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もしかしてこれは「鉄ちゃん」あるある? [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:億万長者になったら、何がしたい?

億万長者どころか、宝くじだって当たったことのない私。
何かの間違い?で巨万の富を得たとしても、それをどう使っていいものやら、全く見当がつきません。
前澤友作氏のようにこのお金を使って宇宙旅行に出かける、というのも夢があっていいですが、まだまだ私には遠い世界のような気もします。
そう考えると、やはり私にはベタな答えではあるけれど「まとまった休みをもらって日本中を鉄道で旅する」というのが一番合っている気がします。
あとは、大邸宅でなくてよいからほどほどの大きさの家を土地付きで建て、庭には人が載れる大きさの模型鉄道を敷設するのもいいし、少し前に事にも取り上げた国鉄コンテナのコンテナハウス(その時の記事は→https://gonana57.blog.ss-blog.jp/2021-10-17)を置くのもいいかな。
でも、せっかく大きな庭が手に入るなら、やっぱりそこに置きたいのは本物の鉄道車両。
1両だけでも4両一編成くらいでもいいので、敷地の外からでも見える位置に設置し、ヘッドライトやドア、冷房装置、車内放送の装置など一部の危機は動かせるように電源なども含めて整備して保存したいです。
そして、自分一人だけで楽しむのも寂しいので、どうせ置くなら地域の人や遠来の鉄道ファンにも公開すれば、新たな観光名所になってビジネスにもつなげられたりして…

というようなことを、先日オン来飲み会で「億万長者になったら」という話題になった時に話したら、他に出席していた人から「やっぱり鉄道好きな人はこういうこと考えるんですね」と言われました。
やっぱり、「大金持ちになったら庭に鉄道車両を置く」のは、鉄道ファンの「あるある」な夢なんでしょうかね?
タグ:億万長者
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今の子供がうらやましい… [ノンジャンル]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:子どもになって、お仕事体験に行くとしたら何を体験したい?

子供に戻っても同じ趣味を貫けるのなら、当然鉄道のお仕事体験がしたいですね。
一番体験したいのは車掌ですが、その他にも運転士体験や車両基地での車両の検修作業、線路・架線などの保守作業、列車ダイヤの作成業務など、やってみたい仕事体験はいろいろあります。
何といっても、好きな鉄道の現場の一端に触れられるのだから、楽しいだろうなあ~
あと鉄道以外だったら、テレビ局やラジオ局にも行ってみたいです。
私の子供の頃は自他ともに認めるテレビっ子だったので、もし子供の時にテレビ局やラジオ局のお仕事体験があったら、こちらも大喜びで参加したでしょう。

それにしても、私が子供だった40数年前には、今のように「お仕事体験」ができるような常設の施設やイベントなどなく、わずかに教科書や学習雑誌でいろいろな職業のことを学んだり、小学校の社会科見学などで工場や施設の見学に出かけたりできる程度でした。
だから、確実にあの頃の私より実際の現場に近い雰囲気でお仕事体験ができる今の子供たちがうらやましいですし、子供に戻れるものならぜひ戻りたいです。
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寅さん、車掌になる? [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:「映画館で好きな映画を上映してあげる」と言われたらリクエストするタイトル

鉄道好きとしては、やはり鉄道が出てくる映画は見てみたいです。
その中でもこれ、というのを選ぶとすると、渥美清さん主演の「喜劇・急行列車」です。
渥美さん扮する国鉄のベテラン専務車掌青木吾一が、乗務する列車の中や宿泊地などでの笑いあり涙ありドタバタありの喜劇を繰り広げる、というストーリーです。
実は、この「青木専務車掌」のキャラが、あの寅さんのキャラとかなり共通する部分があり、この作品が公開された2年後に始まる「寅さん」シリーズの原点とも言えそうな作品になっています。
そしてこの作品の主な舞台となっているのが、渥美さん演じる青木車掌が所属している(という設定の)国鉄東京車掌区の乗務担当列車だった寝台特急「さくら」「富士」です。
映画の中では寝台車や食堂車などの様子も見られるほか、それぞれの車内ではスリの出現や妊婦さんの出産などいろいろな出来事が起こり、当時のブルートレインの列車内のリアルな雰囲気を感じることができます。
この作品が公開された1967年は、東京発のブルートレインや20系寝台客車にとっても全盛期といえる時期で、ブルトレファンとしてもぜひとも観たい作品です。
そして、この作品のヒットを受けて続編として制作された「喜劇・団体列車」「喜劇・初詣列車」はテレビでも見たことがないので、これもぜひ見てみたいです。

あともう一つ、ブルートレインつながりでいうなら、以前も記事にしたことのある「ブルートレインひとり旅」もやってほしいです。
(その時の記事は→https://gonana57.blog.ss-blog.jp/2019-07-17
「喜劇・急行列車」とこの映画とでは約15年の時代差があり、映画のテイストも違いますが、どちらもブルートレインの車内が主な舞台になっていることや、東京から九州へ向かう間に様々な出来事が起こるストーリー、そして何よりそれぞれの映画が撮影されていた当時のブルートレインやその周辺の車両や人の姿がしっかりと記録されているという点で、ぜひもう一度見てみたい作品です。
リンク先の記事にも書いた通り、「ブルートレインひとり旅」はこれまで映画館で上映された実績があまりないようなので、もし映画館で見られるなら画期的なことになりそうです。
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越えられない壁 [ノンジャンル]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:高級料理と言われて思い浮かべるのは?

やっぱり高級料理と聞いてまずイメージするのはフランス料理ですね。
これは子供の頃からずっと変わらないイメージです。
もちろん、フランス料理といってもすべてが高級なわけではなく、リーズナブルな値段で食べられる庶民的なメニューも中にはあるんでしょうけど、どうしても「フランス料理=フルコース=高い」という刷り込みがあるせいもあって、フランス料理は敷居が高いというか、自分には縁のないもの、というイメージができてしまっています。
デートなどの機会にフランス料理のフルコースを味わうなんて機会が一度でもあれば、あるいはそういった固定概念も少しは変わるかもしれませんが、なかなかそういったチャンスに恵まれることもないのが実情です。(泣)
フランス料理といえば、鉄道ファン、そしてブルートレインファンとしてはやはり上野ー札幌間のブルートレイン「北斗星」の食堂車「グランシャリオ」のディナーを忘れるわけにはいきませんが、これも4回ほど乗車はしたものの一度も体験することなく終わってしまいました。
普段外食にかける金額よりはるかに高い料金にやや腰が引けたのと、一人旅なので男一人で高級料理を食べるのも何となくわびしく思えてしまったのが理由ですが、もうブルートレインでフルコースを味わうなどという経験ができない今となっては、一度でいいから「冒険」してみたかったと悔やまれてなりません。

いずれにしても私にとってフランス料理は、永遠に、可動化はわからないけれど当分は「越えられない壁」という状況が続きそうな気がします。
安くてそこそこボリュームもあるようなメニューを出すフランス料理の店でもあったら、一度食べに行きたいと思ってるんですけどね…
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今度じっくり聞きに行きたい! [視覚障碍者としてのあれこれ]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:落語聞いたことある?

落語、小学校高学年の頃から地味に好きでした。
といっても、両親は特に落語ファンというわけでもないので、寄席や落語会に連れて行ってもらったこともありませんでした。
私が落語というものを(意識して)初めて聞いたのは、小学5年生の頃に父親からもらった中古のラジカセでラジオにハマった直後だったと思います。
ある日、どの局でどんな番組をやっているかもわからないまま右へ左へ選局ダイヤルを回していると、他の番組とは明らかに違う語り口でしゃべっている番組が聞こえました。何となく最後まで聞いていると、それは落語の番組でした。
何分まだ子供なので噺の内容はあまりよく理解できず、正直面白いのかつまらないのかもよくわかりませんでした。
でもどこかで落語が私の好みに合ったのかどうか、その後もラジオやテレビでたまたま落語番組をやっているとつい耳を傾けるようになりました。
そしてその頃、テレビやCMでも大人気だった五代目月の家圓鏡師匠(後の8代目橘家圓蔵師匠)のやっていたラジオ番組にハマったことも私が落語好きになるきっかけになったと思います。
なので、中学生の時に「芸術鑑賞会」として学校に圓蔵師匠が来られて落語をしてくださると知った時はうれしかったのを思い出します。
もっとも、本番の落語は、噺そっちのけで周囲としゃべったりしている生徒が多くて肝心の落語がほとんど聞き取れず、残念な落語デビューになってしまいましたが。

その後も、寄席や落語会などに行ったことは残念ながらまだありませんが、相変わらずラジオで落語を聴けるチャンスがあればよく聴くという感じの超ライトな落語好きです。
若い頃はあまり身近に感じない部分もあった落語の世界観も、年齢を重ねるにしたがって少しずつ理解できるようになってきたので、今後は寄席や落語界に出かけて生の落語に触れる機会をぜひ持ちたいものです。

実は、昨夜私の所属する視覚障碍者団体のオン来忘年会が行われ、そのメインアクトとして視覚障害のある落語家さんの落語を聞く機会がありました。
その落語家さんは呆っ人(ぽっと)さんといい、兵庫県で鍼灸マッサージ師の仕事の傍ら落語家としても活動されているそうです。特にお師匠さんにはつかず独学で落語の腕を磨いたそうですが、関西では落語の賞もいくつか獲得しているようです。
今回披露してくださった噺は、童話の「北風と太陽」の話を現代の環境問題も絡めながらアレンジした「北風と太陽とフェーン現象」という噺でした。
話のテンポもよく、飽きることなく面白い落語を聞くことができ、噺に入る前の「枕」の部分も視覚障害者には「あるある」とうなづける内容で、なかなか普通の寄席などでは聞けない落語を聴けて楽しい一隻でした。
もし関東の寄席などで生で呆っ人さんの落語を聞けるチャンスがあれば、ぜひまた聞きに行きたいです。
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変わりたい部分とそうでもない部分と [ノンジャンル]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:もし生まれ変わったら、来世はどうなりたい?

犬や猫になりたい気持ちもないではありませんが、もし生まれ変われるならやっぱりまた人間に生まれたいですね。
で、どんな人間に生まれ変わりたいか…
特別にイケメンや美女でなくてもよいし、高学歴だったり金持ちだったりといったことも別に望まないけれど、現世の自分にない部分はいろいろ欲しくなってしまいます。
性別は、もう一度男性に生まれたいような、今度は女性として一生を送るのもいいかな、と迷ってしまいます。
兄弟姉妹は、年上も年下も1~2人欲しいです。もっと言えば、双子の兄弟姉妹がいるとあれこれ楽しいかも、なんて思ってことも妄想してしまいます。
仕事の方は、めちゃくちゃ高収入な仕事というより、収入は平均的なものでもよいから自分のやりたいことが実現できたり、自分のした仕事で誰かが喜んでくれたり力をもらえたりするようなものがやりたいです。
そういう意味では、芸能人や作家、アーティストなんかもいいかもしれません。
それとも関連することですが、来世では今の自分にないいろいろな物事を創造するクリエイティブな能力がもっと欲しいです。
性格は穏やかで、派手さはあまりなくても多くの人とつながれるような愛されキャラになりたいです。

以上の他にも、生まれ変わったらこう変わりたい、という願望はいろいろありますが、一方で生まれ変わってもそのままでいたい部分もあります。
特に趣味や好きな物事は来世でも好きでありたいし、キャラや性格も前世の自分の好きな部分や他人からよい評価をしてもらえた部分もできればそのままでいたいです。

あれこれ考えていくと、生まれ変わったら変わりたい部分とそうでもない、というか変わりたくない部分とがいろいろ出てきて、自分のことを分析している気分になってきますし、来世の自分の姿を妄想するのも、なかなか楽しいものです。
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東急目蒲線「緑の電車」の思い出 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんにちは、gonanaです。
一昨日の記事で、私が小学校3年生の時に、初めて埼玉県某市の自宅から東京都大田区の祖父母の家まで、電車とバスを乗り継いで一人で向かった時のことを書きました。
この初めての「一人旅」が無事に成功したことで、親や祖父母もひとまず安心してくれたようで、その後も時折一人で祖父母の家へ行く機会がありました。
初めのうちは最初に一人で祖父母の家に祖父母の家へ行った時と同じコースで電車やバスを乗り継いでいましたが、少し慣れてくると小さいながらに「乗り鉄心」がむくむくと頭を出し始めたのかどうか、その時によって一部ルートを変えて乗ってみるようになりました(もちろん、親にはどの路線に乗っていくかは伝えておきました)
例えば、最初の「一人旅」では高田馬場で山手線に乗り換えていたのを池袋での乗り換えに変えたり、品川駅から先は京浜東北線+バスの乗り継ぎで行っていたものを京急で雑色駅(これも祖父母の家の最寄駅)まで行きそこから徒歩で向かうようにしてみるといった具合です。

そんな感じで蒲田へ行くことが何回かあった頃、今度は、京浜東北線と同じ蒲田駅に発着する東急目蒲・池上線で当時走っていた緑色塗装の旧型車両に乗ってみたくなりました。
きっかけは、当時父親が毎月買ってきてくれていたある鉄道雑誌に、戦前に50両が製造された東急電鉄の旧型車3450形が、その登場から50周年を迎えたことを記念した特集記事が載っていたのを見たからでした。
当時(40年前)の東急は、すでに東横線や田園都市線といった本線格の路線はすでにステンレスカーの天下になっていたものの、池上線と目黒・多摩川の両線に分割される前の目蒲線を走る車両はほとんどがこの3450形を含む緑色塗装の旧型車で運転されていました。
私自身はそれまで、普段ほとんど乗る機会がないこともあって東急の電車にはそれほど関心がありませんでしたが、その雑誌の記事や他の鉄道の本に載っている東急の旧型車の写真を見て乗ってみたくなり、それからほどなくして祖父母の家へ行く時に乗ってみることにしました。

その日は、西武線と山手線を高田馬場で乗り継ぎ、目黒駅までやってきました。
ここでいよいよお目当ての緑色の旧型車に乗るため目蒲線に乗り換えましたが、目蒲線と池上線のどちらを選んでもそう大差はない中でなぜ目蒲線に乗ることを選んだのかは今となってはわかりません。
現在の東急目黒線目黒駅は地下駅ですが、当時の目蒲線目黒駅は地上駅で、ホームに出ると望み通り緑色の電車が停車していました。
残念ながら今となっては乗った車両の形式が何だったかの記憶は残っていませんが、見慣れた西部や京急の電車とは違う渋い緑色のボディーに新鮮味を感じながら乗り込んだのは覚えています。
目黒駅を発車し、吊り掛けモーターの音を響かせながら蒲田へ向かって走り出しました。駅間距離の短さや窓の外を流れる景色、電車や駅で見かける人々の姿も西武線や京急などとも微妙に違って見え、普段乗ることのない電車に乗りたいという電車好き少年の興味から始まった初めての目蒲線の乗り鉄も、鉄道路線ごとのキャラクター(?)を味わう乗り鉄の楽しみ方を学べたという点で、とてもいい経験になりました。
目黒駅から約25分ほどで終点の蒲田駅に到着。もう一度乗ってきた車両をホームから眺めた後、祖父母の家近くまで乗るバスの乗り場へ向かいました。

その後別の機会に、もう一路線東急の緑の旧型車が活躍していた池上線にも乗りましたが、祖父母の家へ行くルートとしては、親や兄弟と一緒に行く場合も含め京浜東北線や京急を使うことが多く、目蒲線や池上線を利用する機会は少なかったです。
そのうちに、昭和時代の終わりとともにこれら2線に残っていた緑の旧型車も引退しました。
私が初めて目蒲線とそこで走る緑の電車に乗ってから40年、目蒲線は多摩川駅を境に目黒線と多摩川線に分割され、目黒線は地下鉄南北・三田線とも直通するようになり、やがては相鉄線ともつながることになります。
そして池上線ともども、30数年前に緑の電車にとって代わった車両たちもさらに新しい車両に置き換えられるなど、あの頃と比べ様々な点で年月の流れを感じます。
久しぶりに目蒲線の旧型車に乗った時のことを思い出して、とてつもなく懐かしい気分になってしまいました。
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よく言えばまったり、悪く言えばダラダラ [ノンジャンル]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:一日家から出ない日の過ごし方

まだ目が見えていた頃は、週末などほぼ毎週のようにどこかへ撮り鉄や乗り鉄に出かけていましたが、視覚障害者となったことと、たびたび書いている通り5年前から在宅で仕事をしていることもあり、コロナ禍で「ステイホーム」なる言葉が広がる前から一日中外に出ない日も多くなりました。
平日の日中は夕方までがっつり仕事なので、その時間は会社のパソコンに向かっていることが多いですが(ここだけの話、たま~にちょっとだけサボったりしてますが)、その他の時間はラジオや音楽を聴きながら(たまにテレビも見ますが)ネットをやったりブログ記事を書いたりするぐらいしかしていないですね。
そのようなわけで、今では平日と休みの日の違いといえば、会社のパソコンを立ち上げて仕事をするかどうかの差ぐらいしかありません。
平日はともかく、休日は外に出る予定がないと一日中暇といえば暇で、よく言えばまったり、悪く言えばダラダラ過ごしてしまいます。

幸い、このところいろいろなところへ出かけることにも気兼ねすることがなくなり、私自身も新たに視覚障碍者の外出時の動向援護をしてくださるヘルパーさんの事業所にお世話になることにもなったので、少しずつでもアクティブに行動できるようになりたいものです。
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はじめての一人電車旅 [いろんな思い出]

こんにちは、gonanaです。

本日のお題:子供の頃の大冒険エピソード

最近、小田急電鉄が自社線内において、ICカード利用での子供の運賃を全線で50円均一にすることを発表した時、思い出したのは子供運賃で電車に乗っていた日々のこと。
中でも、親に連れられてではなく自分一人で電車に乗った時の思い出が40年ぶりによみがえってきました。

私が初めて一人で電車に乗ったのは、確か小学校3年生の頃だったと思います。
それまで、電車やバスに乗ってどこかへ出かけるとなればいつも親と一緒だった私が、どういう経緯で一人で電車に乗ってみようということになったのかは記憶にありませんが、恐らく3年生になりそろそろ一人で行動できる範囲を広げていってもよいと親が判断したからなのかもしれません。

私の初めての電車旅の行き先は、東京都大田区にあった父方の祖父母の家だったと思います。
ここであれば、初めて一人で行くにしても親と一緒に何度も通ったことがある分、何駅でどこ行きの電車に乗り換えればよいかなどの知識があり少しは安心ということもあったのでしょう。
春休みだったかゴールデンウィークだったか、とにかくやや長めの休みの時期だったと思います。
何時ごろ家を出たのかは忘れましたが、埼玉県某市にある自宅最寄駅まで親に送ってもらい、そこから私の一人電車旅が始まります。
自宅最寄り駅から祖父母の家の(当時の国鉄での)最寄駅蒲田までの連絡切符は親が買って渡してくれましたが、ここから先、切符をなくすことなく蒲田駅まで行けるのかどうか、ドキドキの始まりです。
この日の祖父母の家までのまでのルートは、まず西武線で高田馬場駅まで行き、山手線内回りに乗り換えて品川へ、ここで京浜東北線南行に乗り換えて蒲田駅へ、さらに蒲田駅前からバスに祖父母の家の近くのバス停まで乗車するというものでした。
このルートは先ほども書いたように祖父母の家に行くたび親と一緒に何度もたどったものでしたが、それでも親は乗換駅と乗る電車の行先を書いたメモを持たせてくれました。
最初の乗り換え駅高田馬場では、西武と国鉄の連絡改札を通っての乗り換えとなります。
連絡切符を持っているのでここでは改札口に立っている駅員に見せて通ればよい(当時はもちろん自動改札などない)ことはわかっていましたが、今まで親がしていたことを自分が初めてするとあって緊張しながらの一瞬でした。まあ、駅員は私を見ても何の反応も示さなかった記憶がありますが。
高田馬場からは山手線内回りに乗車。日中でも結構混んでいる区間なので座ることができたかはわかりませんが、窓の外の景色を見たりしながらそれなりに楽しんだ覚えがあるところを見ると、ラッシュ並みの混雑というほどではなかったのかもしれません。
山手線で品川駅に着き、ここからは京浜東北線南行に乗り換えです。
山手線と京浜東北線はホームが隣り合っている上、南行の発車するホームの番線も覚えていたので難なく乗り換えができたと思います。ただ、現在のように駅ナカにいろいろな店があるような構造だったら、あるいはホーム(へ降りる階段)が見つけられなくて迷ってしまったかもしれません。
(当時の)4番線から乗車する京浜東北線は、鎌田止まりを含めどの電車に乗ってもよいので、あとは蒲田駅到着の案内放送を聞き逃さずに電車を降りればよいので、少し気分が楽になってきます。
そして無事蒲田駅で下車し、ここまでしっかり握りしめてきた切符を駅員に渡して改札口を出ました。
さて、最後は祖父母の家の最寄りのバス停までのバスに乗ることになりますが、蒲田駅に発着するバスの路線は多い上、目的のバスが何番乗り場から出るかもうろ覚えだったりしたので、親にもらったメモを見ながらなんとか乗り場へ。
バスがやってきても行き先のバス停に止まるかドライバーさんに緊張しながら聴いてやっと乗車しました。
あとは窓の外をしっかり見ながら案内放送に「全集中」で耳を傾けながら目的のバス停に無事到着。
バス停には祖父が出迎えてくれ、一緒に家まで歩き、私の初めての一人電車(+バス)旅は無事終わりました。
この一人旅では、幸いこれといったトラブルはなく、私にとっては一つの地震ができたし、親にとっても一安心となったことでしょう。
以来、祖父母の家にはたまに私一人、あるいは妹と2人で出かけるようになり、その後例えばかつて東京神田にあった交通博物館などへも一人で出かけるようになり、それが現在の乗り鉄好きの原点にもなっています。

今の小学生は、学校や塾、習い事のために一人で電車に乗ることは、私が小学生だった頃よりは増えているでしょうが、私のようにおじいちゃんおばあちゃんの家に行くために、一人である程度の長い距離電車やバスに乗るといった経験をしている子はどれくらいいるのでしょうか。
40年ほど前とは世間のいろいろな事情が違うので、昔と同じようにはいかないでしょうが、子供の頃にこんなちょっとした冒険の旅に出てみる体験を今の子供たちにもぜひしてほしいものです。
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