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こんなところにも原点が? [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:子供のころ、何度も読み返した絵本のタイトル教えて

母親が言うには、私は幼い頃昔話などの絵本にはあまり興味がなかったらしく、読むのは乗り物が出てくるものばかりだったようです。
もちろんその中でも圧倒的に多かったのが鉄道ものの絵本でした。
何冊くらいの鉄道ものの絵本を持っていたかはもう記憶にありませんが、その中でも一番好きだったのは、タイトルは忘れてしまいましたがブルトレ「さくら」の東京から長崎までの行程を同乗ルポ風に綴ったものでした。
確かお母さんと一緒に「さくら」に乗った女の子が長崎のおじいちゃんおばあちゃんに会いに行くというようなストーリーだった覚えがありますが、発車前の東京駅12・13番線ホームの様子から始まり、寝台セット前のB寝台車の車内、食堂車での夕食・朝食風景、寝台のセット作業、深夜の上り「さくら」とのすれ違い、下関・門司での機関車交代作業など、ブルートレインの旅のポイントになる出来事がしっかりと描かれていて、自分も「さくら」に乗っている気分になって楽しむことができました。そして、当時(1975~77年頃?)「さくら」を牽引していたEF65P・EF81-300番台・ED73が14系を引く姿にもかなりハマったのをいまでも覚えています。
今でも私がブルートレイン好きでいることの原点の一つが多分この絵本にあるのかもしれません。

そして、もう一冊挙げるとすれば「けんちゃんでんしゃ」という絵本になるでしょうか。
この絵本の主人公の「けんちゃん」はちんちん電車(当時の東京市電、のちの都電)が大好きで、大きくなったらチンチン電車の運転手になりたいと思いながら成長します。戦争を挟んで、戦後に都電になった憧れのチンチン電車の運転手になったものの、やがて都電は次々に廃止されていき、ケンちゃんの運転する路線(実はそれが今も健在の荒川線なんですが)にも及びそうになります。しかし結局ケンちゃんの運転する系統は残ることになり、けんちゃんは今も運転手として頑張っています・・・というストーリーだったと思います。
この絵本も、ケンちゃんと電車との関わりを通して戦前から荒川線存続決定くらいまでの都電の歴史の大きな流れを知ることができ、また表紙や裏表紙をめくったところにはやはり戦前から都電全盛期までに登場した歴代の市電・都電車両のイラストが載っているなど、路面電車好きになった今読んでも十分楽しめる一冊ではないかと思います。

近年は、40年前に出版された「でんしゃがはしる」という絵本が、作者の山本忠敬さんの生誕100年を記念して限定復刊されて話題になりました。山手線を品川駅から外回りで一周する間の、様々な車両との出会いを描いた作品です。私はこの絵本が出版された時にはもうそろそろ絵本を卒業する年齢になっていたこともあり、この絵本を読んだことはありませんが、山手線の103系をはじめ登場する車両たちのほとんどが過去帳入りした今となっては非常に懐かしさを感じる絵本になっているそうです。私ももし目が見えていれば、子供にあげるふりして絶対に買っていたでしょう(笑)
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【自立訓練の日々 最終回】自立訓練の修了 [視覚障碍者としてのあれこれ]

こんばんは、gonanaです。
「自立訓練の日々」第13回です。前回(第12回)は
https://gonana57.blog.so-net.ne.jp/2019-07-06
です。

2014年10月下旬から始まった国立障碍者リハビリテーションセンターでの自立訓練の結果、まだまだ経験不足で未熟な部分は多々あるとはいえ、白杖を使った単独歩行や音声読み上げソフトを組み込んだパソコンの使用など、視覚障害者になった当初から比べればできることも増えてきました。
そうなると、自立訓練の日々にも終わりが見え始め、同時に自立訓練が修了した後の進路も決めなくてはなりません。
自立訓練の期間の長さは、訓練生それぞれの障害の程度や訓練の内容、進捗度合などによって違い、私の場合は約9か月で修了ということになりました。
自立訓練修了後の進路としてやはり多いのは、同じ障害者リハビリテーションセンター内に開設されているはり・灸・マッサージの技術を習得しそれらの国家資格の取得を目指す訓練課程に進むことでしたが、それら以外の業種への就職(再就職も含む)に向けて更なる職業訓練を受ける人、それらを経ずに就職先が決まったり家庭に戻ったりと、進路はまさに人それぞれです。
私は、いろいろと健闘した末、このシリーズの第9回(https://gonana57.blog.so-net.ne.jp/2019-06-28)でも書いたように音声読み上げソフトを使用したパソコン操作をもっと習得して今後の再就職に備えたいという思いから、障害者リハビリテーションセンターと同じ敷地にある国立職業リハビリテーションセンターという、障害者の就労に向けた職業訓練を行う施設に入所することにしました。
その施設の入所日が2015年7月16日に決まったので、自立訓練もその前日で修了ということになりました。

修了に先立って、その1か月ほど前に約8か月間生活した寮を引き払うことになりました。これは職業リハビリテーションセンターに進んだ後は自宅からセンターに通所して訓練を受けることになるためで、単独歩行や電車の乗り方なども含めて毎日の通所に慣れることが目的でした。
約8か月間という短い期間とはいえ、住み慣れた部屋を後にするというのはやはりちょっと寂しい気分にもなりましたが、再び生活の本拠地が自宅に戻るということにほっと一安心したのもまた事実でした。

そして自立訓練期間の最後の1か月はあっという間に過ぎ、訓練最終日の2015年7月15日を迎えました。
この日はまず、朝の訓練生全員参加のミーティングで修了の挨拶をしました。こうした場面での挨拶やスピーチが苦手なためもあり、かなりの緊張で何を話したのか記憶に残っていませんが、訓練生仲間やワーカーさん、講師の先生方などから温かいお祝いの言葉をたくさんいただき、とてもうれしい気分になりました。
この日の訓練はパソコン訓練だけでしたが、訓練の最後に私が訓練で使用していたパソコンに講師の先生からメールでメッセージが届き、これもまた非常に感激しました。
その後、ある訓練生仲間から一枚のCDが手渡されるというサプライズがありました。CDの内容は、その日の時点でともに訓練を受けていた訓練生仲間ほぼ全員と、ワーカーさんや講師の先生からのメッセージを収録したもので、卒業時や転校時などの寄せ書きの色紙の音声版といったところです。
訓練も終わり、最後に私にとって9か月の間いわば「担任の先生」のような形でお世話になったワーカーのWさんに最後の挨拶をして、センターを後にしました。
そして、自立訓練が終った感慨もそこそこに、翌日からは国立職業リハビリテーションセンターでの更なるパソコン訓練の日々が始まったのでした。

今にして思えば、現在の私があるのもこの障害者リハビリテーションセンターでの自立訓練があればこそだったと思います。長いとも短いともいえる9か月の訓練は楽しいことばかりとは言えないものの、私にとっては大きな人生のターニングポイントになったのではないかと思います。

「自立訓練の日々」シリーズは今回でひとまずラストとなります。
私としては、視覚に障害を持つ人が単独歩行など自立した生活を送るために行う訓練がどんなものなのか紹介したいという思いで書いてきましたが、どうも私の文章力不足で思ったほどうまく綴れなかったのが悔やまれます。
でも、この下手な文章の中からでも何かを感じていただけたならうれしいです。

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これは今どき珍しい [鉄道ニュース]

こんばんは、gonanaです。
2011年の東日本大震災と原発事故のため、現在も富岡ー浪江間が不通になっているJR常磐線ですが、2019年度中にはこの区間も運転再開する見込みとなっているようです。
そして、この常磐線全線運転再開に合わせて、東京都区内(上野または品川)と仙台を常磐線経由で結ぶ特急列車が復活するという発表がありました。
詳しくは下記のリンクからどうぞ。

常磐線特急、東京都区内~仙台間で再開へ 全線再開にあわせE657系で直通運転 JR東日本 | 乗りものニュース
https://trafficnews.jp/post/87604

これって、臨時列車とか全通記念のイベント列車とかではなく定期列車での復活ということですよね。
そうだとすると、すっかり「長距離特急」と呼べるだけの距離を走る在来線特急が少なくなった中で、今どき珍しい事例になるかもしれませんね。
記事中にもある通り、震災前は「スーパーひたち」に上野ー仙台間直通列車(他に下りのみいわき駅か原ノ町始発の仙台行き列車もあり)が運転されていましたが、2011年(何月だったかは覚えていませんが)に予定されていたダイヤ改正で常磐線特急の運転系統はいわきで分割され、いわき以南はE657系、以北はE653系による運転に変更される予定になっていました。それが震災と原発事故によるいわき以北の区間の長期普通でこの系統分割は幻となりました。
そして今回、常磐線全通に伴い、消滅するはずだった都区内ー仙台間特急が復活することになろうとは、大いなる運命のいたずらといってもよいかもしれません。
一度は消える運命にあった都区内ー仙台間直通特急が復活する背景には、おそらくいわき以北の被災地と東京が直通列車で結ばれていることで、少しでも復興の後押しになればという思いもあるのかもしれませんね。
鉄道ファン的な目で見ると、この都区内ー仙台間特急の愛称がどうなるのか気になります。いわき始発・終着の列車と同じ「ひたち」のまま運転区間のみ延長という形になることも考えられますが、やはり被災地の復興の後押しにもなる列車だけに、それにふさわしい別の列車名が命名されることも考えられます。
私は震災前の仙台直通「スーパーひたち」に乗車する機会はありませんでした。かつての上野発の東北特急の面影の感じられる上野ー仙台間特急に乗る機会を逸して残念に思っていましたが、思わぬ形で再び乗車のチャンスができたのは、「乗り鉄」的にはうれしい話題です。
視覚障碍者となった今では被災地の状況を目に焼き付けるということはできませんが、せめてこの都区内ー仙台間特急には乗ってみたいと思っています。


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【自立訓練の日々 その12】寮生活 休日&空き時間の過ごし方 [視覚障碍者としてのあれこれ]

こんばんは、gonanaです。
「自立訓練の日々」第12回です。前回の記事は
https://gonana57.blog.so-net.ne.jp/2019-07-02
です。

今回は、障害者リハビリテーションセンターの寮での生活の中での休日や訓練以外の時間の過ごし方について書きたいと思います。
以前も書いたとおり、センターでの訓練は月~金曜のみで、土曜・日曜・祝日は基本的に休みとなります。私のように寮に入っている訓練生にとっても、三度の食事と消灯前の点呼、それに消灯自国以外に決まった時間に何かをしなければならないということもなく、一般に寮生活と聞いてイメージするほどには日々の生活にあまり「縛り」は感じませんでした。
そのため、休日や空き時間の過ごし方も訓練生それぞれでした。
まず、寮で数か月にわたって生活するからには掃除や洗濯も欠かせません。
掃除のほうは、各部屋に掃除機が1台ずつ置かれていて、それを使いますが、その他に雑巾やクイックルワイパーなどを寮生それぞれが持ち込んで掃除に使っていました。特に部屋の掃除の時間として指示された時間というのはなく、それぞれの部屋で適宜掃除をすることになります。私の場合、本来は4人まで入ることのできる部屋に一人で入っている時期が長かったので、掃除する範囲もそれなりの広さがありましたが、特にこれといってやることのない休みの日など、いい暇つぶしになったりもしました。
洗濯は、寮の各階にある、その階の寮生が共同で使う洗濯機と乾燥機を使ってします。これも寮生それぞれで洗濯するペースは違い、私は2~3日に一度くらいのペースでしていましたが、人によっては週末に一週間分の洗濯をまとめてする人もいて、何回も洗濯と感想を繰り返すので大変だと言っていた野を思い出します。
寮の各階の一角にコインランドリーの店内のようなスペースがあり、そこに数台ずつ洗濯機と乾燥機が置かれています。私のいた階には視覚障害者が多かったので、洗濯機や乾燥機の主に操作するボタンにはそれがわかるように凸点状に盛り上がった形状のシールが貼られていました。
それともう一つ欠かせないのがお風呂です。
もちろん寮にも大浴場があります。浴場の中は一般的な銭湯やホテルの大浴場とあまり変わらないと思います。夕方と朝の入浴可能な時間帯の間であればいつでも入浴することができ、さらに訓練などでは交流することがない他の寮生とも挨拶やちょっとした会話などをして交流することができ、これも寮生活の中での楽しいひとときでした。

休日の掃除や洗濯など以外の時間の過ごし方も寮生それぞれです。ほぼ終日部屋でごろごろしているという人もいれば、センターのすぐ近くにある所沢航空記念公園へ散歩やランニングをしに出かける人もいます。また、センターの最寄り駅の西武新宿線新所沢駅や、近くの所沢駅の周辺へ買い物に行く人も多かったようです。私も、白杖を使っての単独歩行に多少なりとも自信が出てくると、「自主トレ」を兼ねて時々新所沢駅近くのコンビニに行ったり、喫茶店にコーヒーを飲みに行ったりしました。
また、寮の中では飲酒は禁止されていましたが、センターの外で常識の範囲で飲む分には飲酒も可能なので、夜になると時折新所沢や所沢の駅前の居酒屋やカラオケボックスなどへ訓練生仲間などと出かける人も結構いたようです。
部屋での過ごし方は同室者がいるかどうかでも変わってきますが、私の場合はかなり自由にのんびり過ごしていました。寮の部屋には備え付けのテレビやラジオはないので(寮の各階にある寮生同士の談話室的な共用スペースにはテレビがありました)、訓練生によっては小型の液晶テレビやラジオを持ち込む人もいました。私もテレビ音声を聴くことのできるラジオを部屋に置いていました。
さらに、パソコンを使うことができる訓練生の中には、ノートパソコンを部屋に持ち込んでネットサーフィンやメールを楽しんでいる人もいました。ただ、寮の部屋の中は通信状況が慢性的に良くないらしく、なかなか良好なネット環境とはいかなかったようですが・・・
もちろん、人によっては資格試験などのために勉強をしている人もいましたし、日々の訓練の中で次回の訓練までにやっておく必要のある課題が出されることもあるので、その時には訓練生一人に一つずつ用意されているデスクが役に立ちました。

そんな休日を過ごしている寮生ですが、やはり時には実家の家族のもとへ帰りたくなるものです。実家などへ帰る頻度も人それぞれ違い、センターに近い人などはほぼ毎週末ごとに実家に帰っている人が多かったようですし、逆にあまり帰省しない人もいました。年末年始やゴールデンウィークなど、訓練のない日が続く時期は多くの寮生が実家に帰るため、寮の中もかなり閑散としていたようです。
私の場合は月に1~2回くらいの割合で週末に実家へ帰っていました。センターと実家の間は車で20分ちょっとくらいの距離しかありませんが、やはり時々実家で過ごすと気分的にもほっとするものがありました。

私はセンター入所に当たって寮生活をすることになった時は、正直なところ厳しい規則などで寮での生活についていけないのではないかという不安もありました。しかしフタを開けてみれば規則も思ったほど厳しくはなく、比較的過ごしやすい環境だったような気がします。
まあ、細かいことを言えば部屋の暖房の(もしかしたら冷房も?)の効きが今一つよくなかったのと、ベッドの高さが実家のベッドよりもかなり低くて最後まで違和感がぬぐえなかったのだけが玉にきずでしたが(笑)

「自立訓練の日々」シリーズ、一応次回でラストの予定です。


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分かる人には分かるんでしょうね [鉄道ニュース]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:好きな香り(匂い)は何?

やっぱり一番好きなのは焼きたてのパンといれたてのコーヒーの香りでしょう!
あの香りをかぐと、寝不足で眠い朝でも一気に目が覚めます。
以前、新卒で入った会社に勤めていたころ、一時期西武線とJR山手線の乗り換えに高田馬場駅を使っていました。
高田馬場駅に2カ所ある西武-JRの連絡改札口のうち、それぞれのホーム中央部にある橋上式の連絡改札の近く(西武側の改札内)には、チェーン店のパン屋(神戸屋)とスタバが並んで店を出していて、ここを朝の通勤時に通るときはいい香りがダブルで漂ってきてかったるい通勤時でもひと時の癒しを与えてくれました。何せ時間があまりないものでスタバに寄る時間はなかったけれど、焼きたてパンの香りに誘われて神戸屋でその日のお昼に食べるパンを買っていくことも多かったのを思い出します。

ところで、香りといえば、こんな記事を見つけました。

「国鉄の香り石鹸」登場 成分不明「国鉄車両の車内のにおい」再現 どんなにおい? | 乗りものニュース
https://trafficnews.jp/post/87545

正直、私は「国鉄の香り」といわれても今一つピンときませんが、私以上に国鉄型車両に深く接した方なら「あ~、あの匂いだ」と分かるものなんですかね。
それにしても、もう存在しなくなって30年以上経つのに「国鉄」はビジネスになるんですね~
国鉄形車両の臨時列車が走るとなれば指定券やツアー予約は間違いなく即時完売ですし、国鉄に何かしらつながりのあるものをモチーフにしたグッズもよく売れるようですからね。
このあたり、「昭和」に関するエンタメ作品やグッズが受けるのと似た状況なのかもしれませんね。
ルームフレグランスは結構効果で、知っていたとしてもなかなか手が出ませんが、今回の石鹸は1個1300円だそうで、これなら3種類の外箱1個ずつくらいからでも買ってみたくなります。(石鹸1個1300円というのは一般的な石鹸の値段からすると高いのかもしれませんけど)
普段それほど香りに敏感な方ではない私ですが、ぜひ購入して「国鉄の香り」というのはどんな香りなのか感じてみたいものです。

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そういえばどんな町か知らないなあ・・・ [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:まだ行ったことのない有名スポット

昔から、有名観光地や人気スポットにぜひ行きたい!という欲求があまりないのと、どこかへ出かけるにしても目的のほとんどが「鉄」活動ということもあり、行ったことがない、あるいは1回しかいったことのない場所はかなりたくさんあります。
東京タワーもスカイツリーもまだ登ったことがないし、ディズニーランドも34年前に行っただけで、「シー」は未経験。USJ二も行ったことありません。
その他にも、あちこち出かけてはいても実は街や観光地をじっくり味わうことがかなり少ないのが現実です。
たまには鉄分控えめな旅もいいのでは・・・と思ってはみるものの、プランニングをする段になるとついついいつものように「鉄ばかり」の行程を組んでしまう癖が・・・

こんなことを思い出したのは、今日「マイナビニュース」にこんな記事が出ていたからでした。

あの駅には何がある?(3) 大垣駅(JR東海道本線・樽見鉄道・養老鉄道) | マイナビニュース
https://news.mynavi.jp/article/inquiry-3/

言われてみれば、確かに私も「大垣夜行」(臨時も含む)や「ムーンライトながら」、さらには東海道線名古屋圏の新快速・快速などと米原方面へ向かう列車との乗り継ぎで何度も利用してはいるものの、実は改札を出て街へ出たことは一度もなかったりします。
そのため、大垣という地名は小学生の時から知ってはいても、それはあくまでも「在来線利用で東京ー関西館を移動するときの中継ポイント」「電車区(大垣車両区)のある駅」「東海道線美濃赤坂支線や樽見鉄道、養老鉄道の始発駅」というイメージであって、どのような街なのか、全くと言ってよいほど知識がありませんでした。
今回この記事を読んで、大垣という街のことが少しですが理解できたとともに、松尾芭蕉の「奥の細道」の旅の終着地が大垣だったという、かつて学校で学んだことも思い出すことができました。
今後、185系の動向とともに「ムーンライトながら」の今後も気になりますし、樽見鉄道と養老鉄道は未乗車なので、ぜひこれらの乗車を兼ねて一度ゆっくり大垣を訪ねてみたいものです。

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思えばよき時代だったかも [いろんな思い出]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:1980年代について知ってること

知ってるも何も、たくさん思い出ありますがな(笑)
小学校3年から高校3年まで、1980年代は私の10代の時代と大半が重なります。
携帯もネットもない(というか、これらのものの存在すら想像がつかなかった)けれど、ある意味今より自由で楽しく生活していたような気がします。

あの頃はテレビも「ひょうきん族」「いいとも」「夕やけニャンニャン」などなど面白い番組がいっぱいで、自他ともに認める「テレビっ子」でした。
その他にも、過去好きだったテレビ番組を思い出してみると、大半が80年代に放送されていた番組だったりします。
あの頃のバラエティー番組では、今では「コンプライアンス」の名のもとに許されなくなっているようなハチャメチャな企画もたくさんありましたが、当時はそれが楽しくてたまらなかったのも事実です。
アイドルがたくさん登場してきたのもこの時代で、しかも、30年たった今でも変わらない魅力を保って、あるいはいい感じに歳を重ねて活躍している人が結構いるのも嬉しい限りです。
鉄道界では、1987年の国鉄からJRへの移行という大きな時代の変化がありましたが、それゆえにその前後の時代は国鉄・JRも私鉄も多くの新車や新しい運転形態の列車、ユニークなサービスなどがどんどん生まれ、個人的には今よりも面白い時代だったと思います。
ほぼ毎月のように新型車や個性豊かなジョイフルトレインなどが登場し、鉄道雑誌を毎月読むのもそれまでにまして楽しみになりました。
それまで縮小傾向にあったブルートレインも全区間での機関車ヘッドマークの復活に始まり個室車やロビーカーなどの連結、そして「北斗星」「トワイライトエクスプレス」につながるブルートレインのグレードアップなどが続き、ブルトレファンの私にとっても楽しい時期でした。
その他にも、国鉄・JRに「乗客が便利になることであればこれまでにないこともどんどんやってみよう」というやる気というか勢いが、多分今よりあったのが1980年代だったのではないかと思います。
他にも、いろいろ思い出してみると懐かしさを感じるとともに、今よりもどこか「生きやすい」時代だったのかもしれません。
世間の空気は今より良くも悪くものんびりしていたし、生活や人の心にもそこそこ余裕があって、今思い出してみると1980年代って結構いい時代だった気がします。
タイムマシンが開発されたらぜひ戻ってみたい時代の一つです。

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【自立訓練の日々 その11】自立訓練中の食事 [視覚障碍者としてのあれこれ]

こんばんは、gonanaです。
「自立訓練の日々」第11回です。前回(第10回)は
https://gonana57.blog.so-net.ne.jp/2019-06-30
です。

今回は自立訓練中の、寮生活も含めた日々の食事についてです。
以前も書いたとおり、障害者リハビリテーションセンターに入所してからの大半の期間、私はセンター内の寮で生活していたので、基本的に三度の食事はセンター内の訓練棟内にある大食堂でとりました。
食堂の内部は、社員食堂や学生食堂などによくありそうなレイアウトで、セルフサービス方式のカウンターで料理を受け取り、長テーブルが何列か並んだ中にある自分の席(訓練生ごとに位置が決められています)まで自分で運び、食べ終わったら空いた食器などを返却場所まで運んで終了という、これまた社員食堂などでもよくみられる方式の食堂でした。
しかし、利用者のほとんどが障害を持つ人々であるだけに、普通の大食堂とは違う部分もいろいろとあります。
席の配置は障害の部位などで場所がわけられていたようで、視覚障害者の訓練生用の場所以外の状況はほとんどわかりませんが、わかる範囲でその違いを書きます。
まず視覚障害者が利用する部分の床には、通路の一部に点字ブロックの敷かれた部分があり、食事受け取りのためにカウンター前で並んだり、食堂内を歩くときにはこの点字ブロックをガイドにして歩くことになります。食事の配膳待ちの列の先頭に当たる位置など、目印となる位置の点字ブロックは道路と同じように点状の突起がいくつもあるブロック(他は線上の突起が数本あるもの)となっていて、これも点字ブロック状を歩く時のガイドになります。
ただし、食堂内は、というより訓練棟の中では基本的には白杖を使えないので、食堂内で歩くときには足の裏の感覚を鋭敏にしておくことが重要です。また食事受け取りカウンターから自分の席への移動や、食後に返却口や出口に向かう時も、点字ブロックを歩く時の歩数やブロックの形状の変化を頭の中で記憶して歩かなければなりません。
そこで、センターに入所するとすぐに食堂内での歩き方についても教わりましたが、なかなか最初はうまくいかず、何とか食堂内を自力で歩けるようになるまでには数日かかりました。また、食堂内の歩行に慣れた後も時折感覚が狂って他の人の席に座ろうとしたり、通路を曲がる場所を見失って食堂内をさまよってしまったりすることもよくありました。
そんな、ちょっとした苦労もあった大食堂での食事ですが、食事自体は想像していたよりもおいしいものでした。
一応、三食とも日替わりの標準の献立はあるようで、食堂のどこかに献立表が掲示されているという話でしたが、私のような全盲の利用者は献立表を見ることができず、カウンターで食事を受け取る際に食堂の方に教えてもらって初めて本日の献立がわかるという状態でした。でも、その分毎日何が出てくるのかを予想してみたりするのも楽しみでした。(もちろん、訓練生それぞれの健康状態や食事制限などに対する配慮はきちんとなされていました)
朝食はご飯を中心に週1回程度パンも出ていました。昼も週1回程度麺類やカレーなどが出ることがあり、やはり長期にわたって入所している人がほとんどなので献立のバラエティーにも気が配られているのでしょう。
献立といえば、祝日や記念日にはそれにちなんだメニューが出ることもありました。例えば3月3日のひな祭りにはちらし寿司が出たり、クリスマスには鶏の唐揚げやピザ、(かなりのミニサイズですが)ショートケーキなどが出ました。
また、当日が誕生日の訓練生には、通常のメニューとは別にケーキやコーヒーがつくというようなこともありました。
これらのお楽しみメニューは、寮生活が長くて日付の感覚を失いがちだったり、なかなか誕生日という気分になれなかったりする訓練性に対してのセンターからのプレゼントなのかもしれません。
ともあれ、平日は朝から夕方まで続く訓練の日々の中で(もちろん訓練のない土曜・日曜・祝日も食堂はオープンしていましたが)、食堂での食事はよい息抜きの場になっていたし、大きな楽しみでもありました。

次回(第12回)は、訓練以外の量での生活について触れたいと思います。
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無理やり詰め込んだ知識は忘れるのも早いわけで・・・ [ノンジャンル]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:第2外国語、何語習ってた?/習いたい?

私が大学で受講していた第2外国語の授業はフランス語でした。
もっとも、これは自分から選んで履修したのではありません。
当時(今はどうなのかわかりませんが)、私の通っていた大学では、1・2年生で習う第2外国語は入学時につけられる学籍番号によってフランス語かドイツ語のどちらかに自動的に振り分けられ、学生側に選択の余地はありませんでした。そして、私の習う第二外国語も私の意志と関係なくフランス語ということに決まっていました。
だから、と言ってはいけないかもしれませんが、最後まで苦手意識を払拭できず、赤点スレスレの状態でどうにかこうにか単位だけは取ったものの、せっかく無理やり覚えた文法や単語も、フランス語の授業が終わってからいくらもしないうちに早くも頭の中から消え去ってしまいました(苦笑)。
もし仮に大学入学時に履修する第二外国語を自分で選択できていたとしたら、私はどちらかといえばドイツ語を選んでいたような気がします。フランス語もドイツ語も、それまでほとんど接する経験のない言語だったので、おそらくかなり選択には悩まされるのでしょうが、何となくドイツ語のほうに魅力を感じていた時期でもあったので・・・

今もし私が大学生で、第2外国語として習うならやはり中国語か韓国語(ハングル)ですかね。
今やこの2つの言語は英語に次いで勉強しておくべき重要な言語といっていいでしょう。
個人的にも、台湾や韓国には一度行ってみたいと思っていますし。

ちなみに中国語はごく簡単な会話だけは習ったことがあります。
高校3年の時に「なぜか中国語会話」という授業があり、台湾出身の先生の指導のもと、挨拶やごくごく簡単な会話文を勉強しました。
先生はあれこれ冗談を言ってくれたり台湾の面白い話をしてくれたりして授業は楽しかったんですが、肝心の授業内容はあまり頭に入ってこず、こちらも今はもうほぼ覚えてません。
自分の名前の中国語読みも教わったので、覚えていればどこかで使えたかもしれませんが、これももう記憶に残っていません。

やはり語学は、きちんと目標を持ち、勉強へのモチベーションを維持しながら、腰を据えてじっくりと勉強するのが上達の秘訣なんでしょうかね・・・

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