったI先生のことを思い出して思い出に浸った私でした。
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一度ゆっくり旅したい [ノンジャンル]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:東北で行ってみたい場所

鉄道旅などであちこちに出かけた経験のある私ですが、実は東北地方には今までそれほど足を踏み入れていません。
一応、福島県には小学生時代の家族旅行や大学時代のサークル合宿などで数回行ったことがあり、隣の宮城県ともども乗り鉄や撮り鉄でも何回か行ったことはありますが、東北全般でいえば列車で通過したことはあってもきちんと街を歩いたり観光したことのほとんどない地域です。

で、東北で行きたい場所…
やはり、東日本大震災の被災地には何らかの形で訪れたいです。
視覚障害者ゆえ、震災の爪痕や復興の様子をこの目で確認することはできないけれど、どこかでそういったものを感じられたらいいなと思います。

あとはやはり東北のおいしいものを味わったり、温泉を楽しんだりはぜひしたいですね。
グルメに関しては、名産品や駅弁はもちろん、コンビニで買えるお菓子やパンなどにも東北のご当地ものがいろいろあるようなので、幅広くいろいろ楽しみたいです。
温泉や観光地の知識はあまりないけれど、こちらも色々調べてお気に入りを見つけたいものです。

もちろん、鉄道好きですから東北の鉄道も堪能したいです。
悔やまれるのは、客車の普通列車や国鉄型気動車などが大活躍していた平成初期ぐらいまでの頃に旅したかったことですが、今は今で別の楽しみもありそうですし、私鉄や第三セクター鉄道の特徴ある車両に乗る楽しみもあるので、いつかは東北の鉄道の乗り歩きも実現したいです。

とにかく、気兼ねなく旅できる状況になったら、いつかゆっくり時間をかけて東北を旅したいです。
タグ:東北 鉄道旅
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あれこれ悩むのも楽しかったなあ [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:遠足のお菓子、何買ってた?

もう40年も前の話なんで、どんなお菓子を持って行ったか正確には覚えてませんが…

たぶん、ポッキーやプリッツ、サッポロポテトやかっぱえびせんなどといったあたりが多かったような気がします。
当時はお菓子の種類も今ほど多種多様ではなかったけれど、それでも遠足のお菓子を選ぶのは毎回楽しみでした。
遠足の前日、家から一番近いスーパー(小学校低学年ぐらいまでは近所にコンビニはなかった)のお菓子売り場で、制限金額と持って行きたい(つまり食べたい)気持ちの狭間であれこれ悩みながらお菓子を選ぶのは、ちょうど旅行に行く前に旅程を考えたり荷物をまとめたりしている時に似た楽しみがあり、懐かしい思い出です。

そういえば、40年ぐらい前は今よりもお菓子の価格は全般的に安かったから、工夫しだいでは品数が多めでもうまく制限金額以内に収めることができるといって、遠足中のおやつの時間に買ったお菓子を自慢げに全部並べて食べてた奴もいたっけ…
あの頃は、遠足のお昼やおやつの時間には、友達とお互いのお弁当のおかずやお菓子を自慢しあったり、交換しあったりするのも楽しみでしたが、今では、こういったことを禁止している学校も少なくないようです。
アレルギーの問題や弁当やおやつの内容の格差による心へのダメージなどが理由のようで、やむを得ないといえばそうなのかもしれないけれど個人的にはどこか寂しさを感じてしまいます。

それはそれとして、今から思うと、こうして制限金額の中で遠足のお菓子を買い揃えることは、特に低学年の子にとっては生きた算数の勉強になるし、一定の制約の中でいかに工夫して楽しみを増やすかという、生活のテクニックを身につける場だったのかもしれませんね。
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あまり早寝しようとすると [ノンジャンル]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:寝るの早!何時?

やはり22時ぐらいが早寝かどうかの一つのボーダーラインじゃないかと思います。
私はふだん23時半から0時ぐらいの間に寝ることが多いので、22時以前となるとかなり早寝という感じがします。
それに、よほど体調が悪い時でもなければ、あまり早寝しようとしても逆に眠れないんですよね…
過去に何回か入院した時や、視覚障害者になった後歩行訓練などを受けていた国立障害者リハビリテーションセンターでの寮生活がまさにそうでした。
入院した時には、本当に体調が悪かった時はともかく、体調が回復してくると21時や21時半に消灯となってもそう簡単に眠れるものではありませんでした。
寮生活の時も、22時に消灯といわれてもやはりその時間から眠れることはほとんどなく、かといって冷暖房も切られて何か暇つぶしができるわけでもないので、ひたすらイヤホンでラジオや音楽を聴きながら眠気がやってくるのを待っていました。

本音を言えば、慢性的に睡眠時間が不足しがちな気がするのでせめてあと30分~1時間は長く寝たいとは思ってるんですけどね。
でも、だからと言ってあまり早寝もしたいとは思わないし…
難しいところです。
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この「青春」はずっと続いてほしい! [ノンジャンル]


こんにちは、gonanaです。

本日のお題:「青春」と聞いて1番に思い浮かぶのは?

もう50代になり、いくら「老いてなお青春」とか「齢はとっても心は青春」とか言われても、「青春」と口にするのは何だか気恥ずかしい年齢になってしまいましたが…

「青春」という言葉から連想するもの…
「青春の巨匠」なんて呼ばれた森田健作(前千葉県知事)とか、私の生まれた頃に流行っていたという青春ドラマとかいろいろなものが頭に浮かんできますが、鉄道旅好きとしては何といっても
「青春18きっぷ」!
これが一番ですね!
私自身も大学時代に初めて使って以来、何度このきっぷにお世話になって日帰りや泊まりの鉄道旅に出かけたかわかりません。

それにしても切符の名称に「青春」の文字を入れるというのも、国鉄時代に発売開始されたとは思えないナイスなネーミングのしかたではないでしょうか。
無味乾燥な「普通列車乗り放題きっぷ」などといった名前でなくこのネーミングだったことが、もしかすると発売開始後40年たった今でも人気が衰えていない秘訣かもしれません。

近年は新幹線の並行在来線が第三セクター化されたり、「ムーンライトながら」などの夜行快速が廃止されたりして使いにくい場面も出てきてしまっていますが、ぜひともこの「青春」はずっと続いてほしいものです。
私自身は視覚障害者になって以来しばらく18きっぷの旅とはご無沙汰になってしまっていますが、次回の発売(今年の年末年始)の頃ぐらいにはまた18きっぷを使って鉄道旅に出かけられるような状況にならないかなあ…

翻って青春時代の私が、果たしてそれにふさわしい思い出を作れたかというと…

うーん…、懐かしき青春の思い出というやつが正直あまりないという有様です。
青春時代の思い出に思いっきり浸れる人が羨ましいです。
このところたびたび書いていることなのでそろそろうんざりという声が飛んできそうですが、中高生時代ぐらいから人生をやり直せるなら今度こそ青春時代を思いっきり押下したいものです。
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そんな事できたら苦労はしません! [ノンジャンル]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:自分の事何年先まで予想できる?

自分の事何年先まで予想できるかって?
そんな事言い当てられるなら、苦労はしませんよ!
何年先どころか明日何が起こるかさえ予測がつかないこのご時世ですから…
自分の未来予測なんてとてもできません。

特に昨年からの1年数か月というもの、「こんなはずじゃなかったのに」という出来事ばかりですから。
その最大の理由はコロナ禍ですが、私個人としても昨年初めから会社の中で担当している業務が大きく変わり、今もいろいろと小変化が連続している状況だったりするので、その意味でも例えば来年の今頃、どんな仕事をしているのか、正直予測がつきません。
また、もともと契約社員という身分であることもあり、いつまで今の会社に勤められるのかも不透明です。
どうやら今のところは今の会社を辞めざるを得なくなりそうな状況にはありませんが、先のことはわかりませんからね…

本当なら将来を見据えて物心ともにいろいろな準備もしておくべきなのだろうけれど、なかなかそこまで考えを巡らす余裕がないのが実情なんですよね。
○歳になったらこんな事をして、△歳までに結婚して・・・なんてことを呑気に夢想できていた時代が懐かしく思える今日この頃です。
タグ:未来予想
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あの音が好きだった [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:子供の頃、家に欲しかったもの

確かに子供の頃、家に自動販売機があればいつでもジュースが買えて便利だろうなと思っていたし、銀行や市役所などにある冷水器が家にあればいつでも飲みたい時に冷たい水が飲み放題になるのになあと思ってました。(あの頃は、家庭にウォーターサーバーがあることが普通な世の中になるとは思っていませんでした)

でも、鉄道好きの子供として家にあったらおもしろそうだと思っていたのが、駅にある列車の行先や発車時刻などを案内する発車案内表示器や、列車に表示する列車名や行先の表示幕など。
幼い頃から、駅や列車でこうした案内表示類を見かけると、ついつい見入ってしまう癖がついてしまいました。
特に、列車が発車してホームの発車案内の表示が変わったり、終着駅などで列車の行き先方向幕などが変わったりする瞬間を見届けるのが好きで、これはおっさんになった今も変わりません。

そして、こうした案内表示器の類の中でも子供の頃の私が特に好きだったのが、国鉄の駅や空港などに多くあった、表示内容が変わるときにパタパタと音がする表示機。
正式な名称は「反転フラップ式発車標」というようですが、俗に「パタパタ」と呼ばれることが多かったようです。

【参考記事】発車時刻になるとパタパタパタ……減りつつある「反転フラップ式」の発車標 - 鉄道コム
https://www.tetsudo.com/column/141/

駅や空港だけでなく、かつてのクイズ番組「クイズ100人に聞きました」のトラベルチャンスコーナーや、「ザ・ベストテン」のランキングボードなどでも使われていたあれです。
とにかく、この表示機のパタパタ音が好きでしたし、パタパタが止ってどんな表示が出るのかがいつも楽しみでした。
駅にあるパタパタ表示機がもし家にあったら、いつでも好きな時にパタパタ音をさせて好きな列車名や行先などを表示させて遊べると思い、買ってもらえるものなら買ってほしいと思ったこともありました。
だから、かつて東京神田に会った交通博物館に、岡山駅で実際に使用されていたパタパタ表示機が展示され、しかも手元の操作盤で好きな表示内容にして遊べると聞いた時にはとても嬉しかったですし、以来交通博物館に行くたびにこの表示機でしばらく楽しむのが定番になりました。(ちなみにこの表示器、今は大宮にある鉄道博物館で展示されているそうです)

今や、ホームの案内表示も列車の行き先等の表示もLEDや液晶ディスプレイでの表示が主流になり、このパタパタ表示機も数少なくなっているようですが、今でもたまにあのパタパタ音が聞きたくなってくることがあります。
鉄道グッズの一つとして、行き先方向幕や列車名表示機のミニチュアは時々見かけますが(私もいくつか持っています)、パタパタ表示機のミニチュアというのは見かけた記憶がありません。
東京駅や上野駅、羽田空港当たりのものを再現したものが出たりすれば、結構受けると思いますが、どうですかね?
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ついにこの日が… [日々のあれこれ&つぶやき]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:時間を止められるなら何歳でSTOPさせたい?

本日とうとう、50歳になってしまいました。

それにしても…
本来なら今頃は、年齢相応の人格や能力を身につけた大人の男として今日を迎えるはずだったんですが…
現実にはそんな理想には程遠い状態のままこの齢になってしまいました。

何日か前に書いたことと被りますが、どこかの年齢で時間を止めることもさることながら、今現在の経験や知識をそのままに止めた後の人生をもう一度やり直したいものです。
その時も書いた通り、もし人生をやり直せるなら、中高生ぐらいに戻りたいです。
もちろん、そうしたところでどれだけ理想の50歳男性に近づけるかはわかりませんが、そのためにできることは何かしらあるはずだと信じて頑張りたいです。

う~ん、何だか誕生日の記事としては前向きな感じがしませんね。
いろいろとネガティブな気持ちになりがちな今ではありますが、何とか少しでも前向きな気持ちで50歳代最初の年を過ごしたいです。
タグ:誕生日
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歴史の中に前世の自分がいる? [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:「前世」って何だった気がする?

以前も同じお題で記事を書いたような覚えがありますが…、気にせずいきます。

私はもともと占いにほとんど関心がないこともあり、今まできちんとした形で前世占いをしてもらったこともなく、自分の前世が何だったのかを調べてみたいと思ったこともほとんどありません。
ただ、一度だけ全盛占いらしきものをしてもらったことはあります。
それは高校生の頃のこと。
ある日、友人と池袋駅の西口で待ち合わせをした時、少し早めに待ち合わせ場所についてしまったため、暇つぶしに近くのゲームセンターに入りました。
店内をぶらぶらしていると、前世占いをしてくれるという機会を見つけ、興味半分冷やかし半分でやってみることにしました。
生年月日や性別を入力していくつか質問に答えると、やがて結果がプリントアウトされて出てきました。
そこに書かれていた占い結果を要約するとこんな感じでした。(占い結果の用紙はもう処分してしまったので、記憶に残っている部分だけですが)

あなたは幕末に学者の家に生まれ、大人になると開設されたばかりの学校で教師をしながら、父親と同じ学者を目指していました。
そんな頃、文明開化とともに西洋文明が日本に多数伝わる中で、あなたは海外の教育に関心を持つようになり、自分の目で欧米の教育を見てみたいと思うようになりました。
しかし当時、田舎の一教師が海外へ行きたいなどと言ったところで許しがもらえるわけがありません。
そこであなたは、ヨーロッパへ向かう貿易船に忍び込み密航を企てます。
しかし船に乗り込んだところを政府の役人に見つかり、密航の罪で厳しい取り調べを受けることになります。
その取り調べの中で、あなたが密航を企てた理由を役人に明かすと、あなたの思いが政府の偉い人に伝わり、望みどおり欧米の教育事情を視察してくるようにという命令を受けました。
数年間ヨーロッパの教育事情を勉強したあなたは、帰国後日本の教育の近代化に大いに貢献しました。

まあ、ゲーセンの機械の言うことなので話半分にとらえておく方がいいのかもしれませんが、私自身も教育には関心がある方ですし、日本の教育史をひも解くともしかすると前世の自分に出会えるかもしれないと思うと興味深いものがあります。
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