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鉄道好きの原点 [いろんな思い出]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:あなたが趣味にハマったり、何かを好きになったりしたきっかけ、教えて

私はほぼ物心ついたころから鉄道が好きで、それ以来現在に至るまでそれは続いています。
では、そもそも幼い私がなぜ鉄道にハマったかを思い出してみると、生まれてから4歳まで生活していた家とその周辺の記憶、それに当時一緒に生活していた父方の祖父母との思いでが大きな理由のような気がします。
私が4歳まで住み、その後も父方の祖父母が住んでいた家は、東京都大田区南六郷というところにありました。場所的には羽田空港にほど近いところにあり、飛行機の音も頻繁に聞こえてくるような環境なので、これだけなら普通は飛行機好きになりそうなものですし、現に私の父親は飛行機好きです。
しかし、なぜか私は鉄道が好きになりました。
当時住んでいた家はすぐ近くに線路や踏切があるというわけではありませんでしたが、家の最寄駅の京急線雑色(ぞうしき)駅近くの商店街での母親や祖母の買い物に連れていってもらった時に、雑色駅そばにある踏切で頻繁にやってくる電車をしばらく眺めては喜んでいたそうです。当時の私のおぼろげな記憶でも、猛スピードで駅や踏切を通過していく旧600形や旧1000形の快速特急・特急に興奮したり、「赤い車体に白い帯」の京急電車に混じって時々見かけるクリーム色と赤の電車(当時京浜川崎駅まで乗り入れていた都営地下鉄浅草線の5000系)が何となく気になる存在だった利した思い出があります。
また祖父は、私がどうやら電車に興味を持ち始めているらしいと感じて、さらに私を喜ばせてくれようとしたのと、近所に遊び相手になる同年代の子供があまりいなかったからか、電車でいろいろな所へ連れて行ってくれました。
横浜の山下公園で展示されている「氷川丸」に乗せてくれたり、神奈川県三浦市にある水族館「京急油壺マリンパーク」へ連れて行ってくれたり、三浦海岸に海水浴に連れていってくれたりなど、60歳過ぎのお爺ちゃんとまだ幼い子供の組み合わせとしては、結構遠くまで遊びに連れて行ってくれました。
それぞれの場所ももちろんどれも楽しかったですが、電車にたくさん乗れる、さらにたくさんいろいろな列車が見られるのが、それに勝るとも劣らないほど楽しかったのを今でも覚えています。
そういった環境のおかげか、3歳頃にはすっかり「鉄ちゃん」になっていたようで、記憶に残っている、その頃親や祖父母に買ってもらったおもちゃの大半が電車のおもちゃでした。
もちろんその後鉄道以外にも好きになったり関心を持ったものはいくつもありましたが、趣味の深さという点で鉄道を超えるものはまだありません。というか、おそらく一生鉄道は好きでい続けるのではないかと思っています。

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これができたのも、あれがあったからこそ [ノンジャンル]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:終電を逃した!! あなたならどうする?

やはりまんが喫茶でネットでも見ながら時間をつぶすか、始発が出るまで滞留可能なファミレスがあればそこでドリンクバーを何杯もお替りして時間をつぶすか、になるんでしょうね。
余計な出費はあるとはいえ、高い料金を払ってタクシーで帰ることを思えば格段に安上がりにはなりますから。
どちらもできなければ、最後の手段としてタクシーで帰るしかないのでしょうが・・・

もともと私は集電近くまで飲んでいたりすることもほぼなく、他の理由でそのような時間まで出歩いたりすることも少ないので、終電を逃して途方に暮れるような経験はしたことがありません。
ましてや、在宅勤務の今では会社や部署の飲み会というのもないので、終電を逃すという経験からより遠ざかっている状況です。
そんなわけで、今までに、終電を逃して夜を明かす場所に困った経験はありません。

それに「鉄道好き」を自認する者としては、鉄道にまつわる事で失敗をするというのは恥ずかしいという気持ちがどこかにあることも理由かもしれません。
そのためか、帰りが終電近い時間帯になると分かっている時は、自宅最寄駅へ電車のみで帰れるタイムリミットを事前に調べておき、その時間に合わせて行動する習慣が自然に身についていました。
大学時代は埼玉県某市の自宅から千葉市内まで通学していたので、飲み会等で帰宅が遅くなる時は、千葉駅や大学最寄駅の蘇我駅などから地元駅へ帰るための最終接続電車の確認は怠れませんでした。
今のように乗り換え検索アプリなんてありませんでしたから(そもそも当時はスマホどころかガラケーすらありませんでしたが)、終電への最終接続時刻を調べるのはもちろん、昼間でもどこかへ出かけようとする際に電車の時刻を調べるときは、当時発売されていた「MATT」という首都圏のJR・私鉄・地下鉄各線の時刻をまとめて掲載した時刻表は欠かせませんでした。

先ほども書いた通り私には終電を逃した経験はありませんが、父親はそのような経験はよくあったようです。
その中でも、今ではなかなかできない経験をした話をかなり前に聞いたことがあります。
それは、東北新幹線が大宮ー盛岡間で開業して間もない頃のこと。
父親は当時勤めていた会社の宇都宮営業所に出張し、仕事が終わった後営業所にいる同僚と飲みに行き、何件かはしごしているうちに気がついたら自宅へ帰るために乗る大宮方面への新幹線と東北線(当時は「宇都宮線」という路線愛称はありませんでした)はともに終電が出た後。
そこで、駅員に聞いてみると、午前3時頃に「あづま」という急行列車が止まるので、これに乗れば始発の東北線より早く大宮駅に着くと案内されたとか。
特に鉄道好きでもない父親からすればこんな時間に宇都宮から乗れる列車があるとは驚きだったようですが、ともかく時間までさらに酒を飲んで時間をつぶし、案内通り「あづま」に乗って帰ったそうです。
「あづま」は当時上野ー福島間(さらに普通列車として仙台まで)運転されていた455系電車による夜行の電車急行で、上野着の夜行列車の中でもかなり早く上野に到着する列車だったと思います。
この時に父親が「朝帰り」できたのも、宇都宮駅に未明に停車し、乗客の乗降ができる夜行列車があったからこそであり、乗車券だけ、あるいはこれに急行券さえ加えれば飛び乗れる夜行列車自体が消えてしまった今となっては、この時の父親のような経験もほぼ不可能になりました。
「朝帰り」の是非はともかく、こういうエピソードも昭和の時代ならではと言えるでしょうね。



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一度使ってみたい! [視覚障碍者としてのあれこれ]

こんばんは、gonanaです。
私のような視覚障害者にとっても、スマホとの連携やAI技術の進歩などによる生活や行動などの変革は無縁のことではなく、これまでは不可能だったり難しかったことが、可能になったり負担が軽減されたりする例が多くなっています。
そして、その波は私も含め多くの視覚障害者が持つ白杖にも及んでいて、スマホやGoogle マップと連動して視覚障害者が安全に単独歩行できることを目指した「高機能白杖」が開発されたそうです。
この白杖は「WeWALK Smart Cane」(ウィウォーク スマート・ケーン)といい、トルコ在住の視覚障害者エンジニアによって開発されました。
詳細は下記のリンクをご覧ください。

視覚障害者のエンジニアが開発「高機能白杖」の優れた性能とは ライブドアニュース
https://043.jp/diary/?p=37
盲目のエンジニアが作ったスマート白杖。スマホ、Google マップと連動 (ギズモード・ジャパン)
https://www.gizmodo.jp/2019/09/wewalk-smart-stick.html

これはなかなか便利な機能が多いですね。
特に胸の高さより高い位置にある障害物をセンサーで検知し、振動で警告してくれる機能や、専用のアプリ(iPhone・Androidともに対応するアプリがあります)をインストールしたスマホとこの白杖をBluetoothを介して連動させることで、スマホを手で持たなくてもアプリが音声で道案内をしてくれる機能はぜひ使ってみたい機能です。
私はこの白杖に関してはネットや、所属する視覚障害者団体のメーリングリストに寄せられた情報でしか知らず、実際の使用感などはわかりませんが、実際に購入して使用してみた方のコメントをメーリングリストで読む限りでは、さすがに使い勝手や白杖としての操作のしやすさなど、まだまだ開発途上な部分が多いようですが、逆にいえば様々な視覚障害者サポートのサービスや歩行ナビゲーションなどと連携すれば、この白杖の価値がかなり上がるのではないかということです。
価格が499ドル(約54,000円)と、普通の白杖よりもやや効果にはなりますが、安全な視覚障がい者の単独歩行を実現させてくれる様々な機能やその発展性はかなり魅力的で、機会があれば私もぜひ使ってみたいと思います。
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学級通信の思い出 [いろんな思い出]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:小学校の時の担任の先生の思い出

私の中で、小中高12年の担任の先生の中で一番印象に残っている、小学校5・6年生時の担任だったI先生のことは以前の記事(https://gonana57.blog.ss-blog.jp/2019-06-06)にも書きましたが、もう一つI先生のことで思い出に残っていることを今回は書きたいと思います。

それは、I先生が担任だった時期を通じて定期的に発行してくださっていた学級通信の思い出です。
学級通信といえば、クラスの生徒やその保護者に向けて、そのクラスや学校全体の近況や行事などのお知らせや報告、その他連絡事項などを伝えるのが一般的な内容だと思います。
I先生の学級通信でもこういった内容が掲載されるのは同じですが、I先生のものはそのような少々事務的な内容だけでなく、先生の日ごろ感じていることや、生徒や他の先生方との学校生活の一コマ、最近読んで感動した本の話など、毎回いろいろな話題をメインの記事にしていて、毎回配られて読むのが楽しみだったのを今でも思い出します。
I先生はいつも私たち生徒に非常に情熱をもって接してくだ去っていましたが、それは学級通信を読んでいても十分感じられました。
特にこれといった連絡事項などがなくても最低週1会は学級通信を発行してくださっていました。当時(約35年前)はパソコンはおろかワープロもほとんど普及していなかったので、ほぼすべてが先生の手書きによるガリ版刷りでの発行でした。
それだからこそ、先生の私達やクラスに対する思いがストレートに伝わって来たのかもしれません。
私の母親は、私が学校から持ち帰った学級通信を毎号保存してくれ、小学校卒業から何年もたった頃にそれを読み返す機会があり、改めてI先生と小学5・6年生の頃の思い出に浸ることができました。
気がつけば小学校卒業からもう35年、I先生が若くしてこの世を去ってからでももう結構年数が経ちました。今も自宅のどこかに眠っているかもしれない当時の学級通信の数々も、わら半紙が経年変化でかなり変色した状態かと思われますが、可能ならばぜひもう一度読み返してあの当時に思いを馳せたいものです。

今では、クラスや学校の連絡事項などもネットやメール、LINEなどで保護者に伝達されることがほとんどになったのではないかと思われ、学級通信の類もメルマガのような形態に変化しているのかもしれません。(子どもがいないので正確な現状把握はできていませんが)
もう昔のような紙の、それも手書きの学級通信を発行してくれるような先生はいないのかもしれません。そう思うとよりI先生の学級通信が懐かしく思える今日この頃です。
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昔と比べちゃ酷だけど [日々のあれこれ&つぶやき]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:テレビは面白い?つまんない?

少なくとも小学生ぐらいまでは自他共に認める「テレビっ子」で、ラジオの楽しさにハマった後も高校生ぐらいまではそれなりにテレビには関心があったし好きでもあった私から見ると、今のテレビにはどうも魅力を感じません。
視覚障害者となり、テレビの画面を見ることができなくなってしまったからというのもありますが、それを抜きにしてもテレビに対する関心や興味は大幅に減退してしまっています。
いつ、何がきっかけでそうなってしまったのかは正直よくわかりませんが。
もちろん、私がテレビ好きだった時代はある意味でテレビ全盛の時代ともいえたし、「楽しくなければテレビじゃない!」という有名なフジテレビのキャッチコピーにも代表されるようにバラエティーを中心に面白くて楽しい番組が多かったことは事実です。
一方で30~40年前とは「コンプライアンス」とやらの基準もかなり違い、テレビ番組を取り巻く様々な時代背景やテレビ局・視聴者双方の意識なども大違いだから単純に「昔は楽しかったけど今はつまらない」と決めつけてしまうわけにいかないのはわかってはいますが・・・
でも、例えば早朝4時台から夜は19時まで、ほとんどの民放がほぼ切れ目なくほとんど扱うネタも変わりのない情報番組を何番組も放送することが果たして必要なのか大いに疑問に思いますし、ニュース番組に関しても本当に今伝えるべきニュースを時間をかけて丁寧に伝えられているのかも気になります。
夜のバラエティーも、やたらと「○時間スペシャル」と称した長尺の番組が乱発されていて、それによって逆に全く「スペシャル感」の感じられない番組が多い気がします。昔は2時間とか3時間スペシャルといえば春や秋の改変期、それに年末年始だけのものだったですが、いつからこうなってしまったんでしょうかね?

とにかく、昔の「テレビっ子」目線で見てしまうと、今のテレビには言いたいことがいろいろあります。それが今のテレビに馴染めないおっさんの愚痴ということは重々承知ですけど・・・

どこかのCSか動画配信サービスで、例えば70~80年代のテレビ番組だけをノーカットで放送するなんていうところがあったら、映像を見られないことは無視して契約してしまうかも(笑)

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バーの似合う大人には・・・ [ノンジャンル]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:居酒屋とバー、どっちが好き?

断然、居酒屋派です。
飲み会に参加した時や友人と食事に行った時くらいしか酒を飲まない私ですが、チェーン店・個人経営を問わず、居酒屋の雰囲気は大好きです。
肩肘張らずにお酒や食事、会話を楽しめ、お会計も節度を守って飲み食いする分にはさほど工学にもなりません。
それに対してバーは、何となく店に入るにも緊張するというか、普段縁のない者には敷居の高いところというイメージがあります。
しかも、バーという場所にふさわしい人格と見た目を高いレベルで求められそうなイメージもあり、「バーで飲むのが似合う大人」には程遠い私にはかなりのハードルを感じてしまいます。
もっとも、これは私が「バー」なる所に2回ほどしか行ったことがないことからくる勝手なイメージという面もあることは事実ですが・・・

私の数少ないバー体験の1回目は、大学を出て新卒で入社した会社にいた頃のことです。
ある年の忘年会の2次会で当時配属されていた部署の部長の行きつけの銀座のバーに行くことになりました。
会社から近い浜松町・大門駅近くの居酒屋での一次会の後、部員のほとんどがタクシー数台に分乗して向かったのが、これまで私には縁のない場所だと思っていた夜の銀座。
どんな店に行くのかと思いながら着いたところが、これまた自分には縁がないと思っていたバー。
店まで来てしまってから今更帰るわけにもいかず、とりあえず飲み慣れないウイスキーの水割りをちびちび飲みながら30~40分ほど店内で過ごしてから何かしら理由をつけて店を出ましたが、やはり自分にはバーは敷居が高くて似合わない場所だと感じてしまうひと時でした。(ちなみにその時のバーでのお会計は、すべて部長がおごってくださったそうです)
2回目は、鉄分濃い人たちにはおなじみだった、店内を鉄道模型が走る「銀座パノラマ」の銀座店。
こちらは以前の私のブログの鉄道好きの読者の方数人と行きました。
同じ銀座のバー(店は新橋駅寄りにありましたが)といっても、こちらは鉄道模型が走るのを眺めながら鉄道好き同氏が楽しむ酒席だったので、変な堅苦しさもなく盛り上がることができました。
ぜひもう一度行きたいと思っていながらそのチャンスがなかなかなく、現在は閉店したか別の店に変わったらしいですが。。。

いずれにしてもやはり自分には、バーの「大人」なムードより、居酒屋で気軽に食べ時々飲む、というスタイルの方が合っている気がします。
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今思うとありがたい列車でした [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
数か月前、とある鉄道好きの友人とのメールのやり取りの中でちょっと話題になったのが、1999年12月まで大阪―飛騨古川間で運転されていたキハ58系の急行「たかやま」。
現在も大阪―高山間で運転されている特急「(ワイドビュー)ひだ25・36号」の前身ともいえる列車でした。
私はこの「たかやま」に3~4回ほど乗車したことがあります。
最初の乗車はおそらく1992年頃だったと思います。この当時の「たかやま」はキハ58系とはいってもすでにオリジナルの国鉄職・ボックスシートの姿ではなく、塗装変更と普通車座席の簡易リクライニングシート化、それに伴う改番が実施された後でした。
この時は当時発売されていた「京阪神ミニ周遊券」を利用しての関西への乗り鉄遠征の帰りでした。周遊券利用だと自由周遊区間への行きと帰り、それに自由周遊区間内では急行列車の自由席に急行券なしで乗車できるメリットを生かしたものでした。その後も「たかやま」利用時はいつも周遊券利用のたびの帰りに利用することがほとんどでした。
下り「たかやま」の大阪発は午前8時を回った頃でした。関西へ行くとよく宿泊していた大阪駅から近いビジネスホテルを出て大阪駅に向かうと、大阪駅は当然朝のラッシュのど真ん中です。
そんな中で長距離列車用のホーム(確か11番線)に上がると、やがて大型の円形ヘッドマークを掲げた「たかやま」編成がやってきます。編成はグリーン車キロ28を含めて5~6両ほどだったと思いますが、少なくとも東海道線内で私が車内を見たときには、たいていは乗車率はいいところ半分くらいだった記憶があります。
でもそのおかげで私が利用する時はいつも余裕で座席を確保できました。同じ米原方面への新快速・快速がラッシュ時で混雑する中、これらを回避して特別料金を払うことなくゆったり移動でき、しかも米原での乗換も省略できる「たかやま」は地味ながらありがたい存在でした。
東海道線内でキハ58系に乗っていると、急行とはいえさすがに電車よりも高速感がなく、特に米原以西では新快速や快速(普通)の追撃をどうにか躱しているというようなダイヤだったようです。しかし、それゆえ本線格の路線での国鉄型気動車の走りをじっくり堪能できたのは今から思うとかなり価値のある経験だったと思います。
先ほども書いたとおり「たかやま」には3~4回乗車しましたが、毎回乗車したのは下りの大阪または京都→大垣間だけで、肝心の高山線内での乗車経験がなかったのが惜しまれます。また、もし機会があれば乗車時点でも数少なくなっていたグリーン車キロ28にも乗ってみたかったです。
今や、JR線上から「たかやま」はおろか急行列車自体がイベント列車的要素の強い臨時列車を除きほぼ消滅し、周遊券やそれを引き継いだ「周遊きっぷ」も消えてしまいましたが、「たかやま」が活躍していた時代は、少なくとも今よりも鉄道の旅に自由な選択肢がまだまだ多く残されていた良き時代だったといえるかもしれません。
種別に関係なくJRの複数会社間を直通する列車が年を追うごとに消えていく中で、「たかやま」を引き継いだ存在といえる大阪発着の「ひだ」が残っているのは、ある意味かなり奇跡的なことといえるでしょう。私はまだこの「ひだ」には乗車経験がないので、機会があればぜひ乗っておきたい列車の一つです。

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何も考えずに楽しめるのが一番 [ノンジャンル]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:もしも自分にマンガの才能があったら描きたいジャンルは?

何しろ絵やイラストの才能が限りなくゼロに近いので、漫画家になるのはかなり厳しいと思いますが、それをとりあえず度外視するなら、少々おバカで楽しく笑えるギャグ漫画か、逆にこれといった事件は起こらないけれど何だか読んでいて癒されるような家族や友達、学校生活をテーマにした作品あたりですかね。
思い切りギャグを前面に押し出した作品なら多少の無理やりな展開も許される部分があるし、重いテーマや壮大なストーリーの作品よりは描くのが楽しいような気がします(あくまでも素人のイメージにすぎませんが)
学校や家族などをテーマにした漫画でも、特に感動ストーリーというよりは、日常のあれこれを淡々とつづっていく方が、私には何となく作品にしやすい気がします。
いずれにしても、社会的な重いテーマを扱ったり、感動を呼ぶ大作といった感じの作品はもっと技術と表現力のある方にお任せするとして、自分はとにかく読んで楽しい気分になれる作品が描ければそれでよしと思ってます。
タグ:漫画
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