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2010年 GW関西鉄道旅の思い出 その6 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
2010年GWの関西への鉄道旅の振り返り、その6です。

阪急の嵐山駅から6300系の快速特急で梅田駅に戻ってきました。
その後は、この鉄道旅での宿泊先となる新大阪駅近くのビジネスホテルにチェックインするため、JR大阪駅へ出て321系の普通電車で隣の新大阪駅へ向かいました。
大阪駅の構内を歩いているとき、3・4番線へ上がるエスカレーターの昇り口に掲げられた案内板が目に留まりました。
その案内板には、このホームから発車する路線の線名や列車の主な行先に混じって、「山陽・九州方面」の文字が残っていました。
この旅の時点で、関西始発最後の九州方面へのブルトレだった「なはあかつき」が消えて2年ちょっと、下りのみ大阪駅でも乗車できた「富士はやぶさ」が消えてからでも1年ちょっと経過しているにもかかわらず、そういった列車の名残ともいえるこの文字が消されたり覆い隠されたりすることなく残っていたのが、嬉しくもありちょっと切なくもありました。
あれからもう10年が経過し、さすがにもう大阪駅の標示類からブルトレや長距離特急の名残も消えてしまったんでしょうね…

ホテルで小休止した後、阪和線に残っていた貴重な113系快速に乗車するため、再び新大阪駅へ戻り、関西空港行の特急「はるか」で113系快速の始発駅日根野駅に向かいました。
この鉄道旅ではJR線区間の乗車には、当時発売されていた「周遊きっぷ 京阪神ゾーン」を利用しました。
周遊きっぷは、各ゾーン内では普通・快速だけでなく特急列車の自由席も利用できました。そのため、「はるか」にも気軽に乗車でき、普通・快速の混雑を避けて快適に移動できるというわけです。
この周遊きっぷの恩恵にはこの後もたびたびお世話になることになります。

日根野駅に到着後、上りホームへ移動すると、やがてこれから乗車する天王寺行き快速204H列車となる113系8両編成が入線してきました。
当時、グレー(白に近い)の地にスカイブルーの帯の「阪和線色」や湘南色の車輛も健在だった日根野電車区の113系でしたが、やって来たのは8両すべてベージュと茶色のツートンカラー塗装の車両。
座席は転換クロスシートに変更されていて快適でしたが、個人的には「阪和色」塗装の編成が来てくれるとよかったのに…などとちょっとがっかり。
もっとも、この頃にはすでに大阪市内に乗り入れる路線で113系に乗れる機会そのものが基調になっていたので、そんなことは言ってられませんでしたが。
204H列車は定刻に終点の天王寺駅に到着。
折り返し、紀勢線直通の御坊行快速2991Mとして発車していった113系を見送り、阪和線ホームと大和路線(関西線)ホームで103系を数枚撮影し、遅れていた「はるか46号」で新大阪へ戻ってこの日は終了となりました。

次回からは、2010年5月3日の乗車・・撮影分です。
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2010年 GW関西鉄道旅の思い出 その5 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
2010年GWの関西への鉄道旅の振り返り、その5です。

約4時間ほど乗り鉄・撮り鉄をご一緒したブログ仲間のUさんと阪急の桂駅で別れ、同駅から8300系8312編成の嵐山線折り返し列車で嵐山駅へ移動しました。
嵐山駅に着いた後は、駅構内や駅前を少しぶらぶら。
嵐山の観光とはいかないまでも、大量の観光客の利用を見込んでか支線の終着駅にしてはかなり広い駅前広場や、いかにも京都の駅といった気分になれるホームや改札周辺の照明器具が設置された駅構内を見るだけでも、京都の有名観光地にやって来た気分はちょっぴり感じられました。

さて、ここ阪急の嵐山駅にやって来た一番の理由は、この駅から発車する元特急車6300系による梅田行臨時快速特急に乗車するためでした。
この臨時快速特急、当日の梅田行は夕方に3本(嵐山発15:58・16:18・16:38)運転されていましたが、このうちどの列車に6300系が使われるのかの情報は持っていなかったので、ホームで撮影しながら6300系がやってくるのを待ちました。
結果、1本目(15:58発発)は7300系7307編成、2本目(16:18発)は先ほど桂から嵐山まで乗車してきた8312編成と続き、ラスト3本目(16:38発)がお目当ての6300系での運転でした。
この臨時快速特急に使用された6300系は、嵐山線折り返し運用に通常使われている4両編成化・セミクロスシート化改造が実施された編成ではなく、この年2月末で京都線の特急運用を離脱して予備車になっていた、原型のままの6350編成を6両編成に減車した編成というのが、個人的にうれしいところでした。

もちろんこの6350編成に乗車して梅田へ向かいました。
臨時快速特急は嵐山を出ると嵐山線内各駅に停車した後、桂からは京都線に入り、途中淡路・十三(じゅうそう)の2駅のみに停車という、当時、そして現在の京都線特急よりも少ない停車駅で走破し、しかもスピードは「快速特急」の種別名に恥じない高速運転で、特急者時代のママのオールクロスシートの車内とも相まって、まだ京阪間(十三―大宮間)ノンストップ運転だった時代に初めて乗った6300系京都線特急を思い出して懐かしい気分に浸れる、ファン的には非常に乗って楽しい列車でした。
17:27、6300系臨時快速特急は定刻に梅田駅に到着。乗客を降ろした6350編成は、回送列車となって折り返していきました。

次回、夜にもちょっとだけ乗り鉄&撮り鉄を楽しみます。
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2010年 GW関西鉄道旅の思い出 その4 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
2010年GWの関西への鉄道旅の振り返り、その4です。

青森から大阪まで15時間お世話になった「日本海」の編成が回送列車となって宮原操車場へ引き上げていくのを見送った後は、この鉄道旅に合わせて合うことを約束していたブログ仲間のUさんと待ち合わせをしている大阪駅の御堂筋口へ。
事前にお互いの当日の服装は教えあっていたものの、改札付近の雑踏の中でお互いを見つけられずに待ち合わせの時間を過ぎてしまうというドタバタはありましたが、何とか落ち合うことができて一安心。
この日は一緒に京都方面へ阪急電車の撮影に向かうことになり、さっそく阪急の梅田(現 大阪梅田)駅へ移動。
梅田からは9300系9302編成の京都線河原町(現 京都河原町)行特急に乗車。
座席が転換クロスシートなのは快適でよいけれど、風格のある2扉転換クロスシート車の6300系が使用され、停車駅も少なかったかつての京都線特急と比べてしまうと、関東のファンとしては何だか違和感も感じながら、それでもリアルでは初めて会うUさんといろいろ話に花を咲かせながら乗車すること30分ちょっとで、京都市内に入った桂駅で下車。
この駅は、京都線から分岐して嵐山へ向かう嵐山線の始発駅で、車両基地もあるため阪急電車の撮影にはなかなか公的な駅です。
私とUさんはホームで9300系の特急や5300系などの準急といった京都線の列車や、7300系や8300系の嵐山線列車をしばらく撮影。

桂駅で撮影の後、3300系の準急で大宮駅(もちろん京都市内の)へ移動。
駅近くで昼食の後、次に向かったのはすぐ近くにある京福電鉄の四条大宮駅。
それまで何度も関西には来ているものの、京福電鉄は未乗車でした。
四条大宮駅からは、嵐山行電車に乗車。
終点の嵐山まで乗り鉄するのか、それとも沿線で撮影するのかと思いきや、早くも途中の嵐電天神川で下車することに。
さらにここから京都市営地下鉄東西線で三条京阪駅へと、短時間ずつながら京都市内の鉄道の乗り鉄を楽しみながら移動しました。
当初Uさんと考えたルートでは、Uさんのこの後のスケジュールの都合で、京阪の三条駅から京阪で大阪方面へ向かう予定でした。
しかし途中で、夕方に阪急の嵐山駅から阪急6300系による梅田行臨時快速特急の運転があるという情報をUさんが入手。
Uさんは予定があって乗車できないものの、ぜひ乗ってみてはとのおすすめに従って予定変更となりました。
三条駅から四条河原町まで歩き、河原町駅から再び阪急に乗車。
桂駅に戻ってきたところでそのまま梅田方面へ向かうUさんと別れ、私は下車。

再び単独行に戻ったところで、嵐山駅に向かうため嵐山線用の1号線・C号線(阪急では、ホームの番線表示や案内を、「○番線」や「○番ホーム」ではなく「○号線」と呼んでいます)ホームへ移動。
この旅の当時も、通常の嵐山線では、かつての特急車6300系を4両編成化・セミクロスシート化した専用編成が折り返し運転に使用されていました(現在も同じ)が、当日は連休中ということで多客が予想されるため、午前中の梅田からの嵐山行臨時列車に使用された編成の一部がそのまま日中の嵐山線内折返し運転にも使用され、通常の4両編成が6両編成での運転となっていました。
このため、ホームには通常と乗車位置が一部異なることを案内する案内も出ていました。
ホームでの案内といえば、この嵐山線ホームには、GW中の嵐山発の臨時列車の案内ポスターも掲示されていて、梅田行きの快速特急はもちろん、河原町行の快速特急や、神戸線経由の神戸高速鉄道高速神戸行や宝塚行の「直通特急」といった臨時ならではのレア列車も設定されていて、思わずこちらにも乗ってみたくなりました。

次回、阪急6300系に久しぶりに乗車します。

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2010年 GW関西鉄道旅の思い出 その3 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
2010年GWの関西への鉄道旅の振り返り、その3です。

上野へ向かうブルートレイン「あけぼの」の青森駅発車を見送った後、駅前のお店で夕食をとり、再び駅へ戻りました。
そして向かったのが、これから大阪駅まで乗車するブルートレイン「日本海」が発車する1番線。
そう、関東から関西へ向かうにもかかわらず、はやて&スーパー白鳥の乗り継ぎで、関西とは真逆の方向の青森までやって来たのは、ひとえにそれまで未乗車だった「日本海」に乗りたいがためでした。

少し早目にと18:55頃にホームへ向かうとすぐに、発車約40分前にもかかわらず、早くもDE10に牽かれて「日本海」の編成が入線しました。
入線後すぐにドアが開き客扱いが開始され、2号車のオハネ24 49の指定された寝台に荷物を置いて、再びホームへ。
「あけぼの」もそうでしたが、入線・乗車開始から発車まで時間的な余裕がたっぷりあり、乗車前の飲食物の確保や撮影にはとても好都合でした。
もっとも撮影者の数は「あけぼの」の時よりも少なかったですが…
この夜の上り「日本海」の青森ー敦賀間の牽引機は、ローズピンクのEF81 48。
「トワイライトエクスプレス」専用とそうのEF81の引く「日本海」もよかったですが、最後まで国鉄時代とほぼ変わらない姿で走り続けた「日本海」には、やはりローズピンクのEF81がお似合いでした。

「日本海」は19:35頃、青森を定刻に発車。
停車駅ごとにそこそこの数の乗客は乗ってくるものの、車内にはそれほど動きらしいものはなく、1年少々前に乗車した「富士はやぶさ」とは違う、東北地方を走るブルトレらしい(?)まったりのんびりした空気が流れていました。
また乗客同士の会話がほとんど聞こえてこなかったのも「富士はやぶさ」とは大きく違う点で、そんな静かな雰囲気の中で夜の奥羽本線を淡々と走っていきます。

「日本海」は22:31、秋田駅を発車。
客扱い停車駅はこの後もあるものの、車窓も駅間ではほぼ真っ暗で何も見えず、人の動きもほとんどなく完全に深夜モードに突入。
私ももうほとんどすることがないので、いつもより早い23時過ぎには就寝し、富山到着直前まで爆睡。
富山到着は5:28という早さにもかかわらず、車内はこの時間から結構人の動きが感じられ、静かだった夜とは違った活気が感じられました。
この後金沢・福井と進むにつれ、夜行列車の到着時刻としては理想的な時間帯になっていくため、これらの駅で下車する人も多いようでした。

そして、「日本海」は8:02、敦賀駅に定刻到着。
ここは上り「日本海」の行程中唯一のまとまった停車時間(19分)のある駅であるとともに、行程中唯一にして最大のイベントである、当時の福井鉄道部敦賀運転派出所属のEF81同士の機関車交換が見られる駅でもありました。
そのため、ホームの機関車と客車の連結麺のあたりには、「日本海」の乗客も含め多数のギャラリーが集まっていました。もちろんその中に私もいたのは言うまでもありませんが。
到着するとすぐに、青森から牽引してきたEF81 48号機は客車から解放され、京都方にある敦賀運転派出へ引き上げていきました。
EF81が連結されていない数分間は、上り列車ではEF81との連結麺になって「顔」が見えずらい1号車のオハネフ25 117が顔を出し、これも多くの人が撮影を楽しんでいました。
やがて敦賀からの牽引機EF81 45号機が敦賀運転派出から出庫してきて客車に連結。
45号機も48号機同様のローズピンク塗装機でした。
8:21、「日本海」は敦賀を定刻発車。
発車すると間もなく、進行方向右手にEF81の基地でもある福井鉄道部敦賀運転派出の構内が見えてきました。
まだ速度が低いので構内の車輛もよく見え、「トワイライト」塗装のEF81 44号機、検査上がりなのか、とても綺麗なEF81ローズピンク塗装機(番号不明)、対照的に色褪せの激しい除雪機関車数両、この頃にはすでに引退近しといわれていた419系電車、小浜線等で活躍する当時の新型125系電車などの姿を見ることができました。
「日本海」は近江塩津から湖西線に入り、次の停車駅京都を目指します。
途中の近江今津駅では、後を追ってくる485系特急「雷鳥8号」を待避するため運転停車。
もし客扱いのある停車であればホームへ出て、昭和の北陸線の夜と昼の主役の一瞬の並びの撮影にチャレンジするところですが、ドアの開かない運転停車ではどうすることもできず、進行方向左手の車窓を駆け抜けていく485系の姿を見送るだけでした…

そして10:27、「日本海」は終着大阪駅に定刻到着。
敦賀での機関車交換以外には特に目立った出来事もない淡々とした約15時間でしたが、それゆえ国鉄時代のブルトレの雰囲気が存分に味わえ、1年少々ぶりのブルトレの旅は大満足でした。
結局「日本海」に乗車したのはこれが最初で最後になってしまいましたが…

次回、ブロガー仲間の方との阪急乗り鉄&撮り鉄編です。
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2010年 GW関西鉄道旅の思い出 その2

こんばんは、gonanaです。
2010年GWの関西への鉄道旅の振り返り、その2です。

大宮駅から乗車した「はやて17号」で14:55、当時の東北新幹線の終点八戸駅に到着しました。
八戸からは、まだ第三セクター化前の東北本線を北上します。
「はやて17号」からの青森方面への接続列車は、E751系使用の「つがる17号」で、単に青森方面へ急ぐなら、あるいは私自身未乗車のE751系に乗るならこの列車を選択するところですが、敢えて約1時間後の「スーパー白鳥19号」に乗車することにします。
「つがる17号」の発車を見送ると、「スーパー白鳥」発車まで特にすることもないので、在来線ホームに発着する車両たちを撮影して時間をつぶしました。
約1時間の間に、485系3000番台の臨時特急「つがる79号」、キハ110系の快速「しもきた」、青森行普通列車の701系1000番台、青い森鉄道・IGRいわて銀河鉄道直通の盛岡行普通列車(IGR7000系)と、短時間ながらこの地方でしか見ることのできない車両たちを続々撮影することができました。

15:57、函館からのJR北海道789系「スーパー白鳥22号」が7分遅れで八戸に到着。
この折返しが、これから乗車する16:14発の「スーパー白鳥19号」になります。
「スーパー白鳥19号」はほぼ定刻に八戸を発車し、青森・函館を目指します。
789系の車内は混雑もさほどでもなく、なかなかのスピードで東北本線を北上していきます。
前の座席の背面テーブルには、スーパー白鳥各列車の青函トンネル通過予定時刻が掲載されたステッカーが貼られていました。
この時の私の旅には直接関係のない情報ではありますが、こういったものを見かけると「スーパー白鳥」が北海道へ向かう列車であることがよくわかります。

そして、1時間ちょっとで「スーパー白鳥19号」は青森駅に定刻到着。
JR北海道の車両を選んで乗ったにもかかわらず、北海道の土を踏むどころか青函トンネルも通過することなく、私はここで下車しました。
もっともこのあまのじゃくな行程を組むために、先発の「つがる」2本をパスしたんですけどね(笑)
いずれにしても、現在では本州内でJR北海道の在来線車両に乗ることはできなくなっているので、これも今となっては貴重な経験だったといえるでしょう。

青森駅でも、次に乗車する列車までのインターバルを利用してホームをぶらぶらしつつ、701系や485系3000番台を少し撮影。
そして、17:49、DE10 1763号機に牽引されてブルトレ「あけぼの」の編成が入線してきました。
この日の上り「あけぼの」の長岡までの牽引機は、未撮影だったEF81 139。
「あけぼの」は18:20過ぎ、上野を目指して青森を発車していきました。

次回、なぜ関西へ行くにもかかわらず北へ向かったのかの理由が分かります。
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2010年 GW関西鉄道旅の思い出 その1 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
相変わらずネタにしたくなるような出来事もない状態のため、今回からまた過去の鉄道旅の振り返り記事ということになってしまいます。
私自身は、もういい加減どこかへ乗り鉄に出かけたい気、満々なんですけどね…

今から10年前の2010年のGW、私はこの連休を利用して関西への鉄道旅に出かけました。
関西へはそれ以前にも何度も出かけていていろいろな路線に乗車したり撮影を楽しんでいました。
この鉄道旅では、JRを中心に乗り鉄や撮り鉄を楽しみ、当時はまだまだ関西圏でも各線で活躍していた103系などもたくさん撮影・乗車することを目的に出かけることにしました。

2010年5月1日、自宅最寄り駅から西武線と川越線を乗り継いで大宮へ。
そして、大宮駅から乗車したのは…
12:22発の東北新幹線八戸行「はやて17号」(盛岡までは「こまち17号」を併結)。
関東から関西へ向かおうとしているにもかかわらず、関西とは真逆の東北へと向かう列車に乗るという何ともあまのじゃくなルートですが、これにはもちろん理由がありました。それについてはまた後程。
車内改札も済んだところで、さっそく駅弁で昼食。
今回食べた駅弁は、大宮駅の改札外コンコースで行われていた新潟県内数駅の駅弁のワゴン販売で購入した、新潟駅の「まさかいくらなんでも寿司」。
鱒、鮭、カニ、いくらの4種類の具が一度に味わえて満足の内容です。
それにしても、関東から関西へ行こうとしている人間が、八戸行の新幹線に乗って新潟駅の駅弁を食べているというのは、やはりちょっと妙なもんですね(笑)

「はやて17号」は大宮発車後は八戸まで仙台と盛岡のみの停車の速達タイプのため、大宮を出ると車内はほとんど動きがなくなり、駅弁を食べてしまえば特に何もすることがないので、仙台到着直前くらいまでは睡眠タイムに。
そして14:55、定刻通り八戸駅に到着。
連休中ということもあるのか八戸までの乗客数は意外に多かったです。

次回、さらにもう少し北を目指します。
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【鉄道イベントの思い出】伊豆箱根鉄道 いずはこねふれあいフェスタ2011 その3 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
前回に引き続き、伊豆箱根鉄道大場工場で2011年に開催された「いずはこねふれあいフェスタ2011」を見に行った時の思い出です。

1時間半ほどで大場工場のイベント会場を後にし、再び大場駅へ戻ってきました。
この後はひとまず修善寺駅へ向かうつもりでしたが、到着して少しすると7000系の三島行が先に到着したのでこちらに乗車。
こういうことができるのも一日乗車券を持っているからこそです。

三島駅に到着し、改めて修善寺駅へ向かうことにしましたが、修善寺への折り返し発車は先に三島駅に到着していた3000系の方が早いのでそちらに乗車しました。
その3000系の修善寺行の発車を待つ間に、駅構内にあるJRと駿豆線の渡り線を東京駅からの特急「踊り子109号」の185系が通過していきました。
こうしたJRと私鉄の間の渡り線を通過する旅客列車を目撃するのもそうそうあることではないので、これも貴重な記録になりました。
「踊り子109号」の後を追って三島駅を発車した3000系に乗車し、再び国鉄近郊型電車のような乗り心地を味わうこと約35分で駿豆線の終点修善寺駅に到着。
到着後、乗車してきた3000系(鋼製車)の外観を改めて観察してみると、車内はもちろん車両側面も、3000系と同時期に登場した113系2000番台によく似ていることに改めて気づかされました。
これを見ていると、ついつい側面のカラーリングを湘南色やスカ色に変えた姿を妄想してしまうのは私だけでしょうか?

修善寺駅の構内は、全線単線のローカル私鉄の終着駅には珍しく2面4線構造の東端式ホームが広がり、駅施設はホーム終端側に設けられています。
先ほど三島駅を先発していったJR185系は、折り返し「踊り子112号」で東京へ戻るまでの一休み中。
ドアは開いていてすでに乗車可能な状態になっていたようでしたが、折り返し発車まであと1時間以上あるためか、ホームから覗くと車内には誰もいませんでした。

一通りホームでの撮影を終え、一旦改札を出て駅舎内の駅弁売り場へ。
ここでは、修善寺駅の名物駅弁の「武士(たけし)のあじ寿司」を購入して昼食。
伊豆近海の地鯵や天城のわさびなど、伊豆の食材にこだわった駅弁だそうで、なるほど名物駅弁にふさわしい美味しい弁当でした。
ちなみに「武士」の由来は、修善寺駅の駅弁を作っているお店のご主人の名前だとか。

修善寺からは、これも先ほど乗車した転換クロスシート車の7000系で三島駅へ向かいました。
3000系の側面や車内が113系や115系などに似ているように、7000系のそれもJR213系によく似ています。
7000系に乗って三度目の三島駅に到着。
初めのうちはここで乗り鉄を修了して帰宅するつもりでいましたが、朝にJRホームから眺めた1300系にまだ乗車していないことに気づき、その1300系がやってくるまでホームで待機することにしました。
待機中には、3000系のステンレス車編成もやってきて、これでその当時の駿豆線の営業用車両のすべての形式を撮影することができました。
その3000系ステンレス者の次の列車で1300系が到着。
今回は修善寺まで行かずに途中の大場までの乗車でした。
1300系は元西武新101系で、車体は塗装が変更されたほかは西武時代と大きな変化はなく、車内もシートモケットの色が変わり車いすスペースが設置されたほかは大きな変化は見られず、西武線ユーザーにはとても親近感のある存在です。

大場駅まで1300系に乗車し、7000系で三島駅に戻ったところで、この日の駿豆線乗り鉄は終了。
JR三島駅から211系とE231系を乗り継いで帰路についたのでした。
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【鉄道イベントの思い出】伊豆箱根鉄道 いずはこねふれあいフェスタ2011 その2 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
前回に引き続き、伊豆箱根鉄道大場工場で2011年に開催された「いずはこねふれあいフェスタ2011」を見に行った時の思い出です。

駿豆線の始発駅三島駅から、3000系の修善寺行電車に乗車して10分ほどの大場駅で下車し、駅から駿豆線の線路沿いの道を三島方向へ戻るように歩いて5~6分ほどの所に、「いずはこねふれあいフェスタ2011」の会場である大場工場に到着しました。
入り口で配られていた会場内の地図を見ると、大場工場の敷地は地方私鉄の車両基地・工場としてはかなり広く、また実施されるイベントも鉄道・バス関連だけでなくご当地グルメや地元の物産販売などもたくさんあり、これも地方私鉄のイベントとしてはかなり大規模なものになっていました。
でも私は、やはりまずは今回のイベントの主役であるあの車両の元へ直行。
はやる気持ちを抑えつつやって来た場所には予告通り、ややピンク色に近い赤(ラズベリーレッド)とベージュ(トニーベージュ)の、「赤電色」と呼ばれるツートンカラーに塗り戻された1100系(元西武701系)が佇んでいました。
見つけた時には思わず「おっ!、懐かしい!」と声が出そうになりましたが…
でも、よく見ると何だか違和感が…
この違和感の理由は、赤とベージュの塗り分け線の位置。
この時の1100系の写真と西武時代(非冷房)の701系の写真を並べて比較することができないので何とも不完全な説明になってしまいますが、車体下半分の所にある赤とベージュの塗り分け線はオリジナルと比べ少し高すぎ、窓上部の塗り分け線も若干オリジナルより下過ぎの位置になっていました。
おそらくこれは、伊豆箱根鉄道のオリジナル塗装(青と白)の塗り分け線の位置に合わせて塗り分けたためこうなったものと思われます。
このイベントの後、タイミングを見て正規の赤電色塗装に修正されたのか、それとも廃車までこのまま走り続けたのかは定かではありませんが、これも種車の西武701系が全車冷房化され、黄色への塗装変更も終了した約30年前(イベント当時)依頼のリバイバルカラーならではの珍事だったのかもしれません。
まあ、それはそれとしてカラー自体はまさしく懐かしい西武「赤電」のそれで、まだまだ池袋線系統でも新宿線系統でもこのカラーをまとった701・801系やそれ以前に製造された旧型車各形式が第一線で活躍していた、昭和50年代の西武線を知る者にとってはやはり懐かしさいっぱいでした。
この1100系には、「ありがとう1100系」と書かれたヘッドマークが掲出されていたほか、前面の行先表示には2011年当時にはすでに廃止されていた快速の文字が入ったレアな行先表示が現れる時間もありました。

車両展示では、1100系の他にも3000系が運転台公開に使用され、他に伊豆箱根鉄道バスの展示なども行われていましたが、残念ながら入場中の大雄山線車両や、工事列車や入出場車回送、イベント列車などで活躍する電気機関車ED32・33の姿は見ることができませんでした。

次回、再び駿豆線乗り鉄に戻ります。
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【鉄道イベントの思い出】伊豆箱根鉄道 いずはこねふれあいフェスタ2011 その1 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
前回に引き続き、今回も「鉄道イベントの思い出」シリーズの記事になります。
今回は2011年11月23日に伊豆箱根鉄道の大場(だいば)工場で開催された「いずはこねふれあいフェスタ2011」を見に行った時の思い出です。

この「いずはこねふれあいフェスタ」は、JR三島駅と修善寺駅を結ぶ伊豆箱根鉄道駿豆線(以下、駿豆線と略します)の大場(だいば)駅そばにある、駿豆線と同社の大雄山線(小田原ー大雄山間)で使用されている車両の検査・修繕を行っている大場工場の一般公開イベントです。
このイベントの2011年開催の回に、翌年の廃車を前に、伊豆箱根鉄道オリジナル塗装から西武時代のベージュに赤のツートンカラー(通称「赤電色」)に塗装が戻された1100系(元西武701系)が展示されることを知り、40年以上にわたる西武線ユーザーで701系にも馴染みの深い私としては黙って見過ごすことができず、イベントに参戦することにしました。

当日、東京駅を185系使用の伊東行き普通列車521Mで出発し、熱海からは211系+313系併結の島田行429Mに乗り継ぎ、9:49に三島駅に到着。
JRホームからもよく見える駿豆線ホームには元西武新101系の1300系が停車中でした。
実はこの1300系は、この日の主役である1100系を置き換えるために親会社の西武から譲渡されたものです。
三島駅の伊豆箱根鉄道の切符売場で駿豆線の一日乗車券「旅助」(たびたすけ)を購入して駿豆線の乗り鉄をスタートします。
先ほどの1300系は乗換えの間に発車してしまったので、次発の3000系3503編成で大場駅へ向かいます。
3000系は、奇しくも1300系の種車となった西武新101系と同じ1979年登場の形式ですが、こちらは伊豆箱根鉄道の自社発注車両で、同じ3扉車ながら3000系の車内はセミクロスシート仕様となっています。
そしてその車内は、シートモケットや壁面の色を別にすれば国鉄型近郊型電車にそっくりで、乗っているとどこか113系や115系あたりに乗っているような錯覚も覚えます。

三島から10分ほどで大場駅に到着。
この駅は上下両線のホームをつなぐ構内踏切が健在で、改札へ向かう際にその踏切が開くのを待っていると、三島方面へ向かう列車との3000系同士の交換風景を見ることもできました。(駿豆線は全線単線)

次回、いよいよ「赤電色」との久しぶりの対面です。
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【鉄道イベントの思い出】静岡鉄道長沼車庫一般公開(2012年) [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
「鉄道イベントの思い出」シリーズ、今回は、2012年5月に静岡鉄道静岡清水戦の長沼駅に併設された車庫で開催された一般公開イベントの思い出です。

毎年5月、静岡市で行われる「静岡ホビーショー」に関連して、鉄道会社や鉄道模型メーカーなどが様々な展示や物販などを実施する「グランシップトレインフェスタ」という一大鉄道イベントが、JR東静岡駅近くにある複合イベント施設「グランシップ」(静岡県コンベンションアーツセンター)で開催されます。(今年はオンラインでの開催だったようですが)
私は一度このイベントを見に行こうと兼ねてから考えていながら、それまでなかなか実現できずにいましたが、2012年の開催時(5月19・20日開催)にやっと行くことができました。
2012年5月19日、朝10時のイベント開始とともに会場入りし、あちこちの展示を見て回ったり物販で散財したりしながらイベントを楽しみ、13時過ぎにグランシップを後にしました。
その後、私が向かったのが、グランシップの最寄駅JR東静岡駅に近い、静岡鉄道静岡清水線の長沼駅。
グランシップから歩いて10分ほどの所にある長沼駅には、静岡清水線の車両基地である長沼車庫が併設されており、当日(20日も)は「グランシップトレインフェスタ」の関連イベントとして車庫の一般公開が行われていました。
長沼車庫は、いかにも地方私鉄の車庫といった雰囲気のこじんまりとした車庫です。
車庫の一般公開とあって「トレインフェスタ」から流れてくる多くの人でにぎわっているかと思って入場すると、意外にも構内にいる人はまばらでちょっと拍子抜け。
でもその分、展示車両をゆっくり観察したり撮影するには好都合でした。
ここの注目車両は、当時現存するのは全国でも2両だけといわれた木造電動貨車デワ1。
この頃にはすでに車籍はなくなっていたようですが、イベント当日は快晴の空の下で展示され、ステンレスカーやラッピング車ばかりの静鉄の車両の中で、独特の存在感を放っていました。
このデワ1、先日も事前応募性の車庫公開イベントで姿を見ることができた(検修庫内にいたそうですが)ようで、ぜひ今後も末永く保存してほしいものです。

さて現在、42年ぶりの新形式者となったA3000形の投入が続く静岡清水線ですが、2012年当時に活躍していた車両はそのA3000形に置き換えられつつある1000形のみ。
イベントで展示されていたのもデワ1を除けば当然1000形のみ。
もしかしたら、当時はまだ新形式者への置き換えの噂が聞こえてこなかったことも、イベントの人出の少なさに影響したのでは?などとも考えてしまっていました。
無塗装のステンレスカーというイメージが強く、一見特徴のない車両たちという先入観のあった1000形でしたが、この日静岡清水線を訪れてみて、ステンレスボディーに貼られたカラフルなストライプや広告ラッピングのおかげで、意外とバラエティー豊かな外観になっていることを知ることができました。
車庫内には数編成の1000形が分散して留置され比較的近くでゆっくり車両を観察することができました。
デワ1とともに目立つ位置に展示されていた1006編成には、このイベントの行われる少し前のダイヤ改正でラッシュ時のみ復活したという急行の種別板が掲げられていたほか、ストライプやラッピングの異なる1008・1012の両編成も展示されていました。
検修庫内の見学はできなかった記憶がありますが、車両展示の他にも記念撮影用の1000形ミニカットモデルが会場内に置かれていたり、車両部品やグッズ類の物販コーナーがあったりと、小規模ながらなかなか楽しめるイベントでした。

長沼車庫を後にしたのが14:30過ぎ。このまま東静岡駅へ戻って帰路についてもいいのですが、せっかくここまで来たのなら10数年ぶりに静岡清水線の乗り鉄を楽しんで帰ろうと、長沼駅に向かいました。
車庫内を眺めることもできる新清水方面行ホームから乗車したのは、当時「午後の紅茶」ラッピング編成だった1002編成。
前面形状を除けば東急7200系に酷似したオールステンレスカーである静鉄1000形ですが、車体全面にラッピングが施されて銀色の地肌が見えなくなっていて、だいぶイメージが変化していました。
車内は特に混雑することもなくいかにも土曜日の午後といったまったりとした空気が流れ、駅間距離が短いこともあってどこか東急の大井町線や池上線あたりに乗っているかのような錯覚も覚えました。
長沼から14分ほどで、旧清水市内の終点新清水駅に到着。
駅はやはりどこかの大手・準大手の私鉄の支線の終着駅のような雰囲気で、こんなところにも静岡清水線の親しみやすさが現れているようでした。
せっかく清水まで来たならどこかで桜エビのかき揚げやお寿司でも食べていきたいところでしたが、本格的な食事には中途半端な時間でもあるので今回は残念ながらパス。
新清水駅前をぶらぶらしただけで再び1000形に乗って、静岡清水線の起点新静岡駅へ向かいます。
新清水からの折り返しは1011編成。この編成は現在「ちびまる子ちゃん電車」となってまる子ちゃんをはじめとするキャラクターのラッピングが施されていますが、当時はステンレスボディーにブルーのストライプが入った外観でした。
新清水から21分で新静岡駅に到着。
どことなくのどかなムードの新清水とは対照的に、小規模ながら大手私鉄のターミナル駅の雰囲気が感じられる駅です。
静鉄新清水駅とJR清水駅の間もそうですが、静鉄新静岡駅とJR静岡駅との間もやや離れているので、私はタクシーで静岡駅まで移動し、この日は帰路につきました。

先ほども書いた通り静岡清水線では1000形A3000形への置き換えが進み、長らくしずてつ唯一の営業車両として活躍した1000形にも最後の時が訪れようとしています。
この時の車庫公開の際の乗車以来、静岡清水線には乗車していませんが、新旧両形式が混在しているうちにぜひまた乗りに行きたいものです。
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