【鉄道旅の思い出】2013年 岡山・高松遠征の思い出 その16 [その他鉄道ネタいろいろ]
こんにちは、gonanaです。
2013年夏の岡山・高松への鉄道旅の振り返り、今回も続きます。
瓦町駅から乗車した琴電志度線の電車は、15:40に志度線の終点琴電志度駅に到着。
これで琴電の3路線のすべてに乗り終えたので、折返しの電車で瓦町方面へ戻ってもいいのですが、琴電志度に到着した電車はわずか1~2分ほどの停車ですぐに折返してしまうため、せっかく来た駅なのにこんな短時間で踵を返してしまっては何だかもったいない気もしてきました。
そこで、30分後に発車する次の瓦町行で折り返すことにし、それまでの間、琴電志度駅やすぐ近くにあるJR高徳線志度駅の周辺を少し散策しました。
散策を終えて再び琴電志度駅へ戻り、瓦町方面へ戻ります。
ここから乗車するのは、600形623+624の編成。
これも元名古屋市営地下鉄車で、この編成は東山線で走っていた250形を改造したものです。
先ほど700形に乗って通ってきた道を戻り、終点瓦町の一つ手前の今橋駅で途中下車しました。
ここには小規模ながら車庫と工場設備があり、仏生山の車庫・工場と行き来できない志度線ではここが車両のメンテナンス基地になっています。
ここでも先ほど仏生山でしたように、ホームから車庫に留置中の車両を撮影しましたが、仏生山と違い規模も小さく留置車両も少ないので、次の瓦町行が来るまで例によって駅前へ出ます。
駅付近をぶらついていると、敷地外の公道から今橋車庫に留置中の車両を撮影できる場所が見つかり、留置線に停車中の700形723+724の編成と、ユニットを組まない単車の800形804を撮影。
723+724は、同じ700形でも先ほど瓦町から琴電志度まで乗車した721+722の編成とは名古屋時代に活躍していた路線が異なり、こちらはかつて東山線で活躍していた300形を改造したものです。
さらに、これも公道上から扉の開いていた車庫の建屋越しに同じく800形の803号も撮影することができました。
今橋駅に戻ると、先ほど琴電志度からここまで乗車してきた623+624の編成が琴電志度行となって折り返してきました。
現在の状況はわかりませんが、この時の今橋駅では琴電志度行・瓦町行とも、なぜか右側通行の状態で駅に入ってきていました。
列車交換との関係もあるのかもしれませんが、この時間には交換はないのでこのあたりは謎です。
そして、続いてやってきた瓦町行に乗車して瓦町駅へ向かいます。
やってきたのは802+629+630の3両編成でした。
乗車した802号は、600形を改造してい生まれた増結用車両。
1両単位で運用できる車両ですが、あくまでも増結用車両ということで運転台は片側(瓦町方)の車端にしかなく、もう一方の車端部には貫通路もなく片側に座席があるだけの広い空間となっています。
今橋から乗車した電車はあっという間に隣駅の瓦町に到着。これで琴電3路線両方向の乗り鉄が完了となりました。
あとは琴平・長尾線ホームへ移動してスタートの高松築港へ戻るだけとなりました。
また少し長い連絡通路を通ってホームに出ると、元京王初代5000系の1100形1107+1108の編成が到着。
同じ四国の伊予鉄道では主力として活躍する元京王車ですが、琴電では元京急車の陰に隠れてやや目立たない存在ともいえます。
それでも、塗装こそ変わったものの京王時代とあまり変わらない外観には懐かしさを感じます。
この編成に高松築港駅まで乗車し、これにて想定をはるかに超える濃い内容になった琴電乗り鉄は終了。
琴電の魅力を十分味わうことができ、満足の一日になりました。
この後は、高松築港駅の近くで夕食を済ませた後、帰路につくべくJR高松駅へ向かいます。
2013年夏の岡山・高松への鉄道旅の振り返り、今回も続きます。
瓦町駅から乗車した琴電志度線の電車は、15:40に志度線の終点琴電志度駅に到着。
これで琴電の3路線のすべてに乗り終えたので、折返しの電車で瓦町方面へ戻ってもいいのですが、琴電志度に到着した電車はわずか1~2分ほどの停車ですぐに折返してしまうため、せっかく来た駅なのにこんな短時間で踵を返してしまっては何だかもったいない気もしてきました。
そこで、30分後に発車する次の瓦町行で折り返すことにし、それまでの間、琴電志度駅やすぐ近くにあるJR高徳線志度駅の周辺を少し散策しました。
散策を終えて再び琴電志度駅へ戻り、瓦町方面へ戻ります。
ここから乗車するのは、600形623+624の編成。
これも元名古屋市営地下鉄車で、この編成は東山線で走っていた250形を改造したものです。
先ほど700形に乗って通ってきた道を戻り、終点瓦町の一つ手前の今橋駅で途中下車しました。
ここには小規模ながら車庫と工場設備があり、仏生山の車庫・工場と行き来できない志度線ではここが車両のメンテナンス基地になっています。
ここでも先ほど仏生山でしたように、ホームから車庫に留置中の車両を撮影しましたが、仏生山と違い規模も小さく留置車両も少ないので、次の瓦町行が来るまで例によって駅前へ出ます。
駅付近をぶらついていると、敷地外の公道から今橋車庫に留置中の車両を撮影できる場所が見つかり、留置線に停車中の700形723+724の編成と、ユニットを組まない単車の800形804を撮影。
723+724は、同じ700形でも先ほど瓦町から琴電志度まで乗車した721+722の編成とは名古屋時代に活躍していた路線が異なり、こちらはかつて東山線で活躍していた300形を改造したものです。
さらに、これも公道上から扉の開いていた車庫の建屋越しに同じく800形の803号も撮影することができました。
今橋駅に戻ると、先ほど琴電志度からここまで乗車してきた623+624の編成が琴電志度行となって折り返してきました。
現在の状況はわかりませんが、この時の今橋駅では琴電志度行・瓦町行とも、なぜか右側通行の状態で駅に入ってきていました。
列車交換との関係もあるのかもしれませんが、この時間には交換はないのでこのあたりは謎です。
そして、続いてやってきた瓦町行に乗車して瓦町駅へ向かいます。
やってきたのは802+629+630の3両編成でした。
乗車した802号は、600形を改造してい生まれた増結用車両。
1両単位で運用できる車両ですが、あくまでも増結用車両ということで運転台は片側(瓦町方)の車端にしかなく、もう一方の車端部には貫通路もなく片側に座席があるだけの広い空間となっています。
今橋から乗車した電車はあっという間に隣駅の瓦町に到着。これで琴電3路線両方向の乗り鉄が完了となりました。
あとは琴平・長尾線ホームへ移動してスタートの高松築港へ戻るだけとなりました。
また少し長い連絡通路を通ってホームに出ると、元京王初代5000系の1100形1107+1108の編成が到着。
同じ四国の伊予鉄道では主力として活躍する元京王車ですが、琴電では元京急車の陰に隠れてやや目立たない存在ともいえます。
それでも、塗装こそ変わったものの京王時代とあまり変わらない外観には懐かしさを感じます。
この編成に高松築港駅まで乗車し、これにて想定をはるかに超える濃い内容になった琴電乗り鉄は終了。
琴電の魅力を十分味わうことができ、満足の一日になりました。
この後は、高松築港駅の近くで夕食を済ませた後、帰路につくべくJR高松駅へ向かいます。
【鉄道旅の思い出】2013年 岡山・高松遠征の思い出 その15 [その他鉄道ネタいろいろ]
こんにちは、gonanaです。
前回は一回お休みした2013年の岡山・高松への鉄道旅の振り返り、今回からまた再開します。
琴電の瓦町駅でレトロ電車の仏生山車庫への回送を見送った後は、長尾線・琴平線に続く琴電乗り鉄最後の路線となった志度線に乗車しました。
琴電全路線が集結するターミナル瓦町駅ですが、跨線橋を渡るだけで乗り換えできる琴平・長尾両線に対し、志度線のホームはそれらのホームとは少し離れた位置にあり、両者を結ぶ通路には動く歩道も2ヶ所設置されていて、東京駅の京葉線ホームへの通路を思わせます。(さすがに瓦町駅の連絡通路はそこまで長くはないと思いますが)
これは、かつて計画されていた瓦町駅付近の線路立体化事業(琴平線・長尾線が高架化される予定だったそうです)の準備として、志度線ホームを分離して移設したことによるものでした。
しかし、立体化事業は凍結されてしまい、志度線と他線との乗り換えには不便なこのような形態のホーム配置が残ってしまったというわけです。
レトロ電車を撮影した長尾線下りホームから連絡通路を通り志度線ホームに出ると、ホームには元名古屋市営地下鉄名城線1200形である700形721+722の編成が停車中でした。
車体の塗装は、クリーム色と志度線のシンボルカラーの赤のツートンカラーです。
同じ琴電でも、他の2線とは瓦町のホームが分離されただけでなくレールも完全に分断された志度線は、営業車全車が元名古屋市営地下鉄の車両となっています。
元名古屋市営地下鉄の車両は、両数的に現在の琴電では元京急車両に次ぐ勢力になっていますが、琴平・長尾両線では元京急車の活躍が目立つ中、志度線ではまさに独壇場といったところです。
15:06、721+722の編成は瓦町駅を発車し、志度線の終点琴電志度へ向かいます。
全線にわたり基本的にはのどかな田園地帯が車窓に広がる琴平線・長尾線に対し、志度線は途中で海沿いを走行する区間もあり、車窓という点でもなかなか楽しめる路線です。
そして15:40、電車は琴電志度駅に到着。これで15年ぶりの琴電3路線全線の乗車達成となりました。
到着した700形は1~2分の折返し時間であわただしく瓦町へ折返し発車していきました。
次回、琴電乗り鉄編はラストになります。
夜行特急「ドリームにちりん」乗車の思い出 [鉄道ニュース]
こんにちは、gonanaです。
2013年の岡山・高松への鉄道旅の振り返りの途中ですが、今回は一休みします。
ブログのネタ探しも兼ねて、ネットニュースをあれこれチェックしていたら、こんな記事が見つかりました。
「ハイパーサルーン」の日豊夜行がリバイバル…10年ぶりの特急『ドリームにちりん』 11月26日発 (レスポンス Response.jp)
https://response.jp/article/2021/10/26/350742.html
一時頻繁に運転されていた懐かしの列車のリバイバル列車も、国鉄型車両の引退などの要因もあってここ数年は少ない印象でしたが、今やこの列車のように平成年間に登場した列車もリバイバル運転の対象になって来たんですね。
そして私自身、一度だけですがこの列車に乗車した経験もあるので、10年ぶりの復活とは懐かしい限りです。
そこで今回は、今回リバイバルされる「ドリームにちりん」に乗車した時のことを記したいと思います。
この「ドリームにちりん」は、九州の日豊本線の特急「にちりん」の夜行列車版として、リンク先の記事にもある通り博多ー南宮崎間に運転されていた夜行急行「日南」を格上げする形で登場した列車で、日豊本線の夜行列車としてはもちろん、小倉駅で新幹線「のぞみ」の最終・始発列車と接続することで、東京や新大阪などから日豊本線沿線の都市への接続列車という側面もありました。
そんな「ドリームにちりん」に私が乗車したのは、2003年夏に九州へ乗り鉄旅に出かけた時でした。
正確な日付は忘れてしまいましたが、この旅の九州での2日目のこと。
前夜は鹿児島に宿泊し、その日はまず午前中に日豊本線→肥薩線の隼人ー吉松間と吉都線に乗車し、都城から南宮崎まで移動した後、午後は日南線で終着の志布志まで往復、という日程でした。
翌日は当時まだ健在だった第三セクターの高千穂鉄道に乗車した後、日豊本線と豊肥本線を経由して熊本まで移動する予定にしていたのですが、高千穂鉄道に乗車後、接続駅の延岡から大分へ移動する日豊本線のダイヤの都合上、高千穂鉄道では延岡発の一番列車で出発し、高千穂に付いたら折り返し列車でとんぼ返りするという行程にせざるを得ませんでした。
そうなると、延岡駅前か徒歩圏内のビジネスホテルを探して泊まるのが常道ですが、(確か)朝6時20分頃の一番列車に乗るにはそれなりに早起きしなければならないのが少々かったるい感じでした。
そこで思いついたのが、日南線を踏破した後南宮崎駅から小倉行の特急「にちりん」(号数は残念ながら忘れてしまいました)に終点小倉まで乗車し、折り返して「ドリームにちりん」で延岡まで戻るという行程とすることでした。
この旅では、当時発売されていた「周遊きっぷ」の「九州ゾーン」を利用していたので、自由席であれば九州内の在来線特急は特急券を購入せずに乗車できるので、宿泊代が浮くという効果もあり、これも魅力でした。
志布志駅からキハ40・47の日南線普通列車と485系の「にちりん」を乗り継いで小倉駅へ向かい、ここから23:45頃に発車する(列車自体は博多始発)「ドリームにちりん」に乗車しました。
乗車した自由席の乗車率は小倉発車時点では8割くらいで、私も楽に空席を見つけて座ることができました。
「ドリームにちりん」は夜行列車であるとともに、大分駅までは「ソニック」などの日豊本線昼行特急群の最終列車としての役割も担っているので、主要な駅にはこまめに停車し、そのたびに何人かが下車していったようです。
私の方はといえば、小倉駅を出てしばらくすると窓の外も真っ暗でほとんど見えなくなったこともあり、やがて少しうつらうつらしてきました。
そうしているうちに、1時半ごろに大分駅に到着。下り「ドリームにちりん」はここで何と2時間もの長時間停車となります。
これは比較的運転距離の短い夜行列車にありがちだった時間調整のための長時間停車でしたが、2時間という長さはちょっと異例でした。
これだけの長い時間動かない車内でじっとしているのもつまらないので、ホームや改札の外に出てあちこちぶらついたり、駅構内で深夜も営業しているコンビニでちょっと買い物したりしていました。同じようなことを考える人は多かったようで、ホームなどでは結構多くの人の姿を見かけました。
2時半過ぎには車内に戻り、その後しばらく仮眠して5時過ぎに目覚め、(確か)5:45頃に延岡駅に到着したところで下車しました。
結局、「ドリームにちりん」への乗車はこの時が最初で最後となりました。
「ドリームにちりん」は、同じ全車座席車の夜行列車でも、東海道本線の「ムーンライトながら」のように知名度の高い列車ではなかったかもしれませんが、今思うと、鹿児島本線で運転されていた急行「かいもん」改め特急「ドリームつばめ」とともに、九州内で深夜に移動できるという点では便利な列車だったと思います。
定期列車としての復活は難しくても、今後も何らかの形で運転してはどうかと思いますが…
2013年の岡山・高松への鉄道旅の振り返りの途中ですが、今回は一休みします。
ブログのネタ探しも兼ねて、ネットニュースをあれこれチェックしていたら、こんな記事が見つかりました。
「ハイパーサルーン」の日豊夜行がリバイバル…10年ぶりの特急『ドリームにちりん』 11月26日発 (レスポンス Response.jp)
https://response.jp/article/2021/10/26/350742.html
一時頻繁に運転されていた懐かしの列車のリバイバル列車も、国鉄型車両の引退などの要因もあってここ数年は少ない印象でしたが、今やこの列車のように平成年間に登場した列車もリバイバル運転の対象になって来たんですね。
そして私自身、一度だけですがこの列車に乗車した経験もあるので、10年ぶりの復活とは懐かしい限りです。
そこで今回は、今回リバイバルされる「ドリームにちりん」に乗車した時のことを記したいと思います。
この「ドリームにちりん」は、九州の日豊本線の特急「にちりん」の夜行列車版として、リンク先の記事にもある通り博多ー南宮崎間に運転されていた夜行急行「日南」を格上げする形で登場した列車で、日豊本線の夜行列車としてはもちろん、小倉駅で新幹線「のぞみ」の最終・始発列車と接続することで、東京や新大阪などから日豊本線沿線の都市への接続列車という側面もありました。
そんな「ドリームにちりん」に私が乗車したのは、2003年夏に九州へ乗り鉄旅に出かけた時でした。
正確な日付は忘れてしまいましたが、この旅の九州での2日目のこと。
前夜は鹿児島に宿泊し、その日はまず午前中に日豊本線→肥薩線の隼人ー吉松間と吉都線に乗車し、都城から南宮崎まで移動した後、午後は日南線で終着の志布志まで往復、という日程でした。
翌日は当時まだ健在だった第三セクターの高千穂鉄道に乗車した後、日豊本線と豊肥本線を経由して熊本まで移動する予定にしていたのですが、高千穂鉄道に乗車後、接続駅の延岡から大分へ移動する日豊本線のダイヤの都合上、高千穂鉄道では延岡発の一番列車で出発し、高千穂に付いたら折り返し列車でとんぼ返りするという行程にせざるを得ませんでした。
そうなると、延岡駅前か徒歩圏内のビジネスホテルを探して泊まるのが常道ですが、(確か)朝6時20分頃の一番列車に乗るにはそれなりに早起きしなければならないのが少々かったるい感じでした。
そこで思いついたのが、日南線を踏破した後南宮崎駅から小倉行の特急「にちりん」(号数は残念ながら忘れてしまいました)に終点小倉まで乗車し、折り返して「ドリームにちりん」で延岡まで戻るという行程とすることでした。
この旅では、当時発売されていた「周遊きっぷ」の「九州ゾーン」を利用していたので、自由席であれば九州内の在来線特急は特急券を購入せずに乗車できるので、宿泊代が浮くという効果もあり、これも魅力でした。
志布志駅からキハ40・47の日南線普通列車と485系の「にちりん」を乗り継いで小倉駅へ向かい、ここから23:45頃に発車する(列車自体は博多始発)「ドリームにちりん」に乗車しました。
乗車した自由席の乗車率は小倉発車時点では8割くらいで、私も楽に空席を見つけて座ることができました。
「ドリームにちりん」は夜行列車であるとともに、大分駅までは「ソニック」などの日豊本線昼行特急群の最終列車としての役割も担っているので、主要な駅にはこまめに停車し、そのたびに何人かが下車していったようです。
私の方はといえば、小倉駅を出てしばらくすると窓の外も真っ暗でほとんど見えなくなったこともあり、やがて少しうつらうつらしてきました。
そうしているうちに、1時半ごろに大分駅に到着。下り「ドリームにちりん」はここで何と2時間もの長時間停車となります。
これは比較的運転距離の短い夜行列車にありがちだった時間調整のための長時間停車でしたが、2時間という長さはちょっと異例でした。
これだけの長い時間動かない車内でじっとしているのもつまらないので、ホームや改札の外に出てあちこちぶらついたり、駅構内で深夜も営業しているコンビニでちょっと買い物したりしていました。同じようなことを考える人は多かったようで、ホームなどでは結構多くの人の姿を見かけました。
2時半過ぎには車内に戻り、その後しばらく仮眠して5時過ぎに目覚め、(確か)5:45頃に延岡駅に到着したところで下車しました。
結局、「ドリームにちりん」への乗車はこの時が最初で最後となりました。
「ドリームにちりん」は、同じ全車座席車の夜行列車でも、東海道本線の「ムーンライトながら」のように知名度の高い列車ではなかったかもしれませんが、今思うと、鹿児島本線で運転されていた急行「かいもん」改め特急「ドリームつばめ」とともに、九州内で深夜に移動できるという点では便利な列車だったと思います。
定期列車としての復活は難しくても、今後も何らかの形で運転してはどうかと思いますが…
【鉄道旅の思い出】2013年 岡山・高松遠征の思い出 その14 [その他鉄道ネタいろいろ]
こんにちは、gonanaです。
今回も2013年夏の岡山・高松への鉄道旅の振り返りです。
琴電琴平線仏生山駅の下り(琴電琴平方面)ホームから、同駅に隣接する車庫内に留置されている車両やホームに発着する電車を撮影したりしながら、琴電琴平からくるレトロ電車を待っていましたが、そうしていても到着までまだ少し時間があるので、一度改札を出て駅周辺をぶらぶら歩くことにしました。
仏生山駅の駅前広場はわりと広いですが、日曜日の暑い真っ昼間ということもあってか、人通りはあまりありませんでした。
駅舎の脇には、仏生山車庫への出入り口と思われる場所があり、そこから仏生山車庫の片隅に留置されていたレトロ電車の1両、1000形120号の姿を見ることができました。
片隅といってもこの場所は駅前を通る道路からも間近に見ることができるので、もしかするとレトロ電車のPRを兼ねて敢えてこの場所に留置しているのではないか、とも思えました。
ちなみにレトロ電車はこの120号と本線でこの日運用に入っている300号・23号の他に5000形500号もありますが、500号の姿は見当たりませんでした。
しばらく駅周辺をぶらついてから駅へ戻ると、そろそろ高松築港へ向かうレトロ電車の時刻が近づいてきました。
14:19、レトロ電車が仏生山駅に到着。琴電琴平への往路は300号に乗車したので、今度は高松築港方に連結されている23号に乗車しました。
車内は座席がおおむね埋まるくらいの乗車率だったのと、行に比べて乗車時間も短いので、敢えて座席には座らずに最前部で前面展望を楽しむことにしました。
この日乗車した300号も23号も運転室はいわゆる片隅式で、運転台部分以外はポールで客席と仕切られているだけの開放的な空間で、展望車感覚で前面展望を楽しむことができました。
レトロ電車は14:30、終点高松築港駅の2駅手前の瓦町駅に到着。
もちろん列車はさらに高松築港へ向かいますが、私はこの後最後に残った志度線に乗り換えるためここで下車しました。
瓦町駅は琴電全路線が発着する扇の要というべきターミナル駅で、琴平線・長尾線のホームは商業施設と一体となった近代的なホームになっています。
その関東や関西の大手私鉄の駅のような雰囲気は他の琴電の駅とはずいぶん異質な感じです。
そんな瓦町駅のホーム(長尾線下り列車用の片面ホーム)で待つことしばし、14:43頃に高松築港から折返してきたレトロ電車の仏生山車庫への回送が入線。
いかにも平成時代的な雰囲気の駅と、昭和初期や戦後すぐぐらいの時期を思わせるレトロ電車の外観、そして構内に響く吊り掛けモーターの音とのミスマッチぶりを楽しむうち、1~2分ほど停車したレトロ電車は発車していきました。
結局、琴電のレトロ電車に乗車できたのはこの旅での乗車が唯一となってしまいました。
引退したレトロ電車の今後がどうなるのか大変気になるところですが、よい形で今後もその姿が見られることを期待したいと思います。
次回、別テーマの記事を挟み、琴電乗り鉄の振り返りはまだまだ続きます。
今回も2013年夏の岡山・高松への鉄道旅の振り返りです。
琴電琴平線仏生山駅の下り(琴電琴平方面)ホームから、同駅に隣接する車庫内に留置されている車両やホームに発着する電車を撮影したりしながら、琴電琴平からくるレトロ電車を待っていましたが、そうしていても到着までまだ少し時間があるので、一度改札を出て駅周辺をぶらぶら歩くことにしました。
仏生山駅の駅前広場はわりと広いですが、日曜日の暑い真っ昼間ということもあってか、人通りはあまりありませんでした。
駅舎の脇には、仏生山車庫への出入り口と思われる場所があり、そこから仏生山車庫の片隅に留置されていたレトロ電車の1両、1000形120号の姿を見ることができました。
片隅といってもこの場所は駅前を通る道路からも間近に見ることができるので、もしかするとレトロ電車のPRを兼ねて敢えてこの場所に留置しているのではないか、とも思えました。
ちなみにレトロ電車はこの120号と本線でこの日運用に入っている300号・23号の他に5000形500号もありますが、500号の姿は見当たりませんでした。
しばらく駅周辺をぶらついてから駅へ戻ると、そろそろ高松築港へ向かうレトロ電車の時刻が近づいてきました。
14:19、レトロ電車が仏生山駅に到着。琴電琴平への往路は300号に乗車したので、今度は高松築港方に連結されている23号に乗車しました。
車内は座席がおおむね埋まるくらいの乗車率だったのと、行に比べて乗車時間も短いので、敢えて座席には座らずに最前部で前面展望を楽しむことにしました。
この日乗車した300号も23号も運転室はいわゆる片隅式で、運転台部分以外はポールで客席と仕切られているだけの開放的な空間で、展望車感覚で前面展望を楽しむことができました。
レトロ電車は14:30、終点高松築港駅の2駅手前の瓦町駅に到着。
もちろん列車はさらに高松築港へ向かいますが、私はこの後最後に残った志度線に乗り換えるためここで下車しました。
瓦町駅は琴電全路線が発着する扇の要というべきターミナル駅で、琴平線・長尾線のホームは商業施設と一体となった近代的なホームになっています。
その関東や関西の大手私鉄の駅のような雰囲気は他の琴電の駅とはずいぶん異質な感じです。
そんな瓦町駅のホーム(長尾線下り列車用の片面ホーム)で待つことしばし、14:43頃に高松築港から折返してきたレトロ電車の仏生山車庫への回送が入線。
いかにも平成時代的な雰囲気の駅と、昭和初期や戦後すぐぐらいの時期を思わせるレトロ電車の外観、そして構内に響く吊り掛けモーターの音とのミスマッチぶりを楽しむうち、1~2分ほど停車したレトロ電車は発車していきました。
結局、琴電のレトロ電車に乗車できたのはこの旅での乗車が唯一となってしまいました。
引退したレトロ電車の今後がどうなるのか大変気になるところですが、よい形で今後もその姿が見られることを期待したいと思います。
次回、別テーマの記事を挟み、琴電乗り鉄の振り返りはまだまだ続きます。
【鉄道旅の思い出】2013年 岡山・高松遠征の思い出 その13 [その他鉄道ネタいろいろ]
こんにちは、gonanaです。
今回も2013年夏の岡山・高松への鉄道旅の振り返りです。
琴電琴平駅から乗車した1080形の高松築港行は13:27に琴平線の仏生山駅に到着。
この後、琴電琴平駅を出発し高松築港へ向かうレトロ電車に再び乗車しますが、レトロ電車がやってくるまでには1時間弱の待ち時間があります。
そこで、この仏生山駅で途中下車し、レトロ電車を待つことにしました。
仏生山駅には、琴電で最大規模の車庫と工場が隣接しています。
車庫の留置線に止まっている車両はホームからも撮影できるので、レトロ電車がやってくるまでの1時間弱を利用して撮影を楽しみました。
まずは下り(琴平方面)ホームへ向かいました。
このホームの高松築港寄りには、ホームを一部切り欠いてつくられた留置線があり、そこには1070形1071+1072の編成が留置中でした。
1070形は元京急600形(2代目)が種車で、私がこの日乗り鉄に使った一日乗車券の絵柄にもなっていた車両です。
琴電への譲渡に当たって、湘南型2枚窓だった前面は貫通扉付に改造され、セミクロスシートだった車内もオールロングシート化されてしまいましたが、側面の窓配置にわずかに面影が残っています。
2扉車であるためか、2013年当時も現在も1070形は朝ラッシュ時に運用に入る程度の活躍のようですが、京急2代目600形のかつての活躍ぶりを知る者としては、乗車こそできなかったものの間近で姿を見ることができて嬉しかったです。
1070形の他にも、ホームから見える留置線群れには何編成もの電車が留置中でした。
琴平線だけでなく長尾線所属の車両も入庫していたほか、黄緑色の「お~いお茶」ラッピングの1300形1301+1302や黄色の琴平の金刀比羅宮のラッピング車1200形1205+1206といったラッピング編成もあり、ホームから撮影や観察をしているだけでもなかなか楽しい風景でした。
次回も続きます。
今回も2013年夏の岡山・高松への鉄道旅の振り返りです。
琴電琴平駅から乗車した1080形の高松築港行は13:27に琴平線の仏生山駅に到着。
この後、琴電琴平駅を出発し高松築港へ向かうレトロ電車に再び乗車しますが、レトロ電車がやってくるまでには1時間弱の待ち時間があります。
そこで、この仏生山駅で途中下車し、レトロ電車を待つことにしました。
仏生山駅には、琴電で最大規模の車庫と工場が隣接しています。
車庫の留置線に止まっている車両はホームからも撮影できるので、レトロ電車がやってくるまでの1時間弱を利用して撮影を楽しみました。
まずは下り(琴平方面)ホームへ向かいました。
このホームの高松築港寄りには、ホームを一部切り欠いてつくられた留置線があり、そこには1070形1071+1072の編成が留置中でした。
1070形は元京急600形(2代目)が種車で、私がこの日乗り鉄に使った一日乗車券の絵柄にもなっていた車両です。
琴電への譲渡に当たって、湘南型2枚窓だった前面は貫通扉付に改造され、セミクロスシートだった車内もオールロングシート化されてしまいましたが、側面の窓配置にわずかに面影が残っています。
2扉車であるためか、2013年当時も現在も1070形は朝ラッシュ時に運用に入る程度の活躍のようですが、京急2代目600形のかつての活躍ぶりを知る者としては、乗車こそできなかったものの間近で姿を見ることができて嬉しかったです。
1070形の他にも、ホームから見える留置線群れには何編成もの電車が留置中でした。
琴平線だけでなく長尾線所属の車両も入庫していたほか、黄緑色の「お~いお茶」ラッピングの1300形1301+1302や黄色の琴平の金刀比羅宮のラッピング車1200形1205+1206といったラッピング編成もあり、ホームから撮影や観察をしているだけでもなかなか楽しい風景でした。
次回も続きます。
【鉄道旅の思い出】2013年 岡山・高松遠征の思い出 その12 [その他鉄道ネタいろいろ]
こんにちは、gonanaです。
2013年夏の岡山・高松への鉄道旅の振り返り、今回も続きます。
高松築港駅から乗車した琴平線のレトロ電車は、11:56に終点の琴電琴平駅に到着。
ちょうど良いタイミングでお昼になるので改札を出て、駅周辺を歩いて見つけたうどん屋さんで冷やしうどんの昼食とします。
特にこれといった特徴のないシンプルなうどんでしたが、猛暑とは言わないまでもそこそこ暑いこの日の気候だと、冷たいぶっかけうどんは相当にうまかったです。
昼食後付近をちょっと散策して、再び寺院風の建物が印象的な琴電琴平駅に戻ってきました。
ホームには行き先表示板を外して昼休み中のレトロ電車がまだ停車中でした。
このレトロ電車が高松築港行となって琴電琴平を発車するのは13:18と少し時間があるので、その間に一般の列車で一足早く琴平を離れることにしました。
ここから乗車するのは、1080形1087+1088の編成による12:43発の高松築港行。
同じ京急旧1000形が種車の車両でも、先ほど長尾線で乗車した1300形がシートのモケットや壁面の色が変わっているのに対し、1080形は淡緑色の壁面に紺色の座席という、京急時代とほとんど変わりない車内が保たれており、京急旧1000形に慣れ親しんだ者としては非常に懐かしい気分になりました。
1080形は定刻12:43に琴電琴平駅を発車。
真昼間の時間帯だからか、車内はガラガラ。
琴電琴平を発車した時点では2両合わせても10人ほどの乗車率でした。
で、私はというと、先頭車の運転室直後の座席を確保し、前面展望を楽しみながら先ほど通った道を戻りました。
琴平線の沿線はのどかな田園地帯や住宅地がほとんどで、運転速度も低いので、同じように前面展望を楽しんでいても京急時代とは気分が違いますが、それでも京急時代の雰囲気が残る車内で前方を見つめていると、子供の頃を思い出してやはりいいものです。
13:27に途中の仏生山(ぶっしょうざん)駅に到着。
この駅には、琴電で最大規模の車庫と工場が隣接していて、ホームからも留置車両を観察したり撮影したりすることができます。
そこでここで私は途中下車し、高松築港へ戻るレトロ電車がやってくるまでの1時間弱を利用して撮影を楽しみます。
次回に続きます。
2013年夏の岡山・高松への鉄道旅の振り返り、今回も続きます。
高松築港駅から乗車した琴平線のレトロ電車は、11:56に終点の琴電琴平駅に到着。
ちょうど良いタイミングでお昼になるので改札を出て、駅周辺を歩いて見つけたうどん屋さんで冷やしうどんの昼食とします。
特にこれといった特徴のないシンプルなうどんでしたが、猛暑とは言わないまでもそこそこ暑いこの日の気候だと、冷たいぶっかけうどんは相当にうまかったです。
昼食後付近をちょっと散策して、再び寺院風の建物が印象的な琴電琴平駅に戻ってきました。
ホームには行き先表示板を外して昼休み中のレトロ電車がまだ停車中でした。
このレトロ電車が高松築港行となって琴電琴平を発車するのは13:18と少し時間があるので、その間に一般の列車で一足早く琴平を離れることにしました。
ここから乗車するのは、1080形1087+1088の編成による12:43発の高松築港行。
同じ京急旧1000形が種車の車両でも、先ほど長尾線で乗車した1300形がシートのモケットや壁面の色が変わっているのに対し、1080形は淡緑色の壁面に紺色の座席という、京急時代とほとんど変わりない車内が保たれており、京急旧1000形に慣れ親しんだ者としては非常に懐かしい気分になりました。
1080形は定刻12:43に琴電琴平駅を発車。
真昼間の時間帯だからか、車内はガラガラ。
琴電琴平を発車した時点では2両合わせても10人ほどの乗車率でした。
で、私はというと、先頭車の運転室直後の座席を確保し、前面展望を楽しみながら先ほど通った道を戻りました。
琴平線の沿線はのどかな田園地帯や住宅地がほとんどで、運転速度も低いので、同じように前面展望を楽しんでいても京急時代とは気分が違いますが、それでも京急時代の雰囲気が残る車内で前方を見つめていると、子供の頃を思い出してやはりいいものです。
13:27に途中の仏生山(ぶっしょうざん)駅に到着。
この駅には、琴電で最大規模の車庫と工場が隣接していて、ホームからも留置車両を観察したり撮影したりすることができます。
そこでここで私は途中下車し、高松築港へ戻るレトロ電車がやってくるまでの1時間弱を利用して撮影を楽しみます。
次回に続きます。
【鉄道旅の思い出】2013年 岡山・高松遠征の思い出 その11 [その他鉄道ネタいろいろ]
こんにちは、gonanaです。
2013年夏の岡山・高松への鉄道旅の振り返り、今回も続きます。
高松築港駅から乗車した琴平線のレトロ電車(300号+23号)は、11:01に琴平線の途中駅一宮駅に到着。
ここでは上り(高松築港行)電車との交換のため7分間の停車となります。
例によってずっと車内にいるのもつまらないので、ホームに出て撮影タイムとしました。
同じことを考える人もいるもので、私と同じようにホームでレトロ電車を撮影している人も数人見かけました。
先頭の23号の運転室付近で撮影していると、運転士さんが運転室から出てきて、記念撮影用の看板をホームに出してくださいました。
一方車掌さんからは、レトロ電車の公式ガイドブックと乗車証明書(300号のものと23号のもの)のプレゼントを頂きました。
公式ガイドブックは、保存運転されていた4両の旧型車の詳細な解説だけでなく、琴電各線に残る近代化産業遺産(橋梁など)の写真や解説、さらには沿線の撮影地ガイドまで掲載された読みごたえ、見ごたえのある一冊でした。
ガイドブックも乗車記念証も、一日乗車券でレトロ電車に乗車するともらえたようですが、運転士さんが出してくださった看板ともども、琴電の現場の方々のレトロ電車やそれに乗りに来た人々への温かな愛情をひしひしと感じるサプライズでした。
一宮駅を発車したレトロ電車は、11:26着の滝宮駅でも交換のため6分停車。やはりここでも駅撮りタイムです。
そして11:56、レトロ電車は琴平線の終点琴電琴平駅に到着。
通常の定期列車よりは全線の所要時間は少し長いものの、その分吊り掛けモーターの重厚なうなりを聴きながらゆったりと旧型車両の乗り心地を堪能することができ、満足の乗り鉄となりました。
乗客を降ろしたレトロ電車は、そのまま到着したホームで13:18の折返し発車まで昼休みに入ります。
そして私も、改札を出て昼食とします。
次回もまだまだ続きます。
2013年夏の岡山・高松への鉄道旅の振り返り、今回も続きます。
高松築港駅から乗車した琴平線のレトロ電車(300号+23号)は、11:01に琴平線の途中駅一宮駅に到着。
ここでは上り(高松築港行)電車との交換のため7分間の停車となります。
例によってずっと車内にいるのもつまらないので、ホームに出て撮影タイムとしました。
同じことを考える人もいるもので、私と同じようにホームでレトロ電車を撮影している人も数人見かけました。
先頭の23号の運転室付近で撮影していると、運転士さんが運転室から出てきて、記念撮影用の看板をホームに出してくださいました。
一方車掌さんからは、レトロ電車の公式ガイドブックと乗車証明書(300号のものと23号のもの)のプレゼントを頂きました。
公式ガイドブックは、保存運転されていた4両の旧型車の詳細な解説だけでなく、琴電各線に残る近代化産業遺産(橋梁など)の写真や解説、さらには沿線の撮影地ガイドまで掲載された読みごたえ、見ごたえのある一冊でした。
ガイドブックも乗車記念証も、一日乗車券でレトロ電車に乗車するともらえたようですが、運転士さんが出してくださった看板ともども、琴電の現場の方々のレトロ電車やそれに乗りに来た人々への温かな愛情をひしひしと感じるサプライズでした。
一宮駅を発車したレトロ電車は、11:26着の滝宮駅でも交換のため6分停車。やはりここでも駅撮りタイムです。
そして11:56、レトロ電車は琴平線の終点琴電琴平駅に到着。
通常の定期列車よりは全線の所要時間は少し長いものの、その分吊り掛けモーターの重厚なうなりを聴きながらゆったりと旧型車両の乗り心地を堪能することができ、満足の乗り鉄となりました。
乗客を降ろしたレトロ電車は、そのまま到着したホームで13:18の折返し発車まで昼休みに入ります。
そして私も、改札を出て昼食とします。
次回もまだまだ続きます。
【鉄道旅の思い出】2013年 岡山・高松遠征の思い出 その10 [その他鉄道ネタいろいろ]
こんにちは、gonanaです。
2013年夏の岡山・高松への鉄道旅の振り返り、今回も続きます。
長尾線全線を往復した後は、琴電3路線の中では本線格の路線ともいえる琴平線に乗車しました。
そしてここからは、この日のメインイベントでありこの旅の一番の目的でもある、大正期から昭和初期にかけて製造された琴電のレトロ電車による特別運行の列車に乗車します。
2013年のこの時期のレトロ電車の特別運行は、香川県の観光キャンペーン「うどん県時間旅行物語」に協賛して行われていたもので、その年の12月まで毎週土休日に運転されていました。
10時半少し前、琴平線の仏生山駅に隣接した車庫から出庫してきたレトロ電車2両編成が回送で高松築港駅に到着。
琴電で保存運転されていた大正・昭和初期製の旧型車は、1000形120号・3000形300号・5000形500号・20形23号の4両で、この日のレトロ電車はこのうち300号+23号の2両編成でした。
2両ともレトロ電車の名にふさわしい塗装が再現されており、300号は茶色一色、23号は白と茶のツートンカラーになっていました。
そして2両とも、前面にはレトロな書体の行先表示板と「うどん県時間旅行物語」のシンボルマークをあしらったヘッドマークが掲出されていました。
レトロ電車が到着すると、まずはホームからあれこれ撮影をし、琴電琴平寄りに連結された300号に乗車しました。
10:35、レトロ電車は高松築港駅を定刻に発車。
レトロ電車の乗車には、事前予約や特別料金は特に必要なく、乗車券(もちろん一日乗車券なども)があれば通常の定期列車同様に気軽に乗車できるのが魅力でした。
乗車した300号の車内は、座席が8割くらい埋まっていたものの騒がしさはなく、旧型車両の走りをゆっくり堪能するにはなかなかよい環境でした。
この日の高松は晴れていて、気温も真夏ほどではないもののそれなりに上がっていました。レトロ電車は2両とももちろん非冷房なので、開閉可能な窓はほぼすべて全開状態でした。
一応扇風機は回っていましたが、開いた窓から入ってくる風は心地よく、扇風機なしでも快適だったと思われます。
次回もレトロ電車の旅が続きます。
2013年夏の岡山・高松への鉄道旅の振り返り、今回も続きます。
長尾線全線を往復した後は、琴電3路線の中では本線格の路線ともいえる琴平線に乗車しました。
そしてここからは、この日のメインイベントでありこの旅の一番の目的でもある、大正期から昭和初期にかけて製造された琴電のレトロ電車による特別運行の列車に乗車します。
2013年のこの時期のレトロ電車の特別運行は、香川県の観光キャンペーン「うどん県時間旅行物語」に協賛して行われていたもので、その年の12月まで毎週土休日に運転されていました。
10時半少し前、琴平線の仏生山駅に隣接した車庫から出庫してきたレトロ電車2両編成が回送で高松築港駅に到着。
琴電で保存運転されていた大正・昭和初期製の旧型車は、1000形120号・3000形300号・5000形500号・20形23号の4両で、この日のレトロ電車はこのうち300号+23号の2両編成でした。
2両ともレトロ電車の名にふさわしい塗装が再現されており、300号は茶色一色、23号は白と茶のツートンカラーになっていました。
そして2両とも、前面にはレトロな書体の行先表示板と「うどん県時間旅行物語」のシンボルマークをあしらったヘッドマークが掲出されていました。
レトロ電車が到着すると、まずはホームからあれこれ撮影をし、琴電琴平寄りに連結された300号に乗車しました。
10:35、レトロ電車は高松築港駅を定刻に発車。
レトロ電車の乗車には、事前予約や特別料金は特に必要なく、乗車券(もちろん一日乗車券なども)があれば通常の定期列車同様に気軽に乗車できるのが魅力でした。
乗車した300号の車内は、座席が8割くらい埋まっていたものの騒がしさはなく、旧型車両の走りをゆっくり堪能するにはなかなかよい環境でした。
この日の高松は晴れていて、気温も真夏ほどではないもののそれなりに上がっていました。レトロ電車は2両とももちろん非冷房なので、開閉可能な窓はほぼすべて全開状態でした。
一応扇風機は回っていましたが、開いた窓から入ってくる風は心地よく、扇風機なしでも快適だったと思われます。
次回もレトロ電車の旅が続きます。
【鉄道旅の思い出】2013年 岡山・高松遠征の思い出 その9 [その他鉄道ネタいろいろ]
こんにちは、gonanaです。
2013年夏の岡山・高松への鉄道旅の振り返り、まだまだ続きます。
元京急700形の1200形による高松築港8:20発の長尾線長尾行で琴電乗り鉄をスタート。
長尾へ向かう沿線はのどかな田園地帯といった感じで、電車の走りもその分ゆったりとしたものでした。
高松築港から40分、9:00ちょうどに長尾線の終点長尾駅に到着。
長尾駅の駅舎は、小さいながらちょっとしゃれた感じの建物です。
この駅から近いところにはJR高徳線が走っており、長尾線を全線踏破した後上手くすればオレンジタウン駅や造田駅へ徒歩でショートカットできそうです。
長尾からの折り返しは、9:25発の高松築港行。
乗車するのは1300形1303+1304の編成。
先ほど高松築港駅で顔を合わせた1080形と同じ元京急旧1000形ですが、ことでんへの入線時期や所属路線、種車となった車両の製造時期の違いもあって形式が分かれています。
この編成でもと来た道を戻り、10:05に高松築港駅に戻ってきました。
これで琴電3路線のうち、まずは長尾線を踏破したことになります。
高松築港駅のホームには、琴平線の1080形とここまで乗車してきた長尾線の1300形と、元京急初代1000形同士が並んで停車していました。
両形式をよく見比べてみると、塗装はもちろん、屋上クーラーの形状や前面の琴電ロゴ・車番の位置などの違いがよく分かります。
そしてこの後、琴平線で保存運転されていたレトロ電車に乗車します。
2013年夏の岡山・高松への鉄道旅の振り返り、まだまだ続きます。
元京急700形の1200形による高松築港8:20発の長尾線長尾行で琴電乗り鉄をスタート。
長尾へ向かう沿線はのどかな田園地帯といった感じで、電車の走りもその分ゆったりとしたものでした。
高松築港から40分、9:00ちょうどに長尾線の終点長尾駅に到着。
長尾駅の駅舎は、小さいながらちょっとしゃれた感じの建物です。
この駅から近いところにはJR高徳線が走っており、長尾線を全線踏破した後上手くすればオレンジタウン駅や造田駅へ徒歩でショートカットできそうです。
長尾からの折り返しは、9:25発の高松築港行。
乗車するのは1300形1303+1304の編成。
先ほど高松築港駅で顔を合わせた1080形と同じ元京急旧1000形ですが、ことでんへの入線時期や所属路線、種車となった車両の製造時期の違いもあって形式が分かれています。
この編成でもと来た道を戻り、10:05に高松築港駅に戻ってきました。
これで琴電3路線のうち、まずは長尾線を踏破したことになります。
高松築港駅のホームには、琴平線の1080形とここまで乗車してきた長尾線の1300形と、元京急初代1000形同士が並んで停車していました。
両形式をよく見比べてみると、塗装はもちろん、屋上クーラーの形状や前面の琴電ロゴ・車番の位置などの違いがよく分かります。
そしてこの後、琴平線で保存運転されていたレトロ電車に乗車します。
【鉄道旅の思い出】2013年 岡山・高松遠征の思い出 その8 [その他鉄道ネタいろいろ]
こんにちは、gonanaです。
2013年夏の岡山・高松への鉄道旅の振り返り、まだまだ続きます。
2013年7月14日、この日は夕方までこの遠征の主な目的である「琴電」こと高松琴平電鉄の乗り鉄を楽しみ、その後JR高松駅から「サンライズ瀬戸」に乗り関東へ戻ります
朝8時少し前、前夜宿泊したビジネスホテルをチェックアウトし、ホテルからも歩いてすぐの高松築港駅へ。
高松築港駅はJR高松駅からもすぐのところにある琴電の始発駅ですが、その割には駅舎はこじんまりとしています。
さっそく駅舎内の窓口で一日乗車券(当時1,200円)を購入しました。
ちょうどその時期、琴電では車両譲渡で古くから縁の深い京急とのコラボ企画が展開されていて、その一環で琴電の元京急の車両の、京急時代と琴電での姿をデザインした絵柄の一日乗車券が数種類発売されていました。
悩んだ末に京急2代目600形(1986年まで活躍した2扉セミクロスシート車)とそれを改造の琴電1070形のイラストが描かれたものを選びました。
そして、その一日乗車券で改札を入ります。
高松築港駅は規模こそ小さいものの2面2線の頭端式ターミナルになっていて、この駅を始発駅とする琴平線と長尾線が1線ずつ使用しています。
最初に乗車するのは、高松築港8:20発の長尾線長尾行。
車両は元京急700形の1200形1215+1216の編成。
京急での非冷房時代は「赤い棺桶」などと揶揄されることもあったという700形ですが、琴電入線後は塗装もクリーム色とグリーンのツートンカラーの軽快なものに変更されて、ずいぶんイメージが変わっています。
琴電では3つの路線それぞれにラインカラーが設定されていて、グリーンは長尾線のラインカラーになっています。
1200形の車内に入ってみると、シートのモケットの色が緑色に変わったものの、それ以外は京急時代の面影を十分残しています。
ちなみに片側4ドアの通勤電車は、ことでんだけでなく四国全体でもこの1200形が初登場でした。
発車を待っていると、隣の琴平線ホームに元京急旧1000形の1080形1091+1092の編成の一宮行が入線。
塗装こそ変わったものの、1970~90年代の京急でも、2013年、そして現在の琴電でも主力として活躍するこの2形式の並びが見られるのは、京急ファンとしても嬉しい限りです。
そうこうしているうちに1200形の長尾行は高松築港駅を定刻発車し、琴電の乗り鉄スタートです。
次回も続きます。
2013年夏の岡山・高松への鉄道旅の振り返り、まだまだ続きます。
2013年7月14日、この日は夕方までこの遠征の主な目的である「琴電」こと高松琴平電鉄の乗り鉄を楽しみ、その後JR高松駅から「サンライズ瀬戸」に乗り関東へ戻ります
朝8時少し前、前夜宿泊したビジネスホテルをチェックアウトし、ホテルからも歩いてすぐの高松築港駅へ。
高松築港駅はJR高松駅からもすぐのところにある琴電の始発駅ですが、その割には駅舎はこじんまりとしています。
さっそく駅舎内の窓口で一日乗車券(当時1,200円)を購入しました。
ちょうどその時期、琴電では車両譲渡で古くから縁の深い京急とのコラボ企画が展開されていて、その一環で琴電の元京急の車両の、京急時代と琴電での姿をデザインした絵柄の一日乗車券が数種類発売されていました。
悩んだ末に京急2代目600形(1986年まで活躍した2扉セミクロスシート車)とそれを改造の琴電1070形のイラストが描かれたものを選びました。
そして、その一日乗車券で改札を入ります。
高松築港駅は規模こそ小さいものの2面2線の頭端式ターミナルになっていて、この駅を始発駅とする琴平線と長尾線が1線ずつ使用しています。
最初に乗車するのは、高松築港8:20発の長尾線長尾行。
車両は元京急700形の1200形1215+1216の編成。
京急での非冷房時代は「赤い棺桶」などと揶揄されることもあったという700形ですが、琴電入線後は塗装もクリーム色とグリーンのツートンカラーの軽快なものに変更されて、ずいぶんイメージが変わっています。
琴電では3つの路線それぞれにラインカラーが設定されていて、グリーンは長尾線のラインカラーになっています。
1200形の車内に入ってみると、シートのモケットの色が緑色に変わったものの、それ以外は京急時代の面影を十分残しています。
ちなみに片側4ドアの通勤電車は、ことでんだけでなく四国全体でもこの1200形が初登場でした。
発車を待っていると、隣の琴平線ホームに元京急旧1000形の1080形1091+1092の編成の一宮行が入線。
塗装こそ変わったものの、1970~90年代の京急でも、2013年、そして現在の琴電でも主力として活躍するこの2形式の並びが見られるのは、京急ファンとしても嬉しい限りです。
そうこうしているうちに1200形の長尾行は高松築港駅を定刻発車し、琴電の乗り鉄スタートです。
次回も続きます。